表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
手をつなぐ理由  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
47/57

陽毬のいる風景

 第51話

 陽毬のいる風景


 子どもが生まれると、風景の見え方が変わる。


 同じ道を歩いていても、以前は気にとめなかった花壇の高さや、歩道の小さな段差や、夕方の風の冷たさに、ふと意識が向くようになる。

 自分の目だけで見ていた町を、今度は“この子の目にはどう映るだろう”という視点でも見るようになる。


 酒田の町も、隆とひなたにとってそういう場所になっていた。


 最上川の流れ。

 月山の大きな稜線。

 空気の澄んだ日に遠くまで見える日本海。

 冬の白さも、春先の少し湿った風も、夏の光も、秋の夕焼けも。


 二人は、やはり地元が好きだった。


 東京へ出ることもできた。

 仕事の幅を考えれば、もっと便利な場所もあったかもしれない。

 でも、書く人として生きるなら、自分たちの言葉が根を張っている場所にいたかった。


 その場所が、酒田だった。


 そして今は、陽毬にもこの場所を好きでいてほしいと思っている。


 自分が生まれた故郷を、誇りに思ってほしい。

 大きくなった時に、ここへ帰ってきて深呼吸しただけで“ああ、私の場所だ”と思えるような、そういうふるさとを持っていてほしい。


 1.陽毬のいる日常


 陽毬が生まれてから、二人の日常は確実に変わった。


 朝は原稿より先に、陽毬の寝顔を確認するところから始まる。

 夜は締切より先に、泣き声で予定が変わる。

 書斎にこもる時間も、以前のようには取れない。


 それでも不思議なことに、書くことそのものを手放したいとは思わなかった。


 むしろ、陽毬がいることで、言葉にしたい景色が増えた。


 ひなたは、陽毬が眠ったあとの静かな時間に、『ひまちゃんダイアリー』の続きを書く。


 今日、初めてちゃんと笑ったこと。

 指をぎゅっと握り返してきたこと。

 夜泣きでふらふらなのに、その寝顔を見たら全部許してしまうこと。

 “可愛い”が疲れを上回る瞬間が本当にあること。


 隆は、SFラブコメの続きを書きながらも、時々ふっと現実に引き戻される。

 宇宙船の管制室のシーンを書いていたはずなのに、気づけば“銀河をまたぐラブレターの誤送信”より、隣の部屋で寝返りを打った陽毬の気配の方が気になる。


「起きだが?」


 ひなたが小声で聞く。


「いや、まだ寝でる」


「今のうちに一段落だけ書ぐ」


「うん」


 そんな会話が、二人の“作家としての仕事”と“親としての暮らし”を自然につないでいた。


 過去の教室で得たものは、親になってからも生きている。


 たとえば、言葉の向き。

 陽毬に向ける声ひとつでも、二人は無意識に“怖がらせる言い方”と“伝わる言い方”を考えるようになっていた。


 怒鳴れば簡単だ。

 でも、それで心が縮こまることを知っている。

 笑いにしてごまかせば楽だ。

 でも、それが人を傷つけることも知っている。


 だから、ちゃんと伝える。

 ちゃんと見る。

 ちゃんと、泣いても笑わない。


 あの教室で学んだことは、いまや親としての呼吸にまで染み込んでいた。


 2.酒田で書くこと


 二人は今も酒田で執筆活動をしている。


 朝、窓の外に最上川の方からの風を感じることがある。

 晴れた日は、遠くに月山がきれいに見える。

 日本海の色は季節ごとに違う。


 ひなたは、そういう風景をノートに書きつけるのが好きだった。


 春の海

 言葉になる前

 光ってる

 陽毬のまぶたも

 たぶん同じだ


 そんな短歌が、いまの彼女の文章には自然に混ざる。


 隆は、酒田の空の広さが好きだった。

 宇宙を書くには、空を見上げた時に広さを感じる場所の方がいい。

