幻想と現実
幻想の中にいる感覚だけがあった。
洋風の暗い晩餐会場には、僕と顔の伺えない少女だけがいた。
長机にかかったテーブルクロスの上には、几帳面に整列した食器と、果物やバケット、酒瓶が用意されている。シャンデリアと燭台に灯る火はどこか自信なさげに揺れている。
対面に座る少女の口角が微かに上がる。そのとき、走馬灯のように小春の死の瞬間が頭で再生された。胴と足が分かれ、あまりの圧力にハラワタが飛び散り、頭蓋が飛ぶ。その記憶が再生された瞬間、僕の意識に急にピントが合わさった。
「はっ────!!」
「わおっ!」
飛び起きた俺は、動悸する心臓を抑えて、未だ鮮明に覚えている夢を思い出す。
今のは……夢?だとすれば小春はまだ────ッ!!
だが、外に見える、吹き荒れる灰の嵐が残酷にも現実を告げた。
「夢じゃ……なかったか……」
「やっと起きやがった」
後ろから煩わしそうな男の声。僕は振り向く。蝋燭が仄暗く照らす小さな洞穴には、鍋を煮込む少年と、姿勢よく正座する少女がいた。どちらも同い歳くらいの背格好で、その身には紺色のローブを纏っている。
「おはようございます。とりあえず傷は治しておきましたよ。その服も縫合済みです」
少女はこちらに笑顔を向けてそう言った。
状況が分からない中、僕は体の痛みがなくなっているのを、かろうじて自覚する。
「よかったな。ヒーニアが治癒魔術使わなかったらお前死んでたぞ」
少年が呆れたように言う。
魔術と聞こえたが、聞き間違いだろうか。
「どうかされたんですか?」
緩いウェーブのかかったブロンドの髪を揺らして少女は首を傾げる。
「ここは……どこなんだ……?」
聞きたいことは山ほどあるが、僕はそれだけ問う。
これは最終確認だ。これが果たして現実で、起こった最悪の出来事が僕の夢でないと裏付けるための最終確認。
すると少女は、伏し目がちに口を開く。
「ここは、汚染域第一層────『墓場』です。私たちが助けた時にはもう、周辺にはあなた一人しかいませんでした。なので……おそらくあなたのパーティは……その、壊滅を……」
言葉の示す意味は分からない。だが、微かに期待していた。小春の生存という薄い望みが潰えたのだけは、分かった。
僕の視線が自然と下に向く。
やっぱり……今までの全ては現実で、夢なんかじゃない。小春は────もういない。
「嵐に晒されて今にも死にそうだったんだぞーお前。生き残れただけでも感謝しろよな」
「ちょっ……ヴィル……!」
伏せていた視線を持ち上げてみれば、短い銀髪の少年に少女が慌てた様子で詰め寄っていた。
「まったくあなたは……!あの人は喪中なんですよ!分かりますか!?も・ちゅ・う!!」
「んなもん、綺麗好きな冒険者にとっちゃ普通だ!テメェが気にしすぎなんだよ!」
「絶対にそんなことありません!私は仲間が死んだらいつも3日は引きずります!!もちろんヴィルが死んだ時も引きずってあげますよ癪ですけどね!!」
「誰も頼んでねぇ!離れやがれ!!」
あくまで声を殺したつもりで二人は言い合っているが、丸聞こえだ。僕が地獄耳なわけではなく、単純に二人が声のボリュームを全く落とせていない。
すると、こちらに気づいたらしい少女が慌てて取り繕う。
「あ、あはは。もしかして、聞こえてました……?」
僕は頷く。
「す、すみません!ほらヴィルも謝って!!」
「んでだよ!!」
少女が少年の頭をグイッと下げる。
「いや、謝らないでくれ。むしろ頭を下げるのはこっちの方だ。助けてくれてありがとう」
どうやら嵐の中倒れていたところを救ってくれたのは事実みたいだし。それに、おかげで小春に怒られずに済んだ。
僕は少年の頭を掴む少女と、それに抵抗する少年に向けて小さく頭を下げる。
すると、二人は喧嘩を止めて、バツが悪そうに体勢を直す。
「あーその、さっきのは本気で言ったわけじゃなかったんだが……その、悪かったな」
「分かってる。気にしないでくれ」
僕が答えると、少年は頭を掻いて、気まずそうに視線を外す。静寂の中、焚き火のパチパチという音がいやに大きく鳴る。
「そ、そうだお名前!お名前を聞いていませんでしたね!私はヒーニア・ヴァルデンシア!気軽にヒーニアと呼んでください!」
慌てたように、パンッと手を叩いた少女は、ヒーニアと名乗った。
ヒーニアが促すようにこちらを見る。どうやら次は僕の番らしい。
「七織仁だ。なんでも……うん。好きに呼んでくれて構わない」
僕が答えると、ヒーニアは安心したように顔を綻ばせた。
「じゃあジンさんですね!こっちのガラが悪いのはヴィルです!いつもこんなんなのであまり気にしないでくださいね」
「ガラ悪くねぇよ!てか自己紹介くらい自分でやらせろ!!」
「私は怖がられやすいヴィルのために、友情の橋渡し役をしているんです!感謝かもんっ!」
「いらねぇ!!」
紹介されたヴィルは悪態をついて、苛つきを発散するように鍋を高速で煮込み始めた。
「私の優しさがなぜ分からないんでしょうまったく」
ヒーニアが不満げに頬を膨らませる。
「それで、ジンさんはどこのギルド所属なんですか?」
「ギルド?」
僕はヒーニアの問いをおうむ返しする。
ギルドってファンタジーとかで聞く、あれのことか?
