ストーブの前で
第41話
ストーブの前で
冬の教室にストーブが入ると、それだけで空気のまとまり方が変わる。
朝いちばん、まだ冷え切った机や椅子の間に、じんわりとした熱が広がっていく。
ストーブの近くの席は少し得をしたような気分になり、遠い席の生徒は「そっちあったけぇべな」と文句を言う。
乾いた空気に、灯油のにおいがかすかに混じる。
白い息を吐いて登校してきた生徒たちは、教室へ入るとまず手をこすり合わせ、誰からともなくストーブの周りに集まりたがる。
その“集まる”という感じが、二年二組には少し似合っていた。
一学期のあの頃なら、同じ場所に集まること自体がしんどかった者もいたかもしれない。
けれど今は違う。
もちろん、何もかも完璧に解決したわけじゃない。
進路のこともある。
家のこともある。
将来への不安もある。
それでも、この教室には少なくとも“ストーブの前で少しだけどうでもいいことを話せる空気”が戻ってきていた。
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1.反応が増えていく
隆の投稿作には、十二月に入ってから少しずつ反応が増え始めていた。
最初の「いいね」がひとつ。
次にふたつ。
そのあと、短い感想が少しずつ増える。
毎日爆発的に伸びるわけではない。
でも、確実に“読んでくれた人がいる”という痕跡が画面に積み重なっていく。
ある日の夜、パソコンの画面を見ていた隆が、小さく息を呑んだ。
「……また来た」
コメントだった。
ひなたとのやりとりは、もうほとんど習慣になっていて、そういう時はすぐにメッセージを送る。
またコメント来た
すぐに返ってくる。
読む前に教えてくるの、かわいい
隆は顔をしかめながら打ち返す。
かわいくねぇ
そして届いたコメントを開く。
『教室の空気って、実際は誰か一人が悪いだけじゃないんだと改めて思いました。
言い返した子も、黙っていた子も、泣いた子も、みんなちゃんと人として書かれていて、読んでいて苦しいのに目が離せませんでした。』
その一文を読み終えた瞬間、隆は椅子の背にもたれた。
“読まれた”だけじゃない。
“伝わった”のだ。
そこへさらに、ひなたから追い打ちみたいにメッセージが来る。
どうだった?
ちゃんと読まれてた
んだべ
なんか、ちょっとだけ実感出てきた
ひなたは、少し間を置いてから返してきた。
モデルとして誇らしいです
隆は思わず吹き出した。
モデル。
最初は半分冗談みたいに言っていたくせに、今では完全にその立場を自分のものにしている。
けれど、その“モデル”の言い方も、だんだん少し変わってきていた。
前は“素材”に近かったのに、今は明らかに“書く人の隣にいて、最後まで見届ける人”の響きを持ち始めている。
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2.隣で支える人
図書室でも、ひなたの立ち位置は少しずつ変わっていた。
最初は“モデルとしての自分がどう書かれるか”を気にしていた。
次は“読者第一号”として読んでいた。
そして今は、それだけじゃない。
隆が迷った時に、どう背中を押せばいいか。
どこを褒めて、どこは正直に言うべきか。
その距離感を、ひなたはかなり自然に分かるようになっていた。
放課後、図書室の窓際で、隆が画面を前に難しい顔をしている。
「なした?」
「……次の更新、どごで切るが迷ってる」
ひなたは、椅子を少し寄せて画面を見る。
「ここだど、続き気になる感じはある」
「うん」
「でも、ここで切るとちょっと苦しいまま終わる」
「んだよな」
「その次の一段落まで行った方が、読んだ人ちょっと救われるかも」
その言い方が、もう“読者の視点”だけではなく、“書いてる人を助ける視点”でもあることに、隆は気づいていた。
「……なんか、最近もう普通に編集みたいだな」
「編集?」
「うん。モデルで読者第一号で、今は編集までやってる」
ひなたはちょっとだけ胸を張る。
