第88話 家門
今日はマクグラン王国とボルケニア帝国の平和条約の調印式と、ウィルが領主となる特別中立領の割譲式が執り行われる日である。
ウィルはフライヤー争乱の論功行賞が終わった後、ポテパから避難した人々への支援活動やゴーレムの解体作業、更には特別中立領となる地域にある村や町の名主への挨拶回りなどを慌ただしくこなし、この特別な日を迎えていた。
ここは、マクグラン城の中にある式典会場。
そこでは、トーマスやマッカランといったマクグラン王国の貴族達と共に、ボルケニア帝国からもシーザーやノアルやサーシャといった貴族達が大勢招かれ、両国の融和の象徴であるララの司会進行で平和条約の調印式が執り行われていた。
舞台ではアンジェリーナやナターシャといった両国の重臣達が見守る中、グリドールとロベールが調印書にサインをしていた。
そんな会場の裏手にある控え室ではカルデとアリスとマロンに囲まれて割譲式での挨拶を必死に練習するウィルの姿があった。
「ほ、本日はお日柄も良くバグクラン王国とぼ、ボルケニア帝国の、へ、平和にょうやく、あっ!?すいません!平和条約をき、記念して設置される特別ちゅちゅちゅ中立領…。」
ウィルが原稿を読んでいるとそのグダグダな出来に業を煮やしたカルデが遮った。
「そこまでだ!ウィル、全然ダメだ。噛み過ぎ、吃り過ぎ、原稿見過ぎ、何よりマズイのは国の名前を間違えている事だな。こんな公の場で間違えては流石にグリドールも面子が立たないだろうな。」
「えっ!?間違えてましたっけ?」
「ウィル様、マクグラン王国をバグクラン王国と言ってましたよ。ねっ、マロン?」
「うん!言ってた!」
「うーん、おかしいなぁ。今回は結構上手く読めてたと思ったんだけどなぁ。やっぱり、この原稿がいけないのかなぁ?」
「はぁー、原稿のせいにするな。全く練習していなかったおぬしがいけないのだ。」
「あはは、何とかなるかと思って後回しにしてました…。そ、そういえばカルデは調印式に出なくても良かったんですか?」
「我はなるべく政治には介入しないと決めているからな。そんな事よりもう時間がないぞ。ほらっ、練習だ!」
「は、はい!えーっと、本日はお日柄も良く…。」
ウィルが原稿を再び読んでいると、会場の方から盛大な拍手の音が聞こえてきた。
そして、それと同時に控え室の扉が開き、ミツハが入ってきた。
「ウィル様、そろそろ調印式が終わりますので会場の方へお越しください。」
「は、はい。わかりました。」
「それと、司会のララ様から言伝なのですが改名後のお名前がまだ知らされていないという事です。ワタシからお伝えしますので今教えて頂けますか?」
「えっ?改名って何の事ですか?」
ウィルの何気ない一言にその場の空気が一瞬で凍りつく。
「えっ?ウィル様、もしかして改名が必要な事を聞かされていないのですか?」
「改名が必要?聞いてないですけど…。」
あっけらかんと答えるウィルを見てカルデは思わず頭を抱えた。
「ウィル、先日ハンバーから改めて特別中立領の説明があっただろう?その時に改名の事も説明していたはずだが、まさか、聞いてなかったのか?」
「そういえばそんな事を言っていたような…。あはは、つい話が長かったのでウトウトしちゃってました。改名ってしなくちゃいけないんですっけ?」
「はぁー、少しは辺境伯になるという自覚を持ったらどうだ?簡単に説明するとだな…。」
この世界では基本的にフルネームは、名前・第2家門名・第1家門名の順で構成されている。
生まれた時は第1家門名に家主の第1家門名が付けられ、第2家門名には家主の配偶者の第1家門名を付けるのが慣例だった。
家門名が変わるケースは婚姻や養子縁組などいくつかあり、今回のウィルのケースとしては辺境伯の爵位を得るにあたって帰属する国に同じ第1家門名の爵位保有者が居てはならないという慣例に触れる事から、第1家門名を変更する必要があった。
ちなみに、属性神や王族や皇族などはまた違った命名規則や慣例があったりするのだが、それはまた後々の話である。
