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手をつなぐ理由  作者: リンダ


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拍手のあと



第33話


拍手のあと


 拍手が鳴り終わったあとに残るものは、案外大きい。


 歌っている最中は、とにかく前へ進むしかない。

 音を外さないように。

 呼吸をそろえるように。

 歌詞を忘れないように。

 感情に呑まれすぎないように。


 けれど、最後の一音が消え、客席からの拍手が自分たちへ降ってきたそのあと、人はようやく、自分が何を歌っていたのかをほんとうの意味で受け取る。


 二年二組にとって、その“拍手のあと”は、とても長かった。



1.舞台袖の五人


 舞台袖には、最初から高石と佐伯がいた。


 そこへ、いつの間にかもう五人増えていた。


 光子、優子、美香。

 そして、秋元逸美と佐々木ひより。


 体育館の後方からそっと入ってきて、気づかれないように舞台袖まで回っていたのだ。


 保護者席では、その姿に最初に気づいた人たちがざわめき始めた。


「あれ……」

「え、うそ」

「天庄屋?」

「光子さんたちまで?」


 小さな驚きが波みたいに広がる。


 文化祭に芸能人が来た、というだけの騒ぎではなかった。

 すでに事情を知っている者はほとんどいないはずなのに、その五人が“ただ見に来た”だけではないことが、どこかで伝わってしまうような佇まいだった。


 舞台袖で、ひよりが小さく息を吐く。


「……やばいのぉ」


 逸美が頷く。


「うん。ちゃんと届いでる」


 美香は、目の前で歌い終えたばかりの二年二組を見つめていた。


「この子たち、自分たちの歌にしてたね」


 優子が拍手を送りながら、少しだけ潤んだ目で言う。


「最初に教室で聞いた時より、全然ちがった」


 光子は笑いながらも、その声はやわらかかった。


「そりゃもう、びっくりするぐらい成長しとるわ」


 舞台袖からの五人の拍手は、ただの“よかったよ”ではなく、この数か月の過程ごと受け止めた拍手だった。



2.一礼


 舞台の上で最後の余韻が消え、二年二組が退場のために向きを変えた時だった。


 先頭の方にいたひなたが、舞台袖に五人の姿を見つけて、一瞬だけ目を見開いた。


「……えっ」


 その小さな声に、近くの結菜も気づく。

 柴田も、隆も、次々にそちらを見る。


 光子。優子。美香。

 そして、逸美とひより。


 その存在が見えた瞬間、舞台の上で歌いきったばかりの二年二組の中に、もう一度別の熱が走った。


 だれかが小さく「うそだべ」とつぶやく。

 でももう、その驚きは騒ぎにならない。


 むしろ、それを見た瞬間に“この人たちは、自分たちが歌い終わるところまでちゃんと見届けてくれたんだ”ということの方が大きく胸に落ちてくる。


 隆は、ひなたと一瞬だけ目を合わせた。

 ひなたも同じことを考えていたのだろう。


 次の瞬間、二年二組は、誰かが言い出したわけでもないのに、ほとんど同時に舞台袖の五人へ向かって体を向けた。


 そして、深く一礼する。


 声がそろう。


「秋元逸美さん、佐々木ひよりさん、青柳光子さん、柳川優子さん、赤嶺美香さん、ありがとうございました!」


 その一礼は、ただのあいさつではなかった。


 講話で届いた言葉。

 歌のレッスン。

 ラジオで受け止めてもらった投稿。

 教室の外から、何度も何度も届いた“お前たちは一人じゃない”という気配。


 それを、二年二組はちゃんと分かっていた。


 光子は少しだけ目を丸くしてから、すぐに大きく笑った。


「うわ、めっちゃ揃っとる!」


 優子は口元を押さえながら言う。


「いや、こっちが泣くって」


 ひよりは、もう半分泣き笑いだった。


「やーめろや、そういうの弱いんだっけ!」


 逸美は、静かに、でも深く頷いた。


