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手をつなぐ理由  作者: リンダ


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面談の席



第9話 面談の席


 面談という言葉は、中学生にとって、たいていそれほど良い響きを持っていない。


 進路の話。

 成績の話。

 生活態度の話。

 どれも、椅子に座っているだけで少しずつ背中が固くなるような時間だ。


 ましてそれが、自分が今、教室で起きていることのための面談となれば、なおさらだった。


 面談の日の朝、隆は起きた瞬間から胃のあたりが重かった。


 いつもの学校へ向かう苦しさとは少し違う。

 今日は、先生たちと親が自分のことを話す。

 いや、“自分のこと”だけではない。自分が受けていること、感じていること、ここ何日も言葉にならなかったものが、机を挟んだ場所で整理され、確認され、判断される。


 それが嫌だった。


 嫌というより、怖かった。


 もし話しても、「そこまで深刻ではない」と言われたらどうしよう。

 先生たちは一応聞いてくれるふりをして、結局は“よくある生徒間のトラブル”くらいの箱にしまってしまうのではないか。

 親は怒ってくれている。でも、学校側がそれを受け止めきれない可能性だってある。


 そうなったとき、教室へ戻る自分は、いまよりもっと居場所をなくすかもしれない。


 食卓では、実里も正康も普段より口数が少なかった。


 なぎさだけが、わざとらしくならない程度に明るくしていた。


「お兄ちゃん、今日給食なんだろ。デザート何だが知ってる?」


「……知らね」


「たぶんゼリーだよ」


「お前んとこだべ」


「うちの学校のメニュー、なんとなく中学も一緒っぽい気すんの」


 それはたぶん違う。

 でも隆は、その雑な励まし方に少しだけ救われた。


 実里は隆の茶碗を見て言う。


「無理して食べろとは言わねえけど、ひと口でも入れときな」


 庄内弁のやわらかさの中に、母親としての必死さが混じっていた。


「……うん」


 隆は味噌汁を飲み、少しだけご飯を口に運んだ。


 正康はそれを見ながら、静かに言った。


「今日の面談、隆は無理に最初から出なくてもいい」


 隆は顔を上げる。


「え」


「学校側とも話してある。まずはお父さんとお母さんで入る。必要なら、途中でお前にも来てもらう形にする」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ緩んだ。


