親友の恋は応援するべきか(未央視点)
おまけの本編未央視点です
(完全に蛇足です)
長渡ひまりは、可愛いと思う。
小さな顔の半分くらいを占めていそうな、くりっとした大きな瞳に、小さな鼻と、小さな口。パーツは整っているのに、美人という褒め言葉はあまりしっくりこない。そんな風に感じるのは、表情の変化が激しいせいかもしれない。
よく喋るし、よく笑うひまは、喜怒哀楽が表情に出やすい。ころころと変わる表情には愛嬌と親しみやすさがある。
表情に限らず、本人の性質自体、裏表が無くて嘘を吐けない子だ。
少し離れたところから私の姿を見つけると、ぱあっと文字通り顔を輝かせて、駆け寄って来る。未央〜〜!! と嬉しそうに名前を呼びながら、存在しない大きな尻尾の代わりのように、ぶんぶんと手を振ってくれる姿は、本人に言ったことはないけど、とても可愛いと思う。
ただし、彼女はちょっと残念な性格をしている。
入学当初の自己紹介で、緊張しすぎて自分の名前を言い間違えたり(私は暫くひまわりって名前だと思っていた)、朝の星占いを真に受けて、ラッキーアイテムの「コーンフレーク」を鞄に入れて持ち歩いたり(朝ご飯に食べてきたらいいのにと言ったら、食べたけど、持ち歩いたらさらに効果ありそうじゃん! などと言っていた)、後は、何もないところで突然豪快に転んだり。
友人数人と電車で遊びに行こうとした時に、目を離したら目的地とは逆方向の電車に乗ろうとしていて、慌てて止めたこともあった。
予想外の出来事にパニクって、わたわたする姿は可愛らしくもあるけれど、少し心配にもなる。
少女漫画を読むのは大好きだけど、現実で恋をしたことはなくて。
昨夜のドラマのヒーローの話を、うっとりと語るひまの姿を見ながら、彼女はどんな人を好きになるんだろう、なんて考えてみる。
正直、そそっかしくてちょっと危なっかしいひまには、頼り甲斐のある年上が合うんだろうな、と勝手に思っていた。
ところが、ある日突然好きな人ができた! と騒ぐひまの口から聞かされた相手は、まさかの中学生。
中学生って。
一番年齢を上に見積もっても、伊月と同じ年ってことでしょ?
サンプルとして脳内で、学ラン姿の弟を、ひまの隣に並べてみる。
うーん、ない。
絶対ない。
中学生に、ひまの相手は荷が勝ちすぎてる。
ひまにはちょっと失礼かもしれないけど、そんなことを思ってしまった。
勝手にサンプルとして並べた弟が、まさにそのひまの片思い相手だと知ったときはめちゃくちゃ衝撃を受けた。
「きょうね〜、にいにとひまりちゃんと、ぷりんせすのおしろつくったんだよ」
前日の夜、晩御飯を食べながらにこにこと話していた莉里の言葉を思い出す。ひまり、という名前の保育園の友達に、公園でばったり出くわしたのかと思っていたけど、まさかそれが私と同じ歳の友人のことだったとは。
ひまりちゃん? そんな子クラスにいたっけ? と不思議そうに首を傾げる母を横目に、伊月は素知らぬ顔をしてご飯をパクついていたことを思い出して、なんだかちょっとイラっとする。なんだあいつ。スカした顔しやがって。
メッセージとか打つの面倒くさがって、必要最低限の連絡しかしないような弟が、わざわざ手の甲に連絡先を書いて帰ってまでひまと交流してるのとか、公園行った後に遠回りになるのに送ってあげた話とか——、そういうのを聞かされていたことを思うと、流石に伊月もまんざらでもないんだろうなって思った。
ひまは、すぐ顔や態度に出るから。
全力で自分を慕ってくる可愛い女子高生に、絆されるのは普通のことかなと思いつつ、言ってもまだ中学生で、私から見れば頼りない伊月に、ひまりを任せられるんだろうか。
なんて、謎の保護者面でちょっと思ってしまった。
ふざけてひまの写真を取って、伊月に送りつけて自慢してやろうかと思った時は、半分くらい本気だった。
ただ、ふざけて撮ったひまの写真が、思いの外可愛く撮れてしまってやめた。これで伊月喜ばせることになったらめっちゃ腹立つし。
でも、慌ててるひまが面白くて、電話して確認したら? なんて揶揄ったら、本当に電話したらしい。
