第10話 違和感
一方、その頃ウィルはアリスを抱き上げたままカッシアの丘を越えたところで立ち止まると、アリスをゆっくりと地面に降ろしそのまま仰向けに倒れこんだ。
「ウィル様!ありがとうございます!」
「ハァハァハァハァッ…。」
ウィルは息をするのが精一杯で、話す余裕など無くただただ首を横に振る事しか出来なかった。
ウィル自身、アリスを助けたのはあくまでカルデであって、自分はただ恐怖でその場から逃げただけという思いしかなかった。
アリスはそんなウィルに気付くと静かに魔法の詠唱を始めた。
「春の風 夏の風 秋の風 冬の風
全ての風を司りし 風の神カルデよ
世界の理において
我が力 魔として介し給え」
神自身が魔法を使用する場合や無属性魔法を除き、普通はアリスのように属性魔法を使用する為には神を媒介とする為の祝詞を唱えてから、魔法名を唱える必要があった。
祝詞の詠唱が始まると、アリスの身体が青白い光を放ち始め、その光は徐々に強くなる。
「ヒールウィンド!」
祝詞の詠唱に続きアリスが魔法名を唱えるとウィルの身体を優しい風が通り抜け、荒かった呼吸が落ち着いていった。
そして、今までウィルの身体にあった疲労感と倦怠感が消えていき、徐ろに身体を起こした。
「アリス、ありがとう。まさかヒールウィンドが使えるなんて知らなかったよ。」
アリスが使用したヒールウィンドは風属性上級回復魔法であり、臓器の破損や腕や足の切断程度ならたちまち完治する事ができ、更には疲労回復や精神安定の効果もあった。
だが、アリスがヒールウィンドを使えることをウィルは知らなかった。
「あっ、そうでしたっけ? あはは…。そ、それよりも、先程のお方はどなた様でしょうか?どこかで見た事があるような。」
アリスは何かを誤魔化すかのように慌てて話をカルデに移した。
あからさまなその態度にウィルはこれまで秘密にされていた事を悟り、その理由が気になったが今は飲み込みアリスの質問に答えた。
「うん。あの方は風の神カルデ様だよ。」
「えっ!?本当にカルデ様だったんですか!?何でウィル様と?でも、カルデ様ならあんな魔物、きっとちょちょいのちょいですよね!」
助けられた直後、アリスは混乱していた為カルデが説明した事を聞き取れていなかった。
ウィルはそんなアリスから目を逸らし、自分の手のひらを強く握りしめた。
「いや、あのカルデ様は分身体で上級くらいの強さだから、超級のあの魔物には勝てないんだって…。」
超級という言葉を聞きアリスは愕然とするが、すぐに気を持ち直し真っ直ぐにウィルを見た。
「カルデ様は確かに分身体と仰ったのですね?」
「うん。だから魔物にやられても問題ないんじゃないかな…。」
目を逸らしたまま、ウィルは分身体ならやられても問題ないだろうという何の根拠もない思いを吐露するが、アリスは今まで見た事が無いような真剣な表情になっていた。
「確かに分身体のカルデ様が倒されても、本体のカルデ様のお命に影響は無いでしょうが、その場合にはどの程度かはわからないですが一定期間、カルデ様の加護が減少して風属性魔法が最悪使用できなくなるかもしれません。」
風属性魔法が使用できなくなるというのは、すなわち、国民のほとんどが風属性魔法のみを使用するマクグラン王国の軍事力が著しく低下する事を示していた。
それはウィルにも容易に想像できる事であったが、神の分身体自体もそうだが分身体が影響して魔法が使えなくなるという事は、少なくともウィルの記憶には無い知識だった。
そして、それは学校に通っていないはずのアリスが知っているのはあまりにも不自然な知識でもあった。
「アリス、何でそんな事、君が知ってるんだい?」
「それは…。」
アリスが質問の答えを返そうとしたその時、突如夜空に暗雲が立ち込めカルデとヘルガルムが闘っている方角に巨大な竜巻が発生し、ヘルガルムの凄まじい咆哮が轟いた。
「あ、あれは上級魔法のギルトルネード!」
次の瞬間、巨大な竜巻はヘルガルムの咆哮によりかき消された。
それを見たアリスはその方向へと駆け出そうとするが、ウィルは咄嗟にアリスの左腕を掴んで止めた。
「待って!どこへ行くんだ!」
「カルデ様を守らないと!ウィル様、離してください!」
アリスは手を払おうとするが、ウィルは手を離さずアリスの前に向き直るともう一方の手で右腕を掴んでアリスの顔を見た。
「アリス!落ち着くんだ!君がカルデ様に加勢したところであの魔物を倒す事ができるのかい?」
「…それでも!」
アリスは悔しげな表情を浮かべながらも、カルデに加勢する意思に変わりはなかった。
ウィルはアリスがこうまでして頑なにカルデの分身体を守ろうとしているのは、単にカルデへの信仰心やマクグラン王国への愛国心だけではないと考えていた。
何故ならアリスはサウストン男爵に仕えてはいるがカルデやマクグラン王に仕えている訳ではないからだ。
