その11 誕生日
「そっか。....そうだった」
記憶の削除。
それがどんな方法で行われていくのか。
説明は十分すぎるほど聞いていたはずだったのに。
「そうだ」
ベッドに横たわると、背中がグンっと何かに引っ張られるかのようにして意識が落ちていく。
それは、
ジェットコースターではなく、どちらかと言えば、車が加速した時の感触に近いかもしれない。
何度かそれを繰り返して、
どんどん深い闇の中に吸い込まれていく、そんな感じだった。
そうしてたどり着いた場所は、
----クリスマスイブの夜
ソアンのアパートの前で、カフェの店長と一緒に帰宅したソアン。
あの夜、目にしたソアンの姿が、真っ暗な映画館の巨大スクリーンに映し出された。
貸切の、誰もいない映画館で、『ソアンとの日々』なんていうタイトルの映画を観ているような。
ただ、それが記憶削除の作業工程の一つだと気がついたのは、
目の前の映像が、砂嵐のようにザザ----っと消え、次の光景が映し出された時だった。
----古い喫茶店のテーブル席についた二人の姿。
「あぁ、そうだ」
急な転勤に戸惑うソアンに、クリスマスプレゼントの話題をふったのは、ヨンファ自身だった。
あんなこともあった。
こんなこともあった、と。
スクリーンに次から次へと映し出される「記憶」をたどるうち、
「........熱?」
ついさっき、目の前にあったはずのシーンがまた砂嵐になって消えていった。
と同時に、胸に熱い「なにか」を感じ取ったのだ。
誰もいない暗闇の中。
一人佇んでいたヨンファは、そっと左手を己の胸にあてた。
胸の奥の、ずっと奥。
そこに、じんわりと感じる「熱」。
それが何なのか、どんな意味を持つのか。
契約書面で薬の副作用について触れてはいたものの、あれは作業工程のすべてが終了したあとのことではなかったか。
「.....」
別段息が苦しいとか、どこかが痛むとか。そういったことは感じない。
何と表現すればいいか、あぁそうだ。
今は誰もいないけれど、偶然手を置いた場所にふと感じる「誰かの温もり」のような。
たぶん、放っておけば時間の経過とともに消えるだろう。
少しナーバスになっているのかも知れない、と。ヨンファが深呼吸をした時だった。
「....ぁ、また」
闇の中に、ぼんやり浮かぶ光。
どうやらまた、新しい、とはいえ、「過去」の映像が映し出されるらしい。
消える運命にある----ソアンとの過去。
「今度は、なんだ?」
目の前には、黄色く揺れる、
「.......ぁ、これって」
それは、秋のイチョウ並木だった。
---------駆け足で過ぎていくソウルの秋
「ね?見てっ!すごく綺麗っ」
この日、三清洞の通りは休日にも関わらず、雨のあとでしかも早朝ということもあってか、まだ人影はまばらだった。
「まぁ----ったく元気だよな、ソアンは」
「え?」
カイジがちらっと腕時計に目をやる仕草をしてみせた。
そんなカイジの言葉に、その前を歩いていたソアンの足がピタリと止まる。
「何よ、その言い方っ。自分だって『明日は早くからヨンファを叩き起して祝うんだぞ』なんて言ってたクセにっ」
両手を腰に当てて、拗ねたようにしたその唇が可愛い。
ただ、
もうずっと前に慣れっこになったはずだったのに。
ソアンの言葉から、昨夜この二人は一緒の時間を過ごしたのだろうか、と。そんなことがふと頭を過ぎってしまう。
--------バカだな、付き合ってれば当たり前だろ。
「ね、ヨンファっ?」
「あ?何?」
ソアンの唇に見とれていたヨンファは、ハッとしながらもそう答えた。
「何?じゃないわよ。今日はヨンファの誕生祝いなんだからねっ。ほらほら、トボトボ歩いてないで 、もっとシャキっとなさい!」
「うわっ」
2メートルほど前を歩いていたはずのソアンが小走りにやってくると、ヨンファの腰のあたりをバシンっと叩く。
そうして、掴んだ腕をグングン引っ張るようにして通りを歩いていくのだ。
「おい、ソアンっ」
「いいからっ、この先にもっと綺麗な場所があるの。
最近はさ、観光客も多いからもう少ししたら人でごった返すし。こんなチャンス二度とないわよっ」
「.....ったく」
ヨンファは苦笑いを浮かべつつ、ソアンに掴まれた腕はそのままにした。
--------こんなチャンス、か。
そうだな。