晩御飯の時に伊月を呼びに行った莉里が、にいにだれかとはなしてたよ、と言っていたので、もしかしてとは思っていたけどね。
次の日の朝、伊月くんにまで揶揄われたんだからね! と真っ赤になって抗議してくるひまを見て、やっぱり絶対伊月もひまのこと好きだよなあ、と思った。
年の近い梓はともかくとして、少し歳の離れた宏太や莉里のことはよく揶揄って、怒らせている。あいつはおじさんみたいに、可愛いと思う相手をちょっと揶揄ってしまうタイプだと私は思っている。まあ興味ないし、知らんけど。
パンケーキ食べに行こって誘ったら、OKしてくれたの! と嬉しそうに顔を綻ばせるひまを見て、ああこれは確定だなと思った。甘い物は結構好きとは言え、あいつは「休みの日にわざわざそんなおしゃれなもの食べに出掛けるの面倒臭い」とか平気で言うタイプだ。ひまに誘われたからっていそいそと出掛ける気なんだ。
なんかちょっと腹立つな。
大事な友人が弟のものになってしまうのかと思うと、なんだか面白くない。ひまを託すには、伊月はちょっと頼りないんじゃないかと思うけど、でもまあ、そんなことを私が言っても仕方がない。
ひまの初恋が叶うなら、まあ、いいか。
なんて思っていたのに。
ひまがわくわくの初デートに行った日、帰ってきた伊月のテンションは少し低かった。
「ただいま」
その時丁度、私と梓はリビングで、だらだらしながら録画していたドラマを見ていた。一応声だけ掛けて、リビングを素通りしていく伊月に、私と梓はおかえり、と声を掛ける。
いってきます、いってらっしゃい。ただいま、おかえり。
どんな時でも、この挨拶だけは絶対にする、というのが我が家のルールだ。
ただいま、と声を掛けて洗面所に手を洗いに行っただけなのに、なんか機嫌悪そうに見えたな、と思った私の気持ちを代弁するかのように、梓が不思議そうに言った。
「なんか、にいにテンション低くなかった?」
その言葉で、やっぱり気のせいじゃないよな、と思う。
ちょっと気になって、ひまと何かあったの? と声を掛けようとして——いやいや、そんなん聞いても答えるわけないか、とすぐにやめた。
代わりに、ひまにスマホでメッセージを送る。今日、どうだった? と。
いつもみたいに、伊月がどうだったこうだった、という長い日記が送られてくるだろうと思っていたのに、返ってきたのはいつもよりは落ち着いた文章だった。楽しかったよ、と言ってはいるけど、伊月のことに触れていない。
なんだか妙だな、と思った。
次の日の朝。投稿してきたひまの目は、少し腫れぼったくなっていた。
ひまは感情豊かで、喜怒哀楽が顔に出やすいタイプだとは知っていたけど、思えば私は、ひまが悲しくて泣いているのを見たことはなかった。
体育祭とかの行事で優勝した時とか、感動ものの映画見た時とか、すぐ感極まって泣いちゃうのは知っていたけど。
だから、もしかしたら昨日寝る前に、泣ける映画でも見たのかもしれない。そうは思ったけど、心なしかテンションの低かった昨夜の伊月を思い出して、なんかあったの、と声を掛けた。
伊月は悪いやつじゃないし、別におすすめはしないけど、絶対にやめておいた方がいい、というほどの相手ではない、と思う。
でももし、伊月がひまを傷つけるようなことをしたんなら、伊月なんかやめてもっとしっかりした、包容力のある年上を探した方がいいって、ひまに言おうと思っていた。そうして家に帰った後で、伊月をボッコボコにしてやろうと。
そんなことを思いながら聞いたひまの話は、全然要領を得なかった。
好きでいるのをやめる、と言われたときは、やっぱりなんか伊月が幻滅されるようなことをして、見限られたんだろうなって思ったのに。
そんなことするわけないじゃん、伊月くんだよ!? って、いつもの全肯定が返ってきて全然意味がわからなかったけども、伊月が何かひどいことをしたわけじゃないんだ、ってことは分かって、ちょっとだけ安心した。
方向性の違いとか、訳のわからない話で散々話を濁した後で、ようやっと渋々、振られたのだと打ち明けられる。
振られたって、え?? もう告ったの? 早くない?! と一瞬驚いた後で、いや驚くべきはそこじゃない、と我に返る。
振ったの? 伊月が? ひまを?