「……よくここまで来たね」


 美香は、その一礼を正面から受け止めて、ほんの少しだけ頭を下げ返した。


「こちらこそ、ありがとう」


 舞台袖の高石は、その光景を見ながら、喉の奥が熱くなるのを感じた。

 佐伯もまた、腕を組んだまま黙っていたが、目元はあきらかにやわらかくなっていた。


 二年二組は、ちゃんと“受け取っていた”。

 外から届いた言葉も、支えも、拍手も。


 そのこと自体が、このクラスが前とは違う場所へ来ている何よりの証拠だった。



3.舞台を降りて


 舞台を降りたあと、二年二組はしばらくまともに声を出せなかった。


 さっきまで歌っていた熱。

 拍手。

 舞台袖の五人。

 全部が一度に押し寄せてきて、気持ちが追いつかない。


 ひなたが最初に言った。


「……なんか、すごがったの」


「んだの」


 結菜も、まだ少しぼんやりしている。


「わだし、歌ってる最中あんまり周り見えねがったげど、最後全部一気に来た」


 柴田は、手のひらを見ていた。


「汗、やば」


「それ今かよ」


 ひなたが笑う。

 その笑いに、みんな少しずつ呼吸を戻し始める。


 黒川は、まだ完全に顔を上げられずにいた。

 泣いた。

 しかも、人前で。

 それが恥ずかしくないわけがない。


 だが、もう一つの気持ちもあった。


 泣いてしまったことを、誰も笑っていない。

 誰も茶化していない。


 それが、思っていた以上に胸へ響いていた。


 相原も同じだった。


 自分が人前で泣いたことが、まだ信じられない。

 でも、あの曲の途中でどうしても抑えきれなかった。

 あの瞬間、自分はもう“平気な顔をする側”へ戻れなかった。


 戻れなかったことに、少しだけ救われてもいた。



4.泣いたあとの二人


 片づけの合間、体育館裏の通路で、黒川と相原が少しだけ二人きりになる時間があった。


 気まずさはまだある。

 でも、一学期のころのような悪い意味の共犯感はもうない。


 黒川が先に言った。


「……泣いだな」


 相原は、苦い顔をする。


「うるせ」


「いや、俺もだげど」


「分がってる」


 少しだけ間が空く。


 体育館の中からは、まだ別のクラスのざわめきが聞こえてくる。

 外は秋の手前の風で、夏より少しだけ乾いていた。


 相原が低く言う。


「なんかさ」


「うん」


「今さらだけど、ほんと、取り返しつがねとごまで行がねでよがった」


 その一言に、黒川はすぐには返せなかった。


 よかった。

 それは本当にそうだ。

 でも同時に、“行がねでよがった”で済ませるには、二人とももう一歩先まで見てしまっている。


「んだな」


 ようやく黒川が言う。


「よがった、ではある。……でも、それだけで終わらせね方がいいんだべな」


 相原は、小さく頷いた。


「分がる」


 前の二人なら、こういう話はすぐ冗談へ逃がしていた。

 今はもう、それができないし、したくもない。


 泣いたあとの二人には、恥ずかしさもある。

 でも、その恥ずかしさの奥にあるものを見てしまったからこそ、前とは違う会話ができるようになり始めていた。



5.宮原の一歩


 宮原彩乃は、文化祭のあと、はっきりと自分の中で何かが動くのを感じていた。


 合唱の最中、黒川と相原が泣いた。

 それを見た時、最初に浮かんだのは驚きだった。

 次に来たのは、“ああ、この二人もちゃんと痛むんだ”という実感だった。


 その実感は、自分自身へも返ってくる。


 前までの自分は、こういう時、少し離れたところから“へえ”で済ませていた。

 でも今は違う。


 近づかなくてはいけない場所がある。

 自分も、自分の立場をもっとはっきりさせなければいけない。


 文化祭の片づけが終わりかけたころ、宮原は意を決して、ひなたと結菜の方へ歩いた。


 ひなたは段ボールをまとめていて、結菜はテープをはがしている。

 二人とも、宮原が近づいてきたことにすぐ気づいた。


 少しだけ空気が変わる。

