第46話 エリゴール
ある日、私はたまたま通りかかった帝都バーナ近くの森の中で魔物に襲われていた育ちの良さそうな10歳位の男の子を助けた。
その男の子は近くの別荘に静養しに来ていたが、従者とはぐれてしまった所を魔物に襲われてしまったとの事だった。
男の子の名はチャールズ。ボルケニア帝国の第1王子だった。
しばらくして従者達が駆けつけると、私は命の恩人として城へと招かれ、ちょうどチャールズと同年代の腕の立つ世話役を探していたということで、私は自分が水龍だという事を隠し世話役になった。
その後、私は世話役をしながら徐々にチャールズとその周辺からの信頼を得ていった。
ここはボルケニア城にある書庫。古びた紙の匂いと少し埃っぽい匂いが混じるその部屋には背の高い本棚が並べられ、四方の壁に設置された本棚にも所狭しと本が並べられていた。
「うーん。この書庫じゃ魔界に関する事が書かれているのはこの一冊だけか。やはり、帝国魔導師団の研究施設の書庫を見るためにも魔導師団に入団するしかないか。」
エリゴールが独り言を呟きながら考え事をしていると、その背後にチャールズが忍び足で近付き大声を出した。
「わっ!!!」
しかしエリゴールは驚く事もなく振り向くと手に持っていた本でチャールズの頭をポンと叩いた。
「痛っ!?」
「チャールズ様、いつもそうやって城の者達を驚かしているようですが私には通じませんよ。それより私は休憩中なのです。遊びたいなら他の従者を当たって…あっ!?」
そのつき離すような言葉にチャールズはムッとすると、エリゴールが持っていた本を奪い取り書庫の中を走り始めた。
「へへーん!返して欲しかったら僕を捕まえてごらん!ベーっだ!」
「チャールズ様!走っては危険です!」
と、次の瞬間通路に天井近くまで積み上げられていた大量の本がチャールズに向かって崩れ始めた。
「うわぁぁぁっ!!!」
エリゴールは咄嗟にチャールズに覆いかぶさった。
『ドサッドサッドサッドサッバサッバサッ!!!』
大量の分厚い本がエリゴールの後頭部や背中を直撃し、辺りに埃が舞い上がった。
「チャールズ様、お怪我はありませんか?」
チャールズは呆然としながらもコクリとうなずくがエリゴールの額から血が流れているのに気付くと、大声で泣きだした。
「うわーん!ごめんなさい!僕はエリゴールと遊びたかっただけなんだ!うわーん!血が出て、ごめんなさい!うわーん!」
エリゴールはそんなチャールズを幼かった弟に重ねると、そっとチャールズを抱きしめた。
「謝らなくていいんです。私が邪険にしたのがいけなかったんですから。もう泣かないで下さい。こんな怪我、大した事ありませんよ。」
「ホント?」
「ええ、大丈夫です。怪我の手当てをしたら外で遊びましょう。」
その言葉にチャールズは一瞬喜びかけるも、何かを思うようにすぐに下を向いた。
「…それは世話役だから遊んでくれるの?」
エリゴールはすぐにチャールズの想いに気付くと優しく微笑んだ。
「いえ、今は休憩時間ですから、うーん、そうですね。友人としてでしょうかね。」
「友人って、友達の事?」
「はい。でも大人の人たちには内緒ですよ。怒られてしまいますから。2人だけの秘密です。」
エリゴールはそっと小指をチャールズの前へと差し出した。
「うん!わかった!」
チャールズは満面の笑みを浮かべるとエリゴールの差し出した小指に自分の小指を重ねるのだった。
そしてしばらくしてから私はチャールズの許可を得て魔導師団へと入団した。
魔導師団は、帝国騎士団や神殿騎士団のような実働的な部隊とは異なり、研究や調査が主な活動であった為、私には都合が良かった。
それから少しずつあの事件についての情報も集まりだした。
あの時空の歪みは水龍の悪夢と呼ばれ、当時魔界では大騒動になり、ベリアント魔王国が威信をかけ調査を行っていた。
その結果、私の住んでいた村は全壊し、村人は全員が魂を抜かれて死亡。
時空のゆがみは、何者かが大規模空間転移魔法を使った事が原因だと判明したものの、結局犯人は見つからず調査は終了していた。
当初、それを聞いた私は家族が生きていない事に絶望したが、ふと私は私自身の死亡を確認していないにもかかわらず、かなり早い段階で村人は全員死亡と結論付けたその調査結果に疑問を持ち始めた。
そして、家族も私と同じようにどこかに転移して生きているかもしれないという想いに変わっていった。
私は真実を知る為に魔界へ戻る事を決意した。
魔界へ戻る手段は大きく合法か非合法に分かれる。
まず合法の手段は天地界と魔界の国が個別に外交交渉を行い互いの許可のもとにゲートを解放し行き来をするものだが、ここ数百年ボルケニア帝国は魔界のどの国とも外交を行っておらずこの手段で戻る事は困難だった。
