冬休みの恋人たち
第43話
冬休みの恋人たち
恋人になったからといって、急に何もかもが器用になるわけではない。
むしろ逆で、付き合い始めた最初の数日は、それまで自然にできていたことが急に不自然になることさえある。
朝、どういう顔で会えばいいのか。
教室でどこまで話しかければいいのか。
帰り道に前みたいに並んで歩いていいのか。
手をつないだことのある相手と、次に会った時、どこまでその続きを思い出していていいのか。
それらは、だれも教えてくれない。
隆とひなたの冬休みも、そういうぎこちなさと甘さが、ちゃんとセットで始まっていた。
1.恋人になったあと
クリスマスの日のあと、隆は数日ほど、家の中で妙に静かだった。
なぎさがすぐに気づく。
「お兄ちゃん、なんか静がすぎで気持ち悪い」
「うるせぇ」
「いや、前より三割増しでぼーっとしてる」
「してねぇし」
「してる」
実里はそんな兄妹のやり取りを聞きながら、台所で少し笑っていた。
隆は、恋人になったことがまだ自分の中にちゃんと収まりきっていなかった。
ひなたと手をつないだこと。
公園で告白したこと。
返事をもらったこと。
そのあとに届いた
恋人さん
というメッセージ。
思い出すだけで、顔が熱くなる。
ひなたの方も、見た目にはわりと平静を装っていたが、家ではそうでもなかった。
「ひなた、今日やたら機嫌いいのぉ」
母親にそう言われて、
「別に」
と返したくせに、鏡の前で自分の顔を見た時に、たしかに少しだけ柔らかい表情をしていることに気づいてしまう。
恋人。
その響きは、思っていた以上にくすぐったくて、でもうれしかった。
冬休み中、二人は何度か短いメッセージをやり取りした。
今日さみぃの
んだな
風邪ひくなよ
そっちも
それだけの会話でも、前とは意味が少し違う。
たまにひなたが、わざと
恋人さん、原稿どう?
と送ってくる。
そのたびに隆は、
その呼び方やめろ
と返しつつ、内心ではまんざらでもない。
2.教室の外の距離
冬休みの間、二人は何度か会った。
大げさなデートばかりではない。
駅前で少しだけ話す。
図書館で小説の続きを読む。
帰り道を遠回りして歩く。
でも、“付き合う前”と“付き合ったあと”では、その一つ一つの意味がやっぱり違っていた。
図書館では、前より少しだけ席が近い。
紙をのぞき込む時、肩が触れても前ほど慌てない。
帰り道では、あのクリスマスの時みたいに、自然に手をつなぐこともある。
最初は、つなぐたびに二人とも少し黙ってしまった。
でも、それがだんだん“ぎこちない沈黙”から“ちょっと照れてるだけの沈黙”に変わっていく。
ひなたは、そういう変化が妙におかしかった。
「なぁ」
「ん?」
「付き合う前より、今の方が静がになる時あるよの」
隆は苦笑する。
「分がる」
「なんでだろ」
「意識してるがらでねぇの」
「つまりお互いまだ慣れてねってことだべ」
「そうだな」
ひなたは少し笑ってから、つないだ手を少しだけ揺らした。
「でも、これは慣れねぇ方がいいとこもある」
「何が」
「手ぇつなぐ時の感じ」
その言い方がまた急で、隆はすぐに顔が熱くなる。
「……そういうごど急に言うな」
「言いたくなった」
「ずるい」
「恋人の特権だべ」
そんなふうに、二人の距離は教室の外で少しずつ変わっていった。
3.コメントの続き
小説への反応も、冬休みに入ってからじわじわ増えていた。
更新のたびに、前より少しだけ早く「いいね」がつく。
コメントも、一つ一つは多くないが、ちゃんと読んだ人の温度がある。
ある晩、隆はまた新しい感想を見つけた。
『教室の空気って、寒い場所にもあったかい場所にもなるんだと思いました。
登場人物たちが少しずつ変わっていくのが、派手じゃないのにすごく本当っぽいです。
“好きになると、その人の傷まで自分ごとみたいになる”という一文が特に好きでした。』
その最後の一文に、隆は思わず息を止めた。
ひなたと図書室で話した場面。
作品の中でも、かなり大事に書いたところだ。
読まれている。
しかも、ただ読まれているだけじゃなく、ちゃんと刺さっている。
すぐにひなたへ送る。
また来た
返事は早かった。
今度はどれ?
