第93話 犬人族の男
ここはフレイの中心部から北西に5kmほど離れた所にある城壁の建設現場。
まだ朝陽が昇りきらない早朝、ウィルは徹夜で財務担当のクリフにエビス地区の開発費用の了承を得ると、眠い目を擦りながら日課となっている街の周囲を取り囲む城壁の基礎工事に来ていた。
「ふわぁー。あー、クリフさんがキレるとあんなにヤバいなんて思わなかったな。あの発狂っぷりはエクソシストだよ。とにかく、これからは怒らせないように気を付けよう。よーし、そんじゃあやりますか!今日はここから300mくらい作っておくか。」
ウィルはそう言うと磁力操作を使った。
すると、目の前のロープで仕切られた部分の地面が陥没し、既にある城壁に連なるように新たな分厚い鉄壁が出来上がっていった。
フレイの街を取り囲む城壁は高さが5mあり、ポルタ地区の沿岸部を除く内陸にある地区の外周23kmに沿って建設を進めていた。
城壁はウィルの作った基礎となる鉄壁を職人達がブロックや漆喰などで補強して作られており、基礎となる鉄壁を作った時に出来た地面の陥没部分は、最終的に水を流し城壁の外側のお堀として利用する事になっていた。
「これでよしっと。そろそろ3分の2は出来たかな?ふわぁー、眠いなぁ。朝食まではまだ時間があるから少しここで休んでいこーっと。」
そしてウィルは徹夜でクリフの説得をしていた事もあり、押し寄せる睡魔に耐えかね城壁に寄り掛かりながらそのまま眠りこけてしまうのであった。
それから小1時間ほど朝陽のポカポカとした温もりに包まれながら、ウィルが気持ち良く眠っていると野太い男の声が聞こえてきた。
「…おーい!起きろー!こんな所で寝てると物取りに襲われちまうぞー!」
「ん…んん。クリフさん…ごめんなさい…。むにゃむにゃ、すぴー、すぴー…。」
「おーい。起きろー。顔舐めちまうぞー。」
「ん…んん…んっ。…犬?」
ウィルが目を開けるとシベリアンハスキーの頭部をした犬人族の男が大きな舌で顔を舐めようとしていた。
「おっ!?ようやく起きたか?でもまだ寝ぼけてそうだから顔を舐めてやろう。ベロン!」
そう言いながら、犬人族の男はウィルの顔面を大きな舌で舐め上げた。
「うわぁあああああっっ!?な、何するんですか!?うぷっ!?臭っ!!!」
「なんだ?失礼な奴だな!物取りに襲われでもしたら大変だと思って起こしてやったのによ。」
「だったら普通に起こして下さいよ!舐めなくても良いじゃないですか!?」
「朝起きたら顔を舐め合うのが俺ら犬人族の習慣だからな。まぁー、気にするな。」
「気にするなって言われても人間族にそんな習慣はないので、むやみに舐めない方が良いですよ。」
なんでこうも獣系のおっさんは顔を気安く舐めてくるんだと思っていると、ウィルの腹が鳴った。
『グゥーーー。』
「あっ?そういえば昨日の昼から何も食べてなかったな。」
「なんだ?腹が減っているのか?それならこれを食え。」
犬人族の男はそう言うと背負っていたリュックの中から取り出した大きな骨つき燻製肉と水筒の中に入っていたミルクをコップに注いでウィルに手渡した。
「こんなに大きな肉もらっちゃって良いんですか?」
「ああ、構わんさ。金なんか取らねぇから遠慮なく食ってくれ。」
「ありがとうございます!それじゃ遠慮なく、モグモグ。…!?こ、これ、めちゃくちゃ美味しいじゃないですか!?グビグビ。…!?このミルクも美味い!」
「わはははは!そうか、美味いか?それは俺の牧場で育てた豚肉と牛のミルクだ。鶏の燻製タマゴもあるが食うか?」
「いいんですか!?それじゃ頂きます!」
「ほらよ。」
「ありがとうございます!
