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62/124

62:初授業


 最初の授業が始まって、まだ十分も経っていなかった。


 フローレンは、早くも自分の予想が甘かったことを知った。


 教師が黒板へ書いたのは、ある公共施設で使われている魔力設備の不具合についてだった。


 昨日までは正常に稼働していた設備が、今朝から時折出力を落としている。記録上、供給されている魔力量は規定の範囲内。同じ型の別の設備には異常がなく、外側から確認できる破損もない。


 書かれた条件は、それだけだった。


「さて」


 教師が黒板から振り返る。


「原因を調べるとしたら、何を見る?」


 フローレンは反射的に条件を頭の中へ並べた。


 昨日までは正常。

 今朝から出力が不安定。

 供給量は規定内。

 同型の別設備は正常。

 目に見える破損はない。


 まず、供給量そのものが原因である可能性は低い。ならば設備側の――。


「供給量ではなく、供給の波を見ます。平均が規定内でも、短い時間だけ落ちている可能性があります」

「接続部。見た目に破損がなくても、内部の接触が不安定なら出力だけ落ちるかもしれません」

「設置場所の温度か湿度は? 同型が正常なら、本体以外の条件も比較したいです」

「昨日と今朝で使用者が変わっている可能性もあります」

「直前に保守作業は?」

「周辺で別の魔法設備を増設していないかも確認したいです。干渉が起きているかもしれない」


 一つ、二つ、三つ。


 フローレンが最初の考えを形にするより早く、教室のあちこちから意見が上がっていく。


 しかも、どれも思いつきではなかった。声が上がるたびに、「なぜそこを見るのか」まで短い言葉で添えられている。教師はそれを聞きながら黒板へ次々と書き足していった。白い文字が増える音に、別の生徒の声が重なる。


「待って。設備そのものが悪いってまだ決まってないよね」

「そうだな。計測器側の誤差もある」

「計測器はいつ点検した?」

「別の計測器でも同じ値が出るか確認したい」


 フローレンは目を瞬いた。


 速い。


 そう思った直後には、もう次の意見が出ていた。


「周辺環境が原因なら、同じ場所で使っている別設備にも兆候がないか見るべきです」

「でも同じ型じゃなければ影響の受け方が違うかも」

「じゃあ両方見る。場所が同じものと、型が同じもの」


 教師が黒板の一角へ線を引いた。


「今の二つは分けて考えろ。同型との比較と、同環境との比較だ」


 すぐに教室の何人かが頷く。


 フローレンは慌てて手元のノートへ視線を落とした。覚えるために書き留める必要はない。全部、頭には残っている。今出た意見も、その順番も、教師がどこへ何を書いたのかも。


 けれど――。


 覚えていることと、自分から同じ速さで出せることは、まるで別だった。


 ひとつの条件から一本の道を辿ろうとしている間に、周囲では三本、四本と別の道が伸びている。そのどれもが途中で途切れるのではなく、理由を持って先へ続いていった。


 すごい。


 驚きは、置いていかれる怖さより先にやってきた。こんなにたくさん考えられるんだ。


「では、今出たものを全部確認するか?」


 教師の問いに、教室が一度静かになる。

 黒板には、すでに十を超える確認項目が並んでいた。


「時間も人手も無制限ではない」


 教師はチョークを置く。


「最初に何を見る?」


 今度は、少し長い沈黙が落ちた。


 フローレンも黒板を見る。供給の波。接続部。温度と湿度。使用者。保守記録。周辺設備。計測器。比較方法。


 どれもあり得る。


 けれど全部を同時に調べるのは現実的ではない。何から――。


「昨日から今朝までに変わったものを先に確認します」


 すぐ後ろから、よく知った声がした。

 フローレンは思わず振り返りかけて、途中で止めた。


 ルシアンだった。


 教師が目を向ける。


「具体的には?」

「使用者、周辺環境、直前の保守作業、周辺設備です。同じ設備が昨日まで正常だった以上、まずは正常だった時点との差を絞ります」

「接続部や内部機構は?」

「後です。外から確認できる変化を先に潰した方が早い。分解が必要な確認は、設備を停止させる時間も長くなります」

「供給の波は?」

「記録が残っているなら同時に確認できます。設備を止める必要もありません」


 教師が僅かに頷いた。


「では、優先順位をつけるなら?」


 ルシアンはほとんど間を置かなかった。


「まず記録だけで確認できるもの。その次に、設備を動かしたまま確認できるもの。停止が必要な確認は最後にします。ただし、安全に関わる異常が疑われる場合は順序を変えます」