「多才だべ」
「自分で言うな」
「でも、そうやって頼ってくれるのは嬉しい」
その一言が、またさらっと胸に入る。
ひなたは、もう“書かれる人”だけじゃない。
“書く人の隣で、ちゃんと一緒に考える人”になりつつあった。
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3.見え始める距離
宮原と相原の距離も、少しずつ周りに見え始めていた。
もちろん、まだはっきり“付き合っている”とか、そういう話ではない。
でも、雪の日のあとから、二人の間に流れる空気が前と変わったことは、近くにいる者なら分かる。
朝、宮原が教室へ入ると、相原が何気なく足元を見て言う。
「今日も路面つるつるだったが?」
「ん。今日は転ばね」
「ならよし」
そのやり取りに、近くの結菜が気づいて、柴田に肘で軽く合図を送る。
「なぁ」
「ん?」
「あそこ、なんか前より自然だの」
柴田がちらっと見て、小さく笑う。
「んだな」
「なんかあったんだべか」
「あるんじゃね」
でも、それを大声で茶化すような空気はもうない。
ここが今の二年二組のいいところだった。
ひなたも、その変化には気づいていた。
帰り道に隆へぽつりと言う。
「宮原、ちょっとやわらがぐなったの」
「相原の前で?」
「んだ」
「……相原も前ほど変に突っ張らねしな」
「ん」
ひなたは少し笑う。
「なんか、見てていい」
隆もその言葉に頷いた。
人が変わっていくのを、ちゃんと見ていられる教室。
それは、一学期にはなかった景色だった。
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4.クリスマス前の誘い
クリスマス前、最後の土曜日のことだった。
昼休みの教室で、ストーブの前に何人かが集まっている時、相原が突然言った。
「隆~」
「ん?」
「またカラオケいがね?」
その言い方が、前よりずっと自然だった。
「皆で歌って盛り上がろうぜ」
一瞬、周りの空気が少しだけ動く。
以前なら、相原がこういうふうに“みんなで”を言うこと自体に、もっと緊張があったかもしれない。
でも今は、隆もほとんど間を置かずに言えた。
「うん、行ごう」
その返事がすっと出たことに、ひなたも少し嬉しそうな顔をした。
「行ぐ行ぐ」
結菜もすぐに笑う。
「またSilent Jealousyやる人いる?」
柴田が即座に反応する。
「今度はリベンジだからな」
「まだ燃えてるんだ」
「当たり前だべ」
さらに何人か誘おう、という話になって、前回のメンバーに加えて男子二人、女子二人も増えることになった。
教室の中で、だれを誘うかの相談をしているその時間自体が、すでに少し前なら考えにくい光景だった。
“このメンバーで行っても変な空気にならないか”を、そこまで怖がらなくてよくなっている。
それだけで、今の二年二組がどれだけ変わったか分かる。
⸻
5.土曜の昼、再び
土曜の昼、駅前のカラオケ店の個室は、前回よりずっとにぎやかだった。
人数が増えたぶん、最初から少し浮ついている。
上着を脱ぐ。
飲み物を決める。
誰が一曲目を入れるかで軽く押し合う。
ひなたが、笑いながら言う。
「今日は前より騒がしぐなるの確定だの」
結菜が頷く。
「クリスマス前だしな」
「それ関係ある?」
「なんとなぐある」
柴田は、最初からどこか本気だった。
前回のSilent Jealousyを引きずっているのが見え見えで、デンモクを持つ手つきが妙に真剣だ。
「今日はちゃんと決める」
「何を」
隆が笑う。
「X JAPANの誇り」
「そんな大げさなもん背負うなや」
「背負う」
そこで相原が笑う。
「もう勝手に対決始まってんじゃん」
黒川も続く。
「隆と柴田、今日そればっか気にしてるべ」
雰囲気は、前回よりさらにやわらかかった。
新しく来た二人の男子も、女子二人も、すぐに輪の中へ入っていく。
前の二年二組なら、こういう場所で“誰が中心か”みたいな妙な空気が出ていたかもしれない。
