クリスマスの手
第43話
クリスマスの手
クリスマスの朝は、冬の空気の中でもどこか少しだけ明るい。
雪は降っていなかったが、空は白く、吐く息はしっかり白かった。
街は朝から少し浮き足立っていて、駅前には赤と緑の飾りがまだ残り、商店街のスピーカーからは控えめなクリスマスソングが流れている。
そんな日の約束は、ふつうの約束とは少しだけ違う。
待ち合わせの時刻よりずっと前から落ち着かないし、服を選ぶだけで時間がかかるし、鏡の前に立っては「変じゃないか」と何度も確認したくなる。
隆も、朝から完全にそうだった。
「お兄ちゃん、今日すごい静がだの」
なぎさが朝食の席で言う。
「別に」
「別に、の人はそんなに髪直さね」
「見でんじゃねぇ」
「見えるもん」
実里も、味噌汁をよそいながら笑っていた。
「今日、ひなたちゃんと二人なんでしょ」
「……ん」
「いい日になるといいの」
「ん」
その“ん”が全部短すぎて、なぎさが吹き出す。
「会話になってねぇって!」
「うるせぇな」
「緊張してんの丸分がりだっけ」
図星だった。
今日は、二人きりで過ごす。
教室でもなく、図書室でもなく、家族や友達が一緒でもない。
ちゃんと“二人きりのクリスマス”だ。
その響きだけで、隆の心臓は朝からずっと落ち着かなかった。
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待ち合わせ場所に着くと、ひなたはもう来ていた。
白っぽいコートに、やわらかい色のマフラー。
髪はいつもより少しだけ丁寧に整えていて、冬の空気の中に立つその姿は、教室で見るひなたとも、図書室で見るひなたともまた少し違って見えた。
ひなたが先に気づいて、小さく手を振る。
「おはよう」
「……おはよう」
近づいていくと、ひなたが少し笑う。
「また緊張してるべ」
「してねぇし」
「してる」
「してねぇ」
「してる」
そのやり取りだけで、少しだけ気持ちがほどける。
ひなたも、平気そうに見えて、ほんの少しだけ頬が赤い。
それが寒さのせいだけではないことを、隆はなんとなく分かっていた。
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1.少し背伸びした時間
二人が入ったのは、駅前から少し離れたところにある、落ち着いた雰囲気のカフェだった。
木の扉。
やわらかい照明。
窓際には小さなクリスマスの飾り。
中学生だけで入るには少しだけ背伸びした感じの店だ。
「ここ、ほんとに入るんだの」
ひなたが小声で言う。
「だめか?」
「だめでねぇ。……でも、なんか大人っぽい」
「たまにはいいべ」
「うん。いい」
席に案内されて、二人でメニューを開く。
コーヒーの名前ひとつひとつが、なんだか普段より難しく見えた。
「何頼む?」
「んー……これ」
ひなたが指したのは、カフェラテだった。
「隆くんは?」
「ブレンド」
「お、かっこつけた」
「ちがうし」
「絶対ちょっとかっこつけた」
「違うって」
そう言いながらも、少しだけ図星だった。
甘いスイーツも一緒に頼む。
運ばれてきたコーヒーは湯気がきれいで、ケーキは思っていたよりちゃんとしていて、二人とも一瞬だけほんとうに「おぉ」となった。
「すごいの」
「ん」
「なんか、クリスマスっぽい」
「クリスマスだからな」
ひなたはフォークで一口分を切って、口に入れて、すぐに目を細めた。
「おいしい」
その言い方があまりに素直で、隆は思わず笑う。
「よがった」
「隆くんのも?」
「うまい」
「交換する?」
「する」
そんなふうに、ごく自然にフォークを持ち替えて、少しだけ相手の皿のものを食べる。
そのこと自体が、もう前よりずっと“そういう関係”に近づいている感じがした。
コーヒーの湯気の向こうで、ひなたが少しだけ真面目な顔になる。
「こうやって二人だけって、ちゃんと考えると初めてだの」
「……ん」
「なんか、不思議」
「俺も」
そう言ったあとで、二人とも少し照れたように笑った。
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2.商店街の光
カフェを出ると、外はもう午後のやわらかい冬の光になっていた。
商店街にはクリスマスの飾りが下がり、買い物客の足音と、少しだけ弾んだ音楽が混ざっている。
二人は並んで歩く。
何気ない話をする。
店先のツリーのこと。
ケーキ屋の行列のこと。
小さい子がサンタ帽をかぶっていたこと。
でも、会話の底にはずっと、今日が“ただの放課後”ではないという静かな意識が流れていた。
歩きながら、何度か手が近づく。
コートの袖が触れそうになる。
でもそのたびに、どちらともなく少しだけ距離が揺れる。
隆は、自分の手のひらが少し汗ばんでいることに気づいていた。
寒いのに、妙に熱い。
ひなたもまた、横を歩きながら、自分の鼓動が前より速くなっていることを感じていた。
言葉はまだない。
でも、何かがもうすぐ形になる前の気配が、二人のあいだに確かにある。
そして、商店街の人通りが少し途切れたあたりで、隆はふっと息を吸った。
いましかない、と思った。
うまく言えるかどうかは分からない。
でも、今日言わなければ、たぶんまたタイミングを逃す。
隆は、少しだけぎこちなく、それでもはっきりと手を伸ばした。
ひなたの手に、そっと触れる。
ひなたが一瞬、息を止めた。
そして、逃げなかった。
