03 お兄ちゃんだけの魔法だよ
「な、なんだこりゃぁ!?」
俺は洗面所の鏡の前で、茫然と立ち尽くしていた。
まだ足がうまく動かせないので、母さんが肩を支えてくれている。
自分の顔を鏡で確認しながら、両手でペタペタとまさぐる。
子どもだ。
そこに映っていたのは、どうみても中学生か高校生くらいの、若い頃の俺だった。
髪は肩くらいの長さまで伸びている。
夢じゃないよな? やっぱり天国?
いや、でももしかしたら――。
「か、母さん。今年って西暦何年?」
「今年は2026年よ。混乱するのも仕方ないよね。あゆむは1年間も寝たきりだったんだから」
待って変な情報が追加された。こんがらがるからやめて。
えっと……整理しよう。
俺が元々いたのは2036年だったから、今は10年前ってことだよな?
俗にいうタイムリープってやつか?
つまり俺は、16歳に戻ったってこと?
そして、この世界線の俺は1年前から寝たきりで、さっき目を覚ましたってことか?
うん、理解した。
本来だったらこんな突拍子もない出来事、受け入れることはできずに慌てふためくところだが、前世(?)の死因が『巨大隕石激突』だからなぁ。
もはや天国だろうがタイムリープだろうが、どんとこいだ。
むしろタイムリープってことは、人生やり直しってことだろ? 超ラッキーじゃん!
「やったぁーー!!」
俺はあまりの幸運に、思わずガッツポーズをして叫んでしまった。
「ど、どうしたの!? やっぱり打ち所が悪かった!?」
突然の奇声に、母さんが本気で心配している。
「打ち所? そういえば俺、どうして1年間も寝たきりだったの?」
交通事故かな? まさか自殺ってことはないよな、俺に限って。
「それがね。学校の帰りに……隕石にぶつかったの」
◆
キッチンでは、母さんがおじやのようなものを作ってくれている。
甘く温かい出汁の香りが食欲を刺激して、よだれがダラダラ流れてくる。
俺はダイニングのソファーに座りながら、さきほどの情報を反芻していた。
「こっちの俺も、隕石にぶつかっていたのか……」
俺の記憶では、16歳の頃にそんな大事故に遭った覚えはない。
つまり、俺の覚えている過去とは、何かが微妙に違っているということだ。
まあいいでしょう。そういうこともあるでしょう。だってタイムリープですもの。
そのくらいの変化、むしろ無いほうが不自然でしょう。
なんなら、隕石繋がりでタイムリープしたのかもな。この際どうでもいいけど。
そう、なぜタイムリープしたかなんてどうでもいいのだ。
何故なら、母さんも小春も生きている! それが一番重要なのだ!
そして……そして!
株なんかへの投資で、大金持ちになれる!
絵師だって、未来の流行を知っているからSNSでバズりまくれるかも!
まさに、人生やり直しどころかボーナスタイム!
今世(?)では金も名誉も掴み放題のバラ色の人生を歩むのだ!!
