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手をつなぐ理由  作者: リンダ


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投稿ボタンの向こう側



第40話


投稿ボタンの向こう側


 “書く”ことと、“出す”ことは、似ているようでまるで違う。


 ノートの中で書いているうちは、まだ自分だけのものだ。

 読んでくれる相手が決まっているうちは、まだ手の届くところにある。

 けれど、それを投稿するとなれば話は別になる。


 知らないだれかが読む。

 どこかの画面で、名前も知らない人の目に止まるかもしれない。

 何も起きないかもしれない。

 でも、何かが起きるかもしれない。


 その“かもしれない”は、冬の朝の空気みたいに冷たくて、少しだけ怖い。


 十二月に入って最初の日曜、隆は自分の部屋で、ノートとスマホとノートパソコンを前にして固まっていた。


 机の上には、何度も読み返した原稿がある。

 タイトルも決めた。

 あらすじも短く整えた。

 投稿サイトの画面も開いている。


 あとは、本当に最後の最後、

 投稿

 のボタンを押すだけだった。


 その“だけ”が、一番重い。



1.読者第一号


 部屋のドアが二回、小さく叩かれた。


「隆くん」


「ん」


 ひなたの声だった。


 今日は三浦家に来ていた。

 投稿の瞬間に立ち会いたい、と言ったのはひなただったし、それを断る理由を隆は思いつけなかった。


 ひなたは、部屋の扉を少しだけ開けて中をのぞく。


「入っていい?」


「いい」


 そう言う声も、少しだけ固い。


 ひなたは静かに入ってきて、机の横に立った。

 部屋には冬の日差しが薄く入っていて、カーテンの隙間から差す光が原稿の端を白く照らしている。


「……まだ押してねぇの?」


「まだ」


「そうだと思った」


 ひなたは、笑うでもなく、茶化すでもなく、隣の床にちょこんと座った。


「怖ぇ?」


 その問いに、隆は少しだけ間を置いてから頷いた。


「……怖ぇ」


「んだよな」


「なんか、変な感じする」


「うん」


「ノートで書いでる時は、“俺が書いてる話”だったのに」


「うん」


「投稿した瞬間、“知らね人が読む話”になるじゃん」


 ひなたはその言葉をちゃんと聞いて、それからゆっくり言った。


「でも、“知らね人が読む話”になるってことは、“知らね人にも届ぐかもしれね話”になるってことだべ」


 隆は、画面を見たまま少しだけ息を吐く。


「ひなちゃん、それ毎回うまいこと言うよな」


「読者第一号の仕事だがら」


 その返しに、隆はようやく少しだけ笑った。


「特権、使いすぎだ」


「使えるうち使う」


 ひなたは、机の端に置かれた原稿の一番上をそっと撫でた。


「大丈夫だよ」


「何が」


「怖いまま押しても、大丈夫」


 その言い方は、前に図書室で“投稿していいと思う”と言った時よりも、さらに静かだった。


「完璧な気持ちになってから押すんでねぇと思う」


「……うん」


「怖いけど、それでも出したいって思った時に押すんだべ、こういうの」


 隆は、その言葉をそのまま胸に入れた。


 怖い。

 でも、出したい。

 それならたぶん、もう十分なのだ。



2.投稿


 パソコンの画面には、投稿ページが開いたままだ。


 タイトル。

 本文。

 タグ。

 公開設定。


 全部、ちゃんと埋まっている。


 隆は、右手をマウスに置いた。

 けれど、まだ一度だけ動きが止まる。


「ひなちゃん」


「ん?」


「最初に読んでくれて、ありがど」


 ひなたは、一瞬だけ目を丸くした。

 そして、すぐに少し照れたように笑う。


「こちらこそだ」


「ん」


「……ほら」


 ひなたが画面を軽く顎で示す。


「行げ」


 隆は小さく息を吸って、クリックした。


 投稿しました。


 その表示が出るまでの一秒か二秒が、妙に長く感じられた。


 そして、本当にその文字が画面に出る。


 隆は、しばらく動けなかった。


「……出た」


「ん」


「……出た」


「んだの」


 ひなたの声が、少しうれしそうになる。


 隆は、画面を見たまま、やっと笑った。

 すごく大きなことをした気もするし、逆にたった一回クリックしただけのような気もする。

 その両方だった。


「投稿された」


「された」


「もう戻せねぇ」


「そこはたぶん、いい意味だべ」


 ひなたがそう言って笑う。


 その時、階下からなぎさの声が響いた。


「お兄ちゃーん! 押した!?」


「押した!」


「うおおおー!」


 なぎさの歓声に続いて、実里まで笑っている声が聞こえる。


 ひなたが吹き出す。


「家族の反応早すぎ」


「待機してだがらな」


「イベントだのぉ」


 でも、その騒がしさがありがたかった。

 投稿のあとの緊張を、少しだけ日常へ戻してくれる。



3.最初の反応


 投稿したからといって、すぐに何かが起きるわけではない。


 隆は、そう思っていた。

 実際、最初の数分は画面がほとんど変わらなかった。


「……やっぱ、誰も見ねぇんでね」


「まだ五分も経ってねぇべ」


「そうだけど」


「せっかち」


 ひなたは笑って、机に頬杖をつく。


 だが、十分ほど経った頃だった。


 画面の端の数字が、ひとつ増えた。


「……あ」


「ん?」


「いいね、ついた」


 ひなたがすぐに身を乗り出す。


「ほんとだ!」


 その小さな数字の変化が、妙に大きく感じた。


 一人。

 たった一人。

 でも、知らないだれかが、画面の向こうでこの話を開いて、読んで、何かしらの反応を押したのだ。