まず頭に浮かんだのは、なんで? という純粋な疑問だった。
いやまあ、いくらひまが可愛くても、ちょっと変わってるというか、すぐテンパっちゃう癖のある言動とか、そういうところまで誰も彼もが可愛いって受け止めてくれるわけじゃないだろうっていうのはまあ、わかる。
でも、ひまの話を聞いてる限りだと、伊月は結構まんざらでもなさそうに思えていたのに。
「何かひまが勘違いしてる可能性はない?」
そそっかしくて、早とちりしがちなひまにそう問いかけたら、ひまはちょっとむくれていた。
そんなことないよ。はっきり振られたの。
沈み切った声でそう返されて、本当にそうなのか胡乱に思いながらも、問い詰めるのは落ち込んでいるひまに追い討ちをかけるようで、一旦口を噤む。
もし、振られたのが本当なのだとしたら。
何やってんだお前は、って伊月を張っ倒してやりたい。
公園行って、女子高生のお尻に触って——いやこれには多分邪な気持ちは無かったんだろうけど——、帰りもわざわざ遠回りして送ってあげて。変な写真届いてないよねと慌てるひまに、届いてる、なんて嘘をついて揶揄って。休みの日には二人きりでデートに行くことを承諾して。
でもその気は全く無かったです、って言うような男なら、うちの弟は別にそんな悪い選択肢じゃない、とか思ってた私自身にも腹が立つし、そんな思わせ振りな男に育ってしまった弟には、私が天誅の飛び蹴りをかましてやる。
そうは思いつつも、どうしても伊月がひまを振ったとは思えない。
いきさつを聞きたいのに、いつもは聞きたくないですけど、って思うくらい全部を詳細に語ってくれるひまが、肝心なときに何も教えてくれない。
ただ泣き腫らした顔で、伊月くんは悪くない、振り方も優しかった、とそう口にするだけ。
話してくれないひまにもモヤモヤするけど、それよりなによりやっぱり伊月に対して腹が立つ。
すぐにキャパが一杯になってテンパってしまうひまは、喜怒哀楽が表に出やすい子ではあるけど、こんな風に泣き腫らしたり、落ち込んだりする姿は見たことがなかったのに。
伊月くんに私の話したりしないでね、と釘を刺してくるひまは、私が脳内で伊月に飛び蹴りをかましていることにでも気づいていたんだろうか。
もし、伊月にそんなつもりはなくて、ひまの早とちりなんだとしたら、伊月を詰めて、誤解を解いた方がいい。一瞬そう思ってから——、本当にそうかな、とちょっと考える。
伊月は、ひまが目を腫らすほど泣いてたんだってこと、気づいてんのかな。もし、伊月が私の予想通りに、ひまに好意を抱いていたとして。それでもひまを誤解させて、誤解を解くこともできないまま、こんな風に泣かせてしまう弟には、やっぱりあの子の相手は荷が勝ちすぎているんじゃないだろうか。
もし今回、私がお節介して誤解を解いて、二人がそのうちくっついたとして。何度もこういうことを繰り返して、ひまが傷つくんだったら、もうこのままにしておいた方がいいのかもしれない。
今は辛いかもしれないけど、この先何度も傷つくよりは。
ひま自身も、伊月に何も言わないで、と言っていたのをいいことに、私は伊月には何も言わないことにした。本当は詳細を問い詰めて、吐かせて、内容如何によってはボッコボコにしてやりたかったけど。
それでも、たまに家の中で伊月とすれ違うと、平然と過ごしている弟にちょっと腹が立った。いつも元気いっぱいなひまは、今はあんなに空元気なのに。って。
すれ違うたび睨むように見据えてしまっていた私の視線に、伊月もさすがに気が付いていたらしい。
ある日とうとう「何か言いたいことがあるなら言えば?」と声を掛けてきた。
ひまのこと振ったって本当? って、そんな疑問が喉まで出掛かったけど、もしこれで、振ってないって言われて、それをきっかけに誤解が解けたら——ひまと伊月の関係が、進展してしまうかもしれない。
今もまだ空元気なひまを見てたら、その方がひまのためになるのかな、って一瞬思うけど、でもやっぱり、伊月はまた同じことを繰り返してしまうだろうから。
伊月にひまはあげられないか。って、そんな気持ちになった。
「いややっぱり、無いわ」
伊月は、無いわ。
私の意図するところを感じ取ったのか、伊月は怪訝そうに眉を顰めた。
この嫌そうな小憎たらしい顔、ひまにも見せてあげたい。
こんな男、絶対やめといた方がいい。
やっぱりひまには、もっと落ち着いていて、包容力のある、大人の男の人があっていると思う。
