表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
手をつなぐ理由  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/57

問いのあと

 第16話

 問いのあと


 講話が終わったあと、体育館にはすぐにざわめきが戻ったわけではなかった。


 拍手は起きた。

 でもそれは、文化祭の出し物を見終わったあとの拍手や、有名人が来たときの盛り上がり方とは違っていた。


 ひよりと逸美の話には笑えるところもあった。

 東北楽天ゴールデンイーグルスの前日の“爆笑解説”の話で、体育館は何度も笑った。

 ひよりが「いやもう、楽天の中継なのに途中からわだしらの方言対決みたいになって、スタッフさんが頭抱えでだ」と言えば、逸美がすぐに「抱えたのはスタッフじゃなくて観客の腹筋だべ!」と返し、二年生たちは声を上げて笑った。


 けれど、その笑いのあとで二人が見せた“言葉”へのまなざしは、冗談では済まない強さを持っていた。


 言葉は、人に生きる希望や夢を与える道具にもなる。

 しかし、間違った使い方をすれば、人を殺す凶器にもなる。

 そうなった時に責任を取れるのか。

 謝って済むのか。


 その問いが、体育館の空気に沈んだまま残っていた。


 整列して教室へ戻る二年生たちの足取りは、いつもより少し静かだった。


 だれかが大声で感想を言うわけでもない。

「面白かったね」で片づけるには、最後の問いが重すぎた。


 廊下を歩きながら、二年一組の女子が小さく言う。


「……なんか、最後こわかった」


 隣の子が答える。


「こわいっていうか、ちゃんと考えろって感じだった」


 二年三組の男子は、やや気まずそうに話していた。


「俺ら、別にそこまでって思ってたけど」


「でも、“周りで笑うのも同じ”って、あれ言われるときついな」


 そうやって、問いは学年のあちこちで別々の形を取り始めていた。


 二年二組へ戻る足音の列の中で、隆はまだ少し現実感を持てずにいた。


 自分がラジオへ送った投稿。

 それがきっかけの一つになって、天庄屋が学校へ来た。

 自分の教室だけではなく、学年全体の前で、“言葉”について話した。


 もちろん、全部が自分のために起きたことではない。

 でも、自分の声が外へ届き、その外から返ってきたものが、いま学年の空気そのものへ触れている。


 そのことを、隆はまだうまく飲み込めなかった。


 飲み込めないまま、でも、胸の奥のどこかで、これまで見えなかった一本の線が引かれた気がしていた。


 教室の中だけで終わらない。

 声は、外へ届くことがある。


 そして届いた声が、戻ってきて、別のだれかの心にも触れることがある。


 それは、これまでの隆が持てなかった感覚だった。


 1.それぞれの揺れ


 二年二組へ戻ると、教室は妙に静かだった。


 高石正美はまだ何も言わない。

 佐伯美帆も後ろの扉から一度だけ中を見たが、そのまま職員室へ戻った。


 まずは、生徒たちが自分の中で何を抱えるかを見る必要がある。

 教師がすぐに何かを言えば、そこでまた“先生が正解を言ったから従うだけ”の空気になる。

 いま必要なのは、問いが一度それぞれの中へ落ちる時間だった。


 黒川大河は、自分の席に座ったまま、しばらく前を向いていた。


 天庄屋の話の中で、一番残ったのはやはり最後の問いだった。


 謝って済むのか。


 その言葉が、胸の中で重たく残っている。


 自分が最初に持っていたのは、本当に軽い気持ちだった。

 本の貸し借りのこと。

 ちょっと感じ悪い返し方に聞こえたこと。

 そこを面白がって、からかいの空気へ変えていった。


 最初から、こんなことになるつもりはなかった。

 その思いは今でも本当だ。


 でも、天庄屋は言った。


 言葉を間違って使えば、人を殺す凶器にもなる。

 そして、そうなった時に責任が取れるのか、と。


 黒川は、自分に問い返さざるを得なかった。


 もし、三浦がこのままもっと苦しくなっていたら。

 学校へ来られなくなっていたら。

 もっと取り返しのつかないところまで行っていたら。


 その時、自分は「いや、最初はただの冗談で」と言えば済んだのか。


 済むわけがない。


 その答えが、ようやく自分の中で、言い逃れではなく実感として形になり始めていた。


