75:重なるところ
通りの奥側でさらに何軒か帳簿を見せてもらっても、傾向は変わらなかった。
扱う量そのものは入口側と大きく変わらない。それでも、十五分や二十分の間に何台も続けて荷車が来る日はほとんどない。
フローレンは、入口側の記録を書いた紙と並べて見比べる。荷物が少ないから空いているわけではない。到着する時間が散っている店では、同じ道幅でも列ができにくい。
「ありがとうございました」
帳簿を返すと、店主らしい年配の女性が受け取りながら笑った。
「もういいの?」
「はい。必要なところは見られました」
「若いのに、ずいぶん細かく見るのねえ」
感心したように言われ、フローレンは少しだけ照れながら頭を下げた。そのまま店先を離れかけて、ふと思い出す。
「あの、一つだけ聞いてもいいですか?」
「何かしら」
「こちらのお店は、荷物が届く時間をどうやって決めていますか?」
女性は少し考えたあと、壁際へ積まれた木箱を見た。
「うちは開店してからでも困らないものが多いから、運送屋さんに任せてるわ。午前中ならいつでも、くらいね」
「朝一番じゃなくても大丈夫なんですか?」
「ええ。乾物や包み紙なんかは、その日に使い切るものでもないし」
「逆に、朝早くに来てもらうことはありますか?」
「たまにはね。前の日に在庫が足りなくなった時とか。でも毎日じゃないわ」
なるほど、とフローレンは頷いた。
少し先の店でも似た話が聞けた。開店後に受け取っても問題のない品もあれば、午後でも困らない補充品もある。倉庫へ入れるだけなら、時間を選ばないものも少なくない。
すべての店が、朝でなければ困るわけではないらしい。
フローレンは紙の余白へ、短く書き足した。
――朝でなくてもよい店がある。
「どうだった?」
聞き慣れた声に顔を上げると、レオがこちらへ歩いてくるところだった。手にした紙には、さっきよりも書き込みが増えている。
「奥の方は、やっぱり時間がばらけてた。それと、朝じゃなくても困らないお店も結構あるみたい」
「こっちも似た話あったよ」
レオは隣へ来ると、自分の聞き取りを書いた紙を広げた。
「御者さんに聞いたら、朝って指定されても、本当に朝じゃなきゃ駄目なのか分からないことが多いって」
「どういうこと?」
「店から『早めに』って言われたら、とりあえず最初の便に載せるんだって。遅くしていいかどうか、いちいち確認することはあんまりないみたい」
フローレンは少し眉を寄せた。
「お店の人は?」
「開店前に受け取れた方が楽だから朝にしてる、ってところが多かったよ。開店したあとだと客が来るから、荷物を受け取る人と店番を分けないといけないって」
「ああ……」
それなら理由は分かる。
朝を選ぶこと自体がおかしいわけではない。それぞれの店からすれば、客が来る前に荷受けを終えた方が仕事はしやすい。
「でも、絶対にその時間じゃないと困るわけでもない?」
「店によるみたい」
レオの指が、紙に書いたいくつかの印を順に辿る。
「朝に届かないと困るところもある。開店してすぐ使う食材とか、その日の売り場に出すものとか。逆に、朝の方が便利ってだけのところもあるし、時間を動かしても平気なところもあった」
そこでレオは、紙の端に書き足した店名を指した。
「あと、何軒かは前より早く持ってきてもらうようになったって」
「最近?」
「うん。店の人の配置が変わったり、開店してから受け取るより先に片づけた方が楽になったり。理由は店ごとに違ったけど」
フローレンは、さっき見比べた古い帳簿を思い出した。
九時台の後半だったものが、八時台へ。
十時頃だったものが、九時前後へ。
「じゃあ、あの記録が変わってたのも……」
「たぶん、それじゃない?」
一軒ずつなら、その店にとって都合のいい時間へ少し動かしただけだったのだろう。
けれど近くの店も同じように朝を選べば、ばらばらだった荷車は少しずつ同じ時間へ集まっていく。
「同じ『朝に来てほしい』でも、理由が違うんだね」
「うん。そこは分けた方がよさそう」
店ごとの事情を並べていくと、一つだったはずの「朝」という言葉が、少しずつ違う意味を持ち始める。
「二人とも、分かったことはあったか?」
声とともにルシアンが戻ってきた。
「うん。奥側は荷物が少ないわけじゃないのに、時間がかなり散ってる。それから――」
フローレンとレオがそれぞれ聞いたことを伝えると、ルシアンは二枚の紙へ目を通した。
「こちらでも同じだった。朝でなければ困る店と、朝の方が都合がいいという店がある」
それから、持っていた地図を二人の間へ広げた。
「それと、もう一つ気になることがあった」
「何?」
「荷下ろし場所だ」
入口側の三軒を示す印の近くに、別の書き込みが増えている。
「この辺りは、荷車を止める場所同士がかなり近い。各店に決められた場所はあるが、荷車が止まると通りの使える幅が狭くなるそうだ」
「一台ずつなら大丈夫?」
「問題ないらしい。ただ、二軒で同時に荷下ろしをすると、その間を抜けるのが難しくなる。特に大きな荷車だと、ほとんど塞がるそうだ」
