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やめてしまおう

「なっ!?」


 僕の腕の中から強引に抜け出した小春に驚いた僕は、咄嗟に足を止めて振り返る。


 だが、目の前の光景に僕の息がヒュッ、と止まった。

 

 灰の上を転がった小春は、彫刻の足元にいたのだ。彫刻たちは、灰に項垂(うなだ)れる小春を見下ろしてひどく醜悪な笑顔を見せている。


「何……してんだ……」


 逃げないといけなかったはずだろ……。どうして自分から死にに行くような真似をしたんだ。分からない。分からないけど、助けなきゃ。


「こは────」

「ギャハッ!!」


 だが、僕が駆け寄るよりも先に、一体の彫刻が他の彫刻を押しのけて小春を持ち上げた。


 急激に頭に血が昇る。


「やめろっ!!小春を放せ!!うっ!」


 急いで駆け寄るが、灰に足を取られてしまう。体勢が崩れ、体が灰に埋もれる。


 こんな時に……!このままじゃ小春が!!


「小春っ!!」


 僕は焦燥感を感じながら、弾くように顔を上げる。すると、彫刻の恍惚とした表情がそこにはあった。

 そいつは宝石を光に透かすかのように、小春を月に(かざ)している。


 手の中に収まる小春と目が合った。


「こは……る……」

「にい、様……」


 小春はこちらを見て何かを言っていた。聞こえはしない。でも、その口の動きから僕は理解した。


(に・げ・て)


「ダメだ……置いて行けない……」


 なんで……なんで君がそこにいる。僕の腕の中にいたはずだろ。背中の傷だって、医者に診て貰えばきっとまだ助かるはずだ。一緒に行こう……一緒に……。


 無様に這いつくばりながら、僕は小春に手を伸ばす。


 だが届くはずのないその手を見て、小春は世話のかかる子供を相手するように笑った。


 その笑顔が小春の最後だった。


 グチャッ────。


 不快な音がした。柘榴(ざくろ)を踏んづけてしまった時も、こんな音がした気がする。


 赤い雨が降っている。果汁に紛れて、たまに大きな果肉が灰に落ちる。ほんのりと鉄の香りがする。


 ポタッ。


 不意に赤い雨が頬に触れた。温かい、雨だ。


「あ……え……?」


 何が……起こったんだ……?小春は……どこへ……。


 ゆっくりと彫刻を見上げる。

 小春を握っていたはずの手からは、液体が滴り落ちている。赤色の液体。それを彫刻は舐め取り、味わう。


 コツンッ。


 つま先に何かが当たった。僕は視線を落とす。


 足元にピンポン玉のような影。目を凝らすとそこにあったのは────。


「眼球?」


 ドクンと心臓が鳴る。


 見覚えのある瞳。何度も何度も、僕を映した瞳。


「嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……」


 さっきまで僕に笑いかけてくれてたんだ。この腕の中にいたんだ。まだ覚えてる。息遣いも体温も笑い声も。全部覚えている……。


「キヤァァァァァァァァッ!!」

「キャハハハハハハハハ!!」


 空気を揺らす耳障りな音が響いた。

 見れば、地面に落ちた果肉と果汁を求めて彫刻同士が争っているところだった。


 腕を落とし、足を捥ぎ、翼を(むし)る地獄絵図。


 逃げなきゃ────。


 そんな直感にも似た予感に、僕は咄嗟に走り出した。

 まだ、何が起こったのか分かっていない。でも、ここから離れなければいけないことだけは理解できた。


「はぁっはぁっ……」


 風が強くなってきた。灰が宙を舞っている。体がぐらついて上手く灰を踏めない。


「ゲホッ……はあっ……」


 だんだんと脳の熱が引いて、思考が明瞭になっていく。何が起こったのか。現実が遅れて押し寄せてくる。


 僕は、膝をついた。


「ああ……あああああああああああああああああああああああああ!!!」


 守れなかった守れなかった守れなかった守れなかった!


 最初に行く方向を間違っていなければ!彫刻の下でなんて休まなければ!もっと早く危険に気付いていれば!小春の行動を読めていれば!小春は死ななかったかもしれないのに!!でも────、


「なんで犠牲になんかなったんだ……!」


 小春はもういない。


 ああ分かってるさ……!でもこんなのおかしいだろ!!


「どこまでも付いてきてくれるはずだろ!逃げろってなんだよ!!」


 返事はない。


 うるさい灰の嵐が、音を掻き消すだけ。


「やる直すんじゃなかったのか!!」


 息が吸えない。胸が苦しい。


 この先の言葉は言ってはダメだ。言ったら立ち上がれなくなってしまう。ダメだ……。ダメだ……。


「二人で死ねばよかったんだよ……」


 大粒の涙が、ボロボロとこぼれる。もう、歯止めが効かなくなっていた。


「僕に残された家族は……お前だけだったのに。僕はこの先、何に寄りかかって生きていけばいい」


 こんなクソッタレな世界に放り出されて、僕は不安で仕方がなかった。それでも、小春がいればそんな不安を押し殺せた。お前のためだから、と頑張れた。


 けどそんな小春はもういない。


「もう、いいか……」


 そんな諦めの言葉が口から漏れた時だった。

 不意に、小春との会話がフラッシュバックした。


(決めたんです。小春は……兄様と一生支え合って生きてこうと)

(どっちかが先に死んだ場合は)

(その時は、相手の分もどちらかが生きましょう。生きて二人……いや四人分、世界を楽しむんです。約束ですよ)


