83:出会う前の二人
フローレンの机まで近づくと、集まっていた生徒たちが少しずつ場所を空けた。
「二人の話してたの」
「俺たちの?」
レオは少し意外そうに目を丸くしてから、面白そうに首を傾げた。
「うん。市場実習の話になって」
その声に、ルシアンも自然とフローレンへ視線を向ける。
つい先ほどまで斜め前から聞こえていた話し声が気になってはいたが、内容まで事細かに追っていたわけではない。
まさかその輪の中で自分たちの話が出ていたとは思わなかった。
「アストリアさん、市場の事情に慣れてそうだったから、実習でもお店の人とのやりとりを担当してたのかなって思ってたんだけど……」
最初に髪飾りを見せていた女子生徒が、ここまでの話を二人へ渡すように口を挟んだ。隣の女子も「そうそう。そしたら二人の名前が出て」と繋げる。
「私は二人の後ろで記録を見ることの方が多かったよ。聞き取りはレオが多かったかな」
「ああ、確かにルベライトはそういうの上手そう」
輪の端にいた男子生徒が、すぐに思い当たったようにレオへ目をやった。
「一年の頃から、初対面でも友達みたいに喋るもんな」
「しかも、友達の友達はもう友達って距離感でくるし」
「ルベライトが人見知りしてるとこ想像つかない」
レオは自分のことなのに少し考えるように目を上げ、それから可笑しそうに笑った。
「そうかな」
「じゃあ、友達の友達は?」
「友達」
「ほら」
間髪入れずに返され、また笑い声が上がった。
「それなら、ノクティスは市場の人への説明担当?」
「ああ、そうだな」
「言われてみれば、しっくりくるかも。二年の時の班課題でも、説明パートはだいたいノクティスだったし」
「あー、たしかに!」
別の女子生徒も、その時のことを思い出したように頷いた。ほぼ変わらないメンバーの中で、何年も班課題を重ねてきただけあって、似た場面はいくつも皆の記憶に残っているらしい。
「話の整理がほんとに上手だもんね、ノクティスさん」
女子生徒の言葉に、フローレンもすぐに頷いた。自分だけがそう感じていたわけではなかったことが、少し嬉しかった。
「うん、私も前からそう思ってた」
そんな一言に、ルシアンの視線がフローレンへ戻る。わずかに目を瞬いたあと、紫の瞳に驚きと照れの色が混じって、少し揺れた。
「そうだったか?」
「うん。いつも本当に分かりやすいよ」
「……そうか。ありがとう」
その声にはいつもよりわずかに柔らかな響きがあった。
「そういえば、アストリアさんが二人と知り合ったのって三年のときなんだよね?」
先ほどから話を聞いていた女子生徒が、ふと思いついたように目を細める。
「うん」
「じゃあさ、一年とか二年の頃の話……聞きたい?」
「え、聞きたい」
間髪入れずに返したフローレンに、ルシアンとレオがほとんど同時に周囲へ目をやった。
「何、その顔」
「いや、たいして面白い話ないよね?」
「レオは心当たりがありそうだな」
ルシアンが横から淡々と差し込むと、今度はレオがそちらを振り向いた。
「ルシアンだって今ちょっと警戒したじゃん」
「していない」
「明らかにしてた」
フローレンは、どこかそわそわした二人を見比べる。
今では、ずっと前から一緒にいるような気さえするけれど、当然ながら出会う前の二人のことは知らない。まだ知らない二人の昔話を聞けるのだと思うと、期待がじわりと膨らんで、自然と顔が明るくなった。
「伝説といえばまずあれだろ」
男子生徒が待ってましたとばかりに口を開く。
「ノクティス、入学試験で全科目満点だったんだよ」
「えっ」
最初から飛び出た思わぬ話に、フローレンの視線がすぐルシアンへ向いた。
「全科目満点?」
「ああ」
「ああ、じゃないだろ。当時かなり噂になってたんだから」
別の男子生徒が笑いながら身を乗り出す。
「どんなやつだろうと思って緊張して教室入ったら、全科目満点取りそうな顔のやつが座ってて、逆に安心したわ」
「わかる。初めて見たとき、あいつなら取るわ……って俺も思った」
輪のあちこちから笑いが弾けた。フローレンまで口元を押さえて笑っている。
「どんな顔だ……」
ルシアンだけが、いまひとつ納得しきれない様子を見せていた。
「ルベライトも三位とかだっただろ」
「そうだったっけ」
「こっちは逆に、三位取るやつには全然見えなかったな」
「ひどくない?」
昔話は、一つ始まると次々に出てきた。
二年生の実習で、レオがとんでもない異臭を放つ、妙に粘ついた半固体を作り上げたこと。普段はほとんど表情を変えない教師が、その時ばかりは露骨に顔を顰めたこと。
