夏の入口、書きかけの未来
第49話
夏の入口、書きかけの未来
夏の入口に立つころ、人は少しだけ未来を信じやすくなる。
窓を開けた教室に、少しぬるんだ風が入ってくる。
グラウンドから運動部の声が聞こえる。
放課後の光が長くなり、廊下の先まで明るい。
まだ真夏ではない。
でも、春よりは確実に先へ進んでいる。
高校一年の初夏。
隆とひなたもまた、“いま”を生きながら、少しずつ“この先”のことを考え始めていた。
教室では普通の高校生。
放課後には図書室でノートを広げる。
帰り道には手をつなぐ。
家に帰れば、それぞれの物語を書く。
その毎日は、前よりずっと落ち着いていて、けれど、ただ穏やかなだけではなかった。
作品は少しずつ外へ届いていく。
読者が増える。
感想が増える。
ランキングも、新人賞候補も、もう一時の出来事ではなくなりつつある。
そうなると、自然に考え始める。
この先、自分はどう書いていくのだろう。
どんな言葉を使って、どんな人間になっていくのだろう。
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1.広がっていく作品
ひなたのダイアリー小説は、高一の一学期の終わりには、女子高生部門でかなり安定して上位に入るようになっていた。
理由は、本人にしか書けない目線があったからだ。
女子高生の心情を、きれいごとにしない。
でも、投げやりにも書かない。
むかつく日も、恋で浮かれる日も、友達に助けられた日も、どうしようもなく自分が嫌になる夜も、そのまま書く。
そして最後に置かれる短歌や川柳が、読む人の胸の奥へすっと残る。
コメント欄には、
「これ昨日の私です」
「笑って読んだのに最後で刺さった」
「女子ってこういうこと考えてるのか、って男子の自分にも分かった」
そんな言葉が増えていた。
隆のSFラブコメもまた、読者を着実に増やしていた。
宇宙を舞台にしているのに、会話のテンポは妙に高校生っぽい。
科学用語はきちんと出てくるのに、置いていかれない。
銀河規模のトラブルの中で、恋の勘違いやすれ違いが起きて、しかもそのヒロインがやたら元気で騒がしい。
どう見てもなぎさがモデルのその少女は、読者からも妙に人気だった。
ある日、ひなたがコメントを読み上げる。
「“ヒロインがうるさくて最高です。宇宙船の中で一番生命力がある”だって」
隆は苦笑する。
「……やっぱあいつだな」
「完全にあいつだ」
その日の夜、家でその話をしたら、なぎさはやたら誇らしげだった。
「宇宙一元気なヒロイン、それわだし」
「だから違うって」
「でもモデルなんだべ?」
実里が横で笑う。
「認めだ方が楽だの」
正康も新聞の向こうで小さく笑っていた。
作品は、もう二人の中だけのものではなくなっている。
読者の中へ入り、家族の中へ戻り、また次の話の種になる。
それが高校一年の夏直前には、かなりはっきり見えるようになっていた。
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2.未来を少しだけ意識する
ある放課後、図書室の窓際で、ひなたがふと言った。
「なぁ」
「ん?」
「わだしたち、これからどうなんだろうの」
隆はノートを閉じて、ひなたの方を見る。
「どうって?」
「いや、作品もそうだし、学校もそうだし……その先も」
ひなたは、自分の言葉を探しながら続ける。
「なんか今までは、“次のテスト”とか“次の更新”とか、そういう近い未来ばっかだったげど」
「うん」
「最近は、もっと先もあるんだなって思う」
その感覚は、隆にも分かった。
作品が広がる。
読者が増える。
高校生活が始まる。
恋人としての時間も、ただ“今日楽しい”だけではなく、この先へ続いていくものとして見え始める。
「……俺は」
隆は少し考えてから言った。
「この先も、書いていきてぇ」
「うん」
「ひなちゃんと、別々でも一緒でもいいがら、なんかずっと書いてたい」
ひなたは、その言い方を聞いて少しだけ笑った。
「別々でも一緒でも、って、ちょっといいの」
「そうか?」
「うん。なんかちゃんとしてる」
「ちゃんとしたつもりだ」
ひなたは机に肘をついて、少しだけ遠くを見る。
「わだしも、この先も書いでたい。で、できれば……」
「うん」
「だれかが、もう言葉で人ば傷つけねように、そういうことにも届ぐもの書けたらいいなって思う時ある」
その言葉に、隆は黙って頷いた。
それはたぶん、中学二年のあの教室を通ってきた二人だからこそ出てくる未来のかたちだった。
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3.橋をかけるもの
中学時代に起きたことは、ただ過去として小さくなるわけではなかった。
むしろ、時間が経つほど、それが何だったのかが少しずつ言葉になる。
ひなたは日記形式の小説の中で、
“笑いのふりをした痛み”
や
“だれも直接殴っていないのに人が壊れていく感じ”
を書いたことがあった。
隆もまた、自分の教室小説のあとがきのような短い文章で、
「言葉は人を生かすことも、静かに削ることもできる」
と書いた。
そういう言葉に、少しずつ反応が返ってくるようになった。
「中学の時にこれを読みたかった」
「いじりといじめの境目を考えた」
「笑いって何なんだろうと思った」
