その16 新しい朝
同封されていたディスクを、もう何度観たのかも覚えていない。
ただ、
最初は流れる映像を呆然とみつめるだけだった。
そこに映し出されているのは自分自身なのに、
まるで、誰かのドキュメンタリー映画を観ているような、そんな感じがしていた。
それが。
いつしか、一つずつ、確かめるようになって。
また次は、気になる部分だけを取り出して、何度も何度も。
「.....ぁ」
映像の中の「ソアン」が感じていたであろう色々な思いも同時に押し寄せてきて、
溢れる涙を止めることもできず。
そうやって、
ずっとずっと、見続けていた。
そうして、
何のことだかわからなかったその映像が、最後には、
一つの記憶としてつながった。
いつ眠ったのか、わからない。
目覚めた時、TVはつけっぱなしで。
リビングの床に倒れるように横たわっていた。
「さ、さむっ」
口の中が気持ち悪くて、とりあえず洗面台へ向かう。
「....すごい顔」
鏡を覗き込めば、腫れぼったい瞼をした女がそこにいた。
-----ソアン?あんた、どうしてここにいるの?
どうせ消えてしまうのなら、
記憶じゃなく、存在自体を消してしまえばよかったのに。
鏡の中の、女がそう叫ぶ。
----弱虫っ
リアルな世界では、こうして生きているのだ。あの時も、今も。
「......」
記憶は戻ったはずなのに。
不思議と、
『記憶を消してしまいたい』と、そう決心した時の自分の姿は薄ぼんやりとしか覚えていない。
けれども、
「昨日までとは、違うソアンなんだよ」
鏡に向かってそう呟いて、ハッとした。
そう。
記憶をなくしたあの時もきっとそう思ったのではないだろうか。
生まれ変わりたい、と。
「そっか」
あの日、新しいソアンが生まれたのだ。
「それを」
あの時のソアンは、そうすることを望んだ。
そうすることで、すべての罪から逃れようとして。
カイジを傷つけ、
ヨンファに嘘をつき通そうとした自分自身から逃げようとして。
「好きじゃないのに好きなフリをして」
----好きなのに、好きじゃないフリもしたでしょ?
「だって!」
鏡の中の女に向かって叫んだ。
「嫌だったの。もう嫌だったの」
----嘘つきっ
「違うっ。嘘をつきたかったわけじゃないの」
----ソアンは、あんたは小さい頃からそうなのよ
「そんなつもり、なかった!」
----でも結局、あんたはママを見捨てて新しいママのところに行ったでしょ
「だって」
----ママのこと好き、って言っておきながら、新しいママのところに行ったでしょ
----嘘つきっ
「違うっ!」
「あの頃は怖かったの。ママに嫌われるのが怖かった。本当のこと言ったら、嫌われちゃうから、だから」
「だから」
「.....でも」
そう。
小さい頃、本当はパパと一緒にいたくて。
パパのそばにいる、新しい綺麗なママのことも好きで。
だけど、
「怖かったの。パパと新しいママのところへ行っても、邪魔なんじゃないかって」
新しいママのお腹に、新しい命が育まれていたから。
「そうしたら、私の居場所、なくなる....から」
本当のママに嫌われるのが怖くて、パパのことも新しいママのことも嫌いだって、.....嘘、ついた。
なのに。
結局は、ママを置いて。
「ママ.....ごめん、なさい」
----バカだ、私。あの頃と同じこと、してる。
「恋人の友達を好きだとか.....好きじゃないのに付き合ってる、とか」
「知られたくなかったの」
誰からも嫌われたくなくて、
どうしようもない迷宮にはまってしまった自分をどうにかしたくて。
「また、同じこと、してる」
腫れぼったい瞼の女がじっとこっちを見つめている。
バシャッ
手にしていたカップの中の水を思いっきりふりかけた。
鏡に当たった水が跳ね返って、頬が濡れる。
鏡の中の女も、泣いているように見えた。
「......」
「やり直そう?」
そう語りかけた先の、鏡の中の女が泣いている。
「ね、やり直そうよ」
どっちの私が私なのか、と。
「本当の私になろうよ」
許してもらえるとは思えない。
ううん。
許してもらえなくっても、いい。
それでも、
「もう逃げるの、やめよう。やり直そう。全部、初めから」
水滴の向こうのソアンが笑ったような気がした。
ブルルルル ブルルルル ブルルル ガチャ
「はい?」
「ぁ、えっと」
「ソアン?」
「.....うん」
ソファにあぐらをかくようにして座って、深呼吸を一つ。
全ての思い出の品は排除されたと書かれていた通り、よくよく見れば、ソアンのスマホの中の記録もすべて消えていた。
電話の履歴も、メールもカカオも。電話番号さえも。
蘇った記憶だけを頼りに電話をした。
----よかった、つながった。
久しぶりに耳にするカイジの声。
鼻の奥がツンとするのは、記憶が戻った証拠だろう。
この声に、感情的になれるのだから。
「ごめんね、朝早くに」
「あぁ、お前の朝の電話は慣れてるし。----で、どうした?」
