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手をつなぐ理由  作者: リンダ


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三学期のはじまり

 第45話

 三学期のはじまり


 三学期の教室には、独特の明るさがある。


 新しい年の空気。

 けれど、まだ冬の冷たさは残っている。

 窓の外には白い雪があり、廊下には濡れた靴の跡が細く続く。

 ストーブの前には自然と人が集まり、休み時間になるたびに「さみぃ」「そこ場所かわれ」といった声が飛ぶ。


 冬休み明けの二年二組も、そんなふうに始まった。


 ただし、その教室は、もう一学期のころとはまるで違う。


 笑いの向きが違う。

 沈黙の意味が違う。

 そして、誰が誰の隣にいるかの見え方も、少しずつ変わっていた。


 1.恋人になったあと


 隆とひなたは、三学期初日の朝、少しだけ早めに教室へ入った。


 べつに約束したわけではない。

 でも、結果として二人とも少し早く来ていて、教室の中にはまだ数人しかいなかった。


「おはよう」


「おはよう」


 その一言が、冬休み前までとはやはり少し違う。


 恋人になったからといって、急にべったりするわけじゃない。

 むしろ二人とも、そこはかなり慎重だった。


 教室は教室。

 みんなのいる場所。

 だから、変に見せつけるようなことはしたくない。


 でも、“何も変わっていないふり”をするのも、もう違う気がする。


 そのちょうど間くらいの場所を、二人は自然に探っていた。


「雪、すごかったの」


「んだな。昨日の夜また積もったし」


「今日、通学路で一回滑りそうになった」


「大丈夫だったが?」


「ぎりぎり」


 そんな何でもない会話をしている時の空気が、前よりもやわらかい。


 少しして結菜が入ってきた。

 ひなたと隆を見て、一瞬だけにやっとしたが、余計なことは言わない。


「おはよう」


「おはよう」


「朝早いのぉ」


「そっちもだべ」


「まあな」


 その程度だ。


 でも、その“その程度”で済むことが、今の教室のいいところだった。


 柴田も、黒川も、相原も、前より自然に二人の距離を受け止めていた。

 ひなたと隆が、もう“そういう二人”であることは、近くにいる者ならだいたい分かっている。

 けれど、それをわざわざ面白がって騒ぎ立てる空気にはならない。


 それが、このクラスがここまで来た証拠でもあった。


 2.相原と宮原の空気


 相原と宮原の距離も、三学期に入ってから少しずつ周りに伝わり始めていた。


 はっきり言葉にした者はいない。

 でも、朝のちょっとした会話や、帰り支度の時の視線の向きや、片方が咳をした時にもう片方が先に振り向く感じで、近くにいる者にはだいたい分かる。


 ある朝、宮原が教室へ入ると、相原がストーブの近くから声をかけた。


「今日、道すべらねがった?」


「今日は平気」


「ならよし」


 それだけの会話。


 でも、その“ならよし”の言い方が妙に自然すぎて、近くにいた結菜とひなたは顔を見合わせた。


 ひなたが小声で言う。


「……見だ?」


 結菜も小さく頷く。


「見だ」


「なんか、もうふつうだの」


「うん。あそこ、前より空気やわらけぇ」


 とはいえ、二人ともそれ以上は何も言わない。

 いまの二年二組は、そういう変化を必要以上に騒ぎ立てない。


 相原にとっても、それがありがたかった。


 以前なら、少しでも誰かとの距離が見えた瞬間に、すぐ茶化しが飛んだ。

 でも今は違う。


 だから、自分の変化も、宮原への気持ちも、ちゃんと自分の中で育てていける。


 宮原も同じだった。

 雪の日のあたたかい手の感触は、まだはっきり覚えている。

 あの日から少しずつ増えた短い会話や、気にかける視線の重なり方が、今の自分には心地よかった。


 それが恋と呼べるところまで来ているのかどうか、まだ言い切れない。

 でも少なくとも、“前より大切に見える人”になっているのは確かだった。


 3.ラジオへの投稿


 三学期の始まりと同じ頃、隆はひなたと相談して、天庄屋のラジオ番組へ久しぶりに投稿した。


 内容は、前よりずっと穏やかだった。


 いまは元気に過ごしていること。

 文化祭で歌ったこと。

 小説を投稿し、少しずつ読んでくれる人が増えていること。

 教室も前よりずっと落ち着いてきていること。


 そして最後に、


 “あの時、ラジオで届いた言葉が、今もちゃんと残っています”