スクリーンショットを送ると、しばらくして返ってきた。
うわ、そこ拾ってくれた人いるんだの
ん
やっぱ投稿してよがったべ
隆は、少し考えてから返す。
ひなちゃんが押してくれたがらだ
間が空く。
それから、
そういうの、不意打ちでくるがら困る
と来た。
その一文を見て、隆は少し笑った。
困る、と言いながら、きっと向こうも少しうれしいのだろうと分かるようになってきていた。
4.相原と宮原の約束
一方で、相原と宮原の冬休みの約束も、ちゃんと近づいていた。
大げさなデート、というほどではない。
でも、二人きりで駅前へ行く。
それだけで十分に意味がある。
相原は、その日が近づくにつれて、少しずつ変な緊張をし始めていた。
雪の日に手を貸したこと。
それから少しずつ会話が増えたこと。
でも、だからといって“何を話せばいいか”が急に分かるわけではない。
宮原の方も同じだった。
誘われた時は、意外とすんなり「行ぐ」と言えた。
でも、日にちが近づくにつれて、服をどうしようとか、会って何話そうとか、そういうことがやたら気になる。
ある日、結菜にそれとなく聞かれて、宮原は少しだけ赤くなった。
「冬休み、予定ある?」
「……まぁちょっと」
「へぇ」
結菜は、そこから先は無理に聞かなかった。
ただ、にやっと笑っただけだった。
宮原はその反応に少しだけ救われた。
今の教室は、昔みたいに“気づいたらすぐ面白がって広げる”方向へは行かない。
だから、自分の中の小さい変化も、ちゃんと育てていける気がする。
5.核心
そんな中、ある日曜日。
ひなたがまた三浦家へ来ていた。
冬休み中とはいえ、もう半分家みたいな顔で居間に入ってくるのも、かなり自然になっている。
「おじゃまします」
「いらっしゃーい!」
なぎさの声がやたらと元気だ。
そして、その日のなぎさは、何かをつかんでいる顔だった。
ひなたがコートを脱いで落ち着くより早く、なぎさが隆へ向かって言った。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「告ったでしょ」
場が一瞬止まる。
隆が本当に分かりやすく固まる。
実里が台所から「えっ」と顔を出す。
ひなたは一秒遅れて意味を理解し、そこで吹き出しそうになるのを必死にこらえた。
「……な、何言ってんだや」
隆の声が一段高い。
なぎさは完全に勝ちを確信していた。
「図星だ」
「おこちゃまがそんなごど聞ぐんじゃねぇ」
反射的に出たその言葉に、なぎさが即座に食いつく。
「えぇ? お兄ちゃんだってまだまだおこちゃまじゃん」
「なんでだや」
「第一、私と歳が二つしか離れでねんだから」
その正論に、隆は一瞬言葉を詰まらせた。
そこへ、ひなたがもう笑いをこらえきれずに入ってくる。
「ちょっと待って……っ」
なぎさは、そのひなたを振り向いて言う。
「ひなたさん、お兄ちゃんが私のごどおこちゃまだって。ひどいと思わない?」
「いや、それは……っ、ははっ」
ひなたは、もう笑っている。
だが、なぎさはそこへさらにとんでもない爆弾を落とした。
「私だってクラスに好きな人いて、ラブラブなのに」
一瞬、空気が完全に止まる。
「……は?」
隆が言う。
実里も「えっ?」と素で言う。
ひなたはその場で吹き出した。
「っはははは! ちょっと待っ……なぎさちゃん、いきなり爆弾すぎるって!」
「な、なぎさ!?」
隆が声を裏返らせる。
なぎさは、言ってしまったあとで「あ」と思った顔をしたが、もう遅い。
