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08 ★我が真名は『シエル』


 空の異変は、次なる絶望の産声だった。

 

「小春、あゆむ! まだ終わってないからね、油断するんじゃないよ!」

 

 ロゼがそう叫んで周囲を警戒する。


 ――ズズズズズズ!!


 ワイバーンが消滅した跡地に残っていたマグマの海が、突如として異常な膨張を始めた。

 周囲の空気が一気に干上がり、息をするだけで喉が焼け焦げそうになる。

 渦を巻くマグマが天高く盛り上がり、やがて四本の極太の足と、巨大なたてがみを形成していく。


「嘘だろ……おいおいおい!」


 現れたのは、二階建ての家ほどもある巨躯を誇る『マグマの獅子』だった。

 ……いや、違う。うねる炎のたてがみの間から、さらに二つの首が鎌首をもたげた。三つ首だ。

 地獄の番犬『マグマのケルベロス』だった。

 


「ヴオォォォォォォォッーーーーーー!!!」

 

 咆哮だけで、周囲の家の窓ガラスが一斉に粉々に砕け散る。


「はぁ? エーテル指数4万5千!? なんでこんな高濃度の個体が……!」


 ロゼが忌々しげに舌打ちをし、心象魔法アニマ・グラフ【狂気斬月】を構えて前に出る。

 

「あんたたちは下がってなさい! とても敵う相手じゃない。私が焼き尽くす!」


 紅蓮の大鎌の凄まじい連撃。だが、ケルベロスの分厚い溶岩の皮膚に斬撃は弾かれる。

 それどころか、大鎌から発せられる炎を、ケルベロスが吸収し始めたのだ。


「くそッ……相性が最悪だね! 流石にこのクラスじゃ私の炎でも吸収されるのか!」

 

 ロゼが弾き飛ばされ、アスファルトを削りながら後退する。

 

 直後、ケルベロスが巨大な前足を振り下ろした。

 炎の竜巻が発生し、ロゼを飲み込み吹き飛ばす。

 その凄まじい余波は――残酷にも、その先にあった俺の家を巻き込んだ。


「あぁぁぁぁぁッ、俺の家ーーーー!!」


 ドゴォォォォォンッ!!!

 

 轟音と共に、俺が育ったボロい一軒家が、まるで積み木のようにあっけなく粉砕され、燃え上がった。


「俺の家がぁぁぁぁ!!」


 頭を抱えて絶叫する俺。

 

 炎は隣の家も燃やし始めていた。

 家の中から老夫婦が出てくるが、巨大な3つ首の獅子を見た途端、恐怖でへたり込んでしまう。

 ケルベロスは無慈悲にも、その老夫婦へ向けて巨大な顎を開き、炎のブレスを吐き出そうとした。


「させないッ!!」


 炎の竜巻を耐えたロゼが、老夫婦の前に飛び出し、大鎌を盾にしてブレスを真正面から受け止める。

 だが、ブレスの威力が桁違いだ。

 

「ぐぁぁぁぁッ!!」


 炎の奔流がロゼの防御を削り、彼女の身体を容赦なく焼き焦がす。

 

「ロゼさん!!」


 老夫婦は守りきったものの、ロゼは全身に酷い火傷を負い、その場に膝をついてしまった。大鎌を杖代わりにして、辛うじて倒れるのを堪えている。

 

「ママたちは、わたしの後ろにッ!」

 小春が泣きそうな顔で、それでも必死に炎の弓を構え、母さんと老夫婦の前へ飛び出した。


 だが、あんなバカでかい怪物相手に、小学生の小春が敵うわけがない。

 小さな体で炎の矢を放ち続け、ケルベロスを牽制しているが、あんなの時間の問題だ。


 どうする、どうすればいい!? 俺の鉄骨オブジェじゃあんな怪物に通用する気がしない。

 完全に手詰まりだ。やっぱり俺は魔法力ゼロの無能なのか――。

 いや、諦めるな! 考えろ俺! 何かあるはずだ!



『――おい、あゆむ。いつまで絶望しておる』


「……ッ!?」


 沈黙していた頭の中の声が、突如として響いた。


『あの女の鎌じゃ、あやつは倒せん。炎に炎をぶつけても意味がなかろう』


「んなことわかってるよ! じゃあどうすんだよ!」


『ふふ……ぬしの魔法は使いようによっては最強と成りえるのに、間抜けなものじゃ』


「……最強ってどういうことだよ!?」


『簡単なことじゃ。――わしを、描け』



 ――は?


