長野の夜
ひまちゃんダイアリー ― 長野の夜
長野での特別セッションを終え、ホテルへ戻った頃には、陽毬はすっかり眠そうになっていた。
「ねむい……」
ひなたが、くすっと笑う。
「今日はいっぱい頑張ったもんね」
陽毬は、ベッドへ倒れ込むように潜り込むと、数分後にはもう小さな寝息を立て始めていた。
窓の外には、長野の夜景。
遠くに山の黒い輪郭が見える。
部屋のテーブルでは、隆がノートパソコンを開いていた。
今日のメモを書き留めている。
“泣いてる子に何て言えばいいか分からない”
“悪気がなかったら許されるのか”
“教室もアドリブみたいなもの”
その言葉たちは、きっと次の小説の中へも溶け込んでいく。
一方、ひなたもスマホを開いていた。
ひなたの連載ダイアリー小説――
『ひまちゃんダイアリー』
毎日更新。
陽毬との日常。
旅先の風景。
笑ったこと。
泣きそうになったこと。
そして、人と人の間にある小さな空気。
ひなたは、今日の投稿を書き始めた。
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『ひまちゃんダイアリー』
「ボールとバットとグローブ」
今日は長野で、中高生のみんなとお話をしました。
昨日は、“言葉の傷”について真面目に話しました。
今日は、“笑いながら考える日”。
天庄屋さんが突然始めたのは、野球道具のギャグコント。
バットとボールとグローブが、めちゃくちゃ仲悪かったらどうなるか。
逆に、ラブラブすぎたらどうなるか。
体育館が揺れるくらい笑いが起きていました。
でも、笑いながら、みんな少しずつ気づいていくんです。
「地味だからって、必要ないわけじゃない」
「仲がいいから何でも許されるわけじゃない」
「ちゃんと相手を見ることが大事」
笑いって不思議です。
重い言葉だけでは届かないものが、笑ったあとに、すっと心へ入っていくことがあります。
そして今日、陽毬が言いました。
“なにもいわなくても、となりにすわればいいよ”
たぶん、大人が何時間も話すより、ずっとまっすぐ届く言葉でした。
人を救うのって、案外、すごい言葉じゃないのかもしれません。
「ここにいるよ」
それだけで、救われる日があります。
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ひなたは少し考えてから、最後にいつものように短歌を書いた。
短歌
となりへと
そっと座った
そのだけで
泣いてた声が
少しやわらぐ
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そして今日は、川柳も添えた。
川柳
空気より
勇気を選ぶ
教室へ
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投稿ボタンを押す。
数秒後。
通知が鳴り始めた。
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コメント欄
「今日、会場にいました」
高校一年です。
陽毬ちゃんの“となりにすわればいい”で泣きました。
自分は、気の利いた言葉を言えないとダメだと思ってたけど、隣にいるだけでもいいんだって思えました。
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「野球部です」
グローブの話、めちゃくちゃ刺さりました。
自分、キャッチャーなんですけど、“捕るだけ”って言われた感じしたことあります。
でも今日、“受け止める役割”って言われて、ちょっと救われました。
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「教師です」
今日参加した教員です。
“大人の沈黙もメッセージになる”という言葉を忘れません。
明日からの教室で、自分に何ができるか考えたいです。
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「笑いながら泣きました」
バットとボールの昼ドラで爆笑したのに、気づいたら泣いてました。
笑いと優しさって、一緒に存在できるんですね。
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「元いじめられっ子です」
“泣いている子を笑わない場所であってほしい”
この言葉を読んで、昔の自分を思い出しました。
あの頃の自分に、今日の話を聞かせてあげたかったです。
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コメントは、次々と増えていく。
中高生。
教師。
保護者。
昔、傷ついた経験を持つ人。
いろんな立場の人たちが、自分の言葉を書き込んでいた。
隆が、画面をのぞき込む。
「……届いてるな」
ひなたは静かに頷いた。
「うん」
その時、ベッドの中から、陽毬の寝言が聞こえた。
「……バットさん……なかよく……」
二人は顔を見合わせる。
そして、同時に吹き出した。
隆が、小さな声で言う。
「今日、一番頑張ったの、あの子かもしれんな」
ひなたも笑う。
「完全に主役だった」
窓の外には、長野の静かな夜。
けれど、投稿された言葉たちは、もう全国へ広がっている。
誰かの教室へ。
誰かの心へ。
そして、まだ“助けて”と言えない誰かのところへ。
『ひまちゃんダイアリー』は、今日もまた、小さな光を残していくのだった。




