エピローグ→Ⅱ
「やあ、久しぶり」
「久しぶり」
一ヶ月ぶりに会うミズキは、見た目にはかなり変わっていた。
長かった髪を切って、アップに纏めているし、パンツスーツ姿が実に堂に入っている。所謂キャリアウーマン風だ。
後ろには、卜部さんが仁王立ちしていた。
「卜部さんも、お久しぶり」
「ああ」
「そしてさようなら、だ。パートナーなんて忌ま忌ましい制度は今日でおしまいだからね」
相変わらず扱いがひどい。
「うまくやってるかい?」
ミズキが訊く。入れ替わりの件だろう。僕はかぶりをふる。
「いや、もうバレちゃったよ」
「なんだ、早いな」
「いや、それが」
経緯を説明すると、ミズキは爆笑した。
「あっはっはっは! しょ、処女膜で!?」
「声がでかい」
僕はミズキの頭をひっぱたいた。
「いたっ。ごめんごめん。でも大丈夫。そこの木愚以外は誰も聞いてないし、この部屋は盗聴の類は無いから」
「慎みの問題だ」
「慎み、ね……そうか、クローンには処女膜があるのか」
妙な知識が増えたらしい。私のクローンもあそこに送りこもうかな、なんて、不穏なことを言って笑った。
「冗談はさておき……まあ、それが原因でバレるってことは、そういうことがあったってことで。まずはおめでとうと言ったほうがいいのかな?」
「まあ……そうだね」
いくら誰も聞いていないからといっても、恥ずかしいものは恥ずかしい。やっぱり、性欲は恥であるという閣下の主張は正しく思える。羞恥心とは、人間だけにあるものだろうか。
「ミズキさん、そろそろ時間が」
「水を差すなぁ。ああ、もうこんな時間か」
ミズキは時計を見て、顔を上げる。
「え? 記者会見の時間にはまだ……」
「色々あるんだよ。これでも私は一国の長だから。じゃあ、また後でね。それとも、見に来るかい? 君達にも関係があるからね」
「何を?」
「懐かしい顔を潰しに」
ミズキは手を後ろに組み、歩き出す。
よくわからないが、僕らにも関係があると言われては気になる。ミズキの後に続いた。
連れてこられたのは、モニタールームだった。無数のモニターが並んでいる。官邸内部の監視カメラのようだった。
ほとんどの部屋は空室か、警備の兵隊がいるだけだったが、その中に一つだけ、どう見ても兵隊ではない連中が映るモニターがあった。ミズキがそのモニターを指で触る。一番大きな画面にそれは映し出された。
「再会の……」
「そう、レジスタンス気取りの闘士様ご一行だ」
見覚えがある。屋良もいた。宴会でもしていたように飲食物が散らばり……その全員が動かない。
まるで死んだように、そこかしこに寄りかかり、倒れ掛かり、仰向けにうつ伏せに横たわっている。
「まさか……死んでるのか?」
「いいや、眠ってるだけだ。まあ」
ミズキは部屋に取り付けられたマイクを手に取った。
「やれ」
同時――兵隊が部屋になだれ込み――撃った。
ターン、ターンとリズムよく、的確に一発ずつ、頭を撃ち抜く。
「これから死ぬんだけどね」
「なっ……」
ミズキは振り向き、僕らを見た。リコが目眩を起こしたようにふらついた。リコを支えながら、僕は怒鳴る。
「なにやってるんだ!」
「なにって、口封じだよ。あんな連中に脅されてクーデターなんかあっちゃいけないんだ。わかるだろ」
「だからって……こんな!」
止める方法などない。モニターの中で、次々に頭を撃ち抜かれていく。
今、屋良が、脳をぶち撒けて死んだ。
『任務完了です』
「うん、ご苦労様」
兵隊の一人がカメラに敬礼する。
「ミズキ……ひどいよ。こんなの……」
リコが泣きそうな顔で、いや、涙を流しながら訴えた。
「リコ、私はこの国のトップだ。これは、やらなきゃいけないことなんだ」
踵を返して、部屋を出ていく。
「それにね」
振り返らずに、片手を上げて。
「奴らが、私の喘ぎ声を聞いたのが許せなかったのさ」
リコは口元を押さえてへたりこんでいたし、僕はただ呆然とミズキの背中を見ていた。
「大丈夫?」
ミズキがリコを助け起こす。
「酷に見えるだろうけど、必要なことなんだ」
「大丈夫、だよ。ありがとう。……それより、ミズキ」
立ち上がったリコは、ミズキを見る。
「なにかな?」
「ミズキ、怒ってるよね?」
「そうだね、怒っているよ。いや、いたよ。でも、もういいや」
リコが妙な質問をしていた。ミズキが怒っているかなんて、見ればわかることだろう。
「ねえミズキ。ミズキは、ミズキなの?」
「なにがかな」
ミズキはくるりと後ろ手に立ち、リコを見る。訝しげな顔をしていた。
「ミズキの脳は、閣下の脳なんだよね?」
「? ああ、そうだよ」
「だったら、やっぱりおかしいよ。ミズキ」
その言葉にミズキは腕を横に広げ、掌から掌へ、視線を走らせた。
「おかしい? どこがかな。私は全身くまなく私なのだけれど」
身体の話じゃないことくらいわかってるだろう。
「ミズキが閣下なのだとしたら……どうしてミズキは怒っているの?」
ミズキの笑顔が少しだけ、ほんの少しだけ、揺らいだ、気が……した。しかし、それも一瞬のことだ。すぐにいつもの不敵な笑みを取り戻し、リコを見据える。
「怒りもするさ。人質を取られて、テロみたいなやり方で政権を奪取させられたんだ。そんなことをせずとも、いつか手に入ったものだというのにね」
ミズキは掌を見詰めた。
「自分の死に顔を見る覚悟は……していたのだけどね」
自分を殺すことになるとは思わなかったと……そう続くのだろう。
「そ、それもあるけど、その……喘ぎ声を聞いたからって」
リコは食い下がる。その姿には、リコらしくもないしつこさがあった。
リコはどうしたいのだろう? 違和感なんてそんなもの、世界中に掃いて捨てるほどある。
「そんなもの、単なる冗談だよ」
「違うよ。テロみたいな脅しに従ったっていうけど、どっちにしろミズキはシステムの解体をするつもりだった。なら、なにも殺す必要はないよ。それこそ口止めの手段はいろいろある。収容したっていいんだ。つまり……ミズキは本当に怒っていた」
怒っていたとして、それが何に対してかなんてわからないだろう。
「ミズキが怒るのって、おかしくない? 中身が閣下なら、盗撮されたくらいで怒るなんて」
それは、リコが男だからだ。盗撮される恐怖なんて、リコにはわからない。
……あれ?
