闇と新たな可能性
廊下に出ると、心地のいい日差しが真紅のカーペットに落ちていた。
皐月 椛の本を部屋まで持って帰ろうかと考えたが、荷物になるのでやめておいた。あとからまた取りに来ればいいだろう。
「そういえば、本を取りに来たってみたいだけどレフィたちは他に用があったんじゃないのか?」
長い廊下を進みながら、隣を歩くレフィの顔をチラリと横目で見る。
「急ぎって訳じゃないから別に。すぐに取り掛かれるもんでもないしね」
「レフィちゃんと二人で、新しい保存食を作ろうって話になってたの。大図書室には、調理本を探しに」
詳細を言わないレフィの代わりに、エイナが説明をしてくれた。
いつの間にか敬語が消えている。だがそれをツッコむのはやめておいた。またよそよそしくされるのも居心地が悪い。
代わりに、僕は単純な疑問をぶつけてみる。
「なんでわざわざ保存食なんだ?」
保存食を新たに開発するよりは、創作料理を作る方がはるかに簡単に思える。
「私たちは綺麗好きな冒険者よ?汚染域に持っていくために決まってるじゃない。あそこじゃ、凝った料理なんて作れないし、そんな余裕がある方が珍しい。だからみんなあらかじめ、干し肉とかカンパンを持っていくのよ。でもそれじゃ物足りないでしょ?」
「なるほど」
確かに干し肉やカンパンだけじゃバリエーションに乏しい。どうやら食料の保存や加工技術は地球より発達しているわけではないようだ。
そういえば、ヴィルが作っていたスープも、具材は肉だけだった気がする。
「汚染域に限った話じゃないけどね。普通のダンジョンとかでもそうよ。まあ、たまに魔物を食うやつもいるらしいけど私は生理的に無理」
うげ〜っとレフィが苦々しい顔で舌を出す。
その顔をエイナが覗き込んだ。
「本で読んだけど、見た目に目を瞑れば意外と美味しいみたいだよ?」
「絶っっっっっっ対いや!!家畜の肉の方が百億倍美味しいに決まってるわ!!」
まるで虫に怯える女の子のような絶叫をこだまさせながら、レフィの身体は現実空間の通り道である闇色の鏡に吸い込まれた。続くエイナも、家の玄関を通り抜けるように、自然と入っていく。
鏡をくぐる時の、あの気持ちの悪い感覚を二人は感じていないのだろうか。
そう思いながらも、僕は意を決して闇の鏡の中に足を踏み入れた。例の頭が揺れるような感覚に襲われる。
だが、何かおかしい。
すぐに消えるはずの頭の揺れが治らない。体に力が入らない。深い海の底に沈んでいるみたいに息苦し……い……。
それを最後に、僕の意識がプツン、と途切れた。
◆◆◆◆
「我が国はもう限界だ!!」
ヘイルフェン────第一都市クレイア上空。
コンサートホールのような作りの豪奢で、縦に長い空間の二階席から声が上がった。焦燥の滲む怒声は、それを皮切りに加速する。
「止まらない汚染に恐怖した多くの者たちが、不法移民となって押しかけている!!」
「私の国もだ!!資源は尽きかけ、犯罪率の増加も著しいぞ!!」
「こちらも国庫を解放したせいで、来る冬に向けての貯蔵も満足にできていない状況だ!!」
「一体世界調律機関は何をしている!?資金や人員を浪費するだけしておいて、この百年進展がないどころか汚染は広がる一方だぞ!!本当に綺麗好きな冒険者は使い物になるのか!?」
豪奢な服を身に纏い、宝石の埋め込まれた冠を頭に乗せたその者たちは、世界各国の王達であった。
迫る汚染に誰もが不安と怒りを露わにし、一階部分にあるがらんとしたステージに佇む男を睨んでいる。
「なんとか言ったらどうだ!お前のことを言っているのだぞ────第一都市ギルドマスターアダマス!!」
アダマス。そう呼ばれたのは長いブロンドの髪を下ろし、夜の海のような濃紺の軍服によく似た礼服を着こなした紳士然とした雰囲気のある男だった。
舞台のような一階部分の壇上で、アダマスは後ろで腕を組んだまま話し始める。
「陛下らのおっしゃいます通り、広がり続ける汚染はヒーシェンの四分の一にまで進行し、周辺各国に居住する民がこぞって他大陸に移動する事態が起こっております。さらには、鉱物資源が豊富であったチェト峡谷全域が汚染の海に沈み、今や採取不能となってしまいました。このままでは大規模な飢餓に加え、資源不足による装備の供給不足が発生するでしょう」
「でしょう、だと!?アダマス貴様!この事態を他人事だとでも思っておるのか!!」
ダンッ、と王の一人が黄金の装飾がなされた椅子の腕置きを殴る。
だがそんな怒りの声にもアダマスは余裕な態度でニコッ、と微笑む。
「まさか、滅相もない。このアダマス、陛下と同じ、この世界の行末を憂う者の一人でございますよ。なにせ汚染域に最も近いのは我が国、ヘイルフェンなのですから」
「我が国だと?その土地は我々が分け与えたものだということを忘れたわけではあるまいな!」
「ぷっ……」
別の王から飛んだその言葉に、アダマスは吹き出した。
「貴様!何がおかしい!!」
顔に青筋が奔らせこちらを指差す王に、アダマスは片眉を下げて演技じみた困ったような顔をする。
「これは失礼いたしました。いえね、王ともあろうお方が犬に与えた小屋を自らのものと主張しているのがなんだかおかしくて……プフッ……」