隆の手が、ひなたの手を包む。
初めて、ちゃんと手をつないだ。
冬の空気の中で、その体温だけがはっきり分かる。
ひなたは、自分の鼓動が急に早くなるのを感じた。
隆くんの手、あったかい。
ただそれだけのことなのに、胸の奥までじんわり届く。
ひなたは少しだけ顔を伏せたまま、小さく言う。
「……あったけぇ」
「え?」
「隆くんの手」
隆は、その一言だけで自分の顔まで熱くなるのを感じた。
「そ、そが」
「ん」
そしてそのまま、少しだけ歩く。
手をつないだまま。
言葉は少ないのに、さっきまでよりずっと近い。
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3.思い切って言う
商店街の角を曲がった先に、小さな公園があった。
冬の午後の光がベンチを斜めに照らし、木々はすっかり葉を落としている。
人も少ない。
そこで、隆は立ち止まった。
ひなたも足を止める。
「……ひなちゃん」
「ん?」
呼びかけた自分の声が、思っていたより真面目だった。
ひなたも、その調子で何かを察したのだろう。
つないだ手に、ほんの少しだけ力が入る。
隆は、自分の顔がカーッと熱くなるのが分かった。
たぶん今、かなり赤い。
自分でも分かるくらい、緊張している。
それでも、ここで引きたくなかった。
「ありがど」
「……ん?」
「いろいろ」
言葉を探しながら、でも止まらずに続ける。
「一学期の時も、文化祭の時も、小説の時も……ずっと」
ひなたは、黙って聞いている。
その目が、逃げない。
「俺、思い切って言おうと思う」
そこで、隆は一度だけ大きく息を吸った。
「俺、ひなちゃんのことが大好きだ」
言った瞬間、胸の奥がどくんと大きく鳴る。
ひなたの目が、少し見開かれる。
でも、うれしそうにやわらいでいくのも同時に分かった。
隆は続ける。
「俺と、恋人として付き合ってほしい」
言い切ったあと、沈黙が落ちる。
短いはずなのに、ものすごく長く感じる数秒。
ひなたは、隆の顔を見ていた。
真っ赤になっている。
緊張しているのが、隠しようもないくらい分かる。
そのことが、たまらなく愛しかった。
ひなたは、少しだけ笑って、でも目はまっすぐのまま言った。
「うん」
その一言で、隆の肩がほんの少し下がる。
ひなたは続けた。
「私の方こそ、よろしくね」
その声はやわらかくて、でも迷いがなかった。
つないだ手を、今度はひなたの方から少しだけ握り返す。
「……ほんとに?」
隆が、信じられないみたいに小さく言う。
ひなたは笑う。
「ほんとにだ」
「……よがった」
その“よがった”には、安堵も、うれしさも、照れも、全部が入っていた。
ひなたもまた、胸の中がいっぱいだった。
好きだとは前に言った。
でも、こうして改めて“恋人として付き合ってほしい”と、ちゃんと選ばれて、ちゃんと返事をして、言葉の上で結ばれる。
それはやっぱり特別だった。
こうして、隆とひなたは、晴れて恋人として付き合うことになった。
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4.帰り道のぬくもり
公園を出てからも、二人は手をつないだままだった。
さっきよりも自然に。
前よりも少しだけ近く。
ひなたは、何度か顔が熱くなるのを感じた。
でも、それが嫌じゃない。
「……なんか」
「ん?」
「急に現実感なくなるの」
「何が」
「今の」
ひなたが少し笑う。
「ほんとに恋人になったんだなって」
隆も、少しだけ照れ笑いを浮かべる。
「俺も、まだちょっと信じられね」
「ひどい」
「いや、うれしすぎて」
その言い方に、ひなたはまた顔を赤くした。
「そういうごど、もうちょっと加減して言え」
「無理だべ」
「無理か」
「無理」
二人で笑う。
冬の空気は冷たい。
でも、つないだ手のあたたかさが、その冷たさをちゃんと追い返していた。
商店街の灯りが少しずつ点き始める。
クリスマスの飾りが、夕方の中でやわらかく光っている。
その景色の中を、二人は前より少しだけ違う歩幅で歩いていった。
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5.教室へ戻る前に
その夜、隆は部屋に戻ってから、しばらく何も手につかなかった。
小説の原稿を開いても、コメント欄を見ても、やっぱり思い出すのは公園でのひなたの返事だった。
うん。私の方こそ、よろしくね。
その一言が、頭の中で何度も繰り返される。
一方、ひなたもベッドの中で同じように落ち着かなかった。
恋人。
その響きだけで、胸の奥がくすぐったい。
今日の手のぬくもりも、隆の真っ赤な顔も、全部がはっきり残っている。
やがて、ひなたのスマホにメッセージが届く。
今日はありがど
ひなたはすぐに返す。
こちらこそだよ、恋人さん
送ったあとで、自分でもかなり照れた。
でも、その照れも今は心地いい。
すぐに返ってくる。
やめろ、余計赤くなる
その一文を見て、ひなたは布団の中で笑った。
教室へ戻れば、また日常がある。
でも、その日常はきっと、今日までとは少し違って見えるだろう。
隆の小説は、教室の外へ届き始めている。
相原と宮原も、少しずつ次の一歩へ向かっている。
二年二組は、ちゃんと冬を越えようとしている。
そして自分たちは、その教室の中で、今度は恋人として並んで立つことになる。
そのことが、ひなたには少し怖くて、でもそれ以上にうれしかった。




