↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/12

1 彼女って何人いる?

 数日後、放課後の委員会活動があって少し遅くなったその日、下校途中に突然雨が降ってきた。

 

 ぽた、ぽた、と最初は数滴落ちてきた雨粒は、あっという間に増え始めて、私は慌ててスクールバッグの中から、男物の折り畳み傘を取り出した。女子高生が持つにはあまりにも無骨なそれは、父の私物だ。

 

 朝のテレビ番組の占いコーナーで、うお座の今日のラッキーアイテムは「大きい折り畳み傘」だったのだ。自分用の可愛らしい水玉模様の折り畳み傘を持って来るつもりだったけれど、先に家を出た父の大きな傘が残っていたので、せっかくならより大きな物を、と勝手に拝借してきた。

 

 今日は晴れの予報だったので、傘を持ち歩いている人は少なかったのだろう。突然の雨に、慌てて走る人たちが何人か横を通り過ぎて行った。

 私も、星占いを見ていなかったら傘なんて持って来ていなかったと思う。朝の星占い、ありがとう。段々と強くなってくる雨音を聞きながら、内心でそんな感謝をしつつ、大きすぎる傘を差して家路を歩く。

 

 ふいに、後ろから誰かが走って来る足音がした。

 

 何気無く振り返ると、大股で走って来る男の子が目に映った。着ているのは中学の学ランだ。先日の彼と同じ学校の子だ、と一瞬そう思ってから、まさにあの時の少年本人だと気付く。

 

 彼は私の方など見向きもせず、あっという間に私の隣を通り過ぎていく。

 私は慌てて呼び止めようとして、言葉に詰まった。


 ——彼の名前を、知らない。

 

 けれども早く呼び止めなければ、あっという間に去って行ってしまいそうだ。

 何でもいいから呼び止めなくてはと焦った私は、言葉を思いつく前に口を開いた。

 

「そ、そこの中学生ーー!!」


 そんな雑な呼び止め方でも、彼は立ち止まり、不思議そうに振り返ってくれた。

 私は慌てて駆け寄って、彼に傘を差し掛けた。


「家、こっちなの? 良かったら一緒に帰ろ」

「え?」

 

 濡れて額に張り付いた前髪を煩わしそうに避けながら、彼は少し戸惑ったような目で私を見下ろした。

 明らかに驚いている、というか、引いている?

 なんで?

 ちょっと前に助けてあげた相手が、お礼として雨の日に傘に入れてくれるって、そんなに変なことじゃない……よね?

 

「この前助けて貰ったから、そのお返し。この傘大きいから、二人で入っても余裕だと思う、よ?」


 貰った恩は返したいし、そもそも何より、気になっている相手なのだ。好きな人との相合傘のシチュエーションなんて、逃したくないに決まっている。

 

 少年は戸惑ったような顔で私を見下ろしていたけれど、ややして、あ、と何かに気付いたように声を漏らした。


「あ……、ティッシュの人?」

 

 え、もしかして、今の今まで忘れられてた?!

 というか、覚え方、ティッシュの人なの?!

 まあキャッチセールスを上手く交わせない人、よりはいいか……。

 

 いや、いいのか?

 自問自答しつつも、これは自己紹介のチャンスだ、と気を取り直し、私は彼を見上げて笑みを浮かべた。

 

「私は長渡(ながと)ひまり。ひまでいいよ!」


 ちゃっかり愛称をアピールしつつそう告げると、少年はひとつ瞬きをした後、落ち着いた声音で名乗り返してくれた。

 

