4 見られたくなかった!
次の日の朝、揶揄ったでしょ!? と詰め寄った私に、未央は悪びれもせずに笑っていた。
「伊月に聞いたの? 本人が嫌がってる写真、流石に勝手に送るわけないじゃん」
その良識は有難いけど、できれば私を翻弄するのを控える思いやりも欲しかったよ!?
「見られちゃったらどうしようかと思って、早口で要領を得ない話しちゃって、めっちゃ恥ずかしかったんだから」
怒りながらそう言ったら、未央は、ほーん? と人の悪そうな笑みを浮かべた。
「早口で? へえ、本当に電話したんだ」
「う。……し、したよ! しました! 十八時半にトーク画面眺めてたら既読が付いたから、その瞬間電話しました!」
開き直り気味に余計なことまで説明したら、未央はおかしそうに笑った。
「既読付く瞬間見守ってたの? もうストーカーじゃん」
やめて、言わないで! 自分でも若干それ思ったんだから!!
「見られたらどうしようってめっちゃ焦ってたんだもん! もう二人して私のことからかって、信じらんない」
ぶーぶーと文句を言ったら、未央はきょとんとしたように小首を傾げた。
「二人して、って。伊月にもなんか言われたの?」
「そうだよ!! 最初届いてないって言ってくれたから安心してたら、まあ嘘ですけど……って、届いてるみたいな感じ出してきて!! 血の気が引いたんだから!」
意外とそういうお茶目なところも嫌いじゃないけど、昨日は本当にやめて欲しかった。
ぷりぷりしながら未央に文句を言ったら、私に言われても、と呆れたように返される。
「まあでも、良かったじゃない。私のおかげで通話できて」
「え!? うーん、まあ、そう……かも。ありがとう……?」
何言ってんの、って一瞬反論し掛けたけど、確かに、あの写真の一件が無かったら、少なくとも通話は出来ていなかったし、デートにも誘えていなかった気がする。
ちょっと納得できない部分もあるけど、一応お礼は言っておいた。
「ちなみに未央、伊月くんに私のこと、なんも言ってないんだよね?」
「なんもって? ひまが伊月全肯定botになってることとか?」
「うう、そう」
恥ずかしいけど今のところ伊月くんの嫌いなところが思いつかないので、否定もできず、渋々頷く。
「なんも言ってないよ。ていうか、伊月とあんたの話自体してない」
「そうなの?」
良かった、と一瞬安堵した後で、ちょっとだけ寂しい気持ちになる。
最近連絡を取っていた知り合いが実は姉の友人だったってなったら、なんか話したりしないものなのかな? いや、私の日常の恥ずかしい失敗談とかを共有されても嫌なので、それでいいはずなんだけど。
兄弟がいないから想像でしかないんだけど、もし私に姉がいて、好きな人と姉が友人だってわかったとしたら、絶対に姉に色々聞くと思う。
普段はどんな感じなのかとか、何が好きなのかとか。
実際、私既に未央を質問攻めにしてるし。
そう考えると、伊月くんってまったく私に興味とか無いんだろうなあ。
確かに、最初に助けてくれたのはあくまで善意だろうし、その後の交流って、思えば全部私発信だ。
デートにまで誘ってしまったけれど、伊月くんはどう思ってるんだろう。
もし、断り切れなかったんだったらどうしよう。
なんか、急に不安になってきた。大事な姉の友人だからと、断りづらい気持ちにさせてしまっている可能性を、あまり考えていなかった。
「なんかひまは、また余計なこと考えてそうだけど。そもそも私たち、普段からそんなに会話してないからね。もし伊月がひまのこと聞きたかったとしても、すぐには私に聞いて来ないと思うな」
「そうなの?」
未央は、うん、と頷いた。
「私だって逆の立場だったとしても、絶対に伊月に聞いたりしない。伊月に弱みとか握らせたくないじゃん」
「弱みって」
甘酸っぱい恋愛の話をしていたはずなのに、急にシビアな戦いの話みたいになったの、なに?