◆
「ねえねさあ、最近おにいと喧嘩してんの?」
梓がふと思い出したようにそう問い掛けてきたのは、リビングのソファに並んで座って、棒アイスを食べている時のことだった。
父はまだ帰っておらず、母が宏太と梓を寝かしつけに行っていて、伊月はお風呂に入っている。
「してないよ」
「本当に? なんか最近おにいにすごい冷たくない? あと、おにいもなんかずっとテンション低いし」
シャリ、とパイン味のアイスを齧りながら、梓が不思議そうに小首を傾げる。
テンションが低い、と言われて、確かにそうだな、と思う。元々そんなテンションの高いタイプじゃないけど、生き生きと宏太や莉里を揶揄っている姿を、最近は見ていないかもしれない。
そのテンションの低さには、ひまが関係しているんだろうか。
やっぱりひまを振ったつもりなんてないんじゃない? 何か誤解が起きてるんじゃない? って思うけど、その誤解を解くことは、やめたのだ。
もし伊月がひまのことを好きなのだとしても、知ったこっちゃない。
ひまを傷つけて、そのままにしている伊月の自業自得だ。
「あいつのテンションが低いのはどうせ自業自得だろうから、放っといていいよ」
ぶどう味のアイスの最後の一口を歯で挟み、棒から引き抜く。アイスのキーンとした冷たさで、頭がすっきりする。
ひまと同じくらい、落ち込めよ。
私の大事な親友を傷つけた弟に対して、いつになく辛辣な気持ちになった。
変に私が口を出さない方がいい。ひまだってそのうち伊月のことは忘れて、他に良い人を見つけるだろうし。
そんなことを思っていたけど、一週間経ってもひまはしょんぼりと空元気のままだし、伊月のテンションも低いままだ。
彼氏——陽の部屋で、彼と一緒に中間考査の勉強をしながら、私は本当にこのままでいいのかな、と考えていた。
「みーお。手が止まってる。どしたの? 分かんないとこある?」
シャーペンの先を数式に当てたまま、一瞬ひまと伊月のことを考えていたせいで、数式によくわからないぐちゃっとした線がついていた。机に頬杖をついて、陽が不思議そうに私の顔を覗き込んでくる。
「ごめん、一瞬意識飛んでた」
私は陽にそう謝って消しゴムを手に取り、数式につけてしまった謎の落書きのようなものを消す。
「難しい顔してなに考えてたの?」
陽には、ひまと伊月のことは何も話していない。
そんなの、話したって仕方がないことだって思っていたからだ。でも、ちょっとわからなくなってきていた私は、誰かの意見を聞きたくなってしまった。
「私の友達が、うちの弟のことを好きになっちゃったんだけど」
「えっ!? 弟くんって確か中学生だったよね? え、どういう流れで!? 未央が紹介したの?」
頬杖をついていた腕を外して、陽はちょっとびっくりしたみたいに目を丸くして問い掛けてくる。
「ごめん、今それどうでもいいから端折る」
「え、う、うん。すんません。続けて」
慌てたように両手のひらを上に向けて、話の続きを促してくる陽に、私は要点だけを話した。
私の友人は、振られたと言っているけど、弟も多分私の友人のことが気になっていること。友人はそそっかしくて早とちりしやすい子なので、多分何か勘違いが起きていること。
付き合う前から意思の疎通がうまくいかずに傷つけているようなら、きっと付き合ってもうまくはいかないだろうから、間に入って誤解を解いてあげる必要はないと思って、静観していたこと。
それでも、一週間経っても空元気な友人が見ていて痛ましくて、このまま放っておいていいのか、ちょっと悩み始めていること。
私の話を聞き終えた陽は、ちょっとびっくりしたみたいに、目を丸くして私を見ていた。
「なに、それなんの驚き顔?」
「いや、なんか。未央、その友達のこと大好きなんだなと思って」
陽は頬杖をつきなおすと、見ているこっちが気の抜けるような、へにゃりとした顔で笑った。
「え?」
「未央はその子に幸せになってもらいたいんだねえ」
間延びした声でそう言って、陽は頬杖をついていない方の手を伸ばすと私の頭をくしゃりと撫でてきた。
「なに急に。年上ぶって」
「ぶってんじゃなくて、俺いっこ上なんだけど」
気恥ずかしくて私が手を払うように軽く首を振ると、陽は苦笑混じりに頭から手を退けた。