もう一方の非合法の手段とは無許可でゲートを開き行き来するもので、例えば大天使ミカエルの最後の審判が挙げられるが、これはゲートが魔王サタンの治めるサンフラテス王国に固定されており、外交を結んでいないボルケニア帝国の者が許可なくサンフラテス王国に入れば不可侵条約の元に極刑に処される可能性が高く、また自分が水龍と正体を明かしたとしても、水龍はベリアント魔王国にしか生息せず、サンフラテス王国とベリアント魔王国は犬猿の仲である為、どちらにせよ極刑は免れそうになかった。
他にはとある魔王が簡単にゲートを開くことの出来る魔道具で天地界と魔界をお忍びで往来していたという噂もあったが、そんな魔道具が見つかる訳もなく、時間が経つにつれ私の魔界に対する想いは強くなり気が付けば13年の歳月が流れていた。
そして、まだ内乱が始まっていない今からちょうど1ヶ月前の嵐の夜、私はオグニイーナがいる神の間へと呼び出された。そこには玉座に座るオグニイーナと黒いローブを目深に被ったラウヌの姿があった。
「エリゴール、よく来たわね。」
「何の御用でしょうか?私はこう見えても忙しいのです。」
エリゴールは昔からオグニイーナとは生理的に合わず可能な限り避けていたが、この日は運悪く断る口実が見つからずに嫌々呼び出しに応じていた。
「あら?そんなに嫌わなくても良いんじゃなくて?水龍さん。」
「なっ!?何故その事を!?」
思いもよらないオグニイーナの言葉に、エリゴールは誤魔化す事も忘れ反応していた。
そんなエリゴールの反応を嘲笑うようにオグニイーナは足を組み替えると話を続けた。
「ウフフっ。この子から教えてもらったの。驚いたわ。まさか貴方が魔界から来た水龍だったなんてね。」
「その子は誰ですか?何で私の正体を知っているのですか?」
「この子はラウヌ。魔王ベリアルの配下で魔界から来たそうよ。まぁ貴方の同郷ね。」
「魔王ベリアルの配下で魔界から来た?そんなバカな、どうやって?!?」
長年追い求めていた答えがそこにあると思うとエリゴールは興奮を隠せなかった。
「興味津々ね。そうよね。ずっと魔界へ戻る方法をさがしていたものね。それで貴方にお話があるのだけど聞きたいかしら?」
「何ですか?私を脅すつもりですか?」
「アハハハハ。脅す?そんなバカな事はしないわ。ただこの話に協力してくれるなら、ベリアルが貴方を魔界に戻してくれるそうよ。」
「ま、魔界に戻れる!?本当ですか!?」
オグニイーナが目配せをするとラウヌが一歩前に出た。
「はい。ベリアル様からはそう伺っております。」
オグニイーナはエリゴールが食いついたのを感じると、近いうちに起こるボルケニア帝国の内乱の裏で魂移しを行おうとしている事や、ベリアルから魔力供給を受けようとしている事を話した。
エリゴールはその恐ろしい計画を聞きながらも、魔界に帰れるかもしれないと喜びに身体を震わせていた。
「わかりました。ですが私はオグニイーナ様に協力するのではなく、ベリアル様に協力するのです。それだけはお忘れなきように。」
「それでいいわ。交渉成立ね。あははははははっ!」
神の間にオグニイーナの高笑いが響き渡る中、エリゴールはふと脳裏に浮かんだチャールズの笑顔を忘れようと首を横に振るのだった。
「ん…んんっ。…チャールズ様?」
エリゴールの意識が戻ると目の前には涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、必死に回復魔法を使っているチャールズの姿があった。
「エリゴール!気がついたか!?待っていろ!必ず助けるから!死ぬな!」
だがチャールズが扱う事の出来る回復魔法は中級までであった為、エリゴールの切断面の血を止める事が精一杯だった。
「くそっ!何で回復しないんだ!そうだ!叔母上ならきっと治せる!エリゴール、すぐ叔母上を呼んでくるから待ってて!」
チャールズが立ち上がろうとすると、エリゴールがチャールズの手を掴んだ。
「チャールズ様、私はもう死にます。だから側にいてください。」
「死ぬなんて私は許さないぞ!」
「いえ…私はもうダメです。きっとチャールズ様を…友達を裏切ったから天罰が下ったのです。…本当に申し訳ありませんでした…。ゴホッ!ゴホッ!」
「わかった!許す!全部許すから!」
エリゴールの掴んでいた手が解けそうになると、チャールズは咄嗟にその手を握りしめた。
「私はただ…魔界に戻ってもう一度あの湖を見たかった…家族に会いたかった…ただ…それだけなのです…。」
「わかった!わかったから死なないでくれ!エリゴール!」
「チャールズ様…友達になって…くれて…ありがとうございま…した……。」
エリゴールはそう言い残すと、チャールズと出会った頃と変わらない微笑みを浮かべ、そっと瞳を閉じた。
「うわああああああっ!!!」
そしてその場にはチャールズの泣き叫ぶ声だけが響き渡るのだった。
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