レオが地図上の細い道を指で辿った。
「じゃあ、奥の店の前が空いてても、手前で止まってたら行けないことがあるんだ」
「ああ」
フローレンは、先ほど見た三つの時刻を思い出した。
八時二十分、二十五分、三十五分。近い三軒へ、十五分ほどの間に荷車が続けて来ている。
「だから、近い店に重なると列になるんだね」
「その可能性が高そうだな。ただ、紙の上だけで決めるより、実際の動きを見た方がいい」
ルシアンの言葉に、レオも入口側へ目を向けた。
「まだ荷車も来てるし、ちょうどいいね」
三人は地図を持ったまま、再び混雑している一角へ戻ることにした。
通りを進むにつれ、車輪の軋む音と人の声が近くなる。店先には荷物が積み上げられ、荷下ろしを終えた者とこれから始める者が狭い道を行き交っていた。
「ここから見ると、地図より近いな」
ルシアンが荷下ろし場所を見比べる。
「本当だね。あっちの店まで、そんなに離れてない」
フローレンが一歩横へ動いた、その時だった。
すぐそばで、積み上げられていた木箱がぐらりと傾いた。
「――危ない」
声より早く腕を引かれ、フローレンは一歩後ろへよろめいた。次の瞬間、さっきまで立っていた場所へ木箱が落ちた。
「大丈夫か」
「……ありがとう」
「咄嗟に力が入った。痛くなかったか」
「うん、大丈夫」
ルシアンはすぐに手を離した。強く掴まれたところに、まだかすかな熱が残っていた。
「この辺、思ったより危ないかもね。もう少し端に寄ろう」
レオに促され、三人は作業の邪魔にならない壁際へ場所を移した。
木箱を落とした店員は慌ただしく詫びながら、それを抱え直している。後ろには荷車が待っており、別の店員も何度かそちらを気にしていた。
「急いでるね」
レオの声に、フローレンも店員の動きを追った。
「後ろで待たれてるからかな」
「それもありそうだな」
ルシアンは先ほど木箱が落ちた辺りへ視線を向ける。
「混雑すると、荷車だけではなく作業する人にも余裕がなくなるのかもしれない」
待ち時間が長くなるだけではない。狭い場所で人と荷物が増え、作業を急げば、さっきのようなことも起こりやすくなる。
三人は少し離れた場所から、改めて荷車の動きを観察した。
一番奥の荷下ろし場所は、今は空いている。それなのに、そこへ向かう荷車は前へ進めていなかった。
手前の店で大きな荷車が止まり、木箱を降ろしている。その反対側にも荷物が積まれており、残った幅では後続の荷車がその横を抜けられない。
「空いてるのに、行けないんだ」
フローレンの視線が、奥の荷下ろし場所から手前の荷車へ移る。
「だから店ごとの空きだけ見ても分からないんだな」
ルシアンは地図と実際の通りを見比べながら答えた。
しばらくすると、手前の荷車が荷下ろしを終えて動き始めた。それまで待っていた一台が前へ進み、その後ろにいた車も少しずつ続く。
止まっていたものが、道が開いた途端に流れ始めた。
「……やっぱり、場所も大きいんだ」
フローレンは目の前の動きを追いながら呟いた。
「時間が重なるだけじゃなくて、近い荷下ろし場所に重なると、後ろまで止まる」
「うん。来る順番が少し違うだけでも変わりそう」
レオは地図を覗き込みながら、印の集まった一角へ指を寄せた。
「それに、全部の店が朝じゃなきゃ困るわけでもない」
フローレンは、さっき書き足した紙を地図の横へ置いた。朝でなければ困る店もあれば、時間を動かせる店もある。
「じゃあ、時間をずらせば――」
そこまで言って、フローレンは自分で言葉を止めた。
「……って、全部ずらせばいいわけじゃないね。朝じゃないと困る店もあるんだった」
「そうだな」
ルシアンは、地図の横に置かれた紙へ一度視線を落としてから、静かに頷いた。
「全店を同じように動かせば、今度は別の問題が出る。まずは、どこなら動かせるのかを分けて考えた方がいい」
「それと、近い店同士が重ならないようにする方法かな」
「ああ。ただ、改善案は一度記録を整理してから考えよう」
三人の手元には、それぞれ違うところから集めた情報がある。
フローレンが拾った到着時刻。
レオが聞いた、店と御者それぞれの事情。
ルシアンが確認した、荷受け時間の決め方と荷下ろし場所の使われ方。
最初は「荷物が増えたから」としか見えなかった混雑が、今は少し違って見えた。
いつ、どの店へ届き、どこで荷車が止まるのか。それらを重ねてみれば、同じ量の荷物でも、流れ方はまるで違う。
フローレンは手元の紙を見下ろした。
八時二十分。
八時二十五分。
八時三十五分。
さっきまでは、ただ並んでいただけの三つの時刻だった。今はその数字の向こうに、狭い通りへ続けて入ってくる三台の荷車が見える。
風が通り抜け、紙の端を揺らした。フローレンは飛ばされないよう片手で押さえながら、もう一度入口側の荷下ろし場所へ目を向ける。
ちょうどまた一台、荷車が通りへ曲がってきた。
フローレンは紙を押さえたまま、その行き先を目で追った。




