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70:何を残すか


 その言葉に、机を囲んでいた四人の視線がレオへ集まった。


「どこで迷ってる?」


 フェンに尋ねられ、レオは二枚の案を見比べた。


「案一にしたら、生徒はかなり楽になる。でも、荷物を運ぶ人は今より困るでしょ」

「案二なら、荷物を運ぶ人は今まで通りだけど、生徒の待ち時間はあまり減らない」

「うん」


 レオの視線が、机の中央に並んだ二枚の紙の間を行き来する。


「どっちを選んでも、困る人が残るんだよね」


 先ほどまでの軽い調子は、いつの間にかすっかり消えていた。


「それは仕方ないんじゃないか?」


 フェンが言う。


「今の設備と条件じゃ、全員にとって一番便利な案は作れない。だったら、困る人数が少ない方を選ぶしかないだろ」

「うん。それは分かってるんだけど」


 レオは頷いたものの、視線は二枚の案から離れなかった。


「……じゃあ、どっちの不便なら残していいんだろう」


 フェンが口を閉じる。


 フローレンも、もう一度二つの案を見た。案一なら、多くの生徒の待ち時間が減る。案二なら、荷物を運ぶ教師や職員は今まで通り利用できる。


 人数だけなら、案一の方が多くの人を助けられる。けれど、授業直前に必要な器具や、大型の荷物を運ぶ側にも事情がある。


 どちらが正しいかではなく、どちらの不便を残すのか。そう考えた途端、さっきまで単純に見えていた二枚の紙が、少し違って見えた。


「……困る人で分けるんじゃなくて」


 フローレンが呟く。四人がこちらを見る。


「何が困るのかを、もう少し分けてみるのはどうかな」

「どういうこと?」


 ミラが首を傾げる。


「うん。たとえば……」


 フローレンは新しい紙を一枚取り、ペン先を置いた。


「生徒が次の授業に間に合うこと」


 一つ目を書く。


「緊急で必要な教材や器具を、ちゃんと運べること」


 二つ目。


「大きな荷物を、安全に載せられること」


 三つ目。そこで少し考えてから、


「普通の荷物も、できるだけ不便なく運べること。それから、待ち時間を減らすこと」


 と続けた。


 五つの項目が紙の上に並ぶ。しばらく、それを全員で見つめた。


「……これ、全部同じ重さじゃないよね」


 フローレンが言うと、最初に反応したのはルシアンだった。


「ああ。安全性は選択の対象にはできない」


 運用規定と安全基準の資料を手元へ寄せる。


「大型の荷物を急いで積み込ませるような運用は避けるべきだ。そこを崩して待ち時間を短くする案なら、そもそも条件を満たしていない」

「じゃあ、これは絶対に残す」


 フローレンが「安全」の横へ印をつけた。


「緊急の器具も、同じじゃない?」


 レオが利用者の意見を一枚取り上げる。


「授業中に壊れた器具の交換とか。運べないと、その授業自体が止まることもありそう」

「そうだな」


 ルシアンも頷く。


「緊急搬送を完全に制限することはできない」


 そこにも印が増えた。


「じゃあ、普通の荷物は?」


 ミラが聞くと、フェンがすぐに費用の資料から顔を上げる。


「急ぎじゃないなら、授業間の混雑する時間帯だけ避けてもらっても致命的ではないだろ」

「それなら、普通の荷物は時間をずらしてもらえるかもしれないね」

「少なくとも、資料に出てる範囲では」


 レオが利用者の意見をめくる。


「……あ」

「何かあった?」

「職員の意見に、『授業間は生徒が多くて荷物を運びづらい』ってある」

「『授業間は』……か」


 先ほどは、ただ荷物を運ぶ側の不満として読んでいた一文だった。けれど今見ると、少し違う意味にも取れる。


「荷物を運ぶ人も、別に混んでる時間に運びたいわけじゃないんだ」

「授業直前じゃないと困るものと、そうじゃないものが混ざってたんだね」

「うん」


 レオはもう一度、その一文へ目を落とした。


「普通の荷物なら、運べなくするんじゃなくて、時間をずらしてもらうだけでいいのか」


 その声には、先ほどより少しだけいつもの余裕が戻っていた。


 フローレンは新しい紙を見直す。安全は守る。緊急の搬送も守る。生徒が授業へ間に合うことも、できるだけ守りたい。


 通常の荷物なら、混雑する時間を避けて運んでもらうことはできるかもしれない。


「待ち時間を減らすことは?」


 ミラが尋ねた。


「それが今回の改善の目的だよね?」

「うん。でも、ゼロにしなくてもいいのかも」


 フローレンは利用記録へ目を落とす。


「先生は、待ち時間をなくせとは言ってない。改善してって言ってた」

「ああ」


 ルシアンが静かに頷いた。


「待ち時間を減らすことと、なくすことは同じではないな」


