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32 ★きっとこれからも


 シエルが『獅子の魔王』と呼んだそれは、ただ「一声」を発しただけだった。



「――■■■」



 言語化不可能な、深淵から響くようなノイズ。

 直後、空気が物理的な質量を持ったと錯覚するほどの、凄まじい衝撃波が俺たちを襲った。


「『水晶障壁』ッ!!」

「『電磁障壁』ッ!!!」

「『力場障壁』ッ!」


 七花、神丸、そして後藤が、本能のままに各々の最大防御魔法を展開した。

 だが――パリンッ、と。

 A級冒険者を含む3人の全力の防壁が、まるで薄いガラス細工のように、いとも容易く粉砕された。


「ぐはぁぁッ!?」

「きゃぁぁぁーーーッ!!」


 障壁ごと薙ぎ払われた俺たちは、ゴミ屑のように吹き飛ばされ、溶岩の大地に叩きつけられた。



「ガハッ……!」


 全身の骨が軋み、肺から血の味がせり上がってくる。

 なんとか顔を上げ、周囲を見渡した俺の目に飛び込んできたのは、絶望の光景だった。


「……ッ!? みんな……ッ!」


 3人は血まみれで倒れ、ピクリとも動かない。

 かろうじて息はあるようだが、完全に意識を失っている。さきほどの獄炎竜との戦いで限界を迎えていた彼らに、この一撃を耐える余力など残されていなかったのだ。

 

 俺が辛うじて意識を保てているのは、最後尾にいたことで3枚の魔法障壁全てに守られたおかげだろう。

 

「シエル……」


 シエルも俺のすぐ傍へと放り出され、ぐったりと地に伏していた。



『魔王』が、悠然とこちらへ歩みを進めてくる。

 それだけで大地は震響し、マグマの海は歓喜に踊り狂っている。


「……ふざけんなよ。こっちはこれからヒーローになるとこなんだよ。邪魔すんなよ……」


 ……俺がみんなを守るんだ。

 俺は痙攣する右手で『宇宙色の万年筆』を握り、魔王の頭上に『巨大な逆三角錐』を描こうとした。

 だが、引いた線は、魔王から発せられる異常な熱波の前に、具現化する傍から蒸発して消え去っていく。


 ――何も、何もできなかった。

 魔法障壁も、身体強化も使えない。俺には、みんなを守る術が何一つない。


 

 魔王は、導線上に伏していた七花の前で止まった。

 そして、虫ケラを潰すように、その巨大な馬の前足を振り上げた。



 やめろ……やめてくれ……!

 心臓を鷲掴みにされたように呼吸ができなくなる。

 七花はこの世界で最初にできた友達なんだ!

 俺の大切な友達なんだ!!

 


 魔王が七花の頭蓋を目掛けて、巨大な蹄を振り下ろす。

 



「やめろぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーッ!!!!!!!!」




 肺が破裂するほどの全声量で叫ぶ。


 その時だった。

 


 

 ――カッ!!!!




 突如、溢れんばかりの『黄金の光』が視界を包み込んだ。

 あまりの眩しさに思わず目を細めながらも、ハッとして光源へと視線を向ける。

 すると、倒れていたはずのシエルの小さな体が、ふわりと宙に浮き上がっていた。

 


 七花の頭蓋を潰そうとしていた魔王すらも、その光景に攻撃を止め、目を奪われていた。

 

 大気中のエーテルが、蒼く視認できるほどにその密度を高めていく。やがて巨大な竜巻のような奔流となったそれは、シエルの体へと凄まじい勢いで吸い込まれていった。

 自らの力を使い果たしていたシエルが、周囲の高濃度なエーテルを強制的に取り込み始めたのだ。

 彼女の体へと流れ込む蒼きエーテルは、同化すると同時に、神々しい黄金の輝きへとその色を変えていった。



 光が弾け、シエルの身体が瞬時に『戦乙女』の姿へと変貌を遂げた。


 先ほどの小さな姿は見る影もない。女神と見紛うほどにすらりとした美しい立ち姿に、光り輝く月銀色の鎧。

 純白の髪とドレスは、全身から吹き上がる圧倒的な『黄金のオーラ』に煽られて激しくなびき、神々しいまでの輝きを放っていた。


 

「……シエル! もう大丈夫なのか!?」


 俺が声をかけるが、シエルからの返事はない。


「おいシエル……!」


 だが、シエルと視線が交わった瞬間、俺は心臓に冷たい杭を打ち込まれたような衝撃を受けた。

 その深紅の双眸そうぼうは、光すらも飲み込む深淵のように暗く澄んでおり、これまでのシエルとは明らかに異質なものを宿していたのだ。


 それは、まるで――あの『魔王』のような。



 ズガァァァァァンッ!!