「四人分なんて、無茶言うなよ……」


(やっぱ大変そうだから、死ぬ時は二人一緒がいいな)

(ふふ、意気地なし)


「悪かったな、意気地なしで」


 思い出がビデオテープのように頭に流れ続ける。声、姿形、温度に至るまで全て、鮮明に。


(紡ぎ合いや)


「うるさい。勝手にやってろ」


 疲れた。もういい。死のう。そう思っていたはずなのに何故か、僕の体は立ち上がっていた。


 足だって震えて、まだまともに力が入らないのに。顔も涙と灰でグチャグチャで、呼吸すらままならないのに。


(素敵な言葉ももらいました。紡ぎ合いですって)


「紡いで、何になるって言うんだ」


 小春の願い、それを叶えたところで彼女はもういない。


 それでも僕は、灰を一歩一歩と踏みしめていた。


(紡ぎ合いね……。おかげで、小春の言ってたことから逃げらんなくなった)

(これで逃げたらバチが当たってしまいそうですね)


「ああくそ……」


 逃げたら小春、怒るよなぁ。嫌だなぁ。あいつ、怒ると怖いんだ。


「……四人分、背負ってみるか」


 気は乗らないままだ。でも、小春に怒られるよりは何倍もマシに思えた。 


「そのためにまずは……生き残らないとな」


 体はとっくに限界を迎えている。


 酷使し続けた足はプルプル震えているし、心臓も大太鼓のようにうるさい。走ろうにも、体が思うように動いてくれない。それでも僕は前に進み続ける。


「キャハハハッ!!」


 後ろから笑い声が聞こえた。


「お前……しつこいんだよ……!」


 その姿を確認せずとも正体はわかっていたが、僕は振り返った。


 灰色の嵐の中、赤い小さな光が二つ。

 現れたのは、片翼片腕を失った彫刻だ。争いの中を勝ち残った個体だろう。


「くそっ……!」


 だが逃げようにも、足にうまく力が入らない。

 子鹿のように震える足のまま僕は灰を踏んで走る。


「キャハッ!!」


 真後ろ。その声が聞こえた時には、もう遅かった。


「ぐふっ────」


 右半身に耐えがたい衝撃。体が宙を舞う。僕は灰の上を転がった。


「がっ────あぐっ……」


 呼吸ができない。右半身の感覚がない。体が動かない……。


 残った力を振り絞り、うつ伏せになった状態から顔を上げる。


 蒼く光る月の光が、目の前の大きな影に遮られる。


「ヒャヒャヒャッ」


 脂汗がブワッと吹き出る。


 終わり。そんな言葉がよぎった。


「クソッタレが……!!」


 終われない……。まだ、終われない!!


 僕は灰に腕をつき、起き上がるために在らん限りの力を振り絞る。


 口から血が流れ出る。歯の軋む音が骨を伝って耳に響く。痛みで意識が遠のいていくのを、堪える。全てはそう、小春との約束を守るために。


『兄様』


 フワリ、と黒い髪が揺れた。


 彫刻と僕の間に、死んだはずの妹が立っていた。

 喪服に身を包み、共に親を見送った時のままの姿で、僕を見下ろしている。


「小春……」


 これは……夢?錯覚?いや……そんなこと、どうでもいい。彼女は今、そこにいる。


「小春……僕は君との約束を……」


 守れそうにない。そんな言葉は、喉の奥で詰まって出てこなかった。


 だが、そんな僕を許すように、彼女は優しく微笑んだ。


『手を』


 そう言って伸ばされた彼女の手は、灰の上で倒れ込む僕に向けられた。


「ヒャアッ!!」


 彫刻のハルパーが振り下ろされる。だが、そんなものはどうでもよかった。目の前で佇む小春だけが僕の意識を支配していた。とても、心が穏やかだ。


 ああ……許してくれるのか。僕も、そっちに行っても、いいのか。


「今行くよ……」


 彼女の雪のように白い肌に手を重ねた。その瞬間だった。


『手を取ったな?』


小春の顔が豹変する。同時、彫刻の上半身が弾けた。


「え────」


ヤギのような頭蓋骨を被った少年がそこにはいた。頭蓋骨の下から覗く口元には、不気味な笑みが浮かんでいる。


小春は?こいつは誰だ?なんで骨を被っている?


だが、そんな混乱する僕を嘲笑うようにそいつの体は蜃気楼のように揺れ始める。


『契約成立だ七織仁。今度は────どうか、ぶっ壊れないでくれよ?ヒヒヒヒヒッ.......』


優雅な笑い声がだんだん消えていく。やがて完全に姿が消失した場所には、灰の嵐が吹いていた。なにが起こったのか、一体今のは小春なのか、彫刻の体をどうやって貫いたのか。そんな疑問が頭を駆け抜けるが、僕はその一切合切を放棄してただ深く息を吐いた。


「生き延びたぞ……」


 起こったことを考えるよりも先に、生還した。その事実に体が脱力していく。


 頬に触れる灰の冷たさが気持ちいい。


「ああ、まずいなこれ……」


 嵐がまだ止んでいない。あれだけ痛かったはずの体がひんやりとした心地良さに包まれていく。このままではいずれ死んでしまうと、直感で分かった。


「はや……くど……こかへ────」


 だが、起き上がる気力なんてものは、とうに使い果たしていた。


 意識が微睡んでいく。うるさかったはずの嵐も、今は遠い。ゆっくりと降りる瞼、それに委ねてはダメだと分かってる。分かっているが────、もう……眠い……。

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