「実際に振られちゃったのか、それとも未央の思う通り何か誤解が起きてるのか、俺には分かんないけどさ。本当に振ったのか弟くんに確かめて、誤解があるなら解いてあげた方が良いんじゃない?」
陽はあっさりとそう言った。
「え、でも、もしそれで二人がくっついちゃったらどうすんの?」
「ええ? それはハッピーエンドで嬉しいなって話じゃない?」
「何があったか知らないけど、付き合う前から些細なことでことで行き違ってるようじゃ、付き合っても上手くいくわけなくない?」
陽は一瞬きょとんとしたような顔をして、それからちょっと困った子を見るような顔で笑った。
「でも未央は今、二人がすれ違ってるのが嫌なんでしょ?」
「嫌っていうか……、このままにしてていいのか、分かんなくなってきただけ」
「それが嫌なんだってことだと思うけど」
陽は苦笑を浮かべて、それから穏やかな声で言った。
「このまま見過ごしたら、未央はきっと後で後悔するんじゃない? 一度だけ手を貸してあげたら? もしかしたら未央の言うとおり、上手くいかないかもしれないけど。でもさ、上手くいくかもしれないし」
だって未央は上手くいって欲しいんでしょ?
陽はそう言って、困った子を見るような目をして笑った。
いつも、頼りないくせに。
陽はたまにこうやって、私自身も気付いていないような、欲しい言葉をくれる。
そっか。
伊月なんてやめとけ、って思ってたはずなのに。
実は私、いつの間にか、上手くいって欲しいって思ってたんだ。
不思議と、心が楽になったような気持ちになって、自分でもそのことにびっくりした。
「そう、だよね。うん。中間考査終わったら、ちょっと、伊月を詰めようかな……」
「詰めるって物騒だな。でも、そうだね。誤解を解いて、未央が大好きな二人のキューピットになってあげたらいいんじゃないかな」
陽は私の顔を微笑ましそうな目で見て、懲りずにまた頭を撫でてくる。
キューピットって何。
てか、ひまのことは好きだけど、伊月のことは別に好きじゃないし。
「もう、やめてって」
「未央は優しいねえ」
へらへら笑いながら、陽はわしゃわしゃと頭を撫でてくる。不慣れなことをしてくるせいで、髪の毛がぐしゃぐしゃになってしまう。私はやめて、と文句を言って陽の手を退けて、手くしで髪を整えた。
喜怒哀楽が顔に出やすくて、私のそばによってくる時はいつも嬉しそうで、見えないしっぽをぶんぶんと振っている陽は、ちょっとひまに似たところがあると私は思っている。
私自身がそんなに愛嬌のあるタイプじゃないせいか、大型犬みたいに、愛嬌のある人間に惹かれやすいらしい。
可愛げがないことに、自覚はある。陽は、なんで私なんかが好きなんだろうなってたまに不思議に思うけど。
陽はたまにこうやって、年上風を吹かそうとしてくる。
いつもは頼りなくて、虫退治すらもできなくて、悲鳴を上げながら私の後ろに隠れるような駄目な男のくせに。
ムカつくけど、ちょっと可愛いなと思ってしまう自分がいたりする。
陽の言う通り、ひまのためにも誤解を解いてあげたい、と思っていた試験最終日の夜——、ひまが突然、明日合コンに行ってくる、なんてメッセージを送ってきて、私は内心で大慌てだった。
試験も終わったし、今日タイミングを見て、伊月にひまのことを聞こうと思っていたのに。
でも、ひまがこうやって次の出会いに前向きになっているのなら、いまさら余計なことをしない方がいいのかな——。
梓とアイスを食べながら、どうするべきか考えていたら、風呂から上がってきた伊月が、髪の毛を拭きながらキッチンの方へやってきた。
「伊月。ひま、明日大学生と合コン行くんだって」
これを聞いて、伊月はどんな顔をするんだろう。
そう思って問い掛けたら、伊月は一瞬微かに驚いたように瞠目した。髪を拭いていた手の動きが止まる。
「別に、俺に関係ないし」
伊月はややしてから、素っ気ない声でそう答えて、冷蔵庫を開いた。
明らかに動揺している様子に、なんだか腹が立ってくる。
「何があったか知らないけどさ、ちゃんと告ったら? あんた、ひまのこと好きなんじゃないの?」
冷静に、ひまとの間に何があったのかを聞こうと思っていたのに、つんけんした伊月の態度にちょっと腹が立って、少し強めに問い詰めてしまった。
麦茶を取り出して、冷蔵庫を閉めようとしていた伊月の手が止まる。
「長渡さんから何も聞いてないの?」
何も、ってなんだ。俺が振ったってこと? まさか、本当に伊月のやつ、ひまのこと振ったわけ?