「…という訳だ。更に厄介な事にマクグラン王国とボルケニア帝国の特別中立領ともなれば、双方の国の爵位保有者と被らないように配慮せねばならん。」
「へぇー、そうだったんですね。」
「とにかく、割譲式まで時間がない。アリス、急ぎで書庫からマクグラン王国の貴族名簿を借りてきてくれ。」
「は、はい!」
「ボクも行くー!」
「ボルケニア帝国の貴族名簿はないからシーザーあたりに聞くしかないか。ミツハ、会場にシルバリオン侯爵がいるから呼んで来てくれ。」
「はい!」
「な、なんか大ごとになっちゃいました?参ったなぁ。あはは…。」
「参ったなぁじゃない!急いで候補を考えるぞ!」
「はい!」
少し怒り気味なカルデに気圧されながらウィルが家門名を考えているとミツハがシーザーを連れてやって来た。
「カルデ様、シルバリオン侯爵をつれて参りました!」
「おお!シーザー来たか!」
「カルデ様、ごきげん麗しゅうございます。事情は聞きましたぞ。改名する家門名が決まっていないとか。」
「ああ、いくつか候補を書き出してみたのだが、この中にボルケニア帝国の爵位保有者と被っているものはあるか?」
カルデはそう言うと家門名が書かれた紙をシーザーに見せた。
「うーむ、ウィンザー、ロレーヌ、ブッフバルト、ノーストン、ウェストン、イーストン…。残念ながらここに書かれているものは全てボルケニア帝国におります。」
「そうか…。とにかく思いついたものを書き出していくぞ。シーザー、ミツハ、おぬしらも手伝ってくれ。」
「ハッ!承知しました。」
「わかりました。ウィル様の為ならワタシも考えます!」
「2人ともご迷惑をおかけしてすみません。」
間も無くして書庫から貴族名簿を借りて来たアリスとマロンも加わり、悪戦苦闘しながら家門名を言い合っているとカルデが自信ありげに家門名の書いた紙を見せた。
「ウィル、ザラキートンなんてどうだ?なんか響きが良くないか?ザラキートン!どうだ?」
「…いや、なんかそれはちょっと死の魔法みたいなのでパスで。」
「死の魔法だと!?我はこんな名前の死の魔法知らんぞ!カッコ良いではないか!?」
「いや、パスで。」
納得いかない様子でザラキートンを呟きながらカルデが引き下がると、瞳をキラキラさせながらミツハが手を上げた。
「ウィル様、サディストンというのは如何でしょうか?何かこの言葉を口にするとゾクゾクしますね。ウフフ…。」
「ミツハさん、なんか変な性癖を持っていると勘違いされても嫌なのでパスでお願いします。というかなんか目が怖いです…。」
ミツハがしょんぼりしていると、マロンが元気よく手を上げた。
「はい!ご主人様、モンブランはどうかなぁ?甘くて美味しそうでしょ?」
「うーん、俺もモンブラン好きだし悪くないかなぁ。」
ウィルがモンブランにしようとしたその時、シーザーがずずいっと顔を突き出し話に割って入った。
「それはダメだ。縁起が悪い。やめておきなさい。」
「えっ?叔父上、縁起が悪いってどういう事ですか?」
「騎士学校時代にブライトに横取りされた女の名前だ。」
「そ、そうですか…。それじゃあ、マロン他にあるかな?」
「うーん、クリキントン!」
「クリキントンかぁ。まぁ栗きんとんも好きだからいいかぁ。」
「それもダメだ。縁起が悪い。やめておきなさい。」
「叔父上、まさかまた父上に横取りされた女とか言わないですよね?」
「いや、それは騎士学校時代にロベール陛下に横取りされた女だ。」
そう言ったシーザーの表情はとても誉れ高いシルバリオン侯爵家の名手であると共にボルケニア帝国唯一の聖騎士である男とは思えないほどに荒んでいた。
ウィルはシーザーの黒歴史を垣間見たような気がして何を言えば良いのかわからず、アリスに話を振った。
「ア、アリスは何か思いついたかな?」
「はい。2つだけですけどウィル様にとてもピッタリのものが思いつきました。」
「おお、それじゃあ1つずつ教えてくれるかな?」
「はい。1つ目は、オイルデールです。」
「えっ!?…よ、よく聞こえなかったからもう一度言ってもらえるかな?」
「オイルデールです。」
「あ、あはは…。なんか気分爽快になれそうだね。もう1つは?」
