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74:時間と場所


 フローレンが最初に見せてもらったのは、区画で保管されている荷受け記録のうち、通りの入口に近い数軒分だった。


 店ごとに元の帳簿の書き方は少しずつ違う。日付と荷物の種類だけを残している店もあれば、荷車が店へ到着した時刻や受け取りを終えた時刻まで細かく記している店もある。


「ほかの店の記録も見せてもらっていいですか?」

「全部ですか?」

「できれば最近の分を。量が多ければ、何日か分だけでも大丈夫です」

「それなら、ちょっと待っててください」


 記録を管理している店員が奥へ戻るのを見送り、フローレンは手元にある分から目を通し始めた。


 同じ日の到着時刻を拾っていく。


 八時十五分。

 八時二十分。

 八時四十分。

 九時五分。

 九時十分。


 日を変えても、似た数字が何度も現れた。


 教師からは「午前中を中心に遅れが増えている」と聞いている。取りまとめをしている男性も、開店前から昼前までが混みやすいと言っていた。


 けれど、帳簿の時刻を細かく並べてみると、午前中ずっと同じように荷物が届いているわけではなかった。


「お待たせしました」


 追加の記録を抱えて戻ってきた店員が、空いていた木箱の上へそれらを重ねる。


「ありがとうございます」


 フローレンは新しい紙を取り出し、店の名前と到着時刻を書き写していった。


 七時台はそれほど多くない。

 十時を過ぎると、また少し間が空く。


 記録が目に見えて集まっているのは、八時を過ぎてから九時半頃までだった。


「……朝っていうより、この時間帯なんだ」


 紙の上に並んだ数字を見つめる。


 荷物の量が急に増えたわけではないのに、混雑は以前よりひどくなっている。


 そこで、フローレンはふと手を止めた。


「……前も同じだったのかな」


 今の記録だけを見れば、八時から九時半頃へ荷物が集まっていることは分かる。けれど、それなら以前から同じように混んでいてもおかしくない。


「すみません。もう少し前の記録も見せてもらえますか?」

「前の?」

「はい。三、四か月くらい前の、同じお店のものを少しだけ」


 店員は一度首を傾げたものの、すぐに頷いて奥へ戻った。


 しばらくして運ばれてきた帳簿は、先ほどまで見ていたものより少しだけ紙の色がくすんでいた。

 フローレンは礼を言って受け取ると、今の記録の隣へ広げる。


 同じ店。同じ荷物。


 日付を遡りながら、到着した時刻だけを拾っていく。


 八時台。九時台。十時前。


 以前からほとんど変わらない店もあった。

 けれど何枚かめくったところで、指先が止まる。


「……ここ」


 今は八時半前後に荷物が届くことの多い店だった。


 数か月前の記録には、九時四十分、九時五十分、十時五分と並んでいる。

 別の日も、その次の日も似たような時間だった。


 フローレンは今の記録へ戻り、同じ店の数字を追い直した。


 八時二十五分。

 八時三十分。

 八時四十分。


「前は、もっと遅かったんだ」


 思わず小さく呟く。


 隣の店も確かめてみる。

 そこも以前は九時台の後半が多かった。それが日を追うごとに少しずつ早まり、最近の記録では九時前後へ寄っている。


 一軒だけを見れば、荷物の届く時間が以前より早くなった。それだけにも見える。


 けれど、その数字を近くの店と重ねてみると見え方が変わる。


 もともと八時台に受け取っていた店がある。

 そのすぐ近くにある店まで、以前より早い時間に荷物を受け取るようになっている。


 フローレンは二冊の帳簿の間へ視線を往復させた。


「少しずつ、朝に集まってきてる……?」


 まだ、なぜそうなったのかは分からない。


 けれど以前と今とでは、同じ時間に荷物を受け取る店の数が違う。


 ばらばらだったはずの時刻が、ここ数か月の間に少しずつ近づいている。


 紙の上に並ぶ数字は静かなままなのに、その向こうで何台もの荷車が同じ時間へ寄ってくる様子が、少しだけ見えた気がした。


 考えているところへ、聞き慣れた声が近づいてきた。


「ずいぶん増えたね」


 顔を上げると、レオが木箱の上へ積まれた記録を覗き込んでいた。手には小さな紙があり、いくつかの時刻と店名が書かれている。


「レオは?」

「何人か聞けたよ。ちょっと気になることがあった」


 隣へ寄せられた紙に、フローレンも目を落とす。


「この人は八時前にはこの区画まで来てる。でも、荷物を降ろせたのは九時近く」

「そんなに待ったの?」

「ずっと同じ場所で止まってたわけじゃないみたい。前の荷車が終わるのを待って、少し進んで、また待ってって」


 別の御者は八時半頃に到着して四十分ほど、もう一人は九時前に来て二十分ほど待ったという。


「でも三人とも、この荷受け通りへ入るまではほとんど遅れてないんだって」

「じゃあ、ここへ入ってから時間がかかってるんだ」

「うん。道中が混んでるわけじゃなさそう」


 フローレンは自分の紙に並ぶ店側の記録と、レオが御者から聞き取った内容を見比べた。荷車そのものはもっと早く区画へ来ているのに、店へ辿り着き、荷物を降ろすまでに時間がかかっている。