「特に協力はしないけど、応援してるから、頑張って」
「見捨てないで、協力してよ」
私は未央の手を取って、ぶんぶんと振り回す。
「この前未央と、ハンバーガー屋さんでパンケーキ食べたでしょ? あれ安いのに美味しかったし、伊月くん甘いの好きだって未央が言ってたから、昨日誘ってみたの」
「もー、私に伊月の相談をするなって言ってんのに」
不服そうな声を上げながらも、それで?と先を促してくれる未央は、やっぱりツンデレだし優しいと思う。
「OKしてくれたの!! だから今週末一緒に行ってくる!」
「おお、良かったじゃん」
「うん、ありがとう! 断られるかもってめちゃくちゃ緊張したんだけど、誘ってみてよかったーーー! 来週、どうだったか報告するから待っててね」
「いやいらんけど」
「そう言わずに聞いてよ、お姉様」
「お姉様って言うのやめて」
未央は呆れたように苦笑しつつも、楽しめるといいね、と言ってくれた。未央のツンデレ、塩梅が絶妙すぎて沼。姉弟揃って私を沼に嵌らせるとは、おそるべし。
◆
日曜日は、やっぱり平日と比べてお客さんが多い。オープンシフトだったので、朝からせっせと先輩と一緒に焼きまくったシュー生地は、お昼過ぎにはもう半分近く無くなっていた。
沢山並んでいたお客さんを無事に捌き、一時的に客足が落ち着いたところで、先輩が追加の生地焼いてくるねー、と裏に回ってくれた。裏とは言ってもすぐそこでレジの様子が見える場所なので、混んできたらまた戻って来てくれるだろう。
先輩は、二つ年上の女子大生なのだけれど、いつも仕事が早くてちゃきちゃきしていて、とっても頼りがいのある人だ。二年後の自分もあんな風になれていたらいいなと思うけれど、そうはなれていない気がする。
よく考えたら、伊月くんだって、二つも年下なのに私より全然しっかりしているし、年齢なんて関係無いのかもしれない……。
ちょっぴり切ない気持ちになりつつ、壁に掛かった時計にちらりと視線をやると、もう後十分ほどで十四時になるところだった。
あと一時間もしないうちに、伊月くんと合流してパンケーキを食べに行くのだ。
そんなことを思ったら、しんみりしていた気持ちは一気に吹っ飛んで、なんだかそわそわと緊張してきた。
いやいやいや。
まだ仕事中なんだった。さっきしっかりしなくては、と思ったばっかりなのに。
自分に呆れつつ、気合を入れ直したところで、お客さんが近づいてくる気配がした。
「いらっしゃいませ〜」
にっこり笑みを浮かべて、レジ前にやってきた人を見上げる。
そこには、私服姿の伊月くんが立っていた。
「え、うええっ?!」
びっくりしすぎて裏返った声を上げた私に、伊月くんが微かに笑う。
「こんにちは。来ちゃいました」
「いや、いやいやいやなんで!?」
最悪だ。こんな格好絶対見られたくなかったのに。
私は衛生帽子の端をそわそわと触ってしまうけれど、どうあがいても隠しようがない。
ユニフォーム自体は普通にブラウスとエプロンなので、可愛くはないけどまだいい。ただ、毛が落ちないようにと髪を全て引っ詰めて押し込んでいるこの髪型だけは、ダサすぎて絶対に見られたくなかった。
しかもこの帽子、店のロゴが赤字ででっかく印刷されていて、またそれが一際ダサさを際立てていてヤバい。
「ラスク一袋下さい」
「ら、ラスク、ラスクですね。かしこまりました」
私はわたわたしながら、指先に除菌スプレーを吹きかけると、棚からラスクの袋を取り出して、カウンターに乗せる。伊月くんがカウンターに置いたポイントカードのバーコードをスキャンしながら、私は問い掛けた。
「袋はご入用ですか?」
「ください」
「袋代五円を含めまして、五百六十円になります。えっと、ポイントカードはお持ちでしょうか?」
「さっきスキャンしてくれてましたよ」
ちょっと笑いながらそう言われて、かあっと頬に熱がのぼる。
本当だ、レジの画面にちゃんとポイントカード情報が表示されている。
やだ、もう、頭が真っ白だ。
「も、もう恥ずかしい。なんで来たの?」
「駅前に行くって言ったら、ここのラスク買ってきてって親に頼まれたので」
あっさりとした答えが返ってきて、余計に顔が熱くなる。
親御さんに頼まれたってことは、本当に純粋にラスクを買いたかっただけなのだろう。確かに、確かに余ったシュー生地を使って作っているラスクはめっちゃおいしいし、人気商品だけど!