「あは、あはははははは!!」
ふと横を見ると、小春がゴミを見るような軽蔑の眼差しを俺に向けていた。
「……お兄ちゃん、明日ちゃんと病院行こうね」
すまん、妹よ。だが兄は、確変モードに入った人生に小躍りする気持ちを抑えることが出来んのだよ。
前の人生では母さんに金銭面で相当苦労をかけたからさ、今度こそ俺が支えるんだ。
……そのためにこの知識を使えば。えへ、えへえへ。
小春が汚物でも見るような目でため息をついた。
「まぁいいや。お兄ちゃんの復帰のお祝いを買ってきたんだ。お兄ちゃんはまだ食べられないかもだけど、雰囲気だけでもね」
そう言うと、ホールのチョコレートケーキをテーブルに置いてくれた。
うう……ありがとう小春。お兄ちゃんはその気持ちがとっても嬉しい。
それにしても、小学生の小春は小さくてとても可愛い。21歳の時も美人の類だったが、この小動物のような可愛さはまた格別だ。
「ママ~、先にろうそくに火をつけとくよ~」
「は~い」
そう言うと、小春は指を「パチン」と鳴らした。
直後、小春の人差し指の先からポッと小さな炎が灯り、ケーキのろうそくに火をつけた。
「お兄ちゃん、はっぴー・かむばっく!」
……ん? 今、俺はさらっと何か大変なものを見た気がする。
「小春……見間違いだったらごめん。今さ、指から火を出さなかった?」
「え? 当たり前じゃん。わたし『覚醒者』だもん、炎くらい出せるよ」
小春はまた指を鳴らすと、人差し指からライターくらいの炎を出してみせた。
「ええええええええええええ!!??」
「もしかして事故の後遺症で忘れちゃったのかな? 東京に住んでる人はだいたい使えるよ、魔法」
「ま、まほーーーーっ!?」
んなアホな。思わずツッコミを入れようと窓の外に目を向けた俺は――言葉を失った。
家の脇の通りを、見知らぬ女子高生が空飛ぶスケボーに乗ってヒューッと通り過ぎていったのだ。
「うそだろ……」
あんぐりと開いた口が塞がらない。
「わたしはさらに『武器持ち』だから、魔法だけじゃなくて武器も顕現できるよ」
そう言うと、小春は「アクセス!」と叫んだ。
小春の左手に蒼い奔流が渦巻く。
その光の束は掌に集まり――熱波を伴う炎で形作られた神々しい弓が出現した。
「これがわたしの心象魔法、【焔丸】だよ」
小春は得意げに、炎の弓を俺に向けて引き始めた。
「や、やめて! 冗談でも矢を人に向けるのはやめてください!」
ってか、なんで妹がしれっと人も殺せそうな武器を出してるの!?
魔法? 覚醒者? 心象魔法? どういうこと!?
「魔法が使えるようになった人たちが『覚醒者』。さらに武器を顕現できる上位互換が『武器持ち』だよ」
なんだよそれ。魔法世界ってことか? ここは俺の知ってる世界じゃないの?
だめだ、また頭がこんがらがってきた。
「んでね、お兄ちゃんも武器持ちだよ」
「……うへ?」
「たぶん、記憶は無くても武器を出せると思う。『アクセス』って言ってみて」
アクセス? それが呪文なの? 何その微妙に厨二くさい台詞は。26歳が唱えるには恥ずかしいんですけど。
でも、俺も魔法が使えるかもしれないという期待感には抗えない。
恐る恐る口を開く。
「あ、あくせす……っ!」
瞬間、指先がピリッと痺れた。
何もない空間から、蛍のような蒼い光の粒子が無数に湧き出し、俺の右手へと吸い込まれていく。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!」
光の粒子は小さな竜巻のように渦を巻き、奔流となって掌の上で暴れ回る。
熱くはない。むしろ、心地がいい。まるで、俺の魂の形そのものを削り出しているような、不思議な一体感があった。
やがて、荒れ狂っていた光がギュッと一点に収束し、細長いシルエットを形成し始める。
(……なんだ!? 炎の弓か? 魔法の杖か!? いや、ロマンあふれる聖剣だったりして!)
脳内テンションは爆上がりだ。
俺の期待に呼応するように、光のシルエットが硬質化していく。
そして、眩い閃光が弾け飛び――!
「こ、これが俺の……!?」
「そう! お兄ちゃんの『心象魔法』だよ!」
掌には、ズッシリとした聖剣……ではなく。
一本の、小さな万年筆のような『ペン』が握られていた。
宇宙を閉じ込めたような深いブルーのボディに、漆黒のペン先。
あ、あれ? なんか思ってたのと違う。剣か何かが出るんじゃないの?
蒼く輝く小さな万年筆。
だが、その滑らかなフォルムに、どこか強烈に心惹かれていた。
少しひんやりとした軸を指先で握り直した瞬間――ピタリ、と吸い付くような一体感があった。
これまで握ってきたどのペンよりも完璧な重心。まるで、切り離されていた体の一部が、ようやくあるべき場所に戻ってきたような絶対的な安心感。
「なんだこれ……めちゃくちゃ手に馴染む……」
俺がぼーっとその万年筆を眺めていると、小春が満面の笑みで言った。
「描いた絵を現実にできちゃう、お兄ちゃんだけの魔法だよ!」