 全部を自分の口で最初から話さなければならない、というのは想像するだけで苦しかった。

 でも、同時に、途中で呼ばれる可能性があるという事実もまた、別の緊張を生んだ。


「……分かった」


 実里が続ける。


「先生たちがどう見でるが、まずちゃんと聞いてくる。隆は、今日は無理しねえでいい。ただ、もし先生たちの前で“ここ違う”って思うことがあれば、その時は言っていい」


 なぎさが口を挟む。


「お兄ちゃん、なんがあったらまた帰ってきて話せばいいんだがら」


 その“また帰ってきて話せばいい”という言い方が、隆にはありがたかった。

 今日の面談で全部が決まるわけじゃない。

 うまく言えなかったことがあっても、家に戻ってやり直せる。


 学校にはなかなかそういう感覚が持てない。

 一度間違えると、ずっとそのまま流れてしまう気がするからだ。


 午前中の教室は、面談のことがどこまで広がっているのか分からないまま、奇妙にざわついていた。


 黒川も相原も、今日は表向き静かだった。

 だが、だからこそ周囲の小さい声が目立つ。


「今日、親来るんでね?」


「マジで?」


「すげーな」


「そこまでやる?」


 ひそひそ声。

 でも、ひそひそ声ほど残ることがある。


 そして、その声に混じる笑いの粒は、前より確実に増えていた。


 直接言わなくても、まわりで面白がるだけの者たち。

 空気の変化を見物して、そこへ一言ずつ石を投げる者たち。


 高石は授業の合間ごとに教室を見ていた。

 佐伯も二度、廊下からのぞきに来た。


 これだけ見ても、まだ“決定的な証拠”は掴みにくい。

 だが、現場にいる者には分かる。


 悪くなっている。

 確実に。


 それは、机を蹴るとか、ノートを破くとか、そういう露骨なものではまだない。

 しかし、嫌がらせの芽は確実に伸びていた。


 隆が席を立ったあと、机の上のペンの向きが変わっている。

 ノートの端に小さく書かれた“先生っ子”。

 消しゴムのケースに、爪でひっかいたような細い傷。

 だれがやったのか分からない、でも偶然では片づけにくい小さな変化。


 そういうものが、教室の中へ根を張り始めていた。



1.面談の席


 午後四時。

 港北中学校の会議室は、校舎の奥まった場所にあった。


 大げさな応接室ではない。

 長机が二つ、向かい合わせに置かれ、壁際には古い書類棚が並んでいる。窓から入る光は白く、部屋の隅にはストーブの名残のような金属の暖房器具が置かれていた。


 そこへ最初に入ったのは、実里と正康だった。


 正康はいつもの仕事着ではなく、紺色のジャケットを羽織っていた。

 それがかえって、今日ここへ来ることを自分の中で“仕事”ではなく“対峙”として引き受けているように見えた。


 実里はカバンの中にメモ帳を入れてきた。

 話した内容を曖昧にしないためだ。


 すでに高石正美は来ていて、少し遅れて学年主任の佐伯美帆が入ってきた。


「本日は、お時間をいただいてありがとうございます」


 最初にそう言ったのは高石だった。

 声には明らかな緊張がある。だが、逃げる感じはない。


 佐伯も頭を下げる。


「学年主任の佐伯です。今日は私も同席させていただきます」


 実里は軽く会釈を返し、正康も短く頭を下げた。


 席に着く。

 机の上には、紙コップに入ったお茶が並べられていたが、だれもすぐには手をつけなかった。


 最初に口を開いたのは実里だった。


「こちらこそ、お時間ありがとうございます。ただ……できれば今日は、曖昧な話で終わらせたくありません」


 その一言で、部屋の空気がぴんと張った。


 高石はすぐに頷く。


「はい。私もそのつもりです」


 実里はメモ帳を開く。


「まず、家での様子からお話しします。ここ一週間ほど、隆は朝の食欲が落ちています。学校へ行く前から顔色が悪く、帰宅しても会話が減りました。夜も眠りが浅いようです」


「はい……」


 高石がメモを取る。


 佐伯は、話の順序を見ながら冷静に聞いている。


「それと、本人から聞いた内容です」


 実里は続ける。


「本の貸し借りのことで、最初に小さなからかいがあった。そこから“センカリ”という呼び方が広がった。グループトークで落書きやからかいがあった。ここまでは、前回の電話でお伝えした通りです」


 正康がそこで低く口を開いた。


「そのあと、先生方が個別に話をされた直後、うちの息子は同級生から“お前、チクっただろ”“大したことじゃないのに、なんで大事にするんだ”“遊んでただけじゃん”と言われています」


 高石の表情がはっきり曇る。


「……その点については、本当に申し訳なく思っています。こちらが動いたことで、本人への圧が強くなった可能性があります」


 正康はその言葉をすぐには受け取らなかった。


「可能性、ではなく、実際に強くなっています」


 低い声。

 怒鳴ってはいない。だが、怒りははっきりと表に出ていた。


 高石は黙った。


 佐伯が一度、正康の方を見てから口を開く。


「お父さまのおっしゃる通りです。現時点で、教室の空気は改善ではなく、むしろ水面下へ潜る形で悪化していると、こちらも認識しています」


 その言葉に、実里は少しだけ目を上げた。


 “認識しています”。


 少なくとも、この学年主任は、言葉を濁して逃げようとはしていない。


 だが、そこにすぐ安心もできなかった。


「学校として、今これをどう捉えているのか、率直に聞かせてください」


 実里が問う。


「“生徒同士のちょっとした行き違い”の範囲だと考えているのか。それとも、いじめの可能性が高いと考えているのか」


 答えたのは高石だった。


「私は、いじめの可能性が高いと考えています」


 はっきりした声だった。

 前よりも迷いがない。


「ただ……」


 そこで一度、言葉を探す。


「正直に申し上げると、学校全体の認識として、まだそこまで深刻に見ていない部分があるのも事実です」


 正康の眉がわずかに動く。


「どういう意味ですか」


 佐伯が引き取る。


「学校という組織の中では、どうしても“明確な証拠”“誰が何をしたかの確定”を求める空気があります。物が壊れた、暴力があった、そうした分かりやすい事実がないと、危機感が一段遅れる傾向があります」


