その13 運命の手紙
ソアンちゃんパターンのお話
2016年1月15日
この日、カフェの仕事を終えたソアンは一人アパートへ戻り、
帰宅した際のルーティン通りに、まず一階の郵便受けを覗いた。
「手紙?」
ここ最近、封書と言えばクレジットの請求か、通販の明細ぐらいだ。
しかし、その封書の宛先にあるソアンの名は印字されたものではなく、手書きの文字だった。
すぐさま裏を確かめたが、差出人の名前に首をひねった。
「誰だっけ?」
-------チェ・ソンヨン
そこにはそう記されていた。
いつものソアンのルーティンならば、
さっさと着替えを済ませて夕食の準備に取り掛かる。
結果、こうした封書は、テーブルの上の雑誌や広告と一緒に放置され、
数日後に気がつく、というパターンなのだが。
「うーん。誰だっけ?.....どこかで見た覚えあるんだけど、思い出せないなぁ」
この日のソアンは、心にひっかかるものを感じていた。
差出人のチェ・ソンヨンという名前に見覚えがあるような、そんな気がしてならない。
「まさかの有名人とか?」
----もしも有名人だったとしても、そんな人から手紙が届くことはないでしょ!
自身の考えに突っ込みを入れながらもソファに座り込み、封を開けた。
どこかの社名が記されているわけではない。個人名での封書。
今時、わざわざ手紙にしたためてくるほどだ。何か大切な内容が書かれているのかもしれない、と。
「え?」
----何、これ
中に入っていたものは、
ちらっとしか目を通していないので定かではないが、手書きの『謝罪文』ともとれるような手紙。
もう一枚は、『記憶操作療法 同意書』と書かれたコピー。
そして、
「DVD?」
薄っぺらいディスクが一枚同封されていた。
ますますわけがわからず、ソアンは一度そのすべてをミニテーブルの上に放り出した。
正直言えば、気持ちが悪かったのだ。
「なによ、これ......あ、新手の詐欺か何か?」
そもそも、『記憶操作療法 同意書』というあたりがあやしいではないか。
同意したのだから、お金を払えとでもいうのかもしれない。
「あぁ---でも、宗教団体かも」
横目でちらとソレに視線をやり、ため息をついた。
「はぁ-----もぉ、どうしてこうなんだろ」
最近ろくなことがない。
「っていうか、こんな風に考えちゃうから呼び寄せちゃうのかな?ってことは自業自得?えぇ-----!やだっ」
そう吐き捨てるように呟いて、
バフっと音をたててソファに倒れ込んだ。
いや、本当に。
ろくなことがないのだ。
ずっと働いている「ロースタリー&カフェ ROSETTA」。
上質な豆を扱うこの店は、ニュージーランドで有名なコーヒーブランドの直営店だった。
カフェにはバリスタが常駐しており、少しばかりお高くはあるが、最高の一杯を提供してくれる店、として人気を博している。
実は、カフェのバイトであったとしても、やる気さえあればオーナー自らが特別に「バリスタトレーニング」を受講させてくれる。
もちろん時間はかかるものの、合格すればバリスタとしてカフェの中で自らが淹れたコーヒーをお客様に提供できるのだ。
バリスタとして修行を積み、いずれ自分の店を出したいと思うソアンにとって、生活費を賄うということはもとより、この店は大切な勉強の場所でもある。
しかし、一つだけ悩みがあった。
雇われ店長のイングが、ここ最近しつこく付きまとってくるのだ。
「何だか違うんだよねぇ」
正直言えば、イングが好意を寄せてくれていることにはずいぶん前から気がついていた。
バリスタ実習生仲間からも、「店長ってソアンに気があるよね?絶対!」と、ひやかしのようなことを言われたこともあったから。
ただ、今まではそれで済んでいたから問題はなかったのだが。
クリスマス前あたりから、突然積極的になったのだ。
最初はご飯でも一緒に、と。軽い誘いだった。
店長だし無碍に断ってあとあと面倒になっても嫌だ。ご飯だけなら、と。ついていけば、行き先はソアンが好きなハワイアン料理の店だった。
その次はたまたま同じシフトで、同じ休憩時間になったから、と言われてランチに出かけた先が、これまた好みのパンケーキの店で。