一瞬、私のバイトしてるところを見に来たのかな、って思ってしまった。自意識過剰すぎて、恥ずかしい。
そうだよね、そんなのわざわざ見に来ないよね。
私はラスクの入った袋を、持ち手のついた白い袋に入れて、俯き加減に伊月くんに差し出す。ちょっと今恥ずかしくて、顔を見られない。
「Sumicaで」
交通系IC決済を指定されたので、私は端末を操作して支払いのモードに切り替える。
「光りましたら、そちらにタッチお願いします」
「はい」
シュルン、と軽やかな音がして、画面に決済完了の文字が表示される。
「わざわざ来なくても、言ってくれたら、私が買っといて持って行ったのに」
恥ずかしさのあまり、画面から目を逸らせないまま、八つ当たりするような気持ちでそうぼやく。
伊月くんはしれっと
「どうせなら、長渡さんの働いてるところ見たかったので」
などと言い出した。
うう、自意識過剰じゃなかったんじゃん。
「こんな変な格好で働いてるの、見られたくなかったよ」
「え、変ですか?」
不思議そうに問い掛けられるけど、私は俯いたまま顔を上げられない。
食品に携わる者としては正しい格好だし、もちろん恥ずべきものではないんだけど、こんなおでこも丸出しの姿、間違っても絶対に好きな人に見られたい格好じゃない。何より帽子がダサすぎて無理。
「もー、本当にやだ、見ないで、早く行って」
帽子を被り直しながらいじけたような気分でそう口にしたら、伊月くんがちょっと笑った気配がした。
「わかりました」
笑ってくれてはいるけど、でもこんな追い払うみたいな対応は流石に感じが悪いかもしれない。
そう思って、そっと視線だけ上げる。伊月くんはまだこちらを見ていて、目が合った瞬間、ちょっとだけ驚いたように目を丸くした。
「えっと、また後で、ね」
胸元のあたりまで、ちょっとだけ手を上げて、仕事中にできる精一杯のバイバイを送る。
伊月くんは微かに笑ってくれて、手を振って去って行った。
「——なになに、今の子、彼氏?」
裏からひょこっと顔を出した先輩が、冷めたシュー生地の乗ったトレイを持ってこちらに寄って来ながら、にやにやと笑みを向けてくる。
ばっちり見られていたことを知り、恥ずかしくなる。
「かっれしじゃないです」
「かっれしじゃないのか」
先輩は変な抑揚になってしまった私を真似しつつ、シュー生地を補充していく。
「今のところ、私の片思いです」
思い切ってそう口にしたら、先輩はちょっと意外そうに私を振り返って、それからにやあと揶揄うような笑みを浮かべた。
「なるほどなるほど。いいなあ。同じ学校の子?」
そう聞かれて、言葉に詰まる。中学生ですって、ちょっと言いづらい。
「えっと、学校は違うんですけど」
濁すようにそう答えたら、他校生なのかー、と都合良く解釈してくれた様子だったので、私はへへ、と曖昧に笑った。
「いいねえ、青春だねえ。私も彼氏欲しいなー」
「彼氏じゃないですってば」
否定する私を意に介す様子もなく、先輩は笑いながらシュー生地の補充を再開する。
私も慌てて裏に回って、朝に焼いたシュー生地のトレイを表に運んだ。先輩の隣に並んで、生地の補充をしていたら、おはようございまーす、と私と入れ替わりのシフトの子がやってきた。
時計を見たら、丁度十四時になっていた。
「おはようございます」
「おはよー。長渡ちゃん、そしたらもうあとはやるから、上がってくれていいよ」
先輩がそう言ってトレイを受け取ってくれたので、お礼を言って、二人に挨拶してから店を出る。
バックルームの階段を通って、従業員用の更衣室に向かう。更衣室に入ってすぐ、鏡に映った自分の姿を見て、思わずうっと声を上げた。
相変わらずださい。しかも、うっすら汗をかいて化粧も剥げて鼻がテカっている。え、この顔見られたってこと? 嫌すぎる!