「あれはさあ……なんか、いける気がしたんだよね」
「いけるって何が?」
「もうちょっと薬草足した方がより良い感じになるかなって思って……目分量でいくつかザザッと」
「あ、料理とか絶対させちゃダメなやつだ」
一年生の頃から、ルシアンは朝早く教室へ来て本を読んでいることが多かったこと。いかにも難しい学術書を開いていそうな雰囲気なのに、よく見てみれば手にしていたのは冒険物語だったこと。
「ノクティスでも物語とか読むんだ……って、一時期ちょっと話題になってたよな」
「まだみんながノクティスさんに話しかけにくそうにしてた頃ね」
「あれ、教室で物語読むの勧めたの、俺」
「レオが? なんで?」
意外そうにフローレンが尋ねると、レオは当時を思い返すように少し目を細めた。
「『クラスメイトと距離があるような気がするんだが、どうしたらいいだろうか』ってルシアンに相談されたから、教室で好きな本でも読んでみたらって言った。好きな本が同じなら、そこから話せるかもしれないし」
「実際、それで話しかけるようになったよな」
その場にいた男子生徒たちから「ああ」と声が重なる。思い当たる記憶があるらしく、一人は懐かしそうに笑った。
「でもさすがに最初に話しかける時は、ちょっと緊張したけどな」
その男子生徒が、ふと思い出したように続ける。
「いくら身分差を持ち込まないって学院で決まってても、公爵家の跡取りだろ? どんな話し方したらいいのか迷ってたら、ノクティスの方から『話しやすい話し方で大丈夫だ』って言ってくれてさ。意外と話しやすいんだなって」
「そうなんだ」
フローレンは少し考えてから頷いた。
「私も最初、ずっと敬語で話してたよ」
「アストリアさんも?」
何人かの女子生徒が、意外そうに顔を見合わせた。
「うん。でもしばらく経った頃に、『敬語はいらない。名前も、ルシアンでいい』って」
一瞬だけ、妙な間が落ちた。
男子生徒が二人ほど首を傾げる。
「……名前も?」
「うん」
フローレンは何の疑問もなく頷いた。
「だから今はルシアンって呼んでる」
「へえ……」
男子生徒たちは一度ルシアンへ目をやったものの、「まあ仲いいもんな」と、それで納得したようだった。
一方で何人かの女子生徒は、なんとなく落ち着かない様子で顔を見合わせていた。
「……そんなこともあったな」
その場のかすかなそわつきなど知らないまま、ルシアンはわずかに視線を逸らした。
今になって思い返せば、呼び合い方を変えるまでに随分と色々考え細かな手順を踏んだ気がするが……あれは、彼女をフローレンと呼ぶために必要な過程だったのだから仕方がない。
その横で、レオの肩が小さく揺れた。
いつのことを思い出しているのかは、その顔を見ればだいたい分かる。
「……おい、レオ」
「何?」
「笑っているだろう」
「気のせいだよ」
ルシアンが一瞥するも、レオは何食わぬ様子で視線を逸らした。
「そういえばさ」
別の男子生徒が、立っている二人を見比べた。
「ノクティスもルベライトも、いつの間にそんな背伸びたんだよ。一、二年生の頃はそこまで高かった記憶ないけど……」
「背?」
「さっき二人で戻ってきた時、改めて高いなって思って」
つい先ほども、最上段の資料を取るために二人揃って教師から呼ばれたばかりだった。
「今どのくらい?」
「春の計測では確か、百七十八だったな」
「俺は百八十一だったはず」
「でか」
「何したらそこまで伸びるんだよ」
「食べて寝てちょっと動いてたら勝手に伸びた」
「全然参考にならねえ……」
呆れたように返していた男子生徒が、改めて確認するように続ける。
「入学した頃はそんなになかったよな?」
「俺、百六十くらいだったと思う」
「僕はたしか百五十六だったな」
「えっ」
思わぬ数字に、フローレンの視線がすぐそばに立つルシアンを見上げた。
「百五十六?」
「ああ」
「一年生のルシアン、今の私と一緒だ」
その一言で、今度は周囲の視線が二人へ集まる。
「本当に?」
「うん」
「じゃあさ、ちょっと並んでみて」
「え?」
突然の提案にフローレンは目を瞬いた。周囲は興味津々で二人を見ている。
「だって同じ身長だったんだろ? 今どれくらい違うのか見たい」
「あ、なるほど」
それなら、とフローレンは素直に立ち上がった。ルシアンも特に断る理由はないらしく、その隣へ並ぶ。
「うわ」
「全然違う」
男子生徒たちが一斉に身長差へ食いついた。