「ガスピッタンです。」
「…もう一度言ってみて。」
「ガスピッタンです。」
「アリス、なんか2つともどこかで聞いた事のある薬の名前に似てるんだけど、知らないよね?」
「お薬ですか?ワタシは聞いた事はないですが、カルデ様は聞いた事ありますか?」
「いや、我もそんな薬は聞いた事がないな。だが、どちらも妙に耳に馴染むな。シーザー、ボルケニア帝国でその家門名は使われているか?」
「いえ、どちらもありません。マクグラン王国の貴族名簿にも無いようです。」
「うむ、それでは時間も無い事だし、この2つの候補で決を取ろうではないか。」
「いやっ、ちょ、ちょっと待って下さい!この2つって、オイルデールとガスピッタンで決めるんですか!?そ、それはちょっと…。」
「何だ?先程は気分爽快になれそうって気に入っていたではないか?」
「だからと言って家門名にするなんて…。」
「ええーい!元はと言えば、おぬしがちゃんとハンバーの話を聞いてなかったのが悪いのだ!もう時間が無いからこの場にいる者達で決めるぞ!良いと思った方に手を上げろ。ではまずオイルデールが良いと思う者は手を上げろ。」
その言葉と同時にカルデとアリスとマロンの3人が手を上げた。
「うむ、ウィルとシーザーとミツハはガスピッタンという事だな。割れたな。」
「あはは、引き分けなら仕方ないですよね。また別のを考え…。」
「よし!ウィル自身がガスピッタンが良いというのであれば、それで良いだろう。今日からおぬしは、ウィル・サウストン・ガスピッタンだ!」
「えっ?…ええーーーっ!?待って下さい!俺はガスピッタンなんて嫌ですよ!」
「うるさい!おぬしは今日からガスピッタン辺境伯だ!」
引き分けに持ち込んで白紙に戻そうとした悪知恵が裏目に出て、ガスピッタンになったウィルが駄々をこねていると、控え室の扉が開き息を切らしたトーマスが入って来た。
「ウィル、どうしたんだ!?なかなか出て来ないから皆困っているぞ!」
「トーマス兄さん、実は…。」
「話は移動しながら聞くからとにかく行くぞ!」
「えっ、ちょっと待って…。」
ウィルは首根っこをトーマスに掴まれ引き摺られるように会場へと連れ去られたのだった。
会場では既に平和条約の調印式は終了し、その後すぐに特別中立領の割譲式が行われる予定だったが、肝心のウィルが現れない事からララとサーシャが即興で舞を披露して、なんとかその場を繋いでいた。
そんな事など露知らずウィルが舞台袖に到着すると、それに気付いたララとサーシャはキリの良い所で舞を切り上げた。
そして、2人の華麗な舞に惜しみない歓声が上がる中、ララは司会者席に着いた。
「そ、それでは大変長らくお待たせ致しましたが、この度マクグラン王国とボルケニア帝国の平和条約締結を記念して両国の領地を割譲して新設する事になりました特別中立領の領主となられる、えーと、白き大熊として知られるブライト・グリーク・サウストン様のご子息であるウィル様に登場して頂きましょう。皆様、盛大な拍手でお迎え下さいませ。」
ララが機転を効かし家門名を濁してウィルを舞台に招き入れると、会場から割れんばかりの拍手が巻き起こった。
ウィルは舞台の中央まで来ると意を決したように口を開いた。
「ご紹介に預かりましたウィル・サウストン・ガ…。」
しかし、どうしてもガスピッタンに納得出来ないウィルは言葉が続かない。
「私はウィル・サウストン・ガ…。ガ…。ガ…。」
そんなおかしな様子に会場が騒めき始めウィルが諦めかけたその時、その脳裏に恵比寿のとあるランドマークの名前が浮かんだ。しかし、そのままでは何かマズイ気がしたウィルは1つの家門名に辿り着いた。
「私は、ウィル・サウストン・ガーデンフレイと申します!」
その家門名に一瞬会場が静まり返るも次の瞬間、再び割れんばかりの拍手が巻き起こり、ウィルの第1家門名は土壇場でガーデンフレイとなったのだった。
ちなみに家門名で頭の中が一杯だったウィルに練習していた挨拶が言える訳もなく、一世一代の晴れ舞台であるはずの割譲式はグダグダな挨拶で幕を閉じたのだった。