 実里はその説明を聞きながら、胸の奥に冷たいものを感じた。


 やはりそうなのだ。

 学校は、目に見えにくい苦しさを、どうしても一度軽く見積もる。


「ですが」


 佐伯は続ける。


「それでは遅い、というのが私と高石の共通認識です。今の段階で手を打たなければ、露骨な嫌がらせや中傷がさらに形を持って伸びていく危険があります」


 その言葉に、正康はようやく小さく頷いた。


「それは、その通りだと思います」


 高石が言う。


「今日の教室でも、直接の加害者だけでなく、“面白がるだけ”の層が増えているのを感じました。相談したこと自体を囃し立てるような空気もあります」


 実里の指先が、メモ帳の端をぎゅっと押さえた。


「では、学校は具体的に何をするんですか」


 その問いは、責めるためだけではなく、確認のための問いだった。


「まず、黒川くんと相原くんについては、改めて個別に聴取します」


 佐伯が答える。


「高石だけでなく、私も入ります。必要なら別室で複数回行います」


「原口は」


 正康がすぐに返す。


 佐伯は頷く。


「周辺にいた生徒も対象にします。原口くんだけでなく、囃し立てたり笑ったりしていた可能性のある生徒についても、範囲を広げて聞きます」


 その点は、実里もありがたかった。

 中心だけを押さえて終わらせるつもりではない、と分かるからだ。


「隆本人の同席は、今日はどうしますか」


 高石が聞いた。


 その質問で、部屋の空気がまた少し変わる。


 最初に答えたのは実里だった。


「今日は、最初からは入れないつもりでした。でも、学校側の認識を本人にもきちんと伝えた方がいい気もしています」


 正康は少し考えてから言う。


「無理に長く座らせる必要はない。ただ、本人が“自分の話が学校でどう扱われているか”を知らないままにするのも違う」


 佐伯が静かに言う。


「途中から、短時間だけ入ってもらう形にしましょうか。こちらがどう認識していて、どう動くつもりかを、本人にも直接伝える。その上で、言いたくないことを無理に言わせることはしない」