「どうして、その時間に来るんだろう」

「それも聞いた」


 レオが紙の余白を指した。


「店から『朝に持ってきてほしい』って言われることが多いみたい。何時ちょうどっていうより、『開店前後に』とか『午前の早いうちに』とか」

「それなら……」


 フローレンは記録へ目を戻した。


 どの店も同じように「朝」を希望しているなら、それぞれ別々に頼んでいたとしても、結果として似た時間に荷車が集まることはある。


「みんなが朝を選んで、それが重なってるのかも」

「俺もそんな気がした」


 そこで、通りの奥からルシアンが戻ってきた。


 取りまとめの男性と荷受けをしていた店員へ短く礼をしてから、二人のところへ歩いてくる。


「そっちは何か分かったか?」

「うん。まず、到着する時間がかなり寄ってる」


 フローレンは紙を広げ、八時から九時半頃に集中した記録を見せた。


「それと、少し前の記録も見せてもらったんだけど、何軒かは前より早い時間に届くようになってる。前は九時半とか十時頃だったのが、最近は八時台とか九時前後になってるの」

「最近になって変わったのか?」

「うん。全部のお店じゃないけど」


 フローレンは今と以前の記録を並べた。


「もともと朝早くに届いてたお店の近くで、ほかのお店も前より早い時間に受け取るようになってる」


「レオが聞いた御者さんも、朝の早いうちにこの区画まで来てる人が多かったみたい」

「店から朝のうちに届けてほしいって言われることが多いらしいよ」


 二人の説明を聞きながら、ルシアンの視線が記録の上をゆっくり動く。


「それなら、こちらで聞いた話とも合うな」

「何かあった?」

「荷受けの時間は、区域全体では調整していないそうだ。各店がそれぞれ、取引先や運送業者と決めている」


 フローレンは顔を上げた。


「じゃあ、隣の店が何時に荷物を受け取るかは?」

「基本的には知らないらしい。荷車が来て初めて重なっていることに気づく場合もあるそうだ」

「それなら本当に、別々に朝を選んだ結果、同じ時間になってるのか」


 レオの声に、フローレンも頷きかけた。


 けれど、ふと目の前の通りが気になった。


 荷車が列になっているのは、さっきから同じ辺りだ。通り全体が一様に埋まっているわけではない。


「……でも」


 二人の視線が集まる。


「時間が重なってるだけなら、もっと通り全体が混んでもよくない?」


 手元にある記録へ、今度は店の位置を書き添えていく。


「この記録、どの店のものか地図に置いてみたい」


 三人で簡単な地図を囲み、八時から九時半頃に荷物が届くことの多い店へ印をつけていった。


 一つ。

 そのすぐ近くに、もう一つ。

 さらに少し奥にも一つ。


 印は通り全体へ均等には散らばらなかった。


「こっちに寄ってる」


 フローレンの指先が止まった場所は、さっきから荷車が列を作っている一角だった。


「本当だな」


 ルシアンも実際の通りへ目を向ける。


 入口近くの数軒では、今も二台の荷車が前後に止まっている。ところが少し奥へ目をやれば、荷下ろしをしている車はあっても、後ろに長い列はできていない。


「レオ、聞いた御者さんが届けに来た店って分かる?」

「全部聞いてる」


 紙に書かれた店名を地図へ移すと、三人のうち二人は、やはり印の集まった一角へ荷物を届けに来ていた。


「やっぱりここだ」


 フローレンは地図と記録を交互に見る。


 同じ時間に荷物が集中している。その中でも、特に近い店同士で到着が重なっている。


 けれど、それだけで決めるにはまだ早い。


「こっち側の店はどうなんだろう」


 レオが、比較的空いている通りの奥を指した。


「でも、こっちが空いてるのって、単に荷物が少ないからって可能性もあるよね」

「確かめよう」


 フローレンは借りている記録から、奥側の店を探した。


 九時四十分。

 十時十五分。

 十一時。

 午後にもいくつか。


 到着時刻はばらけている。


「量は?」


 ルシアンに聞かれ、店ごとの受取数も見比べた。


 数字を一つずつ追ったあと、フローレンは首を横へ振る。


「少なくはない。日によっては、混んでる方の店より多いくらい」

「それでも列はできていない」


 荷物量の多い店ほど、列ができているわけではないらしい。


 レオが地図を眺めながら、少し考える。


「じゃあ、特定の店だけ受け取りに時間がかかってるとか?」

