11 俺とシエル(第1章:終)
「それでは、引っ越しのお祝いパーティをはじめたいと思いま~す!」
小春が元気いっぱいに号令をかけた。
古い団地の一室。1DK・ユニットバス付きの狭い部屋。
窓の外はすでに22時を回っている。むせ返るような真夏の熱気は、年代物のエアコンが唸りを上げてなんとか和らげてくれていた。
何もない殺風景なフローリングに、折りたたみ式のテーブルがぽつんと置かれている。
そしてその中央で異様な存在感を放っているのが……『流しそうめん機』だ。
実はこれ、焼け跡から奇跡的に無傷で発掘された我が家の数少ない生き残りである。
ドーナツ状の小さなプールに水流を作り、そこへそうめんをダイブさせ、流れてくる麺を箸でキャッチして食らうという、実にアグレッシブかつエンターテインメント性に溢れた我が家の夏の風物詩だ。
あの後、俺たちは運よくその日のうちにこの団地の一室を仮住まいとして借りることができた。
正直、家族3人で住むには手狭だが贅沢なんて言ってられない。プライバシーのない避難所で寝泊まりせずに済んだだけでも御の字だ。
当面の生活費は、母さんがカード入りの財布を持ち出していたおかげでなんとかなった。とはいえ無駄遣いはできないので、今夜の引っ越しパーティのメニューはそうめん一択である。
「それでは、そうめんを投入しま~す!」
小春がプールの水流にひと掴みのそうめんを放つと、白い麺がまるで意思を持った生き物のようにぐるぐると泳ぎ始めた。
「おおっ! なんか無駄にテンション上がるな!」
「ね~! おうちがあんなことになって泣いちゃいそうだったけど、流しそうめんが全ての悲しみを流してくれるようだよ」
「なんじゃこの食べ物は!? ひゃっ、つめてっ!」
テーブルの上では、ちびシエルが流しそうめんの水をペチペチと触ってはしゃいでいる。
「おい、お前も飯を食うのか?」
「当たりまえじゃ。ぬしはわしをなんだと思っておる」
人外の化け物だと思っていますけど何か?
普通なら、手のひらサイズの幼女が食卓にいる異常事態にもっと驚くべきなのだろう。だが、箱舟だの怪物だのでもう驚き疲れたよ。
もはや、小人くらいでは何とも思わなくなった。むしろ害がなさそうなぶんずっとマシだ。
母さんも小春も、すっかりペット感覚で受け入れているしな。
ちびシエルは、フォークを両手で抱え込み、流れてくるそうめんを気合で突き刺していた。
「おりゃあ! やったぞ、これはわしのそうめんじゃ!」
シエルは小皿のツユにそうめんをびちゃびちゃと浸し、豪快に頬張った。案の定、テーブルはツユだらけだ。
「うまぁーーっ! 母上、この『そうめん』とやら、めっぽう美味いぞ! さすがパーティ、大変なご馳走じゃな!」
「ふふ、そうね。夏に食べる流しそうめんは格別よね」
俺と小春も負けじと箸を伸ばす。
……うん、美味い! パーティだからと奮発して買ったきざみネギと、チューブの生姜が良いアクセントになっている。添えられた千切りキュウリの食感も最高だ。
「ところでシエル。もしかしてこのままうちに居候するつもりか?」
俺が尋ねると、シエルはハムスターのように頬を膨らませたまま、きょとんとした目でこちらを見た。
「当然じゃろう。わしはエーテル切れで見ての通りじゃ。ぬしがおらんと元の姿に戻ることもできんわい」
「どういうことだよ」
「あの超絶に美しい大人の姿は、すこぶる燃費が悪くてのぅ。わしがせっかく溜め込んでいたエーテルを、あの短い戦いであっという間に使い切ってしまったのじゃ。この身体に再びエーテルを満たして元の姿に戻るには、描いた本人であるぬしを介する他ない」
うーむ。要するに、俺を充電器代わりにするみたいなことか?