 高石もすぐに頷いた。


「それがいいと思います」


 実里と正康も、それに同意した。



2.黒川・相原への聴取


 面談のあと、学校側はその日のうちに動いた。


 黒川大河が呼ばれたのは、部活の前だった。


 小さな面談室。

 向かいに座るのは、担任の高石と学年主任の佐伯。


 最初の数分、黒川は“何をどこまで言うべきか”を探っている顔だった。

 前回、高石と話したときより、明らかに慎重だ。


「黒川くん」


 佐伯が穏やかに言う。


「今日は責めるために呼んだわけではありません。事実確認のためです。ですが、ここで曖昧にされると、結果的に三浦くんも、あなたたち自身も守れなくなります」


 黒川は少しだけ眉を寄せた。


「……はい」


「三浦くんに“センカリ”という呼び方が使われていたのは知っていますね」


「……はい」


「あなたも使いましたか」


 少しの間。


「……たぶん」


 その“たぶん”に、佐伯はすぐ反応しなかった。

 逃げ道を一つ削る。


「“遊びだった”という認識がありますか」


 黒川はそこで、初めて少し強く顔を上げた。


「いや……その、そんなに深い意味じゃなくて」


「深い意味じゃなければ、相手が傷つかないと思っていた?」


 黒川は言葉に詰まる。


 高石が静かに続ける。


「三浦くんは、ご飯が食べられなくなるくらいしんどくなっています」


 黒川の表情が、そこで初めてはっきり揺れた。


 驚き。

 戸惑い。

 そして、それをどう受け止めればいいか分からない未熟さ。


「……そこまでとは、思ってなかったです」


 それは本音だったのだろう。

 そして、その本音こそが問題だった。


 一方、相原圭吾の聴取はもっと荒れた。


「いや、だから、そんな大げさなことじゃないっす」


 最初からその調子だった。


 椅子に浅く座り、どこか不服そうに足を揺らしている。


「“チクっただろ”と言いましたか」


 佐伯の質問に、相原は一瞬だけ黙ったが、すぐに言う。


「……言ったかもしれないですけど」


「“大したことじゃないのに、なんで大事にするんだ”は」


「似たようなことは」


 高石は、その返し方にむしろ危うさを感じた。

 本人の中で、まだその発言がどれだけ相手を追い詰めるものかが腑に落ちていない。


「相原くん」


 高石は真正面から言った。


「あなたはいま、“そんなつもりじゃない”で済ませようとしている。でも、言われた側には、それが責められているようにしか聞こえない。相談したことまで悪いことにするのは、かなり深刻です」