「それも見てみる」


 到着時刻と受取完了時刻が両方残っている記録を探した。


 大きな荷物を扱う日は多少長い。小さな荷物なら短い。


 ただ、混雑している一角の店だけが、いつも極端に受け取りへ時間をかけているわけではなかった。


「店そのものが、いつも遅いわけでもなさそう」


 フローレンは記録の一つを指で押さえた。


「普段なら二十分くらいで受け取りまで終わってる店が、四十分以上かかってる日がある」

「何が違う?」


 ルシアンの問いに、同じ日の近隣店の記録を開いてみる。


 八時二十分。

 八時二十五分。

 八時三十五分。


 三軒へ向かう荷車が、十五分ほどの間に続けて到着していた。


「……これ」


 フローレンが三つの時刻を指す。


「同じ日に、近い三軒へほとんど続けて来てる」

「一台目が荷下ろしをしている間、後ろが待つ」


 ルシアンの指先が、地図上の細い道をなぞる。


「道幅を考えれば、前の荷車を追い越して先へ行くのも難しいな」

「二台目がやっと荷物を降ろせる頃には、もう予定より遅れてる」


 レオが続ける。


「その間に次の荷車が来たら、また後ろに並ぶ」


 三人は同時に通りへ目を向けた。


 ちょうど一台の荷車が荷下ろしを終え、ゆっくりと動き出したところだった。後ろで待っていた車がようやく前へ進む。


 列が一台減る。


 けれど通りの入口から、入れ替わるように新しい荷車が曲がってきた。


「……こういうこと?」


 フローレンは目の前の動きと、紙の上に並んだ時刻を見比べる。


 荷物が多いから詰まるのではない。


 朝だから、というだけでもない。


 近い場所にある店へ、似た時間に荷物が集中する。一台が荷下ろしをしている間に次の荷車が来れば、後ろの車は待たされる。その間にさらに次が来れば、列はなかなか消えない。


「原因としては、かなり近そうだな」


 ルシアンは地図と通りを見比べながら、慎重に言葉を続けた。


「でも、もう少し確かめたい」

「ほかの日も?」

「ああ。それと、今ある奥側の記録はまだ少ない。もう少し数を見て、本当に同じ傾向が続くのか比べたい」

「だったら私、奥の店でもう少し記録を見せてもらってくる」


 立ち上がりながら手元の記録をまとめると、レオも自分の紙へ目を落とした。


「俺は、御者さんたちにもう少し聞いてみる。店から『朝』より細かく時間を指定されることがあるのかも聞きたい」

「僕は各店が荷受けの時間をどう決めているのか聞いてみよう。朝以外へ動かせない事情がある店もあるかもしれない」


 三人が次に確かめることは、もうばらばらではなかった。一つの仮説を、違う方向から確かめていく。


 フローレンは借りていた記録を返し、通りの奥へ向かった。


 ほんの少し進むだけで、さっきまでとは空気が違う。


 荷車はある。

 荷物も少なくない。


 それでも前に一台が止まっているだけで、その後ろに列は続いていなかった。荷下ろしを終えた車が動けば、次の車がすぐに詰まることもなく、通りはまた空く。


 事情を説明して、今度は奥側の店から直接帳簿を借りる。


 そこに並んでいた到着時刻は、九時四十分、十時十五分、十一時過ぎと、やはり入口側より広く散らばっていた。


 次の店も、その隣も似ている。


 荷物が届いていないわけではない。

 量が極端に少ないわけでもない。


 ただ、同じ時刻に重なっていない。


 紙へ数字を書き足すほど、入口側との違いがはっきりしていった。


 それぞれの店が、それぞれに荷受けの時間を決める。


 一軒ずつ見れば、「朝に届けてほしい」という希望自体は不自然ではない。


 けれど互いの予定を知らないまま、近い店が同じように「朝」を選べば、その一角だけに荷車が集まる。


 しかも、以前から朝だった店と同じ時間帯へ、ここ数か月で近隣の店の荷受けまで寄ってきている。


 フローレンは帳簿から顔を上げた。


 春の日差しが、細い裏通りの石畳を明るく照らしている。


 こちらには、荷車が一台。


 遠くの入口側からは、車輪の軋む音が絶えず聞こえていた。


 同じ日の、同じ市場街。

 扱っている荷物の量も、大きくは違わない。


 それなのに、時間と場所の重なり方が違うだけで、目の前の景色はまるで違っていた。

 

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