06 ★箱舟バースト
≪ヴォォォォォォォォォォォォ!!!≫
『こちらは江戸川区です。箱舟バーストに関する緊急情報』
『ただいま、箱舟にて獅子宮のバーストを観測。非覚醒者、およびエーテル指数3000以下の皆様は、直ちに屋内へ退避してください。武器持ちの皆様は、冒険者の指示に従い警戒にあたってください』
「なんだよこれ、これから何が起きるんだよ!?」
鳴り響くサイレンと無機質なアナウンス。
俺は臨海公園を飛び出し、家に向かって全力で自転車のペダルを踏み倒していた。
家まではまだ4キロほど残っている。
『だから、箱舟バーストだと言っておろう。箱舟が、中の厄災をお漏らししちゃう現象じゃな』
「だから、その厄災って具体的に何が――」
言いかけた言葉は、背後で弾けた強烈な光に飲み込まれた。
カッ! と雷鳴のような赤い閃光が網膜を焼く。
次の瞬間、さっきまで真っ青だった夏空が、すさまじいスピードで赤黒い暗雲に浸食されていった。
分厚い雲の奥で、紅蓮の稲妻が、まるで血管のように不気味に脈打っている。
「……マジかよ、空が真っ赤に」
『まだまだ、これからが本番じゃぞ』
頭の中の声と同時に、上空の暗雲から「何か」がボトボトと落ちてきた。
ドロッとした、赤く発光する塊。……マグマだ。
特大のマグマの雨が、江戸川区のあちこちに隕石のように降りそそぎ始めたのだ。
「あっぶねー! なんだよあれ!? 火山でも爆発したのか!?」
『今回のバーストはそういう厄災じゃからな』
ドチャァァーーッ!!
目の前の道路に、車ほどの大きさのマグマが音を立てて降ってきた。
すさまじい熱風が頬を叩く。急ブレーキをかけた俺の目の前で、アスファルトを溶かしたマグマが意志を持ったようにもぞもぞと盛り上がり――シルエットを形成していく。
それは、3メートルを超える巨人の姿になった。
他にも、人の背丈ほどもある大蜘蛛や大蟻が、次々とマグマの中から這い出してくる。
「……ひぃ! 化け物ッ!!」
油断した。完全に思考が停止してしまった。
初めて見る「この世のモノではない存在」に圧倒され、真上から降ってきた別のマグマの塊に気づくのが遅れた。
ズガァァァンッ!!
「……がはッ!!」
直撃こそ免れたものの、爆風で自転車ごと吹き飛ばされ、アスファルトの地面を派手に転がった。
全身の骨が軋み、一瞬息が出来なくなる。
「うぅ……」
……クソッ! なんとか生きているけど、全身が悲鳴を上げている。
相棒の自転車は、見事なまでにひしゃげて鉄クズになっていた。
『大丈夫かあゆむ! ぼーっとしとる暇はないぞ!』
顔を上げると、すぐ目の前に見上げるほど巨大なマグマの巨人が立っていた。
ドクン、ドクンと心臓が早鐘を打つ。歯の根が合わない。蛇に睨まれたカエルとはまさにこのことだ。恐怖で体が1ミリも動かない。
「なんだよこれ……なんなんだよ……熊なんかよりよっぽどヤバいじゃん……」
巨人が、灼熱の腕を俺に向かって無慈悲に振り下ろす。
……死ぬ! 俺がギュッと目を瞑った、そのときだった。
「――オラァッ!!」
轟音。目を開けると、俺を殺そうとしていた巨人が、上半身を完全に吹き飛ばされて爆散していた。
「熱ッ!」
飛び散った火の粉を浴びて顔を覆う俺の前に、ひとりの男が立っていた。
30代後半くらいのガタイの良いおっさんだ。その肩には、紫電を纏う巨大なハンマーが担がれている。
「少年! 怪我はないか!?」
「あ、ありがとうございます! 助かりました……」
おっさんは俺に手を差し出しながら、ニカッと笑った。
「俺はB級冒険者だ。このあたりは俺の管轄だから安心してくれ」
会話の最中、おっさんの背後から炎を纏った大蟻の群れがカサカサと迫ってくる。
おっさんが振り返りざまにハンマーを一振りすると、雷の斬撃が地面を這い、蟻たちを一瞬で黒炭に変えた。
つえええ……! これが、本職の武器持ち覚醒者か。
「ひとりで避難所には行けるか?」
「あ……俺、家に帰ります! 母と妹がいるんです!」
「家族に武器持ちはいるのか?」
「妹が武器持ちです。エーテル指数は確か4000以上でした!」
「おお、強いねぇ! なら今頃、そっちも戦ってるだろうな」
「でも、妹はまだ11歳なんです。もし何かあったら……」
おっさんは少し驚いた顔をした後、神妙な面持ちになった。
「将来は有望だが……。よし、なら早く帰ってやれ! 護衛をつけてやりたいところだが――」
おっさんの視線の先、少し離れた交差点で、ベビーカーを庇う母親にマグマの大蜘蛛が襲いかかろうとしていた。
「おじさんはみんなを守って! 俺も武器持ちだから、なんとかなります!」
俺はひしゃげた自転車を乗り捨て、駆け出した。
「そうか! 死ぬなよ少年!」と言うおっさんの野太い声が、背中で別の爆発音にかき消される。
走れ。とにかく走れ。
全身が痛い。息をするたびに血の味がする。でも止まれない。
母さんと小春の元へ急がないと!