 と書いた。


 土曜日の夜。

 『ウィークエンド爆笑イブニング』で、その投稿は読まれた。


 ひよりの第一声が、いきなり大きかった。


「うわああー! 二年二組、生きとる!」


 逸美がすぐに笑いながら突っこむ。


「いや、最初から生きてるわ」


「んでもうれしいんだって!」


 教室で聴いていたわけではない。

 それぞれ家で聴いているだけだ。

 それでも、その一声で隆もひなたも思わず笑ってしまった。


 ひよりが続ける。


「元気に過ごしてるって、こういう報告がいっちばんうれしいのよ」


 逸美も、少しやわらかい声で言う。


「しかも小説投稿まで行ったってすごいよね。ちゃんと前へ進んでる」


 さらに、ひよりがいつもの調子に戻る。


「ただな、木の役をここまで武器にするのはなかなか強ぇ!」


 その一言に、ひなたは家で盛大に吹き出した。


「やっぱそこ拾うか!」


 隆も笑う。


 逸美が重ねる。


「でも、笑えるところから入って、最後ちゃんと胸に来るの、あれいいよ。木の役、なめんなって感じ」


 その“爆笑コメント”と、ちゃんと作品を受け取った言葉の両方が、いかにも天庄屋らしかった。


 ラジオの向こうから届く声を聞きながら、隆はあらためて思う。

 外とつながっている。

 自分たちの時間は、ちゃんと外へ届いて、また言葉になって戻ってきている。


 4.時は流れて


 そして、時間は止まらない。


 冬が過ぎ、雪が少しずつ解け、三学期が進み、やがて春が近づいてくる。


 中学二年だった二年二組は、そのまま三年へ進み、教室の空気はさらに少しずつ落ち着いていった。

 そこには、前の傷がなかったわけではない。

 でも、それを抱えたまま前へ進めるくらいには、みんな変わっていた。


 進路の話は、いよいよ現実そのものになる。


 模試。

 面談。

 志望校。

 苦手科目の底上げ。

 焦り。

 不安。

 それでも、前へ進むしかない日々。


 隆とひなたは、同じ高校を受けることを決めた。


 簡単な道ではなかった。

 模試の判定は最初から安定していたわけではないし、二人とも苦手分野を抱えていた。

 けれど、一緒に図書室で勉強し、問題を解き、分からないところを確認し合いながら、少しずつ積み重ねていった。


「ここ、また間違えだ」


 隆が数学の問題集を見ながら言う。


 ひなたが覗き込む。


「そこ、途中式飛ばすがらだって」


「分がってる」


「分がってねぇからまたやる」


「厳し」


「恋人だからこそ厳しい」


「なんだそれ」


 そんなやり取りの中にも、受験の緊張は確かにあった。

 でも、二人でいると、不思議と息が続いた。


 相原も、黒川も、宮原も、結菜も、柴田も、それぞれの進路に向かっていく。

 教室はまた別の意味で試される。

 けれど、もうあの頃みたいに、だれか一人を孤立させることでしか息ができない教室ではなかった。


 そして、入試の日。


 冷たい朝。

 緊張した顔。

 でも前を向くしかない空気。


 隆とひなたは、それぞれの席で問題に向かい、難関を突破した。


 合格発表の日、掲示板に二人の受験番号を見つけた瞬間、ひなたは一拍遅れて息を呑み、隆はその場で肩の力が抜けた。


「……あった」


「……あった」


 二人で同時に言って、次の瞬間、顔を見合わせて笑った。


 少し大人っぽくなった顔。

 でも、あの教室で笑い合っていたころの面影はちゃんと残っている。


 5.なぎさと通泰


 時間が少し進めば、なぎさと通泰の関係もまた育っていく。


 なぎさは中学二年になっていた。

 あの雪の初詣で転んで、通泰に見られたか見られていないかで大騒ぎしていたころより、少しだけ背が伸びて、少しだけ表情が大人びた。


 それでも中身は相変わらず元気だ。


「通泰、今日そっち部活?」


「ん、短い」


「じゃあ帰り一緒に帰れる?」


「たぶん」


 そんなやり取りが、前よりずっと自然にできるようになっていた。


 隆は、その様子を見て時々思う。

 こいつ、本当に好きな相手には案外素直なんだな、と。


 なぎさは逆に、隆とひなたを見てはまだ時々いじってくる。


「お兄ちゃんたち、また図書室?」


「そうだよ」


「青春だのぉ」


「お前に言われだぐねぇ」


 そんなやり取りも、時が進めば家族の定番になる。


 6.小説の次へ


 高校受験を越えたころ、隆の小説は、すでに“学校の一時の出来事を書いたもの”ではなくなっていた。


 読者も少しずつ増えている。

 コメントも安定してつくようになっていた。


 そして何より、自分が“書く人”として次の作品を考えるようになっていた。


 ある日、ひなたが言う。


「次、何書ぐの?」


 隆は少しだけ照れながら答える。


「今度は、別のやつ」


「別の?」


「SFラブコメディー」


 ひなたが目を丸くする。


「急に銀河系だの」


「前から好きだし」


 それは本当だった。


 隆は科学が得意だった。

 宇宙に関する知識も、好きでかなり読んでいた。

 星雲、銀河、軌道、重力、ワープ理論まわりの“ありえそうでありえない話”を考えるのが、子どものころから好きだったのだ。


「壮大だのぉ」


 ひなたが笑う。


「今度は銀河系をまたにかけるのか」


「かける」


「で、ラブコメなんだ」


「そこは外せねぇ」


「なんで」


「そこが大事だから」


 ひなたは、その答えを聞いて妙に納得した。


 いじめも、教室も、変わろうとする人たちも書いた。

 その次に、宇宙規模で恋を書こうとする。

 それは、なんだか今の隆らしかった。


 傷を知っているから、今度はもっと遠くまで想像を飛ばせる。

 その飛距離が、前より少しだけ伸びている。


 隆はノートを開いて、新しいメモの一行目にこう書く。


 銀河系の端で、宇宙船がラブレターを受信した。


 ひなたが、それを横から見て吹き出す。


「いきなりすごいの来たな」


「いいだろ」


「いい。すごくいい」


 そして、その新しい物語の始まりを、またひなたが最初に見る。


 7.続いていくもの


 教室は変わった。

 時間も進んだ。

 受験も越えた。

 恋も育った。

 家族の笑いも続いている。


 そして、物語もまた終わらない。


 一つの教室で起きたことを書いた小説が、だれかの画面に届く。

 その先で、また次の物語が始まる。

 今度は銀河系をまたにかけるSFラブコメディーとして。


 人は、つらかった時間をただ“過去”にするのではなく、それを別の何かへ変えていけるのかもしれない。

 隆が書くことを続けるのは、たぶんその証拠でもあった。

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