 相原は不満そうに目を逸らした。


「でも、親まで出てくるとは思わないじゃないですか」


 その一言で、部屋の温度が下がる。


 佐伯が低く言った。


「その感覚自体が、すでに危険です。困ったときに親や先生へ話すのは当然のことです。それを『そこまでやる?』と扱うのは、相談そのものを封じる方向になります」


 相原は何も言わなかった。

 しかし、納得した顔でもない。


 高石は見ていて分かった。

 この子はまだ、自分の言葉の暴力性を本当の意味では理解していない。

 “遊びだった”という言葉の中へ、まだ逃げ込めると思っている。


 だからこそ、ここで止めなければいけない。



3.隆は同席するか


 面談の最後の十五分だけ、隆は呼ばれた。


 廊下で待っている間、手のひらが汗ばんでいるのが分かった。

 実里が「大丈夫、無理だと思ったらすぐ出ていいから」と言い、正康は「聞くだけでもいい」と短く言った。


 会議室へ入る。


 高石と佐伯が、さっきより少しだけ柔らかい顔をしていた。


「三浦くん、来てくれてありがとう」


 高石が言う。


 隆は小さく会釈した。


 席につく。

 机の上のお茶には手をつけない。


 佐伯がまず話した。


「学校として、今起きていることを軽いものだとは考えていません」


 その言葉が、隆には意外だった。


 正直、どこかで“やっぱり大げさでしたね”みたいな空気が出るかもしれないと覚悟していたからだ。


「まだ全部を把握できているわけではありません。でも、あだ名、相談したことを責める言葉、教室の空気。どれも放っておいていいものではないと認識しています」


 高石も続ける。


「三浦くんがしんどくなっていることも含めて、これはきちんと対応すべきことだと思っています」


 隆は、その言葉を聞いてもすぐには安心できなかった。

 でも、少なくとも、苦しさを“気のせい”扱いされなかったことに、胸の奥が少しだけ緩んだ。


「……はい」


 それだけ返す。


「もし今、この場で言い足したいことがあれば言ってください。なければ無理に話さなくても大丈夫です」


 高石がそう言うと、隆は少しだけ迷ったあと、低く言った。


「……教室、前より静かです」


 その言葉に、大人たち全員が耳を傾ける。


「でも、前より怖いです」


 静かな声だった。

 けれど、それがいちばん核心だった。


「何も言わないみたいに見えるけど、見でる感じとか……あと、小さい声で言わいるごどとか、前より増えだ気ぃします」


 佐伯が静かに頷く。


「分かりました」


 その返答は短かったが、受け止める重さがあった。


 実里は息子の横顔を見て、よくここまで言ったと思った。

 正康もまた、表情は変えなかったが、心の中で同じことを思っていた。



4.嫌がらせの芽


 面談が終わったことで、すべてが少し良い方向へ向かうわけではなかった。


 むしろ、学校が本気で見始めたからこそ、教室の中の嫌がらせはもっと小さく、もっと見えにくい形へ根を伸ばし始めた。


 翌日、隆が席へつくと、机の中のプリントが端だけ妙に湿っていた。

 誰かが水のついた手で触ったのか、ペットボトルの結露でも押しつけたのか、それともただの偶然か。分からない。


 ノートの隅には鉛筆で薄く、


 また言うんだろ


 と書かれていた。


 消そうと思えば消せる程度の薄さだった。

 でも、その薄さがまた嫌だった。

 はっきりしないからこそ、言いにくい。


 靴箱では、上履きのかかとが妙に強く踏みつけられていた。

 机の脚には、小さく爪を立てたような傷。


 どれも、“たまたま”で逃げられる程度。

 だからこそ、芽なのだ。


 まだ細い。

 けれど、このまま見逃されれば、必ず伸びる。


 教室では、囃し立てる声も消えなかった。


「また先生来るんでね?」


「次は誰が呼ばいるが賭ける?」


「親フル出場だの」


 だれかが言い、だれかが笑う。


 それを聞きながら、隆は何度も思う。


 ここにいる限り、終わらないのではないか。


 でも、同時に、土曜の夜八時のラジオも思い出す。


 天庄屋の二人の声。

 “また来てけろなー!”というひよりの明るさ。

 “口の端っこ一ミリでも上がれば前進だべ”という逸美の言葉。


 世界は教室だけじゃない。

 その事実だけが、まだ隆をつなぎとめていた。



5.天庄屋からの電話


 翌週の土曜日。

 ラジオ放送が始まる四時間ほど前の夕方だった。


 三浦家の電話が鳴った。


 最初に出たのは実里だった。


「はい、三浦です」


 向こうから、明るい女の声が聞こえた。


「あっ、突然すみません! こちら、ラジオ番組『ウィークエンド爆笑イブニング』のスタッフ経由でお電話してまして……佐々木ひよりです!」


 実里は一瞬、意味が分からなかった。


「……え?」


 すぐ後ろで、少し落ち着いた別の声が重なる。


「秋元逸美です。急にすみません。ラジオへお便りくれた方のおうちで間違いないでしょうか」


 実里は思わず居間の方を見る。


 隆が、勉強机から顔を上げていた。

 表情が固まっている。


「ちょ、ちょっと待ってください」


 実里は受話器を押さえ、目を丸くして言う。


「隆! ラジオ……天庄屋さんが!」


「は!?」


 なぎさが先に飛び上がる。

 隆は立ち上がったまま、しばらく動けなかった。


 実里は電話口へ戻る。


「すみません、本人に代わります」