 最上川のゆるやかな流れも、月山の動かない大きさも、日本海の果ての見えなさも、どこかで彼のSFのスケール感につながっていた。


「やっぱ、ここ好きだな」


 ある夕方、隆がぽつりと言う。


 ひなたが頷く。


「んだな」


「陽毬にも、好きになってほしい」


「なるよ」


「そうだといいけど」


「だって、こんだけきれいだもん」


 その言葉の向こうで、陽毬が小さく笑った。

 二人は顔を見合わせて、少しだけ笑う。


 3.同窓会


 そんなある日、中学時代の同窓会が開かれることになった。


 会場は酒田市内の少ししゃれた和風レストラン。

 掘りごたつのある広い座敷で、地元の食材を使った料理が出る店だった。


 久しぶりの再会。

 それだけで、会場の空気は最初から少し熱を帯びていた。


 県外へ出た者もいる。

 海外で働いている者もいる。

 学生のままの者もいれば、家庭を持った者もいる。


 あの教室にいた子どもたちは、それぞれ別の人生を生きる大人になって、また同じ場所へ戻ってきた。


 隆とひなたが会場へ着くと、すでに結菜と柴田がいた。


「うわー、久しぶり!」


 結菜が立ち上がる。


 ロサンゼルスでの生活が長くなったせいか、服の雰囲気もどこか都会的だった。

 でも、笑い方は中学時代とまったく変わらない。


「そっちこそ」


 ひなたが笑う。


 柴田も立ち上がる。


「久しぶりだな」


「ロスどうよ」


 隆が聞く。


「忙しい。でも、結菜が営業とかマーケで暴れてるから、俺は通訳で振り回されてる」


「“暴れる”って何だや」


 結菜がすぐにつっこむ。

 そのやり取りだけで、二人の関係が順調に育ってきたことが分かる。


 結菜は大手食品メーカーの海外事業部でマーケティング。

 柴田は通訳。

 場所はロサンゼルス。

 だいぶ遠い。

 でも、二人の並び方には妙な安心感があった。


 少し遅れて、黒川もやって来た。


「悪ぃ、ちょっと仕事押した」


 都内の総合商社で働く黒川は、中学のころよりぐっと落ち着いた顔つきになっていた。

 家庭も持っている。

 けれど、笑った時の少し照れたような感じには、あの頃の面影が残っている。


「相変わらず忙しそうだの」


 隆が言う。


「まあな。でも今日は来たかった」


 その返しが、なんだか黒川らしかった。


 そして、相原と宮原も一緒に現れる。


「お待たせ」


 宮原が言う。


「ちょっと子どもら寝かしつけてからだったがら」


 相原と宮原は結婚していて、今は二児の親だった。


「二児の親とか、字面だけで急に大人だな」


 柴田が笑う。


「いや、実際大変だぞ」


 相原が言う。


「朝とか戦争だがら」


「でも、宮原が全部回してる」


「ちょっと、そこだけ言うな」


 宮原が苦笑する。

 そういう小さな会話の中に、二人の今がちゃんと見えていた。


 4.酒を酌み交わす夜


 久しぶりにみんなで顔を合わせて飲む酒は、思っていた以上にやわらかかった。


 大人になった。

 仕事も家庭もある。

 責任もある。

 でも、こうして同じ卓を囲むと、不思議とあの教室の空気が少しだけ戻ってくる。


 料理が運ばれる。

 杯が満たされる。

「乾杯」の声がそろう。


 最初は近況報告から始まる。


「ロスってやっぱ日差し強ぇ?」

「強い。肌終わる」

「商社って何してんのか未だによく分がんね」

「俺も日によって分がんね」

「子ども二人いると寝れねぇべ」

「寝れねぇ」


 笑いが起きる。

 そこへ、少し遅れて高石先生が入ってきた。


 一瞬で全員が立ち上がる。


「高石先生!」


「先生、こっちこっち!」


 そして、ほとんど示し合わせたみたいに、みんなが口々に言う。


「高石先生、相変わらず綺麗ですね」


 高石は、少しだけ顔をしかめたふりをして言う。


「もう、冷やかすんじゃないわよ」