私はずぅーんとした気分になりつつ、帽子を脱いでエプロンを外す。今日はちょっと気温が下がって肌寒かったので、白の薄手のニットにグレーのチュールスカートの組み合わせにした。今日は公園に行く予定は無いけれど、沢山歩いても大丈夫なように足元は黒いスニーカーだ。
着替え終えて鏡を見れば、髪の毛がぺちゃんこの私が映っている。私はトイレに移動した。
駅ビルの従業員用トイレは、化粧をするための仕切りのあるブースがいくつかあって、しかもコンセントを刺すところまでついている。
まあ、使ったことなんて無かったんだけど、今日ばかりは本当にこの存在がありがたい。
私はわざわざ持ってきたヘアアイロンをコンセントに繋いで、髪を整えて、化粧も直してから待ち合わせ場所に向かった。
やっぱり好きな人には、万全の状態で会いたいもんね。
改札の前に着いたのは、待ち合わせ時間の五分前だった。
きょろきょろと姿を探し回ると、伊月くんは柱にもたれるように立って、スマホをいじっていた。
この前のキャップを被っていた姿もかっこよかったけれど、今日のちょっとゆるめのグレーのフーディーに、デニムという格好もとてもかっこいい。なんなら、可愛さまである。無敵か?
さっきは、ダサい帽子を被っている恥ずかしさで伊月くんをちゃんと見られなかったのだけど、今日も伊月くんはかっこいい。いや、よすぎる。
きゅううと疼く心臓を抑えるように握った手のひらを胸に当て、伊月くんを見ていたら、ふと顔を上げた伊月くんと目が合う。
あっ、という顔をして、伊月くんが近寄って来てくれた。
「お疲れ様です」
「お、お疲れ様です」
正面に立った伊月くんは、私を見下ろして不思議そうな表情を浮かべる。
「どうしたんですか? ぼうっと突っ立って」
まさか伊月くんに見惚れていました、なんて正直に答えるわけにもいかず、いや、うん、えと、と意味のない言葉を発してしまう。
「お、お待たせしました」
とりあえずぺこりと頭を下げたら、まだ二時半なってないんで、と優しい声が降ってくる。
うう。好き。
「なんかすごい荷物ですね」
伊月くんが私のトートバッグを見て、思わずと言ったようにそう口にした。
本当は、小さいポシェットとか、女の子らしくて可愛い鞄で来たかったんだけど、バイトのユニフォームも持って帰らなきゃだし、今日はヘアアイロンまであるので、荷物がいっぱいになってしまったのだ。
「重くないですか? ……持ちましょうか?」
ちょっと躊躇いながらも、そう問い掛けてくる。
優しい。
好き。
「だ、大丈夫。バイトの制服とか入ってるだけで、嵩張ってるけど軽いから! ありがとう」
流石に荷物持ちなんてさせるわけにはいかないので慌てて断って、それから私と伊月くんは歩いてハンバーガーショップに向かった。
「あっ、この前はその、ごめんね。急に電話して」
歩きながら、慌てて電話してしまった日のことを思い出して、なんだかそわそわしてしまう。
「全然大丈夫ですよ」
「未央ってばひどいよね、すぐ揶揄うんだから」
そうやってぼやいてから、いや目の前のこの人にも揶揄われたんだった、と思い出して、ひっそり頬を膨らませる。
「私去年こっちに引っ越してきたんだけど、それからずっと未央とは仲良くて。でも伊月くんと姉弟なのは知らなかったから、びっくりしちゃった」
「俺もびっくりしました。長渡さんと姉が仲良いって、あんまりイメージできなくて」
「えー! なんで!? 毎日一緒にお昼食べてるし、めっちゃ仲良いよ。私からしたら、伊月くんと未央が仲良く話してる姿の方が想像できないかも」
思わずそんな風に返したら、伊月くんはちょっと苦笑した。
「仲良く話してはないですね」
「え、そうなの?」
「喋らない日もザラなんで」
「えー!!!?」
同じ家に住んでて、一言も会話しないなんて、そんなことあるの!?
毎日父にも母にもいっぱい喋りかけてしまうので、話さない日をイメージできなくて驚いてしまう。
まあでも親と兄弟じゃまた違うのかもなあ。未央も弱み握られたくない、とかよくわかんないこと言ってたもんね。
「通りで未央に伊月くんのこと聞いても、知らないって言われるはずだなあ」
恋バナとか全然しないって言ってたけど、恋バナどころか日常の会話すら無いとは。思春期の姉弟って、そんなものなのかなあ。
そんなこと思いながら独り言のように呟いたら、不思議そうに問い返された。
「俺のこと?」
あ、と思って咄嗟に手で口を抑える。
この流れ、この前の電話でもやらかさなかった?