作品は、娯楽でありながら、同時に橋にもなっていた。
あの教室の中だけで終わらせない橋。
次のだれかへ届く橋。
まだ見ぬ“次の世代”へつながっていく橋。
それを、二人はまだ言葉にしきれなかったけれど、たしかに感じ始めていた。
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4.そして、十年が流れる
時は流れる。
早送りのようにではなく、でも確かに。
高校生活の一日一日が積み重なり、季節が巡り、卒業し、それぞれの進学や仕事や執筆の時間が重なっていく。
十九歳。
二十歳。
二十二歳。
二十四歳。
気づけば、あの教室で木の役の話をしていた二人は、大人になっていた。
隆は作家として活動を続けていた。
教室小説で知られるようになり、そこからSFラブコメでも読者をつかみ、書き続ける人になっていた。
ひなたもまた、書く人として育っていった。
女子の心のひだをすくい上げる日記形式の作品は、やがて若い読者だけでなく、大人にも読まれるようになる。
二人は、それぞれ自分の作品を書きながら、同時に一緒に伝える活動も始めていた。
学校での講演。
地域でのトークイベント。
「言葉による暴力」の怖さについて考える会。
いじめ問題に向き合うワークショップ。
そこで二人は、声をそろえて言う。
“暴力は、殴ることだけではない”
“笑いの形をしていても、人を削る言葉はある”
“でも、人を救う言葉も、確かにある”
それは、理屈だけで語っているのではない。
あの教室を通ってきた人間の実感として語っている。
だからこそ、言葉に重さがある。
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5.二十四歳の結婚式
そして、二人は二十四歳になった。
結婚式の日、空はやわらかく晴れていた。
春に近い、でもまだ少し冷たい光。
白い花。
穏やかなざわめき。
受付のところには、懐かしい名前がたくさん並んでいる。
黒川。
相原。
宮原。
結菜。
柴田。
それぞれが、それぞれの人生を歩きながら、この日また一つの場所へ集まっている。
控室で、隆は鏡越しに自分の姿を見て、少しだけ笑った。
「なんか、信じらんねぇな」
そうつぶやくと、隣でネクタイを直してくれていた正康が言う。
「ここまで来たんだべ」
「ん」
「中二の時のお前が聞いだら、たぶんひっくり返るぞ」
「それはそうだな」
一方、ひなたもまた、支度室で白いドレス姿になりながら、鏡の前で少しだけ息をついていた。
となりには実里となぎさがいて、なぎさはもう泣く寸前の顔になっている。
「なぎさ、早いって」
ひなたが笑う。
「だってぇ……!」
「まだ始まってもいねぇべ」
「でも、ひなたさん綺麗すぎる……!」
実里も、少し目元をやわらかくして言う。
「ほんとにね」
ひなたは、その言葉を聞きながら思う。
ここまで、本当にいろんなことがあった。
でも、その一つ一つを越えて、今ここにいる。
やがて、式が始まる。
バージンロードの先に、隆が立っている。
少し緊張していて、でもちゃんと前を向いている。
ひなたは、その顔を見た瞬間、中学二年の教室でこちらを見ていた少年の面影を確かに感じた。
大人になった。
でも、ちゃんとあの頃から続いている。
誓いの言葉を交わす。
指輪をはめる。
笑う。
少し泣く。
拍手が起こる。
その拍手は、文化祭の時の拍手とどこか似ていた。
“ここまで来た”という拍手。
“これからも進んでいく”という拍手。
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6.書きかけの未来
式のあと、披露宴の席で、だれかが二人に聞いた。
「これからも、書き続けるんですよね?」
隆とひなたは、顔を見合わせて笑った。
「もちろん」
隆が答える。
ひなたも頷く。
「書くし、伝えるし、たぶんずっとネタも拾います」
会場に笑いが起きる。
でも、その笑いのあとで、隆は少しだけ真面目な顔になった。
「言葉って、怖いです」
しん、と場が静かになる。
「でも、だからこそ、ちゃんと使えば、人を助けることもできると思ってます」
ひなたがその言葉を受け継ぐ。
「わたしたちは、それを忘れないで書いていきたいです」
それは、結婚式の場で言うには少しだけまっすぐすぎる言葉だったかもしれない。
でも、二人にはそれしかなかった。
中学二年のあの教室から始まった物語は、終わったわけではない。
いまも続いている。
そしてたぶん、これから書くものの中にも、話す言葉の中にも、ずっと残っていく。
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7.夏の入口、書きかけの未来
高校一年の初夏から、二十四歳の春まで。
時間は流れた。
でも、その流れの中で消えなかったものがある。
だれかの痛みを笑わないこと。
言葉を大事にすること。
好きな人と一緒に、書きながら生きていくこと。
未来は、いつだって書きかけだ。
完成してから生きるのではない。
迷いながら、書きながら、笑いながら、少しずつ形にしていく。
隆とひなたの物語も、そうだった。
中学時代から続いてきた物語は、やがて次の世代の時間へ橋をかけていく。
教室の外へ。
学校の外へ。
まだ出会っていないだれかへ。
その橋の上で、二人はこれからも書き続けるのだろう。