 それは当然だった。


 宮原は、その空気ごと引き受けるつもりで来たのだと、自分に言い聞かせる。


「……なぁ」


 ひなたが顔を上げる。


「何?」


 宮原は、少しだけ喉を鳴らしてから言った。


「今日、よがった」


 結菜が目を瞬く。


「歌?」


「歌も、だけど」


 宮原は続ける。


「白石も、浅井も。……あの時、ちゃんと立ったの、やっぱすごかったんだなって、今日見でて思った」


 ひなたは、すぐには答えなかった。


 結菜も、少し驚いた顔のままだ。


 でも、その沈黙は前のような刺々しいものではなかった。


 ひなたが、やがて静かに言う。


「……ありがど」


 結菜も続ける。


「宮原がそう言うの、ちょっと意外だげど」


 宮原は苦く笑った。


「自分でも意外だ」


 そこで三人のあいだに、ほんの小さいけれど、新しい空気が生まれた。


 まだ完全に打ち解けたわけではない。

 でも、前みたいに互いを固定したままではいない。

 その一歩が、文化祭のあとにやって来たことには意味があった。



6.隆の小説


 その夜、家に帰った隆は、文化祭のあとで初めて自分のノートを開いた。


 海の日から書き進めてきた小説。

 ひなたをモデルにした物語。


 けれど、文化祭を越えた今、最初に書いていたものだけでは足りない気がした。


 木の役だった少女。

 忘れられることを怖がっていた少女。

 卑怯なままでいたくないと立った少女。


 そこに、もう一つ、今日見たものを入れなければならない。


 歌。

 拍手。

 泣いた二人。

 それを笑わなかった教室。

 舞台袖で拍手していた人たち。


 人は、傷つけることもできる。

 でも、同じ人間が、痛みを知って泣くこともできる。

 そして、その涙を教室全体が受け止めることもできる。


 それを書かなければ、この物語は今の教室に追いつかない。


 隆は、新しいページを開いた。


 しばらく迷ってから、一文を書く。


 その日、彼らは歌いながら、自分たちの傷と、まだ残っているやさしさの両方を見てしまった。


 ペン先が止まる。

 でも、その一文は、これまでより少しだけ深いところへ届いた気がした。


 文化祭のあと、自分の小説もまた、少しだけ別の段階へ進んだのだと、隆はぼんやり感じていた。



7.帰り道の続き


 文化祭の帰り道の続きみたいに、その日の夜、ひなたから短いメッセージが届いた。


 今日の小説、進みそう?


 隆は少しだけ笑って返す。


 たぶん進む。今日のこと書がねど足りねぇ


 すぐに返ってくる。


 やっぱり、相原と黒川のとこも?


 隆は、少し考えてから打つ。


 たぶん。

 でも、泣いだことそのものより、泣いでも笑われねがった教室の方書ぎてぇ


 既読がつく。

 少し間が空く。


 それから返ってきた。


 それ、すごく分がる。

 今日の二年二組、前とぜんぜん違ったもんの


 その一文を見て、隆はゆっくり息を吐いた。


 自分だけが感じたことじゃない。

 ひなたも同じ景色を見ていた。


 それが、なんだかうれしかった。



8.拍手のあとに残るもの


 文化祭は終わった。

 でも、拍手のあとに残ったものは、消えていなかった。


 黒川と相原の涙。

 それを包んだ教室の沈黙。

 光子、優子、美香、逸美、ひよりの拍手。

 二年二組がそろって頭を下げたこと。

 宮原の一歩。

 そして、物語を書き続けようとする隆の手。


 それら全部が、“再生した関係が本物かどうか”を試した文化祭のあとに残ったものだった。


 まだ、完成ではない。

 でも、たしかにこの教室は、前とは違う場所になりつつある。


 拍手のあと、人はようやく本当の静けさの中で、自分がどこへ進みたいのかを考え始める。


 二年二組もまた、その静けさの中へ立っていた。



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