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寂しさは満ちる

「ここが目的地!ジンの部屋になります!やりたいことが見つかるまでは、ここに居てもらって構いませんよ!」


 ヒーニアに連れられた先は、長い廊下に面したドアの前だった。


「僕の部屋って……本当にいいのか?」


 吊り下げられたドアプレートには、この世界の文字が短く刻まれている。

 読み取れはしなかったが、おそらく空室とかそんな意味だろう。


「もちろん!人類皆兄弟!ワンフォーオール・オールフォーワン!助け合ってなんぼのもんです!!」


 ヒーニアはドヤッと自信満々にウインクしている。


 この少女は優しすぎるというか、かなりのお人好しだ。しかしそれは警戒心の無さの裏返しでもあると思う。普通だったら見ず知らずの、ましてこの世界の住人ですらない男にここまでしない。


 そんなことを内心思いながら、僕はドアノブに手をかけた。


 そこは、七畳ほどのシンプルな部屋だった。

 ベッドと机、最低限の棚。開け放たれた窓からは、神によって模造された太陽の光が指している。カーテンを穏やかに揺ら風が心地いい。


「どうです?住むには困らないと思いますが」

「困らないどころか……僕には勿体無いくらいだ」


 安全な部屋がある。それだけで充分だった。


 アンティーク調のシックな机を撫でると、日差しでほんのり温かい。


「ではジン、あなたは少し寝てください。隈、すごいですよ」


 ヒーニアは目元を指す。言われて、僕は目元をなぞった。


 寝たのは、あの灰の中で気絶して以来か。


「悪いな、何から何まで」

「いえ……」


 ヒーニアがわずかに表情を曇らせた。


「なんというか、今のジンは()っておけません。気づけば、どこか遠いところにふっ、と消えてしまいそうな危うさがあります。さっきは綺麗事を言いましたが、ジンから目を離すのは危険だと判断したから、ギルドの部屋を貸したんですよ」

「考えすぎ」

「念の為、です。本当はルール違反なので外部にはシーですからね?では、おやすみなさい」


 唇に人差し指を当て、いたずらっぽく笑ったヒーニアは部屋から出て行った。


 バタンとドアの閉まる音が空虚に鳴る。


 僕は言われた通り、ベッドに身を放った。


 静寂が部屋を満たしている。


 トクン……。トクン……。


 心臓の音がやけにうるさい。


 なぜかその音がひどく怖くなって、僕は耳を塞いだ。


 脅威はない。安全なはずだ。慣れない場所だが落ち着けるはず。

 それなのに、この静けさが耐えられない。


「……ッ」


 全てから逃げるように、体を丸める。


 理由なんて、分かっている。


 小春がいないからだ。小春がいない今、この世界で生きることがたまらなく不安なんだ。


 生きると決めたばかりなのに────。


 心臓の音が、呼吸と共にだんだんと加速していく。涙が、自然と溢れてくる。


「隣にいて欲しかった。それだけだったんだ……」


 小春が死んだあの灰色の場所を思い出すだけで、嗚咽が止まらなくなる。


 血肉となった小春を、醜い顔をした彫刻が奪い合う。あの光景が、今も瞼の裏に貼りついて離れてくれない。


「やっぱりできない小春。君がいないと僕は……!」


 こんな世界、僕にはとても無理だと、全てを忘れて逃げて……。そして死んでしまえればどんなに楽か。


「でも、そんなことしたら怒られる……」


 約束した。みんなの分まで生きるというなんともありふれていて、とてつもなく重い願い。


 でもそれだけが、僕をこの世界に繋ぎ止めている糸なのも理解していた。


「生きるよ……」


 このクソッタレな世界で、託された分だけは。


 涙に濡れたまま、僕はベッドで眠りに落ちた。



 起きると外はすっかり暗くなっていた。この空間が現実世界の時間を反映しているのかは定かではないが、体感で九時間ほどは眠った気がする。


 眼を擦ってベッドから起き上がる。体の節々が痛い。筋肉痛だろうか。


 睡眠を取ったことで気分が幾分かマシになった僕は、体の調子を確認しながら部屋を出る。


 廊下から見える庭園には、あたり一面に燐光が浮いていた。それはまるで、夜の池で踊る蛍のよう。


 そんな幻想的な光景に目をやりながら、僕は来た道と反対側に進む。


 現実空間に戻らない理由は、あの鏡の中を何度も通りたくなかったのと、とある部屋を探しているためだ。


 真っ赤なカーペットの上をしばらく進んでいくと、突き当たりの廊下に出た。

 左右に道が分かれている。そして正面には、両開きのドア。


 躊躇いなく僕は、その正面のドアを開け放った。


 そこは図書館のように本棚が天高く積み上がった空間だった。

 円柱をくり抜いたような吹き抜けの部屋。その壁は本で埋め尽くされている。


「早速ビンゴ」


 そう、僕は本の置いてある部屋を探していた。言語に関する本を見つけるためだ。


 緩やかなカーブを描く本棚の壁。それをなぞるように続く螺旋階段を僕は上がる。


 僕の部屋のドアプレートを見て思ったが、この世界の文字を僕は読むことができない。言葉を交わすことができるだけマシだが、文字が読めないのも中々に不便だ。


 だからまずは文字を習得しようと思い立ったわけだが……。


「幼児用の本……幼児用の本……」


 最初は小さい子供用の絵本や教育本に手をつけようと思っていたが、早速そのプランが崩れた。


 当然言えば当然で、文字が読めない僕が子供用の本など判別できるわけがなかった。 背表紙を見て判断するしかないが、それも難しい。


「困ったな……」


 こうなったらヒーニアかヴィルに文字習得を手伝ってもらう他ない。


 そうため息をついて、部屋に戻ろうとした時だった。


 『異世界のすゝめ 〜魔術について〜』と書かれた背表紙が目に入った。


「なっ……!!」


 飛びつくように僕はその本を手に取る。


 著者は『(さかき) (もみじ)』というらしい。

 特徴的だが、明らかに日本人である名前に、心が躍るのが自分でも分かった。


 僕のように異世界転移してきた人だろうか。背表紙からして中も日本語で書かれているに違いない。


 はやる気持ちで、僕は分厚くて大きい本の表紙を開いた。


 簡易的な風のようなイラストとともに、日本語でその魔術に関する情報が記されていた。それも、発動方法や効果などかなり詳しく書かれている。


「誰だか知らないけど……これは助かるぞ……」


 思わず感嘆の声がもれる。本棚にはこれ以外の日本語で書かれた書物はないようだが問題ない。


 日本語が存在する。それはつまり、僕の他に日本人がいると言うことだ。僕と同じ、この世界に迷い込んだ日本人が。

 そしてその人は『異世界のすゝめ』なんて粋なタイトルをつけた本を執筆している。なんと心強いことだろう。留学先で日本語を見た時もこんなことを思うんだろうか。海外なんて行ったことないから分からないけど。


 ともかく僕はその本を大切に抱き、階下の机で読むことにした。

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