思ったことそのまま口にするの、本当にやめなければ。
何を聞いたのか、とか、訊ねられたら困る。
好きな人いるのかな、とか、元カノはいるのかな、とか。そんなこと聞いたの絶対知られたくない。
「ええっとね。甘い物好きなことと、か……。——あ! こっちから行こ!」
とりあえず無難そうな好みの話をしてみたけど、それから、いやこれは無難だったのか? と考える。
だって普通、友達の弟の好きな食べ物とか聞くかな!? 聞かないよね。
私は慌てて話題を逸そうと、手を階段の方に指し示した。
伊月くんは、了承したように頷いてくれる。
うう。
いつもめっちゃ不自然な話題の逸らし方をしてるよなあ。
伊月くんはしつこく聞いて来たりしないので、その優しさに本当に救われている。
私は気まずさを誤魔化すように、少し早足で階段に向かった。
「混んでないといいね——って、うわ!」
階段を数段下って、喋りながら斜め後ろを振り返ろうとした瞬間、つるりと足が滑った。
慌てて手すりを掴もうとした手が、虚しく宙を切る。
その瞬間、驚く程強い力で腕を掴まれ、上に引き上げられた。
ぽす、と頭が何かに当たる。
何が起きたのか分からず、一瞬茫然としていると、頭の上から低い声が降ってきた。
「っぶなー……、大丈夫ですか?」
はっと頭上を仰ぎ見れば、焦ったような表情の伊月くんが私を見下ろしていた。
か、顔が近い!
私は頭を伊月くんにもたれさせた状態で立っていることに気づいて、慌てて伊月くんから離れる。
そこでやっと、落ちかけた私を、伊月くんが助けてくれたのだ、と理解した。
「ご、ごめん、ありがとう」
落ちかけた瞬間のヒヤリとした感覚と、腕を掴んで引き寄せられたことへのドキドキと、二重の意味で心臓が飛び出そうなほどに暴れているのを感じる。
「いえ。ここの階段、滑りやすいから気をつけてください」
言いながら、伊月くんが掴んでいた私の腕を離す。
「うん」
冷静にそう返されて、私は恥ずかしい気持ちになりながら頷いた。これではどっちが年上なのか、わかったものではない。
そんなこと思うの、今更かもしれないけど。
背後で、安堵したように息を吐く気配がして。それから伊月くんは、なんか、とおもむろに呟いた。
「長渡さん、シュークリームのに……」
そこまで言いかけて、不意に言葉を止める。
「え?」
途切れた言葉の続きが気になって、振り返ってしまった。
伊月くんと目が合うと、やっぱり恥ずかしくて、顔が熱くなっていくのを感じる。けれど、私を見下ろした伊月くんの頬も、ほんのりと赤くなっているような気がした。
え? なんで?
気のせいかな。
「ん? なに言い掛けたの?」
「な、んでもない、です」
気になって問い掛けたら、めちゃくちゃ不自然な否定が返ってきた。
私ならともかく、伊月くんがこんな風に挙動不審なのって珍しい。少なくとも私は見たことない気がする。
何を言おうとしたんだろう。
シュークリームのに? のにってなんだ?
シュークリームの実の聞き間違い? いやそれこそなに?
パイの実の上位互換みたいな??
頭の中にめちゃくちゃ疑問符が飛び交っていて、何を言おうとしたのか聞きたかったけれど、いつも挙動不審になった私が話題を逸らした時、伊月くんはどんなに不自然でも追求しないでいてくれた。
なのに私が、なになになに!?てしつこく聞くのは流石に憚られる。
「あ、長渡さん。俺、やっぱりその鞄持つから、ちゃんと手すり掴んで降りてください」
「え、大丈夫だよ、鞄持ってても、手すり掴めるから!」
私は慌ててそう答えて、階段の手すりをぎゅっと握り締める。
ほら、とドヤ顔で振り返ったら、ちょっと呆れたような顔をされた。
いつも通りの、伊月くんだ。顔が赤いなんて思ったのは、気のせいだったのかも。
「振り返らないで、前向いて歩いてください」
そう言いながら、伊月くんは階段を数段駆け降りて、私の隣に立つ。
その言い方がもう完全に先生のそれだったので、私はときめきと羞恥の入り混じったような、変な感覚を体験する羽目になった。
「はい、先生」
照れ隠しみたいにそう言ったら、先生じゃありません、と律儀に否定される。
伊月くんってやっぱり、しっかりしてるよなあ。
私ももっと、大人のお姉さんらしい、頼り甲斐のあるところを見せれたらいいんだけど——そんなことを思いながら、バーガーショップへの道のりを歩いた。




