第6話「恋の形」
その日の夜、真帆ちゃんさんは相当に盛り上がっていた。
僕との温度差なんて気にしない程の盛り上がりだった。
でも原因は僕だった。
僕が真帆ちゃんさんに夕食後、ある質問をしたところから始まった。
「恋ってどんな形をしてるんですか?」
僕にとっては昼間の美菜ちゃんが言っていた『恋の形』という物がどんな物なのか聞いてみたかっただけだったのに…。
真帆ちゃんさんは鼻を膨らまし、大きい目を更に開き、テーブルから身を乗り出して僕に接近をしてきた。
僕は驚いたのと女性がこんなに近付いてきた事に対してずっと心臓をバクバクさせていた。
「恋話ね?それって恋話よね?
どんなの?今時の若者は一体どんな恋しちゃってるの?
お姉さんに教えなさい。
聞いてあげるから、ほら言ってごらんなさいな。ほらほら。」
「そ…そんなんじゃないんですって。
ちょっと友達の子があるって言ってたから、本当なのかなって気になっただけで…。」
「恋に形があるって?」
「そうです。何でも、その恋の形をした物がないと恋ができないって、だからそれを持っていない僕もまだした事がない訳で…。」
「あっそ、恋話じゃないんだぁ。
あぁ、折角楽しくなりそうだったのに、小判鮫だなぁ。」
「『興醒め』させちゃってごめんなさい。でも…もし知ってたら教えてくれませんか?」
僕は、真帆ちゃんさんを傷付けないように小判鮫を興醒めに訂正した。
真帆ちゃんさんは何も言わない方が、顔がみるみる赤くなっていくみたいだ。
それを隠すように真帆ちゃんさんは考え込むようにしてぼそっと言い始めた。
「恋の形…はっ!とんちね!そうよね!?」
と、一人で勘違いし、地面や天井を見ながらあぁでもないこうでもない、と盛り上がっていた。
そしてまた考えるうちに自分の手の平をもう片方の拳で力強く叩きながら何かを思い付近
いたように話し始めた。
真帆ちゃんさんが言うのには、恋というのは二種類あって、それを両方手に入れたら恋になるのだという。
「形は…。」と言いかけてから部屋の周囲を見まわしてから思い付いたように
「はい!わかっちゃった!水玉ぁ!」
と、元気一杯に答えた。
「えっ?水玉って、どういう事なんですか?」
「想像すればわかるわ。頭の上にあるのよ。」
「な、何がですか?」
「水玉よ、水玉。大きい水の塊。」
「は、はぁ。」
理解しきれていない僕の事を放って、段々と熱が入っていく。
こうなったらもう真帆ちゃんさんを止められる人はいないのかもしれない。
仕方がないので僕は静かに真帆ちゃんさんの話を聞く事にした。
「頭の上の方に硬い膜に覆われた水の塊が浮いていて、それが頭まで落ちてくると恋になるの。」
もう、例えが事実であるかのような言い方になっていたけど、僕は黙って続きを聞いていた。
「その水玉がどんどん落ちてきて、体の表面を覆うように包まれていって、その包まれている感覚がとても心地良くて、嬉しくて幸せな気持ちになれるのよ。」
真帆ちゃんさんは目を閉じながら、さっきまでの興奮して熱の入った説明をしている時とはまるで別人のように穏やかで涼しげな表情を浮かべていった。
それは何かを想像しているのか、思い出しているのかわからなかったけど、その瞬間だけはとても幸せそうだった。
しばらくすると、真帆ちゃんさんは目を大きく見開き、さっきと同じようにまた熱のこもった興奮した顔付きへと戻っていった。
「ところが!ところがどっこいなのよ。
これがまた。ずっと幸せって訳でもないのよ。たまにその硬い膜の中に入ってしまう事があるの。」
「えっ?大丈夫なんですか?なんか苦しそう…。」
「そう、苦しいのよ。それは苦しくて、もがいても抜け出せなくてね。あぁ、本当苦しかったわぁ。あの時は…。」
今度は妙に苦しそうな辛い表情を浮かべていた。
「そ、そうなっちゃったら…もう抜け出せないんですか?」
「抜け出せるけど、大変よ。」
「ど、ど、ど、ど、どうすればいいんですか?」
既に膜の中に閉じ込められているかのような恐怖を感じている僕に真帆ちゃんさんはゆっくりと力強く答えてくれた。
「それはね…、抜け出すには…知恵と…勇気が…必要…だそうな。」
「そうなんですか!?えっ?真帆ちゃんさんの経験から得た教訓を話してくれてたんじゃないんですか?」
僕はつい、真帆ちゃんさんへ本音をぶつけてしまった。
「教訓て、およそ小学生が使いこなせる言葉じゃないわよ。あなた難しい言葉知ってるのねぇ、新入りのくせに。」
「新入りはここでの話じゃないですか!
この家の敷地を一歩出たら僕は小学六年ですよ。最高学年なんですよ!」
「小学生なんてまだ社会にも出てないじゃない!スタートラインにも立ってないわよ。
新入りどころかひよっこじゃない。
いや、生まれてないのだからまだ卵…ヨードロン光…そうよ、あなたは今日から光と名乗りなさい。新入りよりも格下げなんだからね!」
「格下げされた割に新入りよりも格好良くなっちゃってるじゃないですか!!ややこしいですよ!」
ここまで話している間に、真帆ちゃんさんはとうとう堪えきれなくなって笑い始めた。
何が面白いのかわからなかったけど、「ここまで私に付き合ってくれたのは久しぶりだ。」と喜んでいた。
真帆ちゃんさんは、落ち着いてから、脱線した話を元に戻した。
「話を戻すけど、もの凄く苦しい時ほど知恵と勇気が必要なのよ。それさえ持っていれば抜け出せる事が出来るのよ。」
「そ、そうなんですか…。じゃ、じゃあ、恋の形をした物を持っていなくても恋は出来るんですね?」
「もちろんよ。だから恋なんて誰でも出来るの。水玉だって、イメージの話なわけだし…。」
そこまで話すと急に黙って何かを考え始め、そしてまた急に何かを思いついたかのように両目と口を大きく開いた。
「あれ?私、今凄く良い事言った?言ったよね!?」
と、嬉しそうに聞いてくる真帆ちゃんさん。
そして、寝室へと向かうため、お茶の間を出る際に振り向き様、右手の親指を立てて意味ありげな表情を浮かべていた。
僕には何の合図なのかわからなかったけど、一瞬だけ、僕の心はイラッときた事だけは確かだった。