「それはまあ、私は、性欲は恥だという意見の持ち主だ。それは怒るだろうさ。それに、あのデータを公開されればスキャンダルになるしね」
後半はともかく、前半は……違う。これには僕も口を挟む。
「それは違う。性欲が恥と考えたからこそ、閣下は性交を義務にした。行為自体を恥じるはずがない」
「部屋は暗かった。音声くらいしかわからないはずだよ。監視カメラ程度の性能じゃあ音声解析はできない。あんなデータ、公開されても与太話にしかならない。脅しに屈したのが公開されるのを恐れてなら、やっぱりおかしいよ。だとしたらそれは、羞恥心だよ」
「それは、人質がいたからね」
「そう、それだよ」
リコが言った。
「……どうしてミズキに人質が通用したの?」
……そうだ、ミズキが閣下だとしたら、人質が通用するはずがないのだ。
「私だって人間だ、変わりもするさ。今はもう戦争中ではないしね」
「嘘だよ」
リコは力強く言って、ミズキを睨んだ。
あのリコが。
「ミズキは……閣下のコピーじゃないよ。閣下の記憶を持っているとしても」
そして、きっぱりと言った。
「私は私だ。君達の知る『閣下』だよ」
ミズキはも、ムキになっているように見えた。
「アキとミズキって、似てるんだ」
唐突に、リコは話を変える。
「ミズキが好きな人達って、アキも好きな人間なんだよ」
「そうかもしれないね。それで?」
「アキ、卜部さんのこと好きだよね?」
急にふられて、少し慌てた。
「え? いや、まあ……異性としてとかじゃないけど」
「うん。それなら、なんでミズキは卜部さんのことを嫌うの?」
……そうだ。あんな嫌い方は、確かに妙だ。
ミズキの脳が男だとしたら、二人は男同士ということになるから、嫌う理由に何もおかしなことはないけれど……。
「ミズキは、卜部さんのことが好きなんだよ」
……リコは、ミズキを睨んでそう言った。ミズキは慌てたように言い返す。
「そんなはず、ないだろう」
「ミズキは小さい頃に記憶を植え付けられたって言った。でも、その時すでにミズキに自我があったとしたら? ……ミズキは女の子なんだよ。そして、閣下の記憶を持っている。そんなミズキだからこそ、卜部さんを認めようとしない。簡単に言うなら、照れているんだ。ミズキの女の子の部分がそうさせるんだよ」
「……」
記憶を植えつけられた時に、ミズキに既に自我があったとして……男である記憶は僕とリコを好きになり……ミズキの自我は、卜部さんを好きになった……?
いや、違う。ミズキは卜部さんが好きなんだ。でも、閣下の記憶がそれを許さない。
真っ白な心を思い浮かべる。真っ白な、だけど、ミズキの色をした心だ。そこを閣下の記憶で塗り潰したとして……記憶の下には、ミズキの色がある。下地としてのミズキが、確かに存在する。いなくなったわけじゃない。塗り潰されてもなお、消えないミズキがそこにいる。
「ミズキの……脳じゃない、記憶じゃない、感情が、卜部さんのことを好きだって言ってるんだよ」
いつか誰かが言っていた、感情が言っているという言葉。
「ねえ、ミズキ……」
リコは言う。
「ミズキ、本当は卜部さんのことを……」
ミズキはその言葉を最後まで言わせなかった。リコの口を塞いだから……唇で。
今更そんなことでどうこう思わないけど、突然のことに驚かされる。
ミズキはリコの頭を抱き寄せ、口姦するように舌を動かす。唾液の交換。リコはその柔らかい動きと舌触りの好感に、腰が砕けてしまったかのようにへたり込む。ミズキはまだ顔を離さない。
老練なる、老獪なる手練手管。男も女も知り尽くした、閣下を越える技量。
「ミズキ……?」
「やっぱりね。リコ、君とキスをしても、何も感じないんだ」
それが答えであるかのように、ミズキは会話を打ち切り、立ち上がる。
「ミズキ!」
リコは、その背中に叫ぶ。
「アキは絶対に渡さないから! ミズキは、卜部さんと!」
ミズキは振り向き、いつものように笑う。
「面白い」
それから人差し指を唇に当て、シーッと言う仕種をする。
「私は私だ。それ以外じゃない」
扉が閉まる。僕らはそれ以上言葉もなく、ミズキを見送った。




