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手をつなぐ理由  作者: リンダ


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教室の外へ、光は続く



第52話


教室の外へ、光は続く


 教室は、いつか終わる。


 黒板の前で交わした言葉も、窓ぎわの席に落ちた光も、放課後の図書室の匂いも、やがて過去になる。

 卒業すれば、席順は消える。

 進学すれば、教室の番号も変わる。

 大人になれば、あのころ毎日顔を合わせていた人たちとも、会う頻度は少しずつ減っていく。


 けれど、教室で受け取ったものまで消えるわけではない。


 だれかに向けたやさしい言葉。

 だれかを傷つけた言葉の重さ。

 泣いても笑われなかった瞬間。

 謝ったあとに始まる関係。

 手を差し伸べるということ。

 そして、笑うなら、みんなで笑うということ。


 そういうものは、教室の外へ出たあとも、ずっと人の中に残り続ける。


 この物語は最初、たしかに“いじめの物語”だった。


 教室の空気がひとりを追い詰める話。

 軽いからかいが、笑いの形をした暴力になっていく話。

 見て見ぬふりが、だれかの孤独を深くしていく話。


 でも、そこから始まった物語は、もう今では違うかたちになっている。


 声を上げた人がいた。

 謝った人がいた。

 変わろうとした人がいた。

 隣に立った人がいた。

 書いた人がいた。

 伝える人がいた。

 そして、次の世代が生まれた。


 だから、この物語はもう、“いじめの物語”だけではない。


 希望と継承の物語になっていた。



1.受け継がれていくもの


 陽毬が少し大きくなるころには、家の中の笑い声はもう一段階増えていた。


 ひまりは、最初からよく笑う子だった。

 まだ言葉がうまく出ない年頃でも、目が合えばにこっとして、気に入ったものがあれば両手を広げて駆け寄ってくる。


 なぎさと通泰のあいだにも、男の子が生まれていた。

 元気いっぱいで、じっとしている時間がほとんどない。

 陽毬と並ぶと、いつも数分で何かが始まる。


 おもちゃを取り合う。

 すぐに仲直りする。

 急に意味の分からないルールで遊び始める。

 そして、大人たちが気づかないうちに、また手をつないでいる。


 その姿を見ていると、ひなたは時々、不思議な気持ちになる。


 自分たちも、きっとこうやって誰かの手をつないで大きくなってきたのだろうか。

 教室の中で泣きそうになりながら、それでも手を伸ばしたり、伸ばされたりしながら、少しずつ今の自分たちになってきたのだろうか。


 隆は、陽毬とその男の子が走り回るのを見ながら思う。


 この子たちには、同じ痛みをなぞってほしくない。

 でも、もし苦しい場所に出会ったとしても、“泣いても笑われない場所”を自分たちで作れる人になってほしい。


 そのために渡せるものがあるなら、渡したい。


 言葉の選び方。

 人の痛みを笑わないこと。

 誰かの失敗を“ネタ”にして終わらせないこと。

 それでも、人生には笑っていい瞬間がたくさんあること。


 それら全部が、もう次の世代へ少しずつ受け継がれている。



2.酒田を面白くする番


 ある春の終わり、最上川の風がやわらかい午後だった。


 酒田駅のホームに、二つの小さな影が並んでいた。


 陽毬。

 そして、なぎさと通泰の間に生まれた男の子。


 二人は、しっかり手をつないでいた。


 背後では、隆とひなた、なぎさと通泰が少し離れて見守っている。

 ホームの向こうには、羽越本線を走る特急いなほが、春の光を受けて静かに入ってくるところだった。


「ひまり」


 ひなたがやさしく呼ぶ。


「転ばねようにの」


「うん!」


 陽毬は元気よく返事をする。


 その隣で男の子も、よく分かっていないのに勢いだけで「うん!」と言う。


 なぎさが笑う。


「ほんと、ちっちゃいくせに気合いだけは一人前だの」


 通泰が言う。


「そこは誰に似たんだべな」


「なにその含み」


 なぎさがすぐにつっこみ、ひなたが笑う。


 特急いなほの扉が開く。

 風が少しだけ変わる。

 旅の始まりの音がする。


 陽毬が、つないだ手をぶんぶん揺らしながら言った。


「今度は、わたしたちが酒田をおもしろくする番だね!」


 その言葉に、ホームの空気が一瞬だけきらりとした。


 男の子も、意味は半分も分かっていないくせに、すごく大事なことみたいに頷く。


「おもしろぐする!」


 大人たちは顔を見合わせる。


 そして、笑う。


 そうだ。

 もう、自分たちだけの物語ではない。

 次はこの子たちが、この町の風景に新しい言葉と笑いを足していく番なのだ。



3.特急いなほの車窓


 車内に乗り込むと、窓の外の酒田の景色がゆっくりと流れ始める。


 ホーム。

 駅舎。

 少し離れた街並み。

 その向こうに広がる空。