 一方、相原圭吾はまるで逆だった。


 講話の最中から、顔をしかめることが増えていた。

 笑うところでは一応笑った。

 でも最後の問いのあたりから、椅子の座り方が明らかに乱れていた。


 おもしろくない。

 正直、それが一番大きかった。


 何でここまでの話になるのか。

 何でみんな急に深刻な顔になるのか。

 何で白石や柴田みたいなやつらまで、“正しい側”みたいな顔をし始めるのか。


 自分一人だけが、空気の外側へ押し出されていくような感覚。

 それが相原には耐えがたかった。


 白石ひなたは、自分の席でノートを開きながら、手の震えがまだ少し残っているのを感じていた。


 天庄屋の講話は、自分にとっても大きかった。

 あの日、駅近くのカフェで偶然聞いた言葉が、今日、学年全体の前で正式な形を持った。


 しかも、その最後の問いは、自分が教室で言ったこととどこかでつながっていた。


 胸を張って言えるのか。


 白石ひなたは、自分が言ったことを後悔していない。

 でも、声を上げた側のしんどさが消えたわけでもない。


 これから、自分は“そういう子”として見られ続ける。

 下手をすれば、三浦を守る側の象徴みたいに扱われる。


 それは、本当は少し怖い。


 けれど、今日の講話を聞いて、その怖さごと引き受けるしかないとも思っていた。


 浅井結菜は、白石ひなたよりもっと不器用な揺れ方をしていた。


 講話の最後の問いを聞いたとき、自分の中に真っ先に浮かんだのは、白石の顔でも、三浦の顔でもなく、自分自身だった。


 自分はこれまで、何をしてきたのか。

 ただ何もしなかっただけだと思っていた。

 でも、何もしないことで保っていた空気もあったのではないか。


 そのことに、改めて胸が重くなる。


 だからこそ、ここからはもう曖昧にしたくない。

 そんな気持ちが、前より強くなっていた。


 柴田蓮斗は、講話の最中からずっと腕を組んでいた。


 “自分をここまで育ててくれた両親にも、胸張って言える生き方をしたい”。


 教室で口にしたあの言葉は、勢いだけではなかった。

 でも、天庄屋の最後の問いを聞いたあと、自分が言ったことが急に現実の重さを持って返ってきた。


 胸を張って言えるのか。

 いままでの自分を。

 見て見ぬふりをしていたことも含めて。


 その問いは、柴田の中にも深く刺さっていた。


 2.黒川の謝罪


 その日の放課後だった。


 教室には、部活へ向かう前のざわつきがまだ少し残っていた。

 だが、いつもよりは人が引くのが遅かった。

 講話のあとの空気が、それぞれをまだ少し教室へ縫い留めているようだった。


 隆は席でノートを鞄へしまっていた。


 気配がして顔を上げると、黒川大河が立っていた。


 その瞬間、教室のあちこちで空気が止まるのが分かった。

 まだ残っている数人の生徒たちも、表向きは別のことをしているふりをしながら、耳だけはこちらを向けている。


「三浦」


 黒川が言う。


 声は低い。

 いつもの軽さがない。


 隆は何も答えなかった。

 ただ、立ち去りもしなかった。


 黒川は少しだけ息を吸ってから、はっきり言った。


「……悪かった」


 教室がしんとする。


 隆だけでなく、白石も、結菜も、柴田も、そして相原までが動きを止めていた。


 黒川は続けた。


「本当に最初は、揶揄うぐらいの軽い気持ちだった」


 その言い方は、自分を守るための言い訳にも聞こえたかもしれない。

 でも、黒川の顔を見れば、それだけではないことは分かった。


「でも、軽い気持ちだからって、やっていいわけじゃなかった」


 黒川の声は少し硬かった。

 言い慣れない言葉を、自分の中から無理やり出している感じがある。


「白石に言われたことも、今日、天庄屋が最後にみんなに問いかけたことも、すごく響いた」


 黒川は一度だけ目を伏せる。


「俺……ちゃんと考えてなかった」


 その“考えてなかった”の中には、逃げも、恥も、悔しさも、全部混ざっていた。


「三浦がどこまで苦しくなってるかも、こんなことになってるのも、ちゃんと見てなかった」


 そして、もう一度、黒川ははっきり言った。


「本当に申し訳なかった」


 教室の空気が、そこでまた少し変わった。


 謝罪は魔法ではない。

 一言謝れば何もかも元通りになるわけじゃない。

 隆の苦しさが消えるわけでもない。

