72:任せたままに
「でも……全部?」
フローレンの問いに、ルシアンはすぐには答えなかった。視線が、机の中央に広がる資料へ落ちる。
「……全部だな」
ややあって、認めるように言った。
「提出する以上、内容は把握しておくべきだと思っていた。結果だけ分かっていても、その根拠を自分で確認していなければ、何かあった時に判断できないだろう」
「でも、私の計算なら私が説明できるよ」
フローレンは手元の計算用紙へ目を落とした。
「三分っていう数字が他の条件と合ってるかは、ルシアンにも見てもらわないと困るけど。どうやって三分を出したのかまで、ルシアンが全部覚えてなくても」
「ぼくの見積もりも同じかな」
向かいからフェンが言う。
「費用が条件内に収まってることは共有しないといけないけど、部品ごとの値段までノクティスが覚えてなくても、聞かれたらぼくが答えられるし」
「魔力消費も」
ミラが自分の計算用紙を軽く持ち上げた。
「七パーセントっていう結論はみんなで使うけど、計算式の途中まで全員で持つ必要はないと思う」
ルシアンは皆の言葉を黙って聞いていた。
「俺のところも、分かんなくなったら聞いてくれていいよ」
レオも続ける。
「そのために担当分けたんだろうし」
あっさりとした言い方だった。ルシアンの視線が、四人の手元を順に巡る。
「……そうか」
小さく呟いてから、しばらく考えるように黙った。
「任せた相手が分かっていれば、それで足りる部分もある、か」
誰に言うともなく口にして、再び提出案を見る。
「自分では、途中の作業を任せているつもりだったんだが」
「実際、任せてたよ」
レオが言った。
「俺たちがやってる途中に、横から全部やり直したりしてないし」
「でも最後に、もう一回自分でもやってたね」
ミラが続けると、ルシアンは少しだけ眉を寄せた。
「……否定できないな」
その顔がおかしかったのか、レオがわずかに笑う。ルシアンは小さく息をつき、提出案へ視線を戻した。
「僕は、自分が理解していない部分が提出する案の中に残ることを、不安に感じるらしい」
「らしい、なんだ」
「似たようなことを言われたことはある。ただ、今改めて気づかされた」
真面目に返され、今度はミラまで口元を緩めた。けれどルシアンは笑わず、もう一度提出案へ目を落とした。
しばらくして、資料の端を揃える。
「……もう一度だけ確認しよう」
「やっぱりするんだ?」
レオの声に、ルシアンが顔を上げた。
「さっきとは違う」
四人を順に見る。
「自分の担当部分に間違いがないか、それぞれもう一度確認してくれ。僕は全体の繋がりと、安全基準、それから運用規定との矛盾だけを見る」
一瞬の間を置いて、ミラが頷いた。
「了解」
「ぼくもそれでいい」
「俺も」
「うん」
フローレンも自分の計算用紙を引き寄せる。
五人は、再びそれぞれの資料へ向かった。フローレンは、三分という数字に使った利用人数と往復時間を最初から辿った。緊急搬送が入った場合の四分も確かめ、書き写した数字に間違いがないか見直す。
「私は大丈夫」
顔を上げると、少し遅れてフェンも自分の紙から目を離した。
「ぼくも。費用も作業時間も問題なし」
「こっちも大丈夫」
ミラが計算用紙を机へ置く。
「俺も」
最後にレオが答えた。
ルシアンは提出案の最初から最後まで目を通していた。改善の目的と、現在の問題。通常時と混雑時の運行。緊急搬送の例外。その下に並ぶ費用や魔力消費、停止時間、待ち時間の改善見込み。
それぞれの結論が、案の中で食い違っていないかを順に確かめていく。
途中で、視線が一箇所に止まった。
「レオ」
「ん?」
「緊急搬送が入った場合、通常速度へ戻すのは搬送が終わるまで、でいいんだな」
「うん。荷物が降りたら、人優先の運行に戻す」
「分かった」
それだけ聞いて、ルシアンはレオのまとめた紙へ手を伸ばさなかった。
少しして、今度は魔力消費の欄で視線が止まる。ミラの計算用紙は、すぐ手の届くところに置かれていた。
けれどルシアンはそこへ手を伸ばさず、提出案に書かれた七パーセントという数字をしばらく見たあと、そのまま次の欄へ進んだ。フローレンは何も言わず、その様子を見ていた。
「……これでいい」
最後まで確認すると、ルシアンが提出案を手に取る。
「出してくる」
「お願い」
「よろしく」
フェンとミラの声を背に、ルシアンは教卓へ向かった。
教師へ紙を渡し、短く何かを話してから戻ってくる。
「終わった?」
「ああ」
席へ戻ったルシアンはそう答えたものの、ほんの少し落ち着かなさそうに机上の資料へ目を向けた。レオがそれに気づく。
「気になる?」
「少しな」
ルシアンは素直に認めた。
「ミラの計算も、フェンの見積もりも、自分では最後まで辿っていないから」
「でも提出できたじゃん」
「……そうだな」
返事までに、ほんの少し間があった。それ以上は何も言わず、ルシアンは自分の資料を重ねていく。
フローレンも計算用紙を揃えながら、ふとレオを見る。さっきまで二枚の案を前に、珍しく答えを出せずにいた。
「レオは?」
「ん?」
「もう大丈夫?」
レオは少し考えてから、机の中央に残った三枚目の案へ目を落とした。
「……まだ、ちょっと引っかかってはいるけど」
通常の荷物を運ぶ側には、混雑する時間を避けてもらう。緊急搬送が入れば、生徒の待ち時間はその分だけ延びる。選んだことで消えたわけではない不便が、そこにはまだ残っている。
「でも、さっきみたいに何も決められない感じではないかな」
レオは紙の端を指先で軽く押さえた。
「全部残せないなら、何を残すのか先に決める。その上でなら、ちゃんと選べると思う」
「そっか」
フローレンが頷くと、レオも小さく笑った。
「まあ、すっきりはしないけどね」
「それでも決めたんだろう?」
ルシアンが言う。
「うん」
今度は、迷わず返事が返る。
「決めた」
やがて授業の終わりを知らせる鐘が鳴った。
教室のあちこちで椅子を戻す音や、資料をまとめる音が重なり始める。五人も机の上を片づけ、それぞれの席へ戻る準備をした。
提出案はもう教卓にある。
最後まで誰かに任せたままの数字も、迷いを残したまま選んだ判断も、その中にある。
それでも、一つの案として提出することはできた。
フローレンは鞄を閉じると、二人と一緒に席を立った。