でも今は、少なくともこの部屋ではそうならない。
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6.リベンジと対決
柴田は本当に、Silent Jealousyのリベンジに燃えていた。
「今度こそ、途中で息切れしねぇ」
「前回も別に息切れはしてねぇべ」
結菜が笑う。
「いや、心はしてだ」
その一言に部屋が笑う。
柴田は「うるせ」と言いながらも、前よりずっといい顔でマイクを持った。
歌い始めると、たしかに前回より安定している。
本人の本気が伝わってくるぶん、部屋の空気も自然に乗る。
「おー、今回いいじゃん!」
「前より全然強ぇ!」
曲が終わると、得点は悪くない。
柴田は満足そうに息を吐き、それでも言う。
「……でも、まだ足りねぇ」
「どこ目指してるんだや」
ひなたが笑う。
そのあとで、隆がデンモクを取った。
「じゃあ、次、俺」
「来た」
柴田がすぐに前のめりになる。
「Xで来るべ?」
「来る」
そして隆が選んだのは、X JAPANのStab Me In The Backだった。
前奏が流れた瞬間、部屋の空気がまた少し変わる。
前回のForever Loveの時とは違う。
今度はもっと鋭くて、速くて、張りつめた曲だ。
隆は、イントロの時点で顔つきが変わっていた。
声が入る。
速い展開にもぶれない。
少しハスキーで抜ける高音が、今度は静かにではなく、鋭く部屋を切っていく。
さっきまで騒いでいた個室が、また静かになった。
ひなたは思わず息を止める。
結菜は小さく「やば」とつぶやく。
黒川も相原も、完全に見入っていた。
歌い終わったあと、数秒、だれもすぐには動かなかった。
それから一気に歓声が上がる。
「うわっ、すげぇ!」
「何それ!」
「おめぇ、ほんとにやべぇな!」
画面に出た得点は、またかなり高かった。
「いや、ちょっと待って、お前ほんと何者だや!」
黒川が本気で笑いながら言う。
「めっちゃ歌うめぇじゃん」
相原も、前よりずっと素直に驚いていた。
「こんなん、普通に反則だろ」
柴田は悔しそうな顔をしながらも、笑っていた。
「……くっそ、でもすげぇ」
ひなたは、もう隠しもしない。
「やっぱ、隆くんかっこいいのぉ」
その一言に、部屋の空気が少しだけ騒ぐ。
「おーい」
「言うのぉ」
「そこは隠さねぇんだ」
ひなたは少し照れながらも笑っている。
隆は当然、顔が赤くなる。
「うるせぇな」
「いや、今のはかっこいいべ」
相原がそう言い、黒川も頷く。
その“素直にすごいと言える空気”が、また一つ関係を前へ進めていた。
謝罪のあと、どことなく距離のあった黒川と相原と隆の関係。
それが、カラオケという“教室とは別の場所”で、歌のうまさに素直に驚き、笑い合い、拍手することで、確かに修復へ向かっていた。
完全に元通りではない。
でも、もう“謝ったあとで止まっている関係”ではない。
今ここで、新しい普通を作っている。
それを隆自身も、部屋の空気の中でちゃんと感じていた。
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7.ストーブの前で
週が明けて、また教室にストーブの熱が広がる。
カラオケの余韻は、変に派手に持ち込まれたりしなかった。
でも、空気はたしかに少し変わっていた。
黒川が前より自然に隆へ話しかける。
相原もまた、無理のない程度にその輪へ入る。
柴田はSilent Jealousyのことをまだ少しいじられているが、それさえも笑って返せる。
ひなたは、前より“隣で支える人”として自然に立っている。
宮原と相原の空気も、見ている側には少しずつ分かるようになってきた。
ストーブの前で、だれかが「さみぃ」と言い、だれかが「そこ近ぇからずるい」と返し、そこへ別のだれかが笑って混ざる。
その何でもないやり取りが、今の二年二組にはすごく大事だった。
冬は長い。
けれど、この教室なら、ちゃんと越えていける気がした。