「ねぇ、シエルちゃん!」
そうめんを啜っていた小春が、身を乗り出してきた。
「お兄ちゃんのイラストで、新しいおうちを建てられないの? さっきの槍みたいにさ」
「いや、俺が描いても『白黒の家の形をした謎オブジェ』になるだけだぜ?」
「でもさっきは、ちゃんと色のついた綺麗な槍を出せてたじゃない」
小春の期待の眼差しを受け、シエルはフォークを置いてふるふると首を横に振った。
「それは無理な相談じゃ。わしは『真名』を見つけ、観測し、こちらの世界に定着させてやったにすぎん。最初から真名のない存在はどうしようもない」
「ぜっんぜん、意味が分からん」
「アホにも分かるように説明してやろう。例えば、誰の目にも触れず暗闇に置かれたままの『名画』があったとする。誰も見ていなければ、それはこの世界に存在しないのと同じじゃろう?」
分かったような、分からないような。
「わしがそこに光を当てて、『ここに本物があるぞ』と見つけ出し、相応しいタイトルをつける。その行為こそが『真名を見つける』ということじゃ。そうして初めて、この世界に存在が許される。真名とはいわば『魂』のこと。家のようなただの物質の集まりには、見つけ出すべき『魂』が最初から存在せん。だから無理なのじゃ」
言わんとしていることはなんとなく理解できた。
ただの「物」には魂が宿ってないから、いくら俺が精巧に描こうがどうしようもないってことか。
「じゃあさ、ドラゴンとかのモンスターも本物にできるのか? できたら召喚師みたいでかっこいいんだけど」
「生き物は、今のわしには無理じゃ。他者の真名は見えんからな。要するに、都合よく何でもポンポン出せるわけではないということじゃ」
「結局、新しいおうちは出せないってことだよね」
小春が大きなため息をついた。
「うーーむ。じゃあ、あの『氷の槍』には真名があったってことか?」
「うむ。心象魔法とは『人の魂の形』が具現化したもの。人の魂そのものと言っても良い」
「わたしの【焔丸】はわたしの魂の形なんだね……」
小春の魂は炎のように燃えているのか。かっこいいな。
「でもさ、あの氷の槍は俺の描いた絵だぜ? 誰の魂でもないじゃん」
「ぬしの絵には確かな魂が込められておったぞ。だからわしは真名を見つけられたのじゃ。ただ、《《観測されていなかった》》だけじゃ」
観測されていなかった。その言葉が、俺の胸の奥の柔らかい部分をチクリと刺した。
「これからは、あゆむの絵はわしが『観測』してやる」
――ドキッとした。
前世の俺は、誰にも絵を見てもらえなかった。
SNSで渾身のイラストを上げても「いいね」はつかず、公募に出しても箸にも棒にも掛からない。
俺はただ、誰かに見てほしかった。誰かの心に、俺の描いたものが届いてほしかった。
唯一、俺のファンでいてくれた母さんと小春も、あっけなく死んでしまった。
不意に、視界が滲んだ。
一筋の涙が、ツツーッと頬を伝って落ちる。
「ど、どうしたの、お兄ちゃん!?」
小春がぎょっとして箸を止めた。
「……なんでもない! なんでもないから気にすんな! さぁ、食おうぜ! やっぱ、家族で食うそうめんは最高だな!」
前世の俺は、こんな当たり前の光景をずっと夢見ていたんだ。
俺は流れてくる涙を拳で乱暴に拭い、そうめんを口いっぱいに頬張った。
「生きてるってだけで……最高だな!」
母さんが、優しく微笑んで俺を見ていた。
「そうね。今日は本当に危なかったけれど……。なんやかんやで、シエルちゃんのおかげね」
そうだな、こいつがいなかったら俺たち全員死んでいたのかもな。
俺は、ツユまみれになりながらそうめんと格闘している小さな相棒を見た。
こいつと一緒なら。誰にも見向きもされなかった俺の絵と、こいつの力が合わされば――もう二度と、家族をあんな理不尽な目に遭わせずに済むかもしれない。
俺は深く息を吸い込み、箸を置いてかしこまった。
「……あ、あのさ、母さん。大切な話があるんだ」
急に真剣な口調になった俺に、母さんは何を言い出すか気づいているようだった。
「俺、『冒険者』になろうと思う。そのために、冒険者試験を受けようと思うんだ」
ちょうど16歳から、武器持ち覚醒者は冒険者試験を受ける資格が得られるはずだ。
「あゆむ。あなた、冒険者がどういうものか本当に分かっているの?」