この世界の主従関係はあくまでも仕えている主が最上位であり、いくらその国の神や国の王からの命令だとしても従者は主が許可しなければ従う必要はなかった。
そしてまた、主の許可なく命を賭して闘う事などあるはずがなかった。
ふとウィルの頭の中にある考えが浮かんだ。
「アリス、一つだけ確認させてくれ。君にカルデ様の分身体についての情報を教えたのは父上だね。」
アリスは話すのを一瞬ためらうが、ウィルの真剣な表情を見て隠しきれずに口を開いた。
「は、はい。旦那様です。」
その言葉にウィルは腹の中に何かがストンと落ちるような感覚を覚え、それと同時にサウストン男爵家にこれまで感じていた違和感が、今回の魔物の襲撃に関係しているのではないかという考えに至っていた。
ウィルが感じていたサウストン男爵家の違和感とは、領地が王国南部のクリスプ半島にあるフルーリー山脈を越えた陸の孤島と呼ばれるど田舎でありながら、ウィルを除く家族全員がハイスペック過ぎるという事だった。
父ブライトは20年前の大戦で勲章の中で最も誉な英雄勲章を受勲する程の活躍をし、超級以上の強さでなければ名乗る事が出来ない白き大熊という異名持ちであった。
長男トーマスは上級騎士学校を主席で卒業後、騎士団の中でも最上位の王宮近衛騎士団に入団し20歳という若さで筆頭騎士を務めていたという事から、既に退団しているとはいえ超級以上の強さがあってもおかしくはなかった。
三男クラスティは試験もなく既に上級魔法学校への入学が内定している天才だ。
学校には初級から上級が存在し、上級の学校に通うこと自体が、上級以上の強さがある事を示していた。
また、母メリーは伯爵家、トーマスの妻ララは公爵家という、普通であれば格下の男爵家に嫁ぐ事などあり得ない程の名家の出身であり、共に上級魔法学校を主席で卒業した才女であった。
であれば、当然超級並みの強さを持っていてもおかしくなかった。
そして、アリスは目の前で上級魔法を使った事から、少なくとも上級以上の強さがあると見て良いだろう。
そう、一つの国で数人しか存在しないはずの国の最高戦力である超級や、そこらにはいない上級の強さを持つ者が、こんなど田舎で何人もひっそりと暮らしていれば、何も無いと考える方が難しく、何かあると考えるのが自然であった。
そしてその何かを狙ってあの魔物がどこからか送り込まれたのだろうと、ウィルは考えていた。
ウィルの頭の中に嫌な予感がよぎる。
「屋敷が危ないかもしれない…。」
ウィルから唐突に出た言葉にアリスの身体から一瞬力が抜ける。
「えっ!?ウィル様、お屋敷が危ないってどういう事ですか?」
「アリス、父上が何を隠しているかはわからないけど、もしその何かを狙ってあの魔物が来たとすれば他にも仲間が来てるんじゃないかな?
それも父上達の強さを知っているなら、あの魔物よりも強いのが…。」
アリスはすぐさま反論しようとしたが、ウィルの話を否定する材料も無く、むしろその何かに心当たりがあり口をつぐんだ。
ウィルは、アリスを掴んでいた手を離すと言葉を続けた。
「アリス、屋敷に戻ってもし敵がいたなら父上達をサポートしてくれないか?」
「でも、それではカルデ様が…。」
「それは僕が何とかしてみるよ。それにもし、屋敷に何も無かったらすぐに援軍を頼むよ。」
ウィルは、自分が予想した状況を打開するには腹をくくるしかなかった。
「でも…。」
アリスはとてもウィルが何とか出来る状況では無いと思いながらも、頭の中に様々な考えが浮かんでは消えていく。
「アリス!俺を信じろよ!」
ウィルの今まで聞いた事がない男らしい言葉に、アリスは思わずうなずいてしまう。
「ありがとう!それじゃあ森にはあの魔物がいるから少しだけ遠いけど、森を迂回して屋敷に向かって。」
「ウィル様、本当に大丈夫ですか?」
アリスは瞳を潤ませながら心配そうにウィルを見つめるが、ウィルは微笑むとアリスの頭を優しく撫でた。
「大丈夫。アリスや父上が僕に隠し事をしていたように、僕だってアリス達に隠し事の1つや2つあるんだよ。だから、ほらっ急いで!」
ウィルはそう言うとアリスの背中を押した。
「ウィル様、全てが終わったらちゃんとお話しますね。だからどうかご無事で!」
アリスは駆け出すと同時に高速移動魔法の詠唱を始め、魔法を唱えると疾風の如き速さで迂回路を走っていった。
「ははっ…速いな。
あーあ、こりゃカルデ様に根詰まり何とかしてもらうしかないな…。」
あっという間に点になったアリスを見ながら、さっきの俺のお姫様抱っこの必死の逃走は何だったんだろうと虚しさを感じながらも、ウィルは根詰まりというわずかな希望に望みを託しカルデが闘っている方へ走り出した。
そしてウィルがカッシアの丘の頂上に差し掛かったその時、オグニイーナの展開した赤い隔離結界がウィルを含む一帯を覆うのであった。