「……見だ人、いる」


 隆が小さく言う。


「んだな」


 ひなたの声も少しだけやわらかくなる。


「ちゃんと、向こう側に届いでる」


 それから、しばらくしてまた数字がひとつ増えた。

 さらにもうひとつ。


 なぎさが途中で部屋に乱入してきて、画面を見て大騒ぎした。


「ついてるついてる!」


「入ってくんな!」


「だって気になるもん!」


 実里は階段の途中から「ちゃんと静かにしなさいよ」と言いつつ、自分も気になって顔をのぞかせる。


 正康だけは「最初はそんなもんだ」と落ち着いた顔をしていたが、その“そんなもん”の声が少しだけやわらかいことを隆は聞き逃さなかった。


 投稿ボタンの向こう側には、ちゃんとだれかがいた。



4.初めてのコメント


 夕方が近づき、部屋の中の光が少し青くなり始めた頃、画面の通知欄がひとつ増えた。


 隆は最初、それが何なのか分からず、少しだけ動きを止めた。


「……コメント」


 小さくつぶやく。


「えっ」


 ひなたもすぐに画面を見る。


「ほんと?」


「ん」


「開ぐ?」


「……開ぐ」


 怖い。

 でも、見ないわけにはいかない。


 隆は通知をクリックした。


 表示されたのは、短いけれど、明らかに作品そのものを読んだ人の言葉だった。


 『木の役だった、というエピソードに最初は少し笑いました。でも読み進めるうちに、“見えないままでいること”への怖さがすごく伝わってきて、胸が詰まりました。

 教室の空気の描写が苦しいのに、最後の方で“泣いても笑われない教室”の場面に救われました。続きを読みたいです。』


 読み終わった瞬間、隆はしばらく何も言えなかった。


 ひなたも黙っていた。

 でも、その沈黙は重たくない。


「……ちゃんと読んでる」


 隆がようやく言う。


「うん」


 ひなたの声も、少しだけ震えていた。


「木の話、笑って、そのあとちゃんと分がってくれてる」


「ん」


「“泣いでも笑われね教室”のとこも」


 そこでひなたは、少しだけ笑った。


「そこ、隆くんが一番書ぎたがってだとこだもんの」


 隆は、画面を見たまま、小さく頷いた。


 たった一つのコメント。

 でも、それは“いいね”の数字とは違う重さを持っていた。


 届いた。

 自分の中で、教室の中で、ひなたと一緒に抱えてきたものの一部が、ちゃんと知らないだれかへ届いた。


 そのことが、静かに、でもはっきりと胸の奥へ広がっていく。


「……ひなちゃん」


「ん?」


「出してよがった」


 ひなたは、少しだけうれしそうに目を細めた。


「んだべ」


 そして、少し得意そうに言う。


「読者第一号の言った通り」


「それ、何回言うんだや」


「何回でも言う」


 二人は笑った。


 その笑いのあとで、隆はもう一度コメントを読み返した。

 たった数行なのに、自分の物語が、ほんとうに誰かの中へ入ったことが分かる。


 それは、怖さと同じくらい、あたたかい出来事だった。



5.宮原と相原


 初雪の朝のあと、宮原と相原の距離は、急には変わらなかった。

 でも、確実に何かが変わり始めていた。


 朝、雪道で転んだあと並んで歩いた。

 それだけだ。

 それ以上のことは何も起きていない。


 けれど、教室で顔を合わせた時に、“ただのクラスメイト”よりほんの少しだけ多く相手の表情を見るようになった。


 宮原は、相原が今日は疲れていないかを前より気にするようになった。

 相原もまた、宮原が雪の日以降、前より自然に話しかけてくることに少しずつ慣れ始めていた。


 ある朝、宮原が席へ着く前に言う。


「今日、路面つるつるだったの」


 相原がすぐ返す。


「転ぶなよ」


「誰のせいで、その言い方ちょっと恥ずがしいんだが分がる?」


「知らね」


「知ってるべ」


 そのやり取りに、近くにいた結菜がちらっと顔を上げたが、何も言わなかった。

 ただ、少しだけ口元を緩めた。


 変わったあとには、次の一歩がある。

 宮原と相原は、いまその一歩の入口に立っているところだった。



6.冬を越える仲間


 十二月の教室は、寒い。


 けれど二年二組は、前より少しあたたかい。


 だれか一人の頑張りでそうなったわけじゃない。

 ひなたが立ったこと。

 結菜が怒ったこと。

 柴田が曖昧さから出たこと。

 黒川と相原が謝ったこと。

 宮原が輪へ入ってきたこと。

 そして隆が、教室の空気を物語にしようとしたこと。


 その全部が、少しずつ積み重なって今の教室を作っている。


 高石は、教室の後ろからその空気を見ながら、ふと思う。


 冬を越えるクラスって、たぶんこういうものなんだろう。

 完璧に仲良しではなくてもいい。

 悩みも、不安も、気まずさもあっていい。

 でも、だれかが転んだ時に手を差し出せること。

 だれかが投稿の前で怖がっていたら、背中を押せること。

 だれかの涙を笑わないこと。


 それがあれば、教室は冬を越えられる。



7.向こう側へ続くもの


 その夜、隆の投稿作には、さらにいくつかの「いいね」が増えていた。

 コメントも、最初の一つから少しだけ広がり始めている。


 ひなたは、家に帰ってからも何度かメッセージを送ってきた。


 またコメント増えでるよ

 すごいのぉ

 木の役、人気だなや


 最後の一文に、隆は思わず笑った。


 自分の書いたものが、向こう側へ届いていく。

 教室のことも、ひなたのことも、自分のことも、全部ひっくるめた物語が、少しずつ知らないだれかの中へ入っていく。


 それはまだ始まりにすぎない。

 でも、その始まりがあるだけで、冬の白い朝も少し違って見える気がした。



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