「いや、その……」
「お前、今すごいごど言ったぞ!」
「しまった……」
ひなたは完全に腹筋を持っていかれていた。
ソファの背にもたれたまま笑っている。
「だめ……お腹よじれる……!」
だが、笑いながらも、ひなたはすぐに立ち直る。
こういうときの対応力はさすがだった。
「かわいい妹よ」
ひなたが、わざとお姉さんぶった声で言う。
「その好きな男の子の名前を、私に言ってみなさい」
なぎさは、一瞬だけ迷うかと思いきや、あっさり答えた。
「内田通泰君」
居間がまた止まる。
今度は、あまりにも即答だったからだ。
隆が思わず言う。
「言うんかい!」
「聞がれだがら!」
「いや、もっとこう、ためらえや!」
「今さらだろ」
なぎさはそう言って腕を組んだが、耳まで真っ赤だ。
ひなたは笑いながら言う。
「なぎさちゃん、その子、今度遊びにおいでって誘ってだんでねぇの?」
「……ん」
「もうすぐ来る頃?」
「……ん」
その一言で、また空気が変わる。
「は!?」
今度は隆と実里が同時に叫んだ。
「来るの!? 今日!?」
「なんで今言うんだや!」
なぎさは、完全に開き直ったような顔で言う。
「だって言うタイミング、今になった」
「今でねぇべ!」
そして本当に、そのタイミングでインターホンが鳴った。
全員がぴたりと止まる。
なぎさは一秒だけ固まって、それから叫んだ。
「来た!」
玄関の方から、男の子の声がした。
「なぎさちゃん、来たよ~」
その一言で、ひなたはもうだめだった。
笑いの第二波が来る。
「っはははは! ほんとに来た!」
なぎさは立ち上がって、もう顔じゅう真っ赤にしながら言う。
「私の王子様よ~!」
「待て待て待て!」
隆が立ち上がる。
実里も、「ちょっと整理させで!」と言いながら笑っている。
ひなたはソファでお腹を抱えている。
「だめ、今日ずっと腹筋壊れる……!」
そこからの三浦家は完全に爆笑展開だった。
玄関へ向かうなぎさを隆が止めようとする。
ひなたは「お兄ちゃん、それは野暮だべ!」と余計な援護をする。
実里は笑いながらも髪を整え、「せめてちゃんと迎えなさい」となぎさに言う。
正康まで途中で状況を知って、「今日はずいぶん騒がしいな」と苦笑する。
玄関の向こうには、本当に来てしまった内田通泰。
小六男子らしい緊張した顔で立っていて、それがまたなぎさの“王子様”発言と組み合わさると、ひなたの笑いのツボを直撃する。
その日、三浦家の居間には、冬休みとは思えないくらいの笑い声が夜まで響いていた。
6.冬休みの恋人たち
その騒ぎのあと、ひなたと隆が二人きりになれる時間はほんの少ししかなかった。
でも、その少しの時間でさえ、前より特別だった。
「……今日はすごがったの」
帰り際、ひなたが笑い疲れた顔で言う。
「全部なぎさのせいだ」
「いや、お兄ちゃんも大概おもしぇ」
「なんでだや」
「だって、なぎさちゃんにあんなに振り回されるのに、ちゃんとお兄ちゃんしてるし」
その言い方がやさしくて、隆は少しだけ視線を逸らした。
「……ひなちゃんも、だいぶ馴染みすぎだべ」
「いいごどだ」
そして、ひなたは少しだけ近づいて、小さく言う。
「恋人さん」
「やめろ、その呼び方」
「やめねぇ」
でも、その声のやり取りの中には、付き合い始めたばかりのぎこちなさより、もう少しだけ深い安心が混じっていた。
冬休みは、ただ甘いだけではない。
家族も、友達も、笑いも、作品も、全部が混ざっている。
でも、だからこそ今の二人らしい時間になっていた。