振られたって聞いたけど、と口に出そうとして、視線を感じてふと隣を見る。
テレビを見ていたはずの梓が興味津々、と言った様子で私と伊月を交互に見ていた。
振ったの? なんて聞いて肯定されようものなら、私は伊月を妹の目の前で張っ倒してしまいそうだ——と我に返って、一旦呼吸を落ち着ける。
私は少し考えてから、ひまのよく分からない説明を引用した。
「方向性の違いで解散したとかなんとか」
梓は好奇心を隠すこともなく、じっと伊月の方を伺っている。
ああ、まだ十二歳の妹の前で私たちはなにやってんだか。
ちょっとだけ冷静になって、アイスを食べ終えた私は立ち上がってキッチンの方へ向かう。
「じゃあもう答え出てるじゃん」
伊月はため息を吐いて、食器棚から取り出したグラスに麦茶を注ぎながらつっけんどんに答えた。
それは、どっちの意味なんだ。
一瞬そんな風に思ったけど、長い付き合いだから分かってしまう。
伊月は拗ねてるだけだ。
やっぱり絶対、なんか誤解が生まれてる。
子どもっぽい態度に、やっぱりこいつにひまを任せるのは無理じゃない? ってちょっとイライラしてくる。
アイスの棒をゴミ箱に捨てて、苛立ち紛れに、伊月が今飲もうとしていた麦茶のグラスを奪い取り、ごくごくと飲み干した。
「っはー。あんたがそれでいいならいいけど。かっこいい大学生の彼氏とかできても、私知らないから。私はひまの味方だからね」
どういう経緯で拗れたのかは分からないけど、伊月が素直になれないんなら、やっぱり新しい出会いを探した方が、ひまは幸せになれる気がする。
誤解を解いてあげようって思っていたはずだけど、他の出会いを見つけちゃうかもよ、って発破をかけても動き出さないヘタレなんだったら、もう、知らん。
私はダン! と音を立ててシンクにグラスを置くと、梓に部屋に戻るねと声を掛けて、伊月のことは無視して二階に続く階段の方へと向かった。
◆
合コンってどんなんだろう。自室でぼんやりSNSを見ながら、ひま、大丈夫かなあと心配していたら、唐突に『未央っっっ! 付き合えることになったの!!』なんてメッセージが届いて、流石の私も「は?」って声が出た。
いやいやいや、流石に出会いから交際までが早すぎない?
何か変な男に騙されているんじゃないかって心配になって、慌てて電話したら、伊月と付き合うことになったなんて言い出して、もう私の頭の中は大パニックだった。
興奮気味のひまの要領を得ない話を聞くに、どうやらちょっとしつこい男がいて、困っていたところを伊月が助け出してくれたらしい。
ほーん。
うちの弟、やるときはやるじゃん。
この一ヶ月くらいの間で、大分下がっていた弟への信頼が、ほんの数ミリだけ回復する。
それにしても、やっぱり、やっぱりひまの早とちりじゃん。って思うけど、好きなタイプ聞かれて、そんな遠回しな回答する伊月も悪い。
君だよ、とかってさっさと告っとけばそこで終わってた話なのに。
いやまあ、そこでそんなスマートな回答してる伊月もキモいけどな。
そこまで考えて、ちょっと我に返ってスンッとなった。
私さ。
なんで弟と親友の恋愛事情を、こんな赤裸々に聞かされて想像させられてるんだ。
結構異常な事態だよ、これ。
そんな風に呆れながらも、最近ずっと空元気でペしゃんこになってたひまがとても嬉しそうなのが電話口から伝わってきて、その弾んだ声を聞いていると、良かったなってこっちもちょっとあたたかい気持ちになってくる。
ひまがこれだけ好意を寄せる相手がうちの弟っていうのには、まあ思うところはめちゃくちゃあるけど。
久しぶりに始まったひまの伊月大好き日記をうんうん適当に聞き流していたら、玄関のドアを開く音がして。私は自室のドアを開けて廊下に顔を覗かせて、誰かが二階に上がってくるのを待ってみる。他の弟妹かなとも思ったけど、暫くして、階段を登ってきたのは伊月だった。