これも美味い!どれもフレイで食べているものより美味しいですよ!」
「そりゃそうだ。俺の牧場の飼料は研究に研究を重ねた特別なもんだからな。そんじょそこらの牧場で与えてるもんとは訳が違うぜ。とは言っても牧場は立ち退きになっちまってもうねぇがな。」
「えっ!?こんなに美味しいものが作れるのに何でですか!?」
ウィルが驚きの声を上げると犬人族の男は少し寂しそうに身の上話を始めた。
この男の名は、ハスター・スワベッサ・シベリアン。
若い頃はマクグラン王国王宮騎士団に所属していたが、20年前の大戦を機に騎士団を退団し現在のガーデンフレイ領の西部にある城塞都市タツタの名主をしていた。だが10年前にとある事件をきっかけに名主の座を追われタツタの外れで牧場を営んでいた。
しかし、つい最近になって牧場の敷地内で古代遺跡が見つかり、それを知った今の名主であるハイエンの命令で牧場を立ち退きになってしまい、新たな仕事を求めてフレイに来たという事だった。
「…という訳だ。つまんねぇ話しちまったな。そういや、坊主は何でこんな所で寝てたんだ?」
「俺はこの城壁の基礎工事をしてたんですけど、昨日は徹夜だったので眠くなって少し仮眠してたんです。」
「徹夜で工事させられてたのか!?新しい領主様は若いわりにまともだって聞いて来たんだが、この調子じゃあまり期待しねぇ方が良さそうだな。おっと少し長居しちまった。採用面接の時間に遅れちまう。それじゃあ俺は行くぜ。」
「あっ、ごちそう様でした。それと起こしてくれてありがとうございました。でも、フレイは人間族が多いので顔を舐めないように気を付けて下さいね。」
「わはははは。ああ、わかったよ。坊主もあんまり無理するなよ。それじゃあな。」
ウィルの言葉を背に受けたハスターは片手を上げて応えるとフレイの街の方へと去って行った。
「ハスターさんかぁ。なんか感じの良い人だったな。それにしてもタツタで古代遺跡が見つかったなんて聞いてないぞ。まぁ、あのハイエンなら報告して来ないのも当然か…。」
ウィルは割譲式の前にハイエンに挨拶をしに行った時にカビの生えたお茶菓子を出され2時間待たされた挙句、やっと現れたと思ったらいきなりウィルの凡人顔をイジるだけイジり去っていった事を思い出していた。
「あっ!ハスターさんに名のるの忘れてた。まぁ、採用面接に行くって言ってたし、また会えるか。でもこのままだと臭いからまずは風呂だな。」
ウィルが屋敷の脱衣場に瞬間移動すると、そこでは朝風呂から上がったばかりのミツハとミレーヌが湯気を纏った身体を拭いていた。
「あ、あれっ?女風呂に来ちゃった?あははは、し、失礼しましたー。」
「ウィル様!?キャアアアアアアッッッ!!!」
「ウフフ。ウィル君、人妻の裸を見るなんていい度胸ね?」
悲鳴を上げながらも爆風大砲の詠唱を始めたミツハと冷ややかな笑みを浮かべながらレイピアを抜き放つミレーヌにウィルは身の危険を感じ瞬間移動で逃げようとするが、ミレーヌの展開した隔離結界に阻まれ逃げる事が出来ない。
「ご、ごめんなさい!ヒイィィィィィッッ!!!」
こうして、ウィルは2人にボコボコにされた後、話を聞いたカルデとアリスからもこっぴどく説教をされてから採用面接の会場に向かったのであった。
ハスター・スワベッサ・シベリアン
オス 47歳
元マクグラン王国王宮騎士団長であり、城塞都市タツタの元名主。
犬人族のハスキー種。
温厚で正義感が強く真面目だが、頑固で融通の効かない不器用な性格。
妻と息子は10年前に亡くなっている。
ちなみに犬人族は獣人の一種であり、寿命は人間族と同程度。




