死の天使
それから十分ほど歩いた頃、僕たちは彫刻の足元に腰を下ろしていた。
「これは……きつい……」
体力の限界。それが訪れるのは意外と早かった。
この灰の地面、思っていた以上に移動が大変だ。抵抗なく足が沈むのはいいが、持ち上げるのが一苦労。それに日頃の運動不足も重なって、体力の持っていかれ方が尋常じゃない。あと靴も欲しい。ずっと靴下のままなんだ。
「いつになったらここを抜けられるんでしょう」
「考えたくないな……」
あるのは灰と彫刻のみ。一向に新しい景色が見えてこない。
途方もなく続く灰色の砂漠に、僕は大きくため息が漏れた。
その時、ズズンと大きな震えが腰に伝わった。
「なんだ?」
僕は五メートルはある彫刻を見上げる。するとなぜか目が合った。
天を仰ぎ、両腕両翼を広げていたはずの女像と……だ。
嫌な予感が頭をよぎる。
「兄様この彫刻……」
ズズンとさらに大きな振動。彫刻の首が僅かに動く。
「……逃げるぞ」
言い終わる前に、ハルパーが落ちた。真後ろで灰が爆ぜる。
僕は小春を抱えて転がった。
「キャハハハッ!」
後ろで笑い声。僕は振り向く。
裂けるほど口角を上げた彫刻は、腕を振り上げていた。
またあれがくる────っ!!
たまらず僕は小春の腕を取り、灰を蹴った。
ドバンッ!と後ろで破裂音が鳴る。
振り向けば、蒼く輝く月光を背に、彫刻はこちらに向かって羽を広げていた。
その動きは滑らかで、まるで生き物のよう。
「チィッ!」
小春の手を引いてさらに速度を上げる。
だがその行動は、小春が立ち止まったことですぐに咎められた。
つんのめって体がのけ反る。
「小春っ!?」
「にいっさまっ……!すみ……ません……」
なぜか小春は、灰の上に膝をついて、真っ青な顔で呼吸を荒くしていた。
「なにが……はっ!!」
その原因はすぐに分かった。
血が、灰を黒く染めていたんだ。その血は真っ直ぐ小春へと続いている。
「当たってたのかよ……」
避けたと思っていたハルパーでの攻撃。だがそれは、小春の背を薙いで致命傷を負わせていた。
「ヒャハッ!!」
「ヒャヒヒッ!」
「ヒャァアア!」
「ギャヒャヒャヒャッ!!」
遠くで、複数の笑い声が聞こえた。
嫌な予感を感じて僕は顔を上げる。
「なっ……!?」
彫刻が、灰の中から這い上がってきていた。
その数、四体。小春を傷つけたやつを含め、五体の彫刻が僕たちを見て笑っていた。
「はは……最高かよ……!」
小春を抱き上げて、僕はまた走り出した。
足が重い。嗚咽が漏れる。体力の限界が近い。
「キャハハハハッ!!」
笑い声がすぐそこで聞こえた。その距離は十メートルもないだろう。
「くそっ!!はあっ、はあっ……」
「にい……さ、ま……」
不意に、小春の手が頬に触れた。
雪のように冷たい指先。もうそれは人の体温などとうに……。
小春はか細くなった声で続ける。
「小春は兄様の声が好きです……。顔が好きです……。どこか切ない瞳も、小春にだけ見せる可愛らしい笑顔も……。そして人を……小春を捨てきれない底抜けの優しさも。でも小春は、そんな大好きな兄様の重荷になりたくありません……」
「……何を言ってるかさっぱりだ」
小春の顔に一瞥もくれず、僕は会話を終わらせる。
そのまま話を続けていれば、小春がどこかへ行ってしまいそうな気がしてならなかったからだ。
ふっ、と小春の手が頬から離れた。
「小春……?」
見下ろすと、小春はどこか満足げに笑っていた。
一気に悪寒が奔る。だが、遅かった。
「嫌いにならないでくださいね」
神に許しを乞うように囁いた小春は、僕の肩を乱暴に掴み、その勢いのまま体を放り投げた。