「え……ギルドをご存じないんですか?」
だが、まるで予想していなかったようにヒーニアは目を見開いて、続けて質問を投げる。
「私たち綺麗好きな冒険者のことは?」
「知らない」
「汚染域も魔女のことは?」
「知らないな」
全てに即答すると、ヒーニアは深刻そうな顔でヴィルを見やった。
ヒーニアの視線に、ヴィルはため息一つ。そして、
「不法入域、ローブの不着用、キモイ魔力。そんで何より、この世界について無知すぎる。いやまったく……怪しさしかねぇな」
クククとヴィルは笑う。そしてヒーニアは確信を得たかのように僕を見た。
「ジンさん。あなた……もしかして異世界から来られましたか?」
「異世界……」
「私たちはなんの前触れもなく、まったく別の世界からこちらに来た人を異世界転移者と呼んでいます。ジンさんも、そうなのでは……?」
ヒーニアの揺れることのないまっすぐな瞳に当てられ、俺は思わず目を伏せた。
やっぱり……そうなんだな。腑に落ちたよ。
「ああ、どうやらそうみたいだ」
疑念が確証に変わり、そして小春はもういない事実に、体の力が一気に抜ける感覚を覚えた。
「ヴィル。どう思います?」
ヒーニアは俺から目を離さずにヴィルに問う。
「異世界転移者ってのは間違いねーと思うぞ。だが……」
「ええ……異世界人が汚染域に転移する例は聞いたことがありません……」
ヒーニアはふぅと小さく息を吐いて、困ったように目を細めた。
「すまないが、さっきから言ってる汚染域って一体……」
僕が問うと、ヴィルがシチューのような白濁色の汁が入った茶碗を差し出してくる。
「飲んどけ。ここに来てからなんも食ってねぇんだろ」
「あ……悪い……」
俺は差し出されたお椀を受け取り、中を見下ろす。
具材は一口台に切られた肉のみ。湯気が立ち、香ばしい香りが鼻を通った。ゴクリと喉が鳴る。
そのまま久々に自覚する空腹に絶えきれなくなり、僕はお碗を恐る恐る口に運んだ。
「美味しい……」
口いっぱいに広がったコクのあるクリームの味わいは、シチューと遜色ないものだった。
僕の反応を見てヴィルは満足そうに小さく笑った。そして、同じものをヒーニアにも手渡して僕の前にドカッと腰を降ろす。
「汚染域が何かだったな。説明してやるよ」
言うなり、ヴィルはお玉を逆さまに持ち、地面に何やら書き始めた。
「これが……大陸、ヒーシェン。この世界で最も広大な大陸だ。そんで、」
ヴィルは横長の楕円に近い絵を描いた後、それの面積の四分の一ほどを占める円を中に描いた。そして、その円をトンとお玉の先端で指して続ける。
「汚染域ってのは魔女が呪いをかけた大地のことだ。この呪いがかかった大地は生身じゃ到底立ち入ることができねぇ。んで、その魔女の呪いは、今も拡大を続けて世界を蝕んでいってる」
「この灰の大地が拡大……?」
さすがファンタジーといったところだ。にわかに信じがたい魔女の呪いとやらに俺は目を剥く。だが、
「いや、拡大してんのは何もここだけじゃねぇ」
ヴィルは円の中にさらに三重の円を書く。
「俺たちが今いるここは第一層。通称『墓場』。この先、二層三層と続く全てを合わせて汚染域って括りになってる」
「一層と何が違うんだ?」
「生態系、地形、空気。何もかもが一変する。その超暴力的な環境に手こずって、人類は千年かかって半分も到達できてねぇ」
「千年……」
「私たち綺麗好きな冒険者は、その呪われてしまった土地……汚染域を開放、浄化する意志を持った集団なんですよ」
空のお椀を置いたヒーニアが、ニコッと笑みを浮かべてそう言った。
「浄化?呪いをか?」
「はいっ!言っときますが本気ですよ!汚染域全体を、人の住める大地に戻すのが我々綺麗好きな冒険者の使命であり、大義!!そのために私は日々戦っているのです!!」
ヒーニアはフンと鼻を鳴らし、豊満な胸を張る。
「汚染を浄化……だから綺麗好きな冒険者か」
「ええ。けれどまあ、名前の割にガサツな人が多いのも事実ですが……」
ヒーニアは、わざとらしくジト目でヴィルを睨んだ。すかさずヴィルが睨み返す。
「何見てんだコラ」
「ヴィルはもっと達観して冷静に物事を判断できるようになった方がいいです。そうだ、練習しましょう!あんがーまねじめーんつっ!はいっ!!」
「はいっじゃねぇ!!誰がやるか!!」
「ぷっ、ははははっ」
彼らのやりとりに僕は思わず吹き出す。
「ふふ、笑われてますよヴィル」
「おめーがふざけたこと言うからだろ」
不愉快そうに顔を歪めるヴィルに、ヒーニアはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。二人と過ごす時間はどこか居心地が良くて……同時に、どの世界にも救いはあるのだなと、僕は浮かんだ涙を拭きながら思った。
「嵐が止んだ。そろそろ帰るぞヒーニア。そいつのこともあるしな」
20分ほど経っただろうか、ヴィルが洞穴の外を見て立ち上がった。
気づけば吹き荒れていた嵐は止み、水を打ったような静けさが、灰の大地を包んでいた。
「そうですね」
ヴィルに続くようにヒーニアも立ち上がる。
「ほら、ジンさんも」
そう手を差し伸べる、ヒーニアの微笑みは、どこか小春と重なるところがあった。
邪心など欠片もない。どこまでも純粋無垢な陽だまりのように温かい笑顔。僕はそんな彼女の、少し熱のこもった手をゆっくりと取る。
「ジンでいいよ」