「入学してから伸びすぎじゃない?」
「俺もそんくらい伸びたい」
「お前今いくつ?」
「それは聞くな」
輪のあちこちで笑いが弾ける。身長の話はすっかり男子生徒たちの興味をさらい、あちこちでわいわいと盛り上がる。
フローレンは好奇心を覗かせながら、隣のルシアンを見上げた。
「昔は同じ目線だったんだね」
「ああ。今となっては実感がないが」
答えながら、ルシアンも自然にフローレンへ目を向ける。
見上げれば、ずいぶんと目線が高い。それでも隣に立つ距離は近く、ふと互いに向き直れば、思ったよりすぐそこに相手がいた。何気なく下ろした手も、なんだか近い。
視線が重なったまま一瞬だけ間が空き、どちらからともなくほんの少し表情を和らげた。
「ルベライトも百六十から百八十一だろ?」
「こっちも伸びすぎ」
男子生徒の視線が、二人からレオの方へ移る。
「間近で見ると改めてでかいな……」
「ほんと何したらそんな伸びるんだよ……」
男子生徒たちから羨ましそうな視線がいくつも向けられていることに気づくと、レオはそれを面白がるように悪戯めいた笑みを浮かべた。
「背伸びてから、先生から手伝いよく頼まれるようになったよ。高いところの荷物取るのとか」
「いや、それはちょっと面倒だな」
「あれ、伸びたいんじゃなかったの?」
「それはそれ、これはこれ」
身長の話でひとしきり盛り上がったあと、話題は春の計測のことへ移り、そのまま思い思いの話へ広がっていった。
フローレンは立ったままその輪に加わっていたが、何気なくまた隣を見上げると、ほとんど同じ瞬間にルシアンもこちらへ顔を向けた。
また、視線が重なる。
「……座るか?」
「えへへ。うん、ありがと」
どうやら座るきっかけを探していたことに気づかれたらしい。少しばかり気恥ずかしく思いながらも、ルシアンが何でもないことのように椅子を引いてくれるのに甘えて、フローレンは素直に腰を下ろした。
やがて次の授業を知らせる予鈴が鳴り、集まっていた生徒たちが、名残惜しそうに話しながらそれぞれの席へ戻り始める。
「アストリアさん、さっきのお店の話もまた聞かせてね」
「うん」
「昔の話もまだたくさんあるから」
「本当? 聞きたい」
「まだあるのか……」
「まだあるんだ……」
嬉しそうに身を乗り出すフローレンの隣で、レオとルシアンのため息がきれいに重なった。
レオが自分の席へ戻ると、さっきの輪の中にいた女子生徒の一人が、二つ隣の席へ腰を下ろした。その前の席にも、もう一人が戻ってくる。
本鈴まではまだ少しある。教本を取り出す音や机を動かす音に紛れて、小さな話し声も教室のあちこちに残っていた。
「ねえねえ、もしかしてさ……」
「ね。きっとそうだよね」
声を潜めてはいるものの、この距離ならレオには十分聞こえる。
「ノクティスさんって……」
「うん、やっぱり……」
何を指しているのかは、なんとなく察しがついた。レオは話している女子生徒の方へ、さりげなく視線を向ける。
「アストリアさんのこと――」
そこで、女子生徒の一人と目が合った。
声が止まる。もう一人もこちらへ顔を向け、二人揃ってわずかに気まずそうにしながらも、その眼差しにはどこか先を委ねるような色があった。
レオはほんの少し笑って、口元へ人差し指を立てる。
二人の目がぱっと輝いた。
声こそ上げなかったものの、互いの腕を小さくつつきながら何度も頷いている。
レオはその様子に目元を緩め、口元に小さな笑みを残したまま視線を前へ戻した。
真正面では、ルシアンがもう次の授業の教本を開き、ひと足先に内容を確かめている。
少し前までは妙に落ち着かない様子だったのに、今はすっかりいつもの顔をしている。その視線が一度だけ斜め前へ動き、同じように教本のページをめくるフローレンへ向いたあと、すぐに手元へ戻った。
昔から、真面目で努力家で、あまり隙を見せない友人だった。けれど最近は、時々妙なところで言葉に詰まったり、珍しく集中を乱したりする。
思い返すと、込み上げる楽しさが頬へ滲んだ。いつもなら表に出ないよう極力抑えているが、今はそのまま任せてしまう。
どうせ前を向いているルシアンには見えない。
「……おい、レオ。何を笑ってる」
「…………」
レオの笑みが止まる。
「……まって。後ろにも目ついてるの?」
「ついているわけがないだろう」
「じゃあなんで分かるの」
「気配」
「こわ……」
ルシアンは振り返りもしない。
やっぱり隙がないな、とレオは少しだけ肩を揺らし、今度こそ自分の教本を開いた。