 でも、加害の中心にいた人間が、自分の言葉の重さを認めて頭を下げることには、やはり大きな意味がある。


 隆は、すぐには何も言えなかった。


 胸の中には、いろんな感情が渦巻いていた。

 怒りもある。

 遅いという気持ちもある。

 でも同時に、これを本気で言うのは黒川にとっても簡単じゃなかったのだろうということも、顔を見れば分かった。


「……うん」


 ようやく、それだけ返す。


 許した、とはまだ言えない。

 でも、その謝罪をなかったことにはしない、という返事だった。


 黒川もそれ以上は言わなかった。

 ただ、小さく頷いて自分の席へ戻った。


 3.相原が荒れる


 その直後だった。


「……面白くねぇ」


 相原圭吾の声が、教室の後ろから聞こえた。


 低いが、抑えきれていない。


「なんでみんな正義ぶるんだよ」


 その一言で、せっかく少し落ち着きかけた空気が、またぴんと張る。


 相原は立ち上がっていた。

 顔が赤い。

 怒っているというより、追い詰められている顔だった。


「何なんだよ、急に。白石も、柴田も、黒川まで」


 黒川が振り返る。


「相原――」


「うるせえよ」


 相原が遮る。


「最初お前だって笑ってただろ。なのに今だけ反省したみたいな顔して、何なんだよ」


 黒川は言い返せなかった。

 それは、相原の言葉の中に、確かに本当の部分も含まれていたからだ。


 相原はさらに言う。


「三浦だってさ、最初からそんなに嫌なら言えばよかったじゃん。何も言わねえで親出して先生出して、挙句に講話まで呼んで、何なんだよこれ」


 その言葉は、完全に逆恨みだった。

 けれど、本人の中ではまだ“自分が責められている理不尽”の方が強い。


 教室の中が凍る。


 ここでまた、相原に乗る空気が戻るか。

 それとも。


 動いたのは、浅井結菜だった。


 結菜はこれまで、白石ひなたみたいに真正面から強い言葉を出すタイプではなかった。

 だから、その顔を見たとき、教室の多くが一瞬理解できなかった。


 浅井結菜が、怒っていた。


 しかも今まで見たことがないくらい、はっきりと。


「相原」


 その声は、大きくはない。

 でも、びりっと空気を切る強さがあった。


 相原が振り向く。


「何だよ」


「ほんとに、もうやめな」


 結菜は一歩も引かなかった。


「こうやって、まだクラスメイトから本気で怒ってもらえるうちが花だと思え」


 教室が息を呑む。


 それは、大人が言う説教とは違った。

 同じ教室にいる、同じ年の人間からの言葉だった。


「いま怒られてるってことは、まだ相原のこと、見捨てられてないってことだよ」


 結菜の目は、本気だった。


「でも、ここでまだ“みんな正義ぶる”とか言ってるなら、そのうち誰も怒らなくなる」


 相原の顔がこわばる。


「何それ」


「本当に分かんないの?」


 結菜は続けた。


「みんなが正義ぶってるんじゃない。やっと、ずっとおかしかったことをおかしいって言ってるだけ」


 その言葉は、相原だけに向いているようでいて、教室全体へも向いていた。


「まだクラスメイトに本気で怒ってもらえるうちに、考えた方がいい。じゃないと、本当に誰も何も言わなくなるよ」


 静まり返った教室の中で、その言葉だけがはっきり残った。


 相原は、何か言い返そうとした。

 でも、言葉が出てこない。


 周りを見ても、もう乗ってくる笑いはない。

 原口も俯いている。

 黒川は黙ったままだ。

 白石ひなたは、じっと相原を見ている。

 柴田も視線を逸らさない。


 相原は初めて、自分が本当に孤立しかけていることを知ったのかもしれない。


「……知らねえよ」


 最後にそれだけ吐き捨てて、鞄をつかみ、教室を出て行った。


 ドアが強く閉まる。


 その音だけが、しばらく教室の中に残っていた。


 4.問いの先にあるもの


 相原が出て行ったあと、教室はしばらく誰も動かなかった。


 高石も、いつの間にか教室の前へ来ていた。

 だが、すぐには何も言わなかった。


 今ここで教師が言葉を挟めば、この瞬間がまた“先生が収めた場面”になってしまう気がしたからだ。


 教室の中では、生徒たち自身の言葉で、何かが動いている。

 それをいまは見届ける方が大事だと、高石は判断した。


 最初に動いたのは、白石ひなただった。