せっかく二人とも生きていたのに、また失ってたまるかよッ!
通りに出ると、あちこちで火の手が上がっていた。
少し先のコンビニ前では、専門学生らしき男女のグループが、数体のマグマの巨人を取り囲んで応戦していた。
彼らの手から、氷のつぶてや水流の魔法が放たれている。
そうか、東京の人間はだいたい覚醒者なんだ。武器は出せなくても、魔法で自衛できる。
でも、それにしても――
「警察や自衛隊は何やってんだよ!」
『あやつらの武器なんぞ役に立たんわ。こやつらはエーテル生命体。銃やミサイルなどの物理攻撃は一切通じぬ』
……そうだった。
こいつらには現代兵器が効かない。理屈は分からないが、エーテルを帯びた攻撃しか通らないらしい。
「いやぁぁぁぁぁぁーーーーッ!!!!」
鼓膜をひっかくような、悍ましい悲鳴が響いた。
視線を向けると、巨人の丸太みたいな炎の腕が、専門学生の女の子をモロに薙ぎ払ったところだった。
宙を舞う小柄な身体。地面に叩きつけられる――そう思って目を細めた瞬間、俺の理解は完全にバグる。
彼女の姿が輪郭から崩れ、信じられないほど美しい『光の粒子』となって、宙に溶けてしまったのだ。
ゾッ、と全身の産毛が逆立った。
……今、死んだよな? あの娘、死んだ?
え、本当に死んだの?
嘘だろ。血の一滴も流さずに、消滅した。
これが、この世界の『死』なのか?
足が竦む。手が震える。
でも、彼女の仲間たちは泣き叫びながらも、決して逃げようとはせず魔法を撃ち続けていた。
この世界では、これが日常なのか?
平和ボケした前世の感覚が限界を超え、脳の奥がビリビリとショートしたように痺れる。
あまりに非現実的な『死』の光景に胃袋が跳ね上がり、酸っぱいものが喉元まで込み上げてきた。
『あゆむよ、今はこらえるのじゃ』
「ハァ、ハァ……ああ……わかってるよ」
……今は、心を折るな。
終わった後にいくらでも落ち込めばいい。
今、やらなきゃいけないことは……ッ!
「アクセス!!」
叫びと共に、俺は右手に出現した『宇宙色の万年筆』を握りしめた。
狙うは、女子学生を消滅させた巨人の頭上。空中のキャンバスに向かって、一瞬で『巨大な岩』のデッサンを叩き込む。
親指を鳴らす。パチンッ!
ドッゴォォォォォンッ!!
空中に実体化した巨大な『白黒の岩』が、重力に従って落下。
巨人の頭頂部にクリーンヒットし、その巨躯をぐしゃりと押し潰した。
よし、予想どおりだ!
俺の生み出した絵も、一応俺のエーテルを通しているからか怪物に干渉できる!
魔法力ゼロのただの岩でも、この「物理的な質量」をぶつければ立派な武器になるんだ!
巨人が潰れた隙に、残りの学生たちが一斉に魔法を叩き込み、巨人は完全に消滅した。
学生たちが、涙と汗でぐしゃぐしゃになった顔でこちらを向き、深く頷いてくる。
たった今、目の前で友達を失ったばかりだというのに……彼らの瞳からは意志の光が一切消えていなかった。
ああ……そうか、これがこの世界で生きるってことなんだ。
俺は無言で頷き返し、再び全速力で駆け出した。
早く! 1秒でも早く家に!
口の中がカラカラだ。とっくに限界を迎えた肺を無理やり動かし、ひたすら前へ足を運ぶ。
「くそッ! くそッ! ちくしょう……ッ!!」
恐怖なのか、理不尽な世界への怒りなのか、ただの焦りなのか。
ぐちゃぐちゃに混ざり合った感情が、不細工な涙となってボロボロと溢れ出していた。
それでも俺は、歯を食いしばり、ひたすらに足を踏み出し続けた。
『さっきの攻撃、初めてにしてはなかなかやるではないか。まあ、足止めくらいにしか使えなさそうじゃがな』
「うるせぇ、少し黙ってろ! こっちは今、お前に構ってる余裕ないんだよ!」
『ほう、イキがるのぅ……。では、しばらく黙るとするか』