 陽毬は窓に顔を近づけて、「うわぁ」と小さく声を上げる。

 男の子も負けじと窓の外を指さす。


 ひなたは、その二人の背中を見ながら小さくつぶやく。


「なんか、いいのぉ」


 隆が頷く。


「んだな」


 二人の膝の上には、それぞれノートがあった。

 紀行文のためのメモ帳。

 見た景色、聞いた言葉、感じた風を、その場で書き留めるためのものだ。


 最近、二人は新しい仕事として、土地を歩き、その土地の声を拾い、紀行エッセイを書き始めていた。

 ただ景色を美しいと書くだけではない。

 そこに暮らす人の言葉や、子どもたちの笑い声や、季節の匂いごと残すような文章を目指している。


 ひなたが笑いながら言う。


「現代の松尾芭蕉、って自分で言うとちょっと恥ずがしいの」


「ちょっとどころでねぇ」


 隆も笑う。


「でも、“奥の細道”みたいに書けたらいいなとは思う」


「分がる」


 最上川。

 月山。

 日本海。

 酒田の風。

 羽越本線の車窓。

 そういう風景を、自分たちの言葉で残していく。


 それは、教室小説やダイアリー小説やSFラブコメを書いてきた二人にとって、自然な次の一歩だった。



4.奥の細道の、その先へ


 列車は走る。


 酒田の町を抜け、川の近くを通り、遠くの山の気配を背にしながら、線路は北へ、南へ、また別の景色へつながっていく。


 陽毬が窓の外を見ながら言う。


「おそら、ひろいね」


「んだな」


 隆が答える。


「お空も、川も、海も、つながってる」


 ひなたが、メモを取りながらその会話を聞く。


 そういう一言が、未来の文章になることを彼女は知っている。


 男の子が、今度は車内のテーブルをぽんぽん叩いて言う。


「つぎ、どご行ぐの?」


 なぎさが少し離れた席から笑いながら言う。


「まずは座ってなさい!」


 通泰がその横で肩をすくめる。


 その騒がしさも含めて、旅だった。


 旅の中では、大人の言葉も、子どもの言葉も、どちらも平等に景色へ混ざる。

 それが、今の二人の書く紀行文の根っこにあるものでもあった。


 松尾芭蕉が奥の細道を書いた時代とは違う。

 特急いなほに乗り、スマホもあり、車内販売はなくなり、窓の外には現代の町が広がっている。


 でも、景色に耳をすませ、人の生きる気配を言葉にするという意味では、きっと同じだ。


 そして二人は知っている。


 どんな風景も、そこにいる人の言葉がなければ、ただの景色で終わる。

 教室も同じだった。

 言葉があったから、痛みも、再生も、次の希望も見えたのだ。



5.未来を見る言葉


 列車が少し大きなカーブを曲がった時、窓の外に海が見えた。


 ひなたが思わず息をつく。


「やっぱ、海きれいだの」


「ん」


 隆も、その青さを見つめる。


 それから、少しだけ静かに言った。


「ひなちゃん」


「ん?」


「たぶん、これからもいろんなことあると思う」


「うん」


「書いでても、暮らしてても、親としても」


「うん」


「でも、もう前みたいに“終わりだ”とは思わねぇ気する」


 ひなたは、その横顔を見ていた。


 隆は続ける。


「だって、終わったように見えるとこからでも、また書き始められるって知ったがら」


 その言葉は、今の二人の全部を言い表しているように聞こえた。


 ひなたは、少しだけ笑って頷く。


「んだな」


 そして、ひなたも自分の言葉を返す。


「教室の外へ出ても、光って続ぐんだの」


 陽毬が、何か分かったような分からないような顔で二人を見る。

 男の子は、窓の外へ指をさして「うみー!」と叫んでいる。


 その声に、大人たちはみんな笑った。



6.教室の外へ、光は続く


 この物語は、教室の中で始まった。


 けれど、終わる場所は教室の中ではない。


 教室の外へ出て、町へ出て、川を見て、海を見て、列車に乗り、子どもたちの手を引きながら、それでも言葉を手放さずに生きていく。

 その先に、物語の続きを見る。


 陽毬たち次世代へ受け継がれていくものは、きっと大げさな理念ではない。


 人の痛みを笑わないこと。

 言葉を大事にすること。

 やさしさは弱さではないと知ること。

 そして、面白く生きること。


 酒田を面白くする。

 自分の故郷を好きでいる。

 景色を、自分の言葉で書いていく。


 そういう、日々の中の小さな誇りが、きっと次の世代を作っていく。


 特急いなほは、今日も羽越本線を走る。

 窓の外には、最上川の流れがあり、月山の気配があり、日本海の光がある。


 その風景の中で、隆とひなたはノートを開く。

 陽毬と、なぎさと通泰のあいだに生まれた男の子は、手をつないだまま窓の外を見ている。


 書きかけの未来。

 続いていく景色。

 終わったはずの教室から、まだずっと伸びている光。


 その光は、もうだれにも止められない。



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