「……佐藤伊月(いづき)です」

「いづきくん? 素敵な名前だね。どんな漢字書くの?」


 さりげなく勝手に下の名前で呼びつつ、漢字の表記を聞いてみる。

 好きな人の名前だからそう思うのかもしれないけど、めちゃくちゃかっこいい名前だ。


「伊勢志摩のイに、ツキです。月曜日のゲツ」


 伊月くん、か。

 漢字を浮かべても、やっぱり素敵な名前だ。私がにまにましていると、彼はお言葉に甘えてお邪魔します、と丁寧にお礼を口にした。


「あ、俺持ちます」


 頭に傘が当たらないように、めいっぱい腕を伸ばしていたことに気付いた様子で、伊月くんは傘の中棒をそっと握ってくれた。

 や、優しい。

 私は小さなときめきを覚えながら、持ち手からそっと手を離した。そのまま、傘にボタボタと当たる雨粒の音をBGMに、連れ立ってゆっくりと歩き出す。


 もう会えないだろうな、と思っていたのにこんなにもすぐに再会して、名前を聞けて、しかも相合傘まで出来るなんて。

 普段なら、こんな突然の雨なんて気が滅入るだけなのに。今日は傘に当たる雨粒の音も、土っぽい雨のにおいも、全てが愛おしくて、世界に感謝を捧げたい気持ちだ。

 嬉しくてつい、頬がゆるゆるに緩んでしまう。

 朝の星占い、すごい。ハピネスエンジェル⭐︎きらら様すごい。明日からもちゃんと毎朝星占いは見よう。

 

 そんな決意を抱いたところで、背後からプーッとクラクションの音がした。後を振り返ると、少し離れたところから大型のトラックがこちらに向かってくるのが見えた。雨で視界が悪いので、危険を知らせてくれているみたいだ。狭い道なので、端に寄っておいた方が良さそう。

 そう思った瞬間、ふいに右肩に手が載せられた。はっとして隣を見上げたら、いつの間にか傘を反対の手に持ち替えた伊月くんは、自然な動作で私の右肩をそっと引き寄せながら、私の向こう——つまり、トラックが通るであろう場所に視線を向けていた。

 

 ばっくんばっくんと激しく心臓の鼓動を打ち鳴らす私をよそに、プーッと音を立てながら、トラックが隣を通り抜けて行く。

 彼は私の肩を抱いたままの右手で私を左側に押しやると、右側を、つまり車が通る側を歩き出した。

 その動作があまりにも自然で、なんだか慣れているように感じてしまう。

 

 肩に触れていた手はすっと離されたけれど、ときめきすぎて、心臓のバクバクがおさまらない。

 同級生、いや、年上の男性でも、こんなにスマートに守ってくれる人なんて、そうそういない気がする。


 絶対に慣れている。

 伊月くんには——もしかしたら、彼女がいるのかもしれない。

 それも、昨日今日付き合いだしたような初々しい相手ではなくて、もう長く一緒にいるような彼女が。或いは、過去に何人かお付き合いした経験があるのかもしれない。

 いやいやまだ中学生なのに!? て思うけど、それくらい自然なエスコートだったのだ。

 誰かと付き合ったことはおろか、誰かを好きになったこと自体が初めての私とは、経験値が全く違っていそうだ。

 

 もうとっくに手は離されたのに、触れられた箇所がやたらと熱く感じる。

 感じたことがないほどに、心臓が激しく脈打っているのに、けれど確実にいるのであろう「伊月くんの彼女」の存在を思うと、胸がちくりと痛む。


 私はこんがらがった頭の中を整理しようと口を開いたけれど、飛び出したのは自分でも意味のわからない質問だった。


「ねえ、彼女って何人いる?」


 ……間違えた。

 元カノとか、何人かいるのかな、なんて考えていたから、変な質問をしてしまった。

 

「はあ?」


 思わずと言ったように、怪訝そうな声が返って来る。

 怪しまれているどころか、ともすれば不審がられているその響きにさえ、何故だかきゅんとしてしまった。

 さすがに末期すぎる。

 

「ま、間違えた。彼女さんどんな人?」


 そんなの、聞かない方がいいに決まってるのに。ここからのろけが始まったらどうするつもりなんだ。そう思いながらも、彼女の存在が気になりすぎて、ついついそう訊ねてしまった。

 

「彼女って、俺の? そんな人いませんけど」


 私の不安は、あっさりと打ち破られた。

 え、いないの? そんなことある?

 あくまで今の話しかしていないから、もしかしたら、過去には元カノとかいたかもしれないけど——まあでも、今はいないってことだもんね!

 そう思ったら、じわじわと嬉しさが込み上げてきた。


 とはいえ、ここから、どうしたらいい?

 じゃあ私なんてどうですか、って聞くべき?

 いや流石に早すぎる?

 じゃあ、好きなタイプとか……年上はありかとかくらいなら聞いてみても、いいかな?

