第95話 疫病事件
時は、ハスターが城塞都市タツタの名主をしていた10年前に遡る。
ここは街の中心部にあるハスターの屋敷。
既に辺りは暗くなり、灯りのついた書斎ではハスターが最近街を騒がせている原因不明の疫病に関する調査報告書に目を通していた。
「第1貯水池から第3貯水池までは問題無しか。残るは第4貯水池の調査結果だけだな…。」
原因不明の疫病は2週間ほど前から流行り始め、症状は下痢や嘔吐から始まり悪化するにつれ全身に赤い発疹が広がり激しい激痛と共に最終的に死に至るというもので、既に100人近い犠牲者が出ていた。
当初は市場の近くに住む住人の間だけで疫病が発生していた事から市場の食材に的を絞り原因の調査を行っていたがそれらしき原因は発見されなかった為、現在は貯水池の調査を進めていた。
ハスターが報告書に目を通し終え、窓からタツタの街並みを見ていると扉をノックする音がした。
『コンコン!』
「父上、スターロンです。」
「入っていいぞ。」
ハスターが返事をすると、シベリアンハスキーの頭部をした犬人族の若い男が全身泥だらけで部屋に入ってきた。
この男は、スターロン・ランボール・シベリアン。
ハスターの息子であり、街の自警団の団長をしていた。
「父上、第4貯水池の調査が終了したのですが毒物は検出されませんでした。」
「そうか…毒物は検出されなかったか。わかった。下がっていいぞ。」
「…それだけですか?」
「明日は朝からフライヤー様へ調査報告だ。早く休め。」
「そうじゃない!息子がこんなに泥だらけになってまで頑張ってきたっていうのに、ねぎらいの言葉の1つも無しですか?」
「頑張ってきた?仕事なんだから頑張るのは当たり前だろう。」
「くっ、仕事だから当たり前?違いますよ!父上は今まで私に優しい言葉の1つも掛けてくれた事はないじゃないですか!?どんなに頑張ってもどんなに良い事をしてもどんなに落ち込んでいてもどんなに辛い事があっても、いつも当たり前だしか言わない!どうせ元王宮騎士団長の有能な自分と比べて、大した事も出来ない無能な私を見下しているだけなのでしょう!?」
「言いたい事はそれだけか?」
「くっ!?だから、名主の仕事だって無能な私ではなく有能なハイエンに手伝わせているのでしょう!?きっと後継ぎだってハイエンを…。」
「いい加減にしろ!」
2人が睨み合っていると部屋の扉が開き、シベリアンハスキーの頭部をした犬人族の女が部屋に飛び込んできた。
「2人とも喧嘩はやめなさい!まあっ!?スターロン、その格好はどうしたのですか!?」
この女は、ニナ・ランボール・シベリアン。
ハスターの妻であり、スターロンの母である。
「まあまあ、こんなに汚れちゃってすぐにお風呂に入って…。」
「ほっといて下さい!」
ニナが汚れを払おうとするとスターロンはその手を跳ね除けて部屋から出て行った。
「アナタ、少しはあの子と向き合ってあげて下さい。あの子はただアナタに認めてほしいだけなんですよ。」
「…認めてるさ。ただお前に任せきりだったからどう接していいかわからないんだ。」
「アナタは不器用過ぎるのよ。ハイエンに接するのと同じようにしてあげればいいのです。」
「ハイエンは部下だから割り切れるんだ。だが、スターロンは大事な息子なんだ。」
「バカね。それを言ってあげれば良いだけなのに…。」
「すまん。スターロンの様子を見に行ってもらえるか?それと…いや何でもない。スターロンの事を頼む。」
「はいはい、わかりましたよ。」
ニナはそう言うとハスターにキスをして部屋を後にした。
それからしばらくハスターがスターロンの幼い頃を思い出し感慨に耽ていると、再び扉をノックする音がしてドーベルマンの頭部をした犬人族の若い男が部屋に入って来た。
この男は、ドルマン・オーツカッサ・ハイエン。
最初は単なる自警団員だったがその実務能力の高さを買われ、ハスターの補佐役として仕えていた。
「ハスター様、またスターロン様と喧嘩ですか?屋敷中にスターロン様の声が響いてましたよ。」
「耳障りなものを聞かせてすまない。」
「いえ、ハスター様が謝らなくても。スターロン様は私の事が気に食わないのでしょう。それはそうと、スターロン様が来られたという事は第4貯水池の調査結果の報告でしょうか?」