 

「わしを描けって……お前、俺の頭の中にいるんだろ!?」


『そうじゃ、だからぬしがわしの『肉体』を描け。お主のその無駄に高い『画力』で、一寸の狂いもなく空中に描き出すのじゃ。さすれば、わしがその肉体に憑依してあの怪物を倒してやろう』


「でも、俺が描いても、ただの白黒の――」


『四の五の言うな。わしを信じろ。出来る限り精巧に、出来る限り強そうに、出来る限り美しく、そういう最高のわしを描くのじゃ』


 マジかよ。いや、たとえそんなことが可能だとしても……。

 

「お前みたいな怪しい奴、そう簡単に信用できるかよ!」


『はぁ、まったくやれやれじゃ。見よ、このままだと、どちらにせよじり貧よ』


 ロゼが火傷だらけになりながらも立ち上がっていた。

 ケルベロスの猛攻をなんとかしのいでいるが、いつまでもつのか。


『選択せよ。時間はないぞ』


「判断材料がなさすぎる! お前、俺の身体を奪おうとしてたんだろ!?」


『今のわしはぬしの敵ではない。むしろ、ぬしには期待しておる』


 小春があちこちに怪我を負いながらも死に物狂いで母さんと老夫婦を守っている。

 

『信じよ。必ず、あの怪物を倒してやる』


 くそ! くそ! くそ!

 選択肢なんか最初からなかった。腹を括るしかない。

 

「よし、やってやろうじゃねぇの! その代わり、もし裏切ったら全力で呪ってやるからな!」



 俺はロゼに向かって、声を張り上げた。


「ロゼさん! 頼む、5分……いや、3分でいいから時間を稼いでくれッ!!」


「はぁ!? あゆむは戦闘向きの心象魔法アニマ・グラフじゃないでしょう! 引っ込んでな!」


 ロゼは俺の心象魔法アニマ・グラフを知っているのか。なら、そういう反応になるよな。

 でも、信じたからな、頭の中の声!

 

「俺を信じてくれ! 3分くれれば、その怪物を必ず倒す!!」


 必死だった。俺の真っ直ぐな視線に、ロゼは忌々しげに舌打ちをして応えた。

 

「……チッ、わかったよ! 死んでも3分稼いでやる!」


 言葉通り、ロゼは自らの命を削るような猛攻で、怪物のヘイトを集め始めた。

 A級冒険者の意地と覚悟が、その痛々しい背中から痛いほど伝わってくる。

 


 ありがとう、ロゼさん。

 俺も全身全霊でこの絵を描くよ。

 

 一度息を止め、そのあと深く深呼吸をする。

 宙を薄目で見上げ、全体像をイメージする。

 美しく、強い、最強の戦う女性。

 そう、例えば、北欧神話の戦女神・ヴァルキュリーのような。

 

 描ける。俺なら描ける。

 東京藝大の卒業制作の地獄に比べたら、こんなのどうってことない。

 

 ロゼが大鎌でケルベロスの頭部を切り落としていた。だが、炎を吸収しすぐに再生する。

 小春も援護射撃を放ち、怪物の注意を引いている。

 

 俺はゆっくりと、空中のキャンバスに万年筆を置いた。

 極限の没入。周囲の音が消える。手元以外何も見えなくなる。



 スゥっと万年筆を走らせる。


 

 年齢は18歳。身長は172センチ。髪は純白でロング。肌は褐色。美人系。やせ型だけど筋肉はある。ドレスも純白。手足に月銀色の鎧を纏っている。

 骨格。筋肉。重心。比率。パース。躍動感。


 頭の中にすでに「絵」はある。だが、それをなぞるだけでは良い絵にはならない。

 一筆一筆に俺の魂を注ぎ込む。

 今、この瞬間だから引ける線。今、この瞬間にしか生まれない線。

 

 信じられない速度で線が引かれ、『彼女』の姿が構築されていく。

 宇宙色のインクが命の躍動を空中に刻み込んでいく。

 汗が目に入る。指が攣りそうだ。それでも描く。

 

 ロゼが吹き飛ばされる音がした。小春の悲鳴が聞こえた。

 

 だが、今はどうでもいい。ただ描く。この絵を最高のものに仕上げる。

 それ以外はどうでもいい――。



 ――瞳は、この世界のすべての理不尽を打ち砕く、烈火の如き『深紅』。


 その瞳に光を宿した瞬間、描線が「生命」としての重さを持ち始めた。


 俺は最後の一筆を入れた。

 同時に全身の力が抜け、脂汗がぶわぁと噴き出す。



「――できたぜ」

 

『うむ、わしの目に狂いはなかったようじゃ』


 空中には、眩い光を放つ白黒の美しい女性が浮いていた。

 

『ぬしの絵は『観測』されていなかっただけじゃ。わしが真の名を与え観測し、こちら側の世界に引き寄せる』


 頭の中の声が微笑んだ気がした。

 

 

波束はそくを断ち、しょうを成せ。――収束せよ、我が真名は【シエル】!』



 ――――カッ!!!!



 世界が、蒼一色に染まる。


 俺の中から蒼い光が噴き出し、奔流となって吹き荒れる。

 そしてそのまま、白黒の美少女を包み込んだ。

 

 その蒼い奔流が白黒だった肢体に「色彩」を宿らせる。

 

 光をすべて透かすかのような、輝く純白の髪。

 艶やかな褐色の肢体。

 蒼い奔流の中ではためく純白のドレス。

 月銀色の装甲で覆われた両の腕と脚部。

 紅く鋭い眼光。

 

 

 眩い蒼光が弾け飛び、白髪の少女――『シエル』がふわりと地面に降り立った。





挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

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