 彼女は自分の席へ戻る前に、ちらりと結菜を見た。


 結菜は少しだけ顔を赤くしていた。

 怒りのあとの、遅れて来る震えみたいなものが手元に残っているのだろう。


 でもその目は、しっかり前を向いていた。


 柴田蓮斗は、自分の中で何かが決定的に変わるのを感じていた。

 白石ひなたの言葉に続き、浅井結菜まで本気で相原を怒った。


 前なら、ここでだれかが茶化して終わっていたかもしれない。

 でも、今日は違った。


 言葉が、本当に人を止めた。


 それは柴田にとって、かなり大きなことだった。


 隆は、自分の席に座ったまま、しばらく動けなかった。


 黒川の謝罪。

 相原の荒れ。

 結菜の怒り。


 全部が急で、全部が重かった。


 教室が変わるということは、きれいに進むことじゃない。

 ちゃんと向き合う人が出てくるほど、今まで見えなかった感情も噴き出す。


 そのことを、隆はこの日、身体で知った。


 でも同時に、はっきり分かったこともある。


 前までの二年二組は、自分が苦しくても、それを面白がる空気の方が強かった。

 今は違う。


 空気に逆らう声が、もう一つや二つではなくなっている。

 笑わない側。

 怒る側。

 謝る側。


 そういう選び方が、教室の中で実際に起き始めている。


 それは、苦しさがゼロになることではない。

 でも、“完全な一方向”ではなくなることだった。


 5.高石と佐伯の決意


 放課後、職員室で高石が今日の一部始終を伝えると、佐伯はしばらく黙っていた。


「……来たわね」


 低く、しかし確かな声だった。


「はい」


「クラスが、ほんとの意味で立て直しに入る直前の揺れ方してる」


 高石は頷く。


 黒川が謝ったこと。

 相原が荒れたこと。

 浅井結菜が本気で怒ったこと。

 それは全部、空気が“これまで通り”ではいられなくなった証拠だった。


「相原くんは、個別で見ていきましょう」


 佐伯が言う。


「今は危うい。逆恨みのままこじれると、また別の形の加害に向かう可能性がある」


「はい」


「でも、同時に、今日はクラスにとって大きな一歩でもあった」


 高石は、その言葉に少しだけ救われた。


 今日の教室は荒れた。

 でも、それは後退だけではない。

 むしろ、ずっと蓋の下で腐っていたものがようやく表へ出て、向き合い始めたから起きた揺れでもある。


「“守る”だけじゃなくて、“どう生きたいか”を子どもたち自身が言い始めてます」


 高石がそう言うと、佐伯は頷いた。


「そこが本物になれば、クラスは変われる」


 6.外へ届いた声の、その先


 その夜、隆は家で、今日あったことを少しずつ話した。


 正康は、黒川が謝ったと聞いて、しばらく黙ってから言った。


「それは、大きいな」


 実里は、相原が荒れたことを聞いて、眉をひそめる。


「でも、浅井さん……そんなに言ってくれたんだ」


「うん」


 なぎさは、結菜の言葉を聞いて目を丸くした。


「結菜さん、かっこいい……」


 そして少しだけ間を置いてから、兄を見る。


「お兄ちゃん、学校さ、ちょっとだけ息できだ?」


 その問いに、隆はすぐには答えなかった。

 でも、やがて小さく頷いた。


「……ちょっとだけ」


 それは、この数週間で初めて、自分からはっきり言えた変化だった。


 教室はまだ怖い。

 まだ嫌だ。

 でも、完全に息が止まる場所ではなくなりつつある。


 その“ちょっとだけ”は、何より大きかった。


 そしてその夜、土曜ではないのに、隆は自然とラジオのアプリを開いていた。

 録音していた天庄屋の講話の一部を聞き返す。


 謝って済むのか。

 責任を取れるのか。


 その問いが、今日の教室で現実になった。


 黒川は、自分なりにそこへ向き合おうとしていた。

 相原はまだ逃げている。

 でも、逃げきれないところまで来ている。


 そして、自分の投稿から始まった外とのつながりが、確かにここまで届いていた。


 それを、隆は初めてはっきり実感していた。


 自分の声は、教室の外へ届いた。

 外で受け止められた。

 そしてその声が戻ってきて、教室の中にまで変化を生んだ。


 それは、まだ小さい。

 でも確かな“連鎖”だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