こうやって、ソアンと腕を組んで歩くなんてチャンスはもうないかもしれないしな。
そう思えば、雨の降る休日の朝早く、ソアンからの電話でたたき起こされ、挙句、何処へ行くのかも聞かされないままカイジの運転する車に押し込まれたことも、喜ぶべきことなのかもしれない。
「ね?ヨンファ?」
「ん?」
ヨンファを、見上げるようにしてソアンが問いかけた。
「幸せな誕生日でしょ?」
「.....」
丸い瞳がますます丸くなって、ついさっきまで拗ねたようにツンっと尖っていた唇も、今は笑みを浮かべている。
--------あぁ、そうだ。この笑みが好きなんだ。
「あぁ、そうだな。
あんなに早くに起こされたことを除けば、まぁ、ソアンが言うとおりかもな」
「え?ヨンファまでそんな。
だからね、この場所はっ」
「はいはい、わかったわかった。俺に見せたかったんだろ、このイチョウ並木」
「あ!ちょっと、ヨンファ?誕生日にイチョウかよ、とか思ってない?あのね......っ」
ムキになって話そうとしたせいか、腕に絡んでいたソアンの手が、ヨンファの右腕から離れていこうとする。
咄嗟にヨンファは自身の左手を、ソアンの手の甲に重ね、僅かに力を込めた。
一瞬、ソアンがひるんだ気がしたけれど、構わず空を見上げて息を吐く。
--------今日ぐらいは許せ。
「はぁ----それにしても、朝は結構降ってたのにな」
見上げた先の空は、澄んだ青に黄色のイチョウの葉が眩しいくらいだ。
ソアンに叩き起こされた時は、確かに厚い雲が覆っていたのに。
「しかし、なんだよなぁ、お前、昔っから雨男だよな」
前を歩いていたカイジが振り向きざまにそう言って、
視線がちらっと絡んだままのソアンの手に向けられた。
--------許せカイジ。今日は俺の誕生日だ。今日ぐらいはいいだろ?
ヨンファは重ねた手を離しはしなかった。
カイジは一度小さく肩を上げると、再びクルリと振り返ると先へと進む。
しばらく並木を眺めながら通りを歩いていたが、
ついさっきの議論を蒸し返すかのようにソアンが問いかけた。
「ね?ヨンファもなの?」
「ん?」
「あ、さっきの話。カイジも結構な雨男だもん」
「あぁ、カイジの場合は、雨男って言葉じゃ許されないだろ。
会社の出張やらプライベートの旅行やら、こいつのせいで遅延は当たり前、何回キャンセルになったか....」
そう言ったヨンファはわざと大きなため息をついた。
「おいおい、台風が来たのを俺のせいにすんなって」
「じゃぁ、誰のせいだよ」
最初は入社した年の夏。沖縄に行こうと張り切っていたら台風でキャンセル。
次は、冬のスキー。吹雪で前も見えない状態だった。
二年目は二人でタイの工場視察の予定が、これまた台風で延期。
「三年目のニューヨーク研修はひどかったよな。
ニューヨークからニュージャージーに移動した帰り、何十年ぶりかの大雪でエマージェンシーが出て、足止めくらったもんな」
「フンっ。だから俺のせいじゃねぇ----ってば。それに、あれは雪だし、雨じゃねーし」
「雪も雨も同じだろっ」
カイジと出会ってから、毎年一回はこうしたハプニングに見舞われた気がする。
「はぁ----知らなかった。カイジったら、ただの雨男じゃなかったのねぇ」
「おいおいソアン?お前まで。
っていうか、ヨンファ?マジでそんなに何回もあったっけ?」
「ふふ。でも、ヨンファと出会った時も相当な雪だったし、どっちもどっちじゃない?」
「「 いや、こいつ 」」
ソアンの問いに、二人の男が立ち止まり、
互いの顔を指さした。
「何っ?ぷっ、もぉ-----」
二人の態度にソアンが声をあげて笑う。
そんなソアンの笑顔が嬉しくて。眩しくて。
目の前の映像を観ていたヨンファの口元にも、自然と笑みが浮かんでいた。
しかし、次の瞬間、その笑みが凍りついた。
あの日、リアルな場面では気がつかなかったけれど。
「.....カイ、ジ?」
声をあげて笑うソアンを見つめているヨンファを、いや、未だ腕を組んだまま笑い合う二人を、
じっと見つめていたカイジの表情。
笑っていたとばかり思っていたのに。
その口元からはいつしか笑みが消え、
一瞬、目を細めて、険しい表情を浮かべたかと思うと振り返って一人歩き始めたのだ。
「カイジ......」
ザザ-----っと砂嵐が起こって、再び世界は闇に包まれた。