おかしなもので、付き合っていた当時、
異動で遠くへ行ってしまうと決まったあの頃には、こうやって普通の会話もなかったというのに。
「うん。あのね」
「うん」
「謝りたかったの」
「は?」
一瞬の間。
「ドロー」
「え?」
「お前、まだ拘ってんだろ。もういいって。あの日言っただろ?ドローだって」
「......」
そう。
カイジは確かにそう言った。
もうずっと前から気がついていた、と。
別れ話を切り出された時の、カイジの言葉が頭をよぎる。
----ずっと前から気がついていて、それなのに我慢させてすまなかった。
----別れる時って、どっちが傷つけてどっちが傷ついた、とか言うけど。今回に限って言えば、ドローだし。
「ドロー......?」
「おい、ソアン?おい」
「ぇ?」
「え?じゃないって。聞いてた?今の話し」
「....ぁ、ごめっ」
電話の向こうのカイジが、はぁ------、と大きなため息をついた。
電話をしておきながら、ソアンはつい、あの頃のことを思い出していたのだ。
「じゃ、もう一回言うけどな、っていうか、こういうの別れたあとに何度も言うのは恥ずかしいっていうか。.....あのさ、俺はソアンが好きだった。なんか、出会った時のお前ってさ、.....大きな花、そう、ひまわりでも背負ってます的な明るさがあって、うん。眩しくってさ」
「カイジ?」
----何、言って
「だから、そんなお前と付き合いたくって、猛アタックしたの覚えてるだろ?」
「うん」
----そう。
もともと押しに弱いってこともあったけれど、カイジみたいに積極的な男の人と出会ったことがなくて。
「俺は、もしお前に男がいたとしてもそいつから奪い取ったれ、ぐらいの覚悟だったからさ」
「.....」
「だからさ、俺はあれはあれで幸せだったわけ。ただ、そりゃな、まじで好きな女に、実は、俺以外に好きな男がいて、俺と付き合ってる間もそいつをずっと想ってた、とかさ、気がついたら、まぁ傷つくけどな」
「.....ごめん、なさい」
「ぷっ」
「え?」
「そこで謝るか、まったく。塩すり込むようなもんだろぉが」
「あ、あの、だって」
-----まぁな、謝るためにこんな朝早くに電話してきたんだもんな。
そう呟くカイジの声は呆れ声で。
けれども、優しかった。
「いいんだよ。もう」
「カイジ?」
「俺も、タイミングなくてズルズルになって。いや、はぁ-------うん。今だから言うけど、俺もソアンに意地悪してた」
「カイジ?」
「ドローだって、そう言っただろ?」
カイジの声が僅かに低くなった。
「......あいつに渡したくなかった」
「.....」
「俺と別れて、あいつのとこに行くの、見たくなかったんだ。それに。
あいつにも。
ソアンは俺の女だ、って。つけ入る隙なんてないんだぞ、って。まぁ、そうしてるうちに、ソアンが本当に俺の女になるかもしれないって、ほのかな期待もあったし」
----カイジ?
ヨンファを気にしてたの?
「でも、お前は、マジで頑固だし。
いや、頑固っていうんじゃないんだろうけど。
昔のお前になんかあったんだろうな、ってことは薄々気がついてた。
でも、お前はそんなこと俺に話すつもりはこれっぽっちもなさそうだったし。
.......しかも、俺から離れるどころか。
うん。だんだん、無理してるの見てるほうが腹たってきて。
そんなの愛でもなんでもないだろ、って。そう思うんだけど。そのくせ手放すのが嫌だったんだ。
----悪かったな。
もっと早くに別れとけば、もっと楽だったのに」
「カイジ?」
「----だから、ドローなんだ」
「あぁ-----そうだ。
あいつ、ヨンファ、昨日から会社休んでるって。今日も確か休みだって言ってたぜ」
「え?」
「昨日の夕方電話したんだ。会社に。ついでにヨンファに話しをしておこうと思って呼び出したら、欠席です、ってさ。前もって休みって言ってるぐらいだから急な体調不良とかじゃないだろうけど。
行ってみろよ。あいつんとこ」
「カイ....ジ?いいの?」
「バ-----カ」
それからしばらく話しをして、
「あぁ、ソアン?」
「はい?」
「ふっ.....まだ鼻ズルズルしてっぞ」
「うぅぅ」
カイジに申し訳ないのと、自分が情けないのとで途中から涙がこぼれ始め。
こっそりティッシュで鼻をかんだのだが、カイジにはバレていたらしい。
「あのさ、俺からのアドバイスな」
「アドバイス?」
「セックスの最中に、俺の名前、呼ぶなよ。あいつ凹むから」
「....っ」
ブーブーブー
「カイジ?」
「さてっと」
毎日化粧はするし服も着る。
けれども、誰かに会うために、着飾ろうと思ったのはいつ以来だろうか。
「......覚えてるかな?ヨンファの家」
思えば、いつもカイジの車で向かっていた。
初めて、一人で行くんだ。ヨンファの家に。
「覚えてるかな......」
2016年1月16日 午前11時
ソアンは、アパートの階段を降りながらそんなことを呟いていた。




