表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/30

その22  逃亡

急がなくては。

ソアンは不安な目でドアを見つめた。


小さな窓の向こうに、人の気配がする。

あの二人はきっとそこで何か、

「もめてるんだったらもう少しもめてて欲しんだけど」

さっき頭に浮かんだことを確かめておきたい。そのためにも、時間の余裕がほしいのだ。

「.......」

眠ったままのヨンファに視線を戻した。


「ヨンファ?ね、私の声、聞こえる?」




こんなこと、わがままだとわかっている。

けれど、

取り戻してわかったから。なくして初めてわかるものがあるから。


もう二度と、





----お願い、神様っ




「私、私は」


「ヨンファを失いたくないの」





・・・・・

・・・・・





『もう二度と  私、私は』



『ヨンファを失いたくないの』





「........ソアン?」


その言葉が暗闇から降ってきた。

厚い雲に覆われた真っ暗な空から、いきなり。

「ソアン?」

闇を見上げながら、その場でゆっくりと小さな円を描くようにぐるりと回る。

けれども、やっぱりそこには闇しかない。


「でも......聞こえた」


そう。

さっきからずっと、名前を呼ぶ声がする。ソアンの声が。


もしそれが、神様がくれた最後の贈り物だったとしても、

「届いた、ここに」

その返事は、神様に、ではなく。ソアンに向けて。

そうして、そっと胸に手をあてた。

ベッドに横たわり、作業を始めた時に感じた「熱」とは違う何か。

ドロドロとしていたモノが、少しずつ少しずつ溶けながら末端まで流れていくような。

ソアンの声は、いつしかこの闇と同じように真っ暗になっていた心の中に小さなあかりを灯してくれた。

ただの暗闇と思っていたこの世界に、

薄ら光が差すような、そんな温かさを感じるのだ。


「.......」


胸に手をあてたまま、ふぅ-----っと長い息を吐くと、

空っぽになった肺に、自然と新しい空気が入り込んでくる。

「あははっ」

突然響いた明るい声にハッとして顔を上げれば、

スクリーンの向こうで、記憶の中のソアンが笑いかけていた。

ふぅ-------

ヨンファはもう一度、深呼吸をした。


こんな風に、

古いものが消えた後には、自然と新しいものが埋め込まれるのだろうか、---記憶も。




『忘れないで』

『消してしまわないで。お願い』




「......ぇ?」


その声と同時に、目の前の映像(記憶)がまた一つ、消えた。


「忘れ、ないで?」




神様は残酷にも、

この期に及んでまで、迷いという贈り物をくださるつもりか。

そんな自分に苦く笑う。


「忘れ、ないで.....か」


一度消えてしまえば。

一度消えてしまった記憶の欠片は、もう拾い集めることはできない。

ぽっかり空いた穴はそのまま。

もう埋まることはないんだ。


「....っ、今更、何を」

たった今、脳裏に浮かんだことを流してしまおうと。

「今更、そう。今更だろっ」

一度始まったものは、止めることはできない。

そう納得させようと。



「.......ぁ」


何だろう。

心の中が焦っているからか。

映像が消去されていくスピードが速まった気がする。

目の前にはまた、新しい「記憶」のページが開かれた。


「これ......」


それは、ソアンのことを好きなんだ、と、

そう実感した日の出来事だった。

と同時に、ソアンの幸せのために背中をおしてやろうと決心した、その日。

この日から苦しみが始まったはずなのに、

この日から、本気でソアンの幸せを祈る日にもなった。


「俺が、バカになった記念日だ」


「.......っ」



目の前の映像が歪む。

「今もバカだけどな」

こうやって、あらためて感じるなんて。-----ソアンを好きだ、って。



ゆらゆらと揺れるソアンの顔を見つめながら、ふと、

そういえば、この日もこうやって、カイジと一緒に去っていくソアンの背中を見つめていたっけ、と。

そんなことを思い出した。

「あの時」

もしも、あの時、カイジの肩を掴んで一発殴ったら。そうしたらそこから先の物語は変わっていただろうか。

「いや、もしも」

あの時、ソアンの手を掴んで逃げ出したら、そのあと二人はどうなっただろうか。




『ヨンファ』

「ソアン?」

『どこにいるの?』

ここにいる。ここにいるんだ。

「ソアンっ!」『----って』



「え?」

ヨンファは、両手を拳をぐっと強く握り締めた。

たった今、ソアンの名前を叫んだ時に、同時に耳にした言葉。

「言ったよな、今」

確かに聞こえた。



「------逃げて?」






・・・・・

・・・・・



何度かチラチラとドアの向こうをうかがいながら、

ソアンは機材の周囲に置かれたままの資料をめくっていた。


「どこにあるの?」


必ずあるはずだ。

「どこ?-----あ、あった、これだっ」

二冊めのファイルの中に、手書きの資料が入っていた。

資料の上にはヨンファの名前とコード番号が記されている。

「あった.......これ、このどこかに」


記憶を削除するための記憶図を作成する時、その前後の記憶も細かく書き記したことを思い出したのだ。

その中から削除するものを選択したはずで、となれば、

-----消えない、消されない記憶もある。

「それが、この線路のような線の上にあるとすれば」


「点と、点をつなぐ線のどこかに、この消えない記憶がある」


----だったら、


「そこに逃げ込めば?そうすれば」




そこに逃げて、隠れ通すことができたら。

もしかして、


「ヨンファ?今どこにいるの?」

「お願い、教えて」



「ヨンファ........逃げて。お願い逃げて」



---もしも、目が覚めた時、私がそばにいてもいいのなら。お願い。



「逃げてっ」









評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