「店長、すごいですっ。食べ物の趣味が私と一緒だなんて!男の人で趣味が同じなんて滅多になかったのに」
思わずそんな風に叫んでしまった記憶がある。
「ねぇソアンちゃん?店長はないでしょ?二人の時は、名まえで呼んで欲しいなぁ」
「え?」
いきなり馴れ馴れしいかも、と。そう思いながらも、こうも立て続けに好みの店に連れて行かれたってこともあって、ついつい気が緩んでしまった。
「あぁ、じゃぁ、イングさん?」
「そうそう。それで」
ぐっと距離が縮んだ気がするなぁ----。
そんなことを呟かれて、少しだけ気まずかったのを覚えている。
けれど、
食事のことだけじゃなかったのだ。
一度だけ休みの日に映画に誘われた。
「男一人じゃなかなか勇気がでなくってさ。もしよかったら観に行かない?」
そう言ってチケットを渡されたのは、ずっと見たかった古い映画のチケットだった。
「あぁ----!これって、私も観たかったんです!リバイバルでやってて。え?イングさんも好きなんですか?」
「うん。いや、まだ観たことはないんだけど。興味あったんだ、ずっと」
さすがにあの時は、このヒトって同じ感性かも!と。
そう思って少しだけ心が揺れた。
食事も、映画も。
ずっと夢見ていたバリスタの先輩でもある。
しかも、自分に好意をもっていてくれることは知っていたし。
こんな風に誘ってくることが、どんな意味を持つかぐらいわからない歳でもない。
顔や体格は------好みとは程遠い部分があったけれど。
でも、そう。
趣味というか、感覚、感性が同じなら。
一緒にいるのも楽しいし、いいかな?
そんな風に思い始めていた矢先、
クリスマスイブの日に急な残業を依頼されたあの夜。
あの夜から、少しずつ変わってきた気がする。
「やっぱり違うんだよなぁ。イングさん」
あの夜、残業後に軽く一杯だけ飲んだ。
小さなテーブルの上に置かれたワインも、ソアンの好みの味だった。
「どうして知ってるんです?」
そう訊いたのは、別に試してみたわけじゃなかった。
本当に、不思議だったのだ。
「何?」
「あぁ、えっと、.....ほら、ハワイアン料理とかエスニックとか。私がそういうのが好きってこととか。このワインも。あの、私、イングさんに趣味のこととか話、しましたっけ?」
「......」
その問いに答えはなく、曖昧な笑みを浮かべるだけのイングがいた。
これまで、どちらかと言えば、いつも多くを語るのはイングの方で。
この時も、何かしら言葉が返ってくるだろうと、しばらく待ったのだが。結局のところ、「どうしてか?」という問いの答えはなかった。
なんとなく、本当になんとなく。
イングの顔に貼り付いた笑みが、一瞬強ばったように見えたのはなぜだろう。
「.....映画も」
気がつけば、ソアンはそう呟いていた。
「映画?」
「この前一緒に観た、あの古い映画」
「あぁ」
そう唸ったイングの顔。
嫌なことを聞くんだな、とばかりに少し口元が歪んだのだ。
一抹の不安と、得体の知れない恐怖。
「あの映画、そういえばまだ見たあとの感想、言ってなかったですよね?どうでした?」
「え?あ、あぁ。........えっと、ソアンちゃんは?」
「は?」
「ソアンちゃんはどうだった?面白かったなぁ---と思うけど、ソアンちゃんは?」
「.....」
もしかしたら違うかもしれない。
そう感じたのも、あの日が最初。
そう。
あの夜、アパートまでイングが送ってくれた。
「うげっ思い出しちゃった」
あの夜、部屋の前まで送ってくれたイング。
プレゼントがどうこうという話になって、いきなりキスをせがまれた。
さすがにそこは拒んで諦めてもらったものの。
あれ以来。
イングはますます積極的になり、ソアンは距離を置こうとしているといった具合だ。
「お店、やめるのは嫌だし。でもなぁ」
ソファに倒れ込んだまま、そう呟いて。
伸ばした指が触れたふわふわのクッションを引き寄せて頭の下に敷く。
そうしてTVでもつけようかと、視線をやった先。視界に入ったものは、
「........あ、そうだった」
例の、チェ・ソンヨン----------からの手紙だった。