「ああ、第4貯水池からもそれらしい原因は検出されなかった。」
「そうですか…。実は大変申し上げにくいのですが…。」
「何だ?言ってくれ。」
「実は先日スターロン様が調査して問題が無いと報告のあった貯水池を私の方で再調査した結果、疫病の原因となりえる毒物が検出されました。」
「それは本当か?」
「はい。間違いありません。以前に調査した全ての貯水池から毒物が検出された事を考えますと、流石に検出漏れとは考えにくいでしょう。スターロン様が意図的に嘘の調査報告をしていたとしか思えません。」
「そうか…。スターロンから話を聞くとしよう。」
2人が書斎を出てスターロンの部屋へ向かおうとした、その時。
突如、ニナの悲鳴が屋敷の中に響き渡った。
「キャアアアアアアッッッ!!!」
「ニナ!?スターロンの部屋の方からだ!」
尋常では無いニナの悲鳴に急いでハスターが駆けつけると、そこではお湯の入ったタライを床に落とした放心状態のニナの傍らで左胸に柄の部分が折れたナイフの突き刺さったスターロンが倒れていた。
「くそっ!なんて事を!?」
すかさず、ハスターはスターロンからナイフを引き抜き回復魔法をかけるが、意識が戻る事はなかった。
すると、突然屋敷の中が騒がしくなり、間も無くしてフライヤーが数人の兵を引き連れ部屋の中へと入ってきた。
「ハスター!スターロンはどこだ!?疫病の原因である毒を貯水池に流した罪で身柄を拘束する!…んっ!?そこで倒れているのは、スターロンか!?」
「フライヤー様!?何故ここに!?」
「ハイエンから疫病はスターロンの仕業だと早馬で連絡を受けたのだ!」
ハスターが視線を移すとそこではハイエンが微笑んでいた。
「はい。まさか、スターロン様が自害されるとは思いませんでしたが、ハスター様は共犯の可能性もありましたので、私からフライヤー様に連絡しました。おやっ?机の上に何かありますね?」
そう言いながらハイエンは机の上に置いてあった1枚の紙と紫色の液体の入ったビンを手に取った。
「これは使われた毒と遺書ですかね?読んでみましょう。
父上は私が疫病を撒き散らした犯人だと知って絶望する事でしょう。
そして、これまで築き上げてきた地位も名誉も全て失い、私を認めなかった事を後悔しながら長い残りの人生を歩んで下さい。
ですが、私は死んで生まれ変わり新しい希望に満ちた人生を歩むのです。
ああ、こんなに素晴らしい事はない。
スターロンより父上へ憎しみを込めて…。」
ハイエンが手紙を読み終えると、ニナが悲鳴を上げながらその場に泣き崩れた。
「イヤァァァァァァァッッッ!!!」
ハスターは何も言わず、そんなニナの肩を抱き寄せた。
「なるほど、ハスター様への憎しみからの犯行という訳ですか。こうなると、ハスター様が共犯の可能性は無さそうですね。」
「ええーい!な、なんとおぞましい!と、とにかくハスター、貴様には事情を聞く必要がある!ひっ捕らえよ!」
こうして、城塞都市タツタの疫病事件はスターロンの死をもって幕を閉じた。
その後、ハスターは責任を取る形で名主の座をを追われ、ニナは精神の病に冒されこの3ヶ月後に自ら命を絶った。
そして、この件がきっかけとなりフライヤーに気に入られたハイエンは若くして城塞都市タツタの名主となったのだった。
スターロン・ランボール・シベリアン
オス 20歳
犬人族のシベリアンハスキー種。
城塞都市タツタの自警団の団長。
ハスターの息子。
幼い頃から元王宮騎士団長の父にコンプレックスを抱いていた。
10年前に起きたタツタ疫病事件の時に自分が犯人である旨の遺書を残して自害した。
ニナ・ランボール・シベリアン
メス 36歳
犬人族のシベリアンハスキー種。
ハスターの妻であり、スターロンの母。
若くしてハスターと結婚しスターロンを授かる。
10年前に起きたタツタ疫病事件をきっかけに精神の病に冒され、それから3ヶ月後自ら貯水池に身を投げ命を絶った。
ドルマン・オーツカッサ・ハイエン
オス 35歳
犬人族のドーベルマン種。
10年前までは当時城塞都市タツタの名主だったハスターの補佐役だったが、タツタ疫病事件をきっかけにフライヤーに気に入られ、失脚したハスターに代わり25歳で名主となった。
ハスターの事は尊敬していたが、スターロンの事は毛嫌いしていた。