 

 ときめきと高揚と緊張で、頭の中が軽くパニックになっている。

 けれどそんな私を、伊月くんが不思議そうに見下ろしてくる。

 なにか口にしなきゃ。

 私は必死に平静を装って、口を開いた。

 

「そ、そっか。ちなみに、大人のお姉さんには興味ある?」


 うう。

 なんかまた変な聞き方をしてしまった。


「はあ?」


 本日二回目の、怪訝そうな声が返ってくる。

 不審がられてるのに、いちいちときめいてしまう自分が怖い。


 というか、自分で言っておいてなんだけど、大人のお姉さんってなに?

 なんかいかがわしい質問と勘違いされてたらどうしよう!

 訂正しなきゃ、と慌てた私は焦って付け足した。

 

「つまり、私のことなんだけど」


 絶望的に間違えた気がする。

 

「大人の……お姉さん」


 一瞬の沈黙の後、伊月くんが、抑揚のない声で繰り返した。

 どこが? と言いたげな視線に耐えきれず、私は視線を斜めに落とした。

 

「な、なんちゃって。ハハ……雨酷いね」


 あまりにも不自然な話題の逸らし方になってしまったけれど、伊月くんは不審な私を追求することはなく、そうですね、と話に乗ってくれた。


「今日は朝の星占いで大きな折り畳み傘がいいって言われたから、お父さんのを借りてきたんだけど。星占いって凄いね」

「そうなんですね。俺も助かりました」

 

 気まずさからやたら饒舌になってしまう私に、伊月くんは穏やかに相槌を打ってくれる。

 優しい。

 やっぱり好き。

 

「へへ、こないだ助けて貰ったから、今度はお返しが出来て良かった。ちなみに家はどの辺なの?」


 家の場所なんて聞いたら警戒されるだろうか、と思ったけれど、彼は三丁目の郵便局のあたりです、と教えてくれた。

 私の家よりは少し先だ。

 

「うちはもうすぐそこなんだけど、傘貸すから、連絡先教えてくれない?」


 連絡先を知りたい一心で、傘を人質のようにして問い掛けたら、伊月くんはほんの僅かに困ったように瞳を伏せた。


「すみません、ID、覚えてないです。学校が持ち込み禁止なんで、スマホ持ち歩いてなくて」


 ——え。

 スマホ持ち歩いてないなんて、そんなことある?


 私が中学の時は授業中に触らなければOKだったから、みんな持ち歩いていたけれど……ここの地区の中学では、禁止されていたりするのかな?


 わざわざ嘘をついたりはしないだろう、ってそう思いたいけれど、でも、IDも覚えてないだなんて、体よく断られただけのような気もする。


「そっかあ」


 正直、連絡先くらい交換してもらえると思っていた私は、しょんぼりと肩を落とした。

 そうだよね。知らない年上の女子高生と、連絡先交換したいなんて普通は思わないよね……。

 好意を抱いているのは、私だけなのだから当然だ。


 そうこうしているうちに、我が家に辿り着いてしまった。

 もう少しの距離なので走って帰るからいいですよ、と言った彼を半ば強引に軒下に引き止めて、私は家の中に飛び込んだ。父の傘を勝手に貸すわけにはいかないので、ビニール傘を持って行ってもらおうと考えたのだ。

 私は洗面所で洗い立てのタオルを一枚手に取り、それからビニール傘を持って家を出た。

 もうすぐ家に着くとはいえ、髪を濡らしてしまっていたのが気になっていたのだ。


「ごめん、お待たせ。こっちの傘使って。あと、良かったらタオルも使って」


 伊月くんは少し戸惑った様子だったけれど、私が手を伸ばして強引に彼の頭にタオルを掛けようとすると、手を出して受け取ってくれた。


「ありがとうございます。今度返しに来ます」

「うん、傘は門のところにでも掛けておいてくれたら」

 

 連絡先を教えて貰えたら、直接会って返して貰って、次回に繋げたいと思っていたけれど。

 大人のお姉さん、もとい私には興味無さそうだったし、連絡先も教えて貰えなかったので、きっともうこうやって喋ることもないのだろう。

 私は少し寂しい気持ちになりつつ、目の前に立つ少年を見上げる。

 タオルを頭に掛けた彼が、折り畳み傘の水を軽く払っていることに気付いて、私は慌てて傘を受け取った。


「後で干すから、大丈夫。それより、髪拭いた方がいいよ」

 