 その一言で、フローレンの中にあったものがすっと形になる。


「だったら、案一か案二かで選ばなくてもいい?」


 フェンが眉を上げた。


「混ぜるってこと?」

「できないかな」


 フローレンは二枚の案を近づける。


「普段は、案二みたいに行き先をまとめて運行する。そうすれば、今より少し待ち時間が減って、荷物も今まで通り運べる」

「授業が切り替わる時だけ案一にする?」


 ミラが続きを拾った。


「うん。その時間だけ人を優先して、速度も少し上げる。でも、緊急の荷物は使えるようにしておく」

「緊急の荷物が入ったら?」


 フェンが聞く。


「その時だけ通常速度へ戻す」


 ミラがすぐに答えた。


「荷物が降りたら、また人向けの運行に戻せる」


 フェンは二つの改修内容を見比べ、費用の資料をめくった。


「二つの運行方法を切り替えられるようにする必要はあるけど……」


 改修費と作業時間の欄を行き来しながら、指先で数字を追う。


「これなら予算内だな。手を入れるのは同じ制御部だから、停止時間も半日で足りる」

「魔力は?」


 レオがミラを見る。


「人優先の時間帯は、魔力消費が少し増える。でも普段の運行を行き先ごとにまとめれば、無駄な上下が減るから……」


 ミラは設備仕様の計算欄へペンを走らせた。数字を書き、その横へ新しい値を重ねていく。全員が黙って待った。


「……いける」


 やがて、ミラが顔を上げた。


「一日の総消費量で見ると、一割以内。むしろ混雑してない時間の無駄な移動が減る分、余裕ができる」

「じゃあ、組み合わせられるね」


 フローレンの声が少し弾んだ。


 机の上に、三枚目の紙が置かれる。


 通常時は、行き先ごとに利用者をまとめて運行する。

 授業の切り替わる時間だけ、人の利用を優先する。

 通常の荷物は、原則としてその時間帯を避ける。

 緊急の教材や器具は、混雑時間でも利用できる。

 荷物を載せる場合は通常速度へ戻し、安全性を確保する。


「これなら、生徒の待ち時間も案二より減る。案一ほど待ち時間は減らないけど、普通の荷物を完全に締め出す必要もない」


 フェンの言葉に、五人の視線が三枚目の紙へ戻る。


「ただし、誰も不便にならないわけじゃない」


 ルシアンは、まとまった案の中に残る条件も確かめるように続けた。


「通常の荷物を運ぶ側には、できるだけ時間をずらしてもらう必要がある。荷物の搬送が入れば、その時だけ生徒の待ち時間も伸びる」


 フローレンは、紙の上に残った二つの不便を見つめて頷いた。


「うん」


 そこは、消えなかった。


 全部を満たせたわけではない。案一と案二の良いところを並べれば、何も失わずに済むわけでもなかった。


 けれど、何を守るかを先に決めたことで、どこなら少し譲れるのかが見えるようになった。


「レオは?」


 フローレンが聞く。


 レオは三枚目の紙と、利用者から寄せられた意見を見比べていた。


「……さっきよりはいい」

「まだ迷う?」

「少し。でも、今なら選べそう」


 そう答えた声には、先ほどまでの切羽詰まった響きはもうなかった。それでも、三枚目の紙だけを見て済ませることはできないらしく、レオの視線はもう一度、利用者の意見へ戻っていく。


「通常の荷物を運ぶ人には、今より不便になってもらうわけだし。荷物が入ったら、生徒には待ってもらうし」


 言いながら、レオは少しだけ眉を寄せた。


「誰を困らせるかって考えると、どっちも選べなくなるんだけど。何を絶対に残すかって考えるなら、さっきよりは選べる気がする」


 フローレンは、その言葉に小さく頷いた。


「私も、その方が考えやすい」

「なら、これを班の案にしよう」


 ルシアンが三枚目の紙を中央へ置いた。


 二つに分かれていた案へ、それぞれが拾った条件を重ねて、ようやく三枚目の案まで辿り着いた。


「提出用に詰めよう」


 ルシアンが資料を見渡す。


「フェンは費用と停止時間。ミラは制御変更と魔力消費。フローレンは混雑時間と改善後の待ち時間を計算してくれ。レオは利用者側の運用と、緊急時の例外条件をまとめてもらえるか?」

「うん」

「分かった」

「任せて」

「了解」


 返事が重なった。


「僕は全体の構成をまとめる。数字が出たら、その順に入れていこう」


 五人の手元へ、再び資料が散っていく。けれど、さっきまでとは少し違った。


 最初は五つに分かれていた資料を、それぞれが別々に読んでいた。今は、どの数字も、どの意見も、同じ一つの案へ向かっている。


 フローレンは利用記録をもう一度開き、混雑時間の数字へペン先を置いた。


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