無表情だけど、少し機嫌が良さそうに見えるのは、私がひまから全部聞かされたからそう思うだけなんだろうか。
私が立っていることに気づいて、反射的にただいま、と口に出しそうになった伊月に、人差し指を立てて喋るな、と合図する。
「それで? 伊月のどこが好きなんだって?」
私がスマホを操作してスピーカーにしながらそう問い掛けたら、視界の端で伊月が目を丸くしてるのが写った。
ひまはなんの脈絡もない私の問いに対して、なんで? とか言わず、期待通り意気揚々と答えてくれる。
「えー、優しいとことー、かっこいいとことー、笑ったら可愛いとことー、お兄ちゃんなとことー、面倒見がいいとことー、すぐ気付いてくれるとことー、あとなんだろ、たまにちょっと意地悪なとこも好き」
よくそんなにポンポン出てくるな、という呆れと。
すぐ気付いてくれるって、あれだけすれ違っといて! というツッコミと。
意地悪なとこも好きって、なに? という、ドン引きと。
色んな感想を抱きつつ、階段を登ったところで立ち止まったままの弟を見上げる。
珍しく、その頬が真っ赤に染まっていた。
自分でもそうと自覚したらしく、伊月はちょっと気まずそうに視線を逸らして、顔を隠すように口元を手で覆う。
可愛げのない、生意気な弟が、ひまの好き好き発言を聞いて照れてる。
ちょっとした意趣返しをできてスッキリしたような気持ちと、よく分からないイラっと感が胸の中で混ざっていた。
「だってさ。伊月全肯定botだよ。よかったね」
私がそう声を掛けたら、伊月はぱっと私と視線を合わせて、それから少し嫌そうな顔をした。
私に赤い顔を見られたのが癪だったんだろうけどさ。今の全肯定発言聞けたの、私のお陰なんだからな?
私はスピーカーをオフにして、スマホを耳に当てながら、部屋に戻って扉を閉める。
その後、伊月の部屋のドアの音が鳴るまでに、ちょっと時間があったから——、多分あいつ、数分間思考停止して廊下に立ち尽くしてたんだろうな。
可愛いとこもあるじゃん。腹立つけどな。
ひまと伊月がなんだかんだ付き合い出して、良かったなあってしみじみ出来たのはその日と次の日くらいのものだった。
週明けから、毎日のようにひまの『伊月大好き日記』——いやもう『伊月大好きラジオ』を聞かされる羽目になることを、その時の私はまだ知らない。
親友と弟のデートコースやら喧嘩内容やら、果ては初キスまで、全部聞かされてるの多分私くらいだよ。これより先に進むようならもう絶対そこは言わせないつもりではいるけど、流石のひまもそれは分かってると思う。多分。
喧嘩の内容って言っても、ほとんど大した喧嘩はしてない。伊月の部活の引退試合を見に行きたいって言ったひまが、恥ずかしいからって断られて拗ねてたのとか(しかも結局見に行ってた。何故か私まで連れて行かれた)、受験生の弟を気遣ったひまが、バイト終わりに迎えに来てくれなくていいって言って突っぱねられた話とか、なんかもう勝手にやっとけ? って思うような話ばっかり。
当初私が懸念していた、これから先も何度もすれ違ってひまが傷つくことになるんじゃないか、っていう心配は、完全に杞憂だったみたいだ。ひまは言わないとタンクから溢れちゃうから、とかよく分かんないこと言ってずっと伊月に好き好き言ってるし、そういうの言わなさそうな弟も、案外ちゃんと折に触れて好意を口に出しているらしい。
何でもかんでも話してくれるひまにちょっと呆れつつ、ひまがあまりにも幸せそうなので、まあいいか、と受け入れてしまう。
なんせ、ひまのちょっと変なとこまで、可愛いと思ってるのは伊月だけじゃないんだよね。なんなら私の方が、付き合いも長いので。
脳内でそんな謎マウントしつつ、今日も今日とて、私はひまの惚気を聞かされるのだった。
これにて完結です。
最後までお付き合い下さって、ありがとうございました!




