雨と闘う遺伝子
エピローグ
「雨と闘う遺伝子」
――時は流れる。
酒田の街を吹き抜ける風は、あの日と変わらない。
最上川は静かに流れ、月山は遠くに白く浮かび、日本海からの湿った風が街を包む。
陽毬は、大きくなった。
小学三年生。
髪を後ろで結び、笑うとひなたによく似たえくぼが出る。
でも、時々見せる“やらかしそうな顔”は、完全に隆だった。
その日も、朝から雨だった。
ざあざあ降り。
通学路には、大きな水たまり。
ひなたは玄関で言った。
「陽毬、走ると滑るからね」
「はーい!」
――この返事を信用してはいけない。
それを、ひなたは知っていた。
数分後。
ふと窓の外を見る。
そして。
「……あっ」
いた。
いたのである。
通学路のど真ん中。
巨大水たまり。
その前に立つ陽毬。
そして。
完全に“勝負顔”。
ひなた、崩れ落ちそうになる。
「うそでしょ……」
陽毬は、水たまりを見つめる。
まるで宿命のライバルを見るように。
次の瞬間。
ばしゃぁぁぁぁん!!
盛大に突っ込んだ。
全身ずぶ濡れ。
ランドセルまでびしょびしょ。
だが。
顔。
顔が。
隆。
なぎさ。
実里。
完全一致。
“やり切った顔”。
ひなたは、その瞬間、腹を抱えて笑いながらも、反射的にスマホを向けていた。
パシャッ。
撮れた。
完全に“あの家系の顔”。
陽毬は振り返る。
「おかあさん!」
「何してんの!?」
「たたかった!」
ひなた、その場でしゃがみ込む。
「遺伝子ぃぃぃ……!」
⸻
そしてさらに時は流れる。
陽毬は大人になった。
たくさん笑い、
たくさん泣き、
たくさん言葉を書き、
たくさん人と出会った。
そして、結婚式の日。
会場には、家族、友人、恩師たちが集まっていた。
高石先生も、少し歳を重ねた穏やかな笑顔で座っている。
相原と宮原。
結菜と柴田。
道也とその家族。
そして、年を重ねた隆とひなた。
披露宴終盤。
スクリーンに、陽毬の成長アルバムが映し出される。
幼い頃。
幼稚園。
小学校。
笑顔。
家族旅行。
運動会。
そして。
突然、一枚の写真。
土砂降り。
巨大水たまり。
全身ずぶ濡れ。
小学三年生の陽毬。
しかも。
顔。
顔が。
隆。
なぎさ。
実里。
完全一致。
一瞬、会場が静まり返る。
次の瞬間。
大爆笑。
「そっくりすぎる!!」
「遺伝子強すぎるだろ!!」
「顔が一緒だ!!」
通泰、腹を抱えて涙流している。
なぎさはテーブル叩いて笑っている。
「やっぱりやったぁぁ!!」
隆は顔を覆う。
「逃げられなかったか……」
ひなたはもう笑いすぎて涙目。
そこへ。
司会者がさらに追い打ちをかけた。
「ちなみにこちらが、お父様の同年齢時代のお写真です」
スクリーン分割。
中学生隆。
小学三年陽毬。
完全一致。
さらに。
「こちらがおばあ様です」
若き日の実里、登場。
会場、崩壊。
笑い声が止まらない。
高石先生が涙流しながら笑っていた。
「ほんと……変わらないわねぇ、あの家……」
ひなたは、笑いながらも思う。
あの日。
幼稚園で、陽毬が言っていた。
“わたしも、おおきくなったらたたかう!”
本当にやった。
しかも、完全継承。
陽毬は照れながら笑っていた。
「いやぁ……なんか、やっちゃったんだよね」
隆がぼそっと言う。
「お前、“やっちゃった顔”まで一緒なんだよ……」
また笑いが起きる。
でも、その笑いの中には、確かな時間があった。
教室で傷ついた日々。
隣に座った時間。
手をつないだ理由。
笑いながら支え合った記憶。
全部が、今ここへつながっている。
陽毬は、最後にマイクを持った。
「小さい頃、私は、“隣に座ればいい”って言ったそうです」
会場が静かになる。
「今も、その気持ちは変わってません」
陽毬は、ゆっくり笑った。
「泣いてる人がいたら、隣に座れる人でいたいです。
そして、笑える時は、一緒に笑える人でいたいです」
その言葉に、会場から大きな拍手が起きた。
隆とひなたは、顔を見合わせる。
あの日の教室から始まった物語は、ここまで続いた。
そしてきっと、これからも続いていく。
笑いながら。
時々泣きながら。
誰かの隣に座りながら。
スクリーン最後の一枚。
水たまりへ突っ込む四世代比較写真。
実里。
隆。
なぎさ。
陽毬。
全員、同じ“勝利顔”。
会場は最後の最後まで、大爆笑だった。
⸻
『手をつなぐ理由』
完。