「ああ。『箱舟』のダンジョンを攻略することを許された特権階級だろう?」
「箱舟の中はとても危険なのよ。今日のバーストで街に出たモンスターなんか比じゃないくらい恐ろしい奴らがうようよしているのよ」
「毎日のようにテレビやネットで中継されてるから、知ってるよ」
「母さんは、あゆむにそんな危険な真似はしてほしくない」
そうか、母さんは……。
俺は伏し目がちに、次の言葉を絞り出した。
「……父さんも、冒険者だったんだろう? そして、箱舟で死んだ」
母さんは目を逸らさなかった。
「……ええ。箱舟は、いつ誰の命が散っても不思議じゃない場所なの」
そう。この世界での父さんの死因は、前世とは異なっていた。
前世では病気で亡くなったと聞いていたが、こちらでは冒険者として箱舟の攻略中に命を落としたらしい。
「それでも、俺は自分の力を試してみたいんだ。シエルとなら、それが出来る気がするんだ」
母さんは、じっと俺の目を見つめ返した。
そして、短くため息をついた。
「やぁねぇ……。あゆむ、お父さんとそっくりな目をしてるわ。それじゃ、止められないじゃない……」
母さんの声は優しく、どこか懐かしむような響きがあった。
俺はなんだか気恥ずかしくなって、頭をガシガシと掻きながら、もう一つの「切実な理由」を口にした。
「それに、早くあの家を建て直したいんだよ。あそこが俺たちの家だからさ。冒険者になって活躍すれば、大金が手に入るんだろう?」
俺がわざとらしく、金にがめつい顔を作ってニヤリと笑ってみせると、小春がうるうるとした瞳で俺の袖をきゅっと握った。
「お兄ちゃん……」
「……わかったわ。それに、そもそも試験を受けたからって、受かる可能性の方がずっと低いんだから」
「ちなみに、どのくらいの倍率なの?」
「まだそんなことも調べてなかったの? 今、東京周辺にいる武器持ちの覚醒者はだいたい2万人くらい。その中で、冒険者として登録されているのは1000人強よ。つまり、えーと……」
「だいたい、合格率5%ってとこか。……な~んだ」
俺はホッとした。どんなに難しい試験かと内心ビビっていたところだ。
「東京藝大の現役合格率(2%)より、ずっと簡単じゃん」
◆
深夜。
六畳のフローリングに布団を川の字に敷いて、俺たちは横になっていた。
母さんと小春は、疲れ切っていたのかすでに静かな寝息を立てている。
まだカーテンのない窓からは、少し欠けた月がくっきりと見えていた。
「……シエル。まだ起きてるか?」
枕元で、タオルケットで作った布団に潜り込んでいる、ちびシエルに声をかけた。
「うるさいのぅ。わしは疲れたのじゃ。気安く話しかけるでない」
「お前が何者で、何が目的なのかは知らないけど……俺はお前の力、存分に利用させてもらうからな」
ちょっと強がって言い放つ。
てっきり「下僕の分際で!」なんて罵倒が飛んでくるかと思いきや、小さな布団から返ってきたのは意外にも静かな声だった。
「……実のところ、わしも自分が何者で、本当の目的が何なのかはよくわからん。じゃが……」
シエルは少し間を置き、普段のふざけた態度からは想像もつかないほど真剣な声で応えた。
「わしも『箱舟』に行かねばならん。あそこに、わしの求める何かがある。それだけは確かなのじゃ」
「……」
「じゃから、利害関係が一致している間は、ぬしの無礼も大目に見てやろう」
相変わらずの偉そうな言い草だが、要するに「お互いの目的のために協力しようぜ」ってことらしい。素直じゃないねぇ。
「そうか……なら、俺たちはこれからは『バディ』ってことだな」
「バディ? なんじゃそれ?」
「運命共同体ってことさ」
「ほう。言っておくが、わしは自分の命が危うくなったら、迷わずぬしを囮にして逃げるぞ」
「上等だよ。それでもいいさ」
俺は暗闇の中で天井を見上げた。
「それじゃ、これからよろしくな、シエル」
「よろしくじゃ、あゆむ」
第1章を最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
次話からはいよいよ第2章、「冒険者試験編」がスタートします。
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