『黄金の戦乙女』と化したシエルは、大地を蹴り割り、魔王の懐へと音速で飛び込んだ。

 その動きは先ほどまでを遥かに凌駕している。

 魔王の巨体が、シエルの一撃を受けて大きく後退する。



『……シエルか』


 魔王が小さく呟いた。

 

『何故、貴様がここにいる』



「シエル……どうしちゃったんだよ……」


 その規格外の力に驚愕すると同時に、俺の胸には得体の知れない恐怖が渦巻く。目の前に立つその存在は、もう俺の知っている『シエル』ではないような気がした。

 


 シエルは上空へ浮かび上がると、右腕を真っ直ぐに天へと掲げた。

 そこへ、周囲から壮絶な量のエーテルが集束していく。

 

 渦巻く黄金の奔流は瞬く間に巨大な光の特大剣を形作り、果てなく天空へと伸びていく。

 顕現した刃は立ち込める暗雲を容易く吹き飛ばし、世界を黄金の光で塗り潰した。

 


『――聖剣ブリュンヒルデ』



 冷たい声と共に、シエルが右手をゆっくりと振り下ろす。

 雲海を引き裂くようにして、星を砕くほどの威容を誇る光の特大剣が魔王へと迫った。

 


 ――だが、その直後だった。

 魔王は六本の脚で大地を強く踏みしめ、漆黒の両腕を頭上へと突き出した。

 天から降り注ぐ光の特大剣がその腕に激突した瞬間、光と闇が激しく交錯する。

 音すらも消え去るほどの、究極のエネルギーの衝突。

 マグマの海が瞬時に蒸発し、周囲の大地がすり鉢状に丸ごと吹き飛んでいく。


 ――土煙が晴れたその中心で、魔王は光の特大剣を両腕だけで完全に受け止めていた。



『……貴様、()()()()()()


 その声に感情の揺らぎはないが、底知れぬ失望のようなものが潜んでいる気がした。


『……我らの脅威となり得るなら、ここで無に帰せ』


 宣告と共に、魔王の口元に空間の輪郭すら歪める超高熱の球体が、極限まで圧縮されていく。

 狙いは明らかだ。空中で光の特大剣に力を注ぎ続けている、無防備なシエルである。


 今の彼女は、俺の知っている『シエル』じゃない。

 本能のままに暴威を振るうだけの「何か」に成り果ててしまっている。

 そのせいか、致命的な魔王のカウンターに全く反応できていない。防御の概念すら忘れ、ただ攻撃を続けることだけに固執していた。


「避けろ、シエルッ!!」


 必死の叫びは届かない。

 彼女の瞳には、俺の姿など微塵も映っていなかった。



 ――理屈じゃなかった。


 魔法障壁も、身体強化も使えない。ただの人間の俺。


 反射的に、俺の右手は空を裂くように『線』を引いていた。

 狙うのは、自身の足元から突き上げる『垂直円柱』。



射出べェェェェェェェッ!!」



 ズガァァァァンッ!!


 足元から爆発的な勢いで隆起した白黒の円柱が、俺の身体を砲弾のように遥か上空へと弾き飛ばす。

 内臓が破裂しそうなほどのGに耐えながら、俺はただ一点へと飛翔する。

 それはシエルの発する黄金の光。天の光。



 シエルと出会ったことで、何かが始まった気がしたんだ。

 前世にはなかったような、胸が躍るような何かが。

 

 きっとこれからも、シエルと一緒なら、あの天の光に手が届く。

 そんな気がするんだ。

 


 だから、こいつだけは――俺の『バディ』だけは絶対に守る!

 二人で一緒に生きて帰るんだッ!!!


 

 魔王の顎から、空間を赤黒く抉り取る、悍ましい焦熱の熱線が放たれた。



「うおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーッ!!!!!!」



 凄まじい勢いでくうを切り裂いた俺は、無防備に浮かぶシエルへとそのまま激突し、死の射線から弾き出すように彼女の身体を全力で突き飛ばした。



 ――刹那。

 俺の左半身を、焦熱の熱線が通過した。




 ――――あ。




 焦熱の熱線はそのまま天空の雲海を切り裂き、彼方へと消えてゆく。

 

 


 痛みは、なかった。

 世界が、スローモーションのように遠く感じる。


 


 ――ない。

 左腕が、ない。

 いや、腕だけじゃない。

 肩も、鎖骨も、左胸までもが。

 


 極限まで圧縮した時間の中。

 真っ白な思考の果てで、俺は気づいた。

 

 


 心臓も――ない。




 俺の左半身は――『心臓』ごと、ごっそりと抉り取られていた。


 

 

 母さん、ごめん。

 俺、しくじったみたいだ。





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