 でも、その口元は笑っていた。


「今は息子が、あんたらが卒業した中学の二年生になって、生意気な口きくし」


 そこで、みんなが一斉に笑う。


「下の娘は、その息子とつるんで馬鹿なことばかりやってるし」


 さらに笑いが起きる。


 結菜がすぐに返す。


「でも先生、とってもお子さんが可愛くて仕方ないんしょ?」


 高石が、一瞬だけ言葉を失ってから、見事なくらいデレた。


「……まあ、そりゃ、可愛いけど」


「出た!」


「先生、今の顔やばいって!」


 隆まで笑う。


「高石先生、完全にお母さんの顔じゃん」


「うるさいわね」


 でも、その“うるさい”は全然怒っていなかった。


 高石は席につきながら、目の前の大人になった元生徒たちを見渡した。


 あの教室で泣いていた子。

 謝った子。

 立った子。

 怒った子。

 笑い直した子。


 みんな、それぞれちゃんと生きて、ちゃんとここへ来ている。


「先生」


 ひなたがふと、少し真面目に言った。


「ありがとうございます」


「何がよ」


「ここまで来れたの、先生らのおかげも大きいです」


 高石は、その言葉に少しだけ黙った。


 そして、いつもより静かな声で返した。


「……あんたたちが、自分たちでここまで来たのよ」


 その一言に、場の空気が少しだけやわらかく締まる。


 酒を酌み交わしながら、みんなは中学時代を振り返る。

 でも、もうそれは痛みだけの記憶ではなかった。


 笑いがある。

 恥ずかしさもある。

 申し訳なさも、感謝もある。

 そして何より、“あの教室を越えた”という事実が、みんなの中でちゃんと温度を持っている。


 5.陽毬のいる未来


 同窓会の帰り道、夜風は少し冷たかった。


 隆とひなたは並んで歩きながら、会場の明かりを振り返った。


「なんか、不思議だの」


 ひなたが言う。


「何が」


「みんな、ちゃんと大人になってるのに、話すとやっぱりどっかあの頃のまんまだ」


「んだな」


「でも、もう“教室の中だけの人たち”じゃねぇんだよの」


 隆は頷く。


「それぞれ別の人生あって、その上でまた会える」


「うん」


 少し歩いてから、ひなたが続けた。


「陽毬にも、ああいう人たちができたらいいの」


 その言葉に、隆はやわらかく笑う。


「できるよ」


「そうかな」


「ちゃんと泣いても笑われね場所、知ってる子になるだろうし」


 ひなたは、その言い方に少しだけ目を細めた。


 たしかにそうだ。

 過去の教室で得たものは、もう二人だけのものではない。

 陽毬にも、なぎさたちの子どもたちにも、次の世代へ少しずつ渡っていく。


 やさしい言葉の選び方。

 人の痛みを笑わないこと。

 そして、笑うならみんなで笑うこと。


 その全部が、次の風景になっていく。


 6.陽毬のいる風景


 家へ帰ると、陽毬はもう眠っていた。


 小さな寝息。

 少しだけ開いた口。

 握ったままの小さな手。


 ひなたは、その寝顔を見ながら、ふっと思う。


 あの教室から、ずいぶん遠くまで来た。

 でも、あの教室で得たものが、いまこの小さな寝顔のそばにもちゃんとある。


 隆も、同じことを考えていたのかもしれない。

 隣で小さく言う。


「ひまり、酒田好きになってくれるといいな」


「なるよ」


 ひなたが答える。


「最上川も、月山も、日本海も、ちゃんと見せで育てよう」


「ん」


「自分の生まれた場所、誇りに思える子になってほしい」


「んだな」


 二人は、陽毬を起こさないように小さな声で話しながら、しばらくその寝顔を見ていた。


 外では、酒田の夜が静かに更けていく。


 風景は続いていく。

 物語も続いていく。

 そして、その先へ渡す人も、もうちゃんと生まれている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