 受話器を渡すとき、隆の手は明らかに震えていた。


「……もしもし」


 声が少しかすれる。


 すると、ひよりが勢いよく返した。


「もしもしー! ラジオネーム、ちゃんと伏せとくけど、先週お便りくれた子で合ってるー?」


「……はい」


「よかったー! 突然でびっくりしたよね、ごめんね」


 逸美がすぐにやわらかく入る。


「無理して話さなくていいからね。ただ、先週の投稿、うちら二人ともずっと気になってて」


 隆は受話器を持ったまま立ち尽くしていた。

 ラジオの中の声だ。

 毎週聞いている声が、今、自分に向かって話している。


「その……ありがとうございます」


 やっとそれだけ言う。


「いやいや、こっちがありがたいんだって」


 ひよりの声が返る。


「つらい中で送ってくれたってことが、もうね、こっちとしては“うわ、これはちゃんと受け止めねば”ってなったわけさ」


 逸美も続ける。


「うちら、ふだんはバカみたいに騒いでるけどさ、言葉を使って仕事してるんだよね」


 その一言で、隆は思わず息を止めた。


「言葉って、人を笑わせることもできるし、逆に削ることもできるっしょ」


 逸美の声は静かだった。

 でも、その静けさの奥に、はっきりした怒りがあった。


「だから、言葉を扱うプロとして、そういうふうに人を追い詰めるの、うちら絶対許せない」


 ひよりが、いつもの明るさを少し抑えた声で言う。


「ほんとそれ。うちら、方言丸出しでバカ騒ぎしてっけど、人を笑わせるための言葉と、人を傷つけるための言葉は別物だって思ってやってる」


 その言葉の一つひとつが、隆の胸の奥へまっすぐ入ってきた。


 教室の中では、“遊びだった”“大したことじゃない”と言われた。

 でも、言葉で仕事をしている人たちは、はっきりそれを否定する。


 それが、たまらなく大きかった。


「……俺」


 初めて、電話口でその一人称が自然に出た。


「俺、なんか……大げさなんかなって、ずっと思ってて」


 ひよりがすぐに返す。


「大げさじゃねえよ」


 短く、強く。


「苦しいってなってる時点で、大げさじゃねえの」


 逸美も言う。


「しかも、学校行くのしんどい、ご飯食べられない、教室が怖いって、そこまで来たらもう十分サイン出てるよ」


 隆は、受話器を握る手に力が入るのを感じた。


「でも、話したら、チクったって」


 思わず、それが口をついて出る。


 ひよりが少しだけ息を飲む。


「……言われたんだ」


「はい」


「そっか」


 そこには、軽い相槌ではない重さがあった。


 逸美が静かに言う。


「相談した人を責めるの、いちばん卑怯だからね」


「ほんとだよ」


 ひよりの声に、怒りがにじむ。


「困ってる人が声上げらんなくなるようにするってことだもん。それ、言葉の使い方として最悪だわ」


 隆は、その言葉を聞いて、目の奥が熱くなった。

 泣くつもりではなかった。

 でも、誰かがここまで明確に怒ってくれることが、今の自分には予想外すぎた。


 ひよりが、少しだけ空気をやわらげるように言う。


「で、ここからちょっとだけ芸人っぽい話していい?」


「……はい」


「つらいときって、“元気出せ”って言われても無理じゃん」


 ひよりの声が少しだけ笑う。


「そんな簡単に出るなら、こっちも毎週ネタ飛ばしてねえ!」


 逸美がすぐ被せる。


「いやお前は飛ばすな!」


 思わず、隆の口元がゆるむ。


 それを逃さず、逸美が言う。


「ほら、今ちょっと笑ったしょ」


「……はい」


「それでいいんだよ。今は、全部解決しなくていいから、“笑える時間が一時間ある”をちゃんと持ってて」


 ひよりも続ける。


「またラジオさ投稿していいし、なんなら今日も送ってよ。読まれなくても届くから」


 少し間を置いてから、ひよりはまっすぐ言った。


「一人で抱えんなよ」


 その一言が、なぎさや実里や正康の言葉と重なるように、隆の中へ入った。


「……ありがとうございます」


 今度は、少しだけしっかり言えた。


 電話を切ったあと、居間の空気はしばらくふわふわしていた。


「ほんとに天庄屋だった……」


 なぎさが呆然と呟く。


 実里も、どこか信じられない顔をしている。


 でも、隆だけは、さっきまでと少し違う表情をしていた。

 問題が解決したわけではない。教室へ戻れば、また空気は重いだろう。嫌がらせの芽も消えていない。


 それでも、教室の外にいる誰かが、自分の言葉をちゃんと受け止めてくれた。

 しかも、“言葉を使う仕事”をしている人たちが。


 それは、ただ励まされる以上の意味を持っていた。


 言葉で傷つけられた自分が、言葉で救われることもあるのだと、少しだけ信じられた。


 そしてその夜八時。

 『ウィークエンド爆笑イブニング』はいつものように始まる。


 ひよりの明るい声。

 逸美の切り返し。

 方言丸出しの爆笑コント。


 隆はラジオの前で、前より少しだけ背筋を伸ばして座っていた。


 学校はまだ、終わっていない。

 面談も、聴取も、教室の空気も、これからもっと厳しくなるかもしれない。


 でも、外の世界には、ちゃんと耳を傾けてくれる人がいる。


 その事実が、暗くなりかけた心に、小さくても確かな灯をともしていた。



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