「なっ!」
「戯言はいい!それより、必要なのはこれからどうするかだ!アダマス!汚染域奪還への道筋はまだ見えないままか!?」
別の王からそう問われたアダマスは、目尻に浮かんだ涙を拭いながら端的に答えた。
「どうも、三層への侵入が上手くいっていない状況です」
「不可視の巨壁……階層支配者か」
「ええ。三層外周を囲うあの幻血獣は、あらゆる物質やエネルギーを通さない能力を持つと考えられています。綺麗好きな冒険者が試した限りでは祝福による攻撃はもちろん、十二芒星級魔術も有効打になり得ませんでした。今のところ攻略の目処は立っていません」
「ここ五年ずっとそうじゃないか!なんとかしろよ俺の食いもんが減る一方だ!!」
二階席の一番右の席に座る、三十代後半くらいの雪だるまのように太った王がぶるん、と顎肉を揺らして叫んだ。
僅かにアダマスの顔に影が入る。小さな舌打ちがその影から鳴った。
「この後に及んでまだ自己都合を吠えるか、豚め……」
誰にも聞こえないような冷え切った小声。しかしアダマスはすぐにその顔を太った王の方に向け、薄ら笑いを貼り付ける。
「五年ではなく、八年ですよフェンディス王。これまで会議に不参加だったあなたがいるとは珍しい。ようやく危機感が芽生えてきたのですか?」
「だ、黙れ!無能な綺麗好きな冒険者め!!百年かかっても大陸の土地一つ取り返せずにのうのうと暮らしやがって!!」
アダマスの瞳から温度がなくなる。息ができなくなるほどの冷たさ。殺気すら生ぬるいほどの圧に、フェンディス王は身を揺らしてたじろぐ。
「お言葉ですが陛下。ヘイルフェンは百年もの間、死力をつくして汚染に挑んでおります。どうか死んでいったものたちへの侮蔑は控えていただきたい」
「だ、黙れ!!世界調律機関もだぞ!!俺たちが特例で設置してやった恩を忘れやがって!!」
「……そういえばフェンディス王。貴国自慢の魔導艦隊ですが、あれの動力源は確か一般の魔物の魔石ではなく、質の高い幻血獣の魔石を使っていましたね」
「な……何が言いたい!!」
「飼い犬に手を噛まれたと吠えるのは勝手ですが、もう少しご自分が一国の王だという自覚を持たれるべきかと。私の上司も見ていますよ」
アダマスは悠然と三階部分の、卵を半分にしたような観客席を指差す。その先には、真っ黒なスーツを身に纏った者たちが数名、静かに王達を見下ろしていた。
「世界調律機関……っ!!」
その者たちを見た途端、フェンディス王だけでなく、他の王までもがザワザワと動揺し始めた。
「世界調律機関だって……!?聞いてないぞ!」
「ま、まさか奴らも来ているなんて……今までこの会議には顔を出していなかったはずなのに」
「へ、下手なことを言うとまずい。魔石の補給が途絶えれば我が国の結界が……」
「私の言葉、彼らの耳に入ってたか!?入っていないよな!?」
おーおー、一国の王ともあろう者たちが血相をかいて……滑稽だなぁ。この程度で動揺するなんて、流石は戦争を知らないお坊ちゃん達だ。
アダマスは、自らの上司を見て騒がしくなった二階の観客席に向かって目を細める。
今や世界は一般の魔物の魔石よりも、魔力含有率の高い幻血獣の魔石に依存している。そしてその供給量の調整を行なっているのが綺麗好きな冒険者の上部組織である世界調律機関。
当時幻血獣の魔石の価値に気づいていなかった無能な先代先先代の王達が、その権利全てを世界調律機関に投げたことで各国の意思のもとで作られた組織は、逆にその意思を操るところにまで転じた。
そう思うと二世三世共の日和見主義的な短絡さは、親譲りのものなのかな?まあいずれにしろ、そんな一族共はもう時期滅びる運命にある。考えるだけ無駄だな。
そこでアダマスはパンッ、と手を叩く。全体が静まり返った。
「ご安心ください皆様。さっきのはちょっとした冗談ですよ。子供の”戯れ”だと思って、どうか水に流してくだされ」
王達が息を呑む。それを確認してから、アダマスは声のトーンを落として続ける。
「さて、貴国らが目下の課題としている移民と資源不足ですが、結論から言えばそれらは全て近いうちに解決するでしょう」
「え……」
「解決!?」
天才的な軍師のように、遥か遠くを見通す目をして言い切ったアダマスに、王達がまた動揺する。だがその騒がしさは、先ほどのような恐怖は微塵も含まれておらず、どこか浮き足立つような軽やかなものだった。
「ど……どう言うことだアダマス!?」
問われたアダマスがスゥ、と息を吸って落ち着いた口調で話し始める。
「汚染域が出現してから一世紀もの時間が経ちました。長い、とても長い時間です。苦しかったでしょう。怖かったでしょう。皆様方がこうして急くのも当然です。しかしながら、時の流れというものは常に希望を生むものです」
「希望……?」
「ええ、希望でございます」
そう相槌を打ったアダマスは後ろで組んだ腕をバッ、と広げる。そして、力強く清々しい表情のままアダマスは宣言する。
「百年!これは過去から推測しても、力の変革が起こるには十分な時間!!お待たせしました皆様!もう時期です。もう時期、出てきますよ────新たな可能性を持つ、新世代の者たちが!」