 雨足がひどくなる前に傘に入ってもらうことができたので、雫が垂れるほどではないけれど、濡れた前髪が額に張り付いている。

 伊月くんはこくりと頷くと、タオルでわしゃわしゃと頭を拭き始めた。その豪快な拭き方が男の子らしくて、ついときめいてしまう。


 彼は右手で髪を拭きながら、左手で鞄を開けて何か探し始めた。

 切れ長の瞳が、伏目がちに手元を見下ろしている。何故かそんな何気ない仕草さえ、とてもかっこよく見えた。

 彼が何をしていても、きゅんきゅんしてしまう。

 もうすっかり、好きになってしまっているんだろうな、と自分でも思う。

 

 このまま終わりだなんて嫌だ。

 諦めたくなんてない。

 でも、連絡先すらも教えて貰えないのに、めげずに押してもいいものなのだろうか。正直、恋愛経験が無さすぎて、分からない。

 

 内心でそんな葛藤をしていた私は、彼が頭を拭き終えたタオルを鞄に入れようとしていることに気付いて、慌てて手を伸ばした。


「あ、洗濯してから、お返しします」

「いや、いいよいいよ。うちでするから、大丈夫。置いて行って」

 

 私がそう言うと、彼は少し困惑した様子ながらも、小さく頭を下げてタオルを渡してくれた。

 

「ありがとうございます。……それで、あの。俺スマホ持ち歩いてないんで、長渡さんのメッセージアプリのID教えて貰っていいですか?」

 

 あまりにも予想外の言葉だったので、ほんの一瞬、呼吸すら忘れて固まってしまった。

 連絡先、交換してくれるんだ!

 意味を理解するにつれて、嬉しくて、自分でもそうと分かるほどにじわじわと頬が緩んでいくのを止められない。

  

「え、う、うん! 待って、どっかにメモしてくる」

「あ、口頭で大丈夫です」


 スクールバッグから黒いペンを取り出した彼が、なんてことないように言う。さっき鞄の中を探していたのは、このペンだったのか。

 私は慌ててポケットからスマホを取り出して、ID画面を開いた。

 いや、よく考えたら人のこと言えないや。私も、IDとか覚えてなかった。


「えっとね、——で……」

 

 その時の気分で適当に決めたアルファベットの綴りを口にすると、彼は左手の甲にそれを書き留めていく。

 もっと短くて覚えやすいものにしておけば良かった。そう思いつつも、彼の手の甲に自分のIDが刻まれていく事実に、なんだかにまにましてしまう。

 私って、もしかしたら変態だったのかもしれない。


「じゃあ、またご連絡します」


 ペンを鞄にしまった彼は、手の甲を私に見せるようにして私を見下ろした。

 な、なんてあざといんだ。

 そんなポーズにもときめきを感じてしまう。もう何にでもときめいている気がする。私、伊月くんのこと好きすぎない?

 

「う、うん。雨なのに引き留めてごめんね! バイバイ!」


 歩き出した伊月くんに手を振ると、彼は小さな会釈を返してくれた。

 別に、笑い掛けてくれたわけじゃない。切れ長の瞳には、特に何の感情も見られなかったし、彼は冷静な様子でそのまま去って行った。

 

 けれど私はもう、致死量のときめきを勝手に浴びて、心臓が爆発しそうだった。

 家に入るなり、彼が頭を拭いていたタオルをきゅっと胸に抱いて、その場に蹲る。


「ううう……」

 

 ずるい。

 やることなすこと、かっこよすぎる。


 自然に肩を引き寄せて、内側に誘導してくれたのは勿論だけど、髪をくしゃくしゃ拭いているところも、傘の水払ってるところも、手の甲に文字を書いてる姿も、全部かっこよかった。

 何をしててもかっこよく見えて、困る。


 私、やっぱり伊月くんのこと、好きだ。

 まだ、二回しか会ったことがない人なのに。

 急な坂道を転げ落ちる雪玉のように、凄い勢いで好きな気持ちが膨れ上がっていくのを止められない。

 

 私は暫くその場にしゃがみ込んだまま、爆発しそうな心臓を押さえて、一人で悶えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。