 黒板いっぱいに散らばっていた項目が、一瞬で整理されたように見えた。


 フローレンは目を見開く。


 ルシアンが挙げたもの自体、どれも先ほど誰かが口にしていたものだった。ルシアンが新しい可能性を増やしたわけではない。


 なのに、ばらばらだったものが急に並び替わった。


 どこから見るのか。

 なぜそこからなのか。

 何を後に回すのか。


 話を聞いているうちに、調査の道筋が一本の線になっていく。


 ――速い。


 今度の驚きは、さっきとは少し違った。


 自習室でフローレンが問題に詰まった時、ルシアンはいつもゆっくり待ってくれていた。ひとつ問いを投げ、フローレンが考え終えるまで次へ進まない。


 もちろん知っているつもりだった。ルシアンが頭の回転の速い人だということも、学年でずっと一番であることも。

 けれど、それを知っていることと、目の前で見ることもまた違った。


 これが、ルシアンが普段考えている速さなのだ。


 フローレンが少し呆然としている間にも、授業は止まらない。


「ノクティスの順序で確認したとして、すべて異常がなかった。次は?」

「内部を――」

「その前に計測方法を変える」

「別の方法でも測ってみる?」

「同型設備と同じ条件を作って比較するとか」


 また、声が飛び始める。

 教師はその中からいくつかを拾い、新しい条件を書き加えた。


 今朝、最初に異常を報告したのは、普段の管理担当者ではなく代理の職員だった。


「……あ」


 教室の何人かが声を漏らす。


「普段の担当者じゃないなら、操作手順が違った可能性は?」

「引き継ぎは受けてるのかな」

「でも実際に出力が落ちた記録はあるんですよね?」


 意見がまた増えていく。


 その時、レオが片手を上げた。


「先生。その代理の人って、この設備を普段どのくらい使ってるんですか?」


 教師がレオを見る。


「ほとんど使っていないとしよう」

「じゃあ、俺なら最初にその人から話を聞きます」

「なぜ?」

「何を手がかりに『いつもと違う』って思ったのか知りたいから」


 レオは黒板ではなく、教師の方を見ながら続けた。


「同じ『出力が落ちた』でも、作動の様子を見てそう思ったのか、計器を見たのか、使ってる人から聞いたのかで全然違いますよね。それが分かれば、調べる場所も減るかもしれない」


 教室が少し静かになった。

 教師がチョークを取り、黒板へ新しく一行を書き加える。


 ――異常を判断した根拠。


「いい視点だ」


 レオは一度だけ目を瞬かせ、黒板へ書き足された一行に視線を移した。


「記録された情報を見るだけでは、そこまでは分からない。『誰が』『何を手がかりに』そう判断したのかも、条件の一つになる」


 フローレンは黒板の文字を見たあと、そっと後ろを振り返った。レオはもう教本へ目を落としている。


 その顔は、いつもの自習室で見ている時と同じようで、少し違って見えた。


 レオが人の様子をよく見ていることは、ずっと前から知っている。疲れている時も、何か言いたそうにしている時も、本人すらまだ気づいていない小さな変化にも、レオはよく気づく。


 それが、こんなふうに授業の中でも使われるのだとは思っていなかった。


 人を見ることも、考えるための材料になる。


 フローレンはもう一度、黒板を見る。


 その間にも話は進んでいた。


「では、代理職員へ聞き取りをした結果、普段より設備の作動音が不規則だったと分かった」


 教師がさらに条件を足す。


「出力だけじゃなくて、音も変わってた?」

「内部機構かな」

「可動部分の摩耗」

「でも昨日までは正常だったんだよね」

「摩耗なら少しずつ兆候が出るはず」

「昨日は作動音まで確認してないなら、分からないだけかも」


 速い。


 やっぱり速い。


 しかも、さっき出た情報を置き去りにしているわけではなかった。新しい条件がひとつ加わるたび、誰かが前の条件を引っ張り出して繋げる。別の誰かが反対の可能性を出し、それをまた別の生徒が条件で絞る。


 教室の中で、考えが次々と投げ渡されていく。


 一人が全部を答えているわけではない。それなのに、教室全員の思考が重なることで、ひとつの大きな流れになっていた。


 フローレンは、息をするのも忘れそうになった。


 面白い。


 けれど、自分も見ているだけではいたくなかった。


 教師がまた条件を書き足そうとしたところで、フローレンは黒板の最初の一文へ目を戻す。


 今朝から、時折出力を落としている。


 時折。――ずっとではない。

 そこに目が止まった。


「先生」


 気づけば手を上げていた。


 教師が振り返る。


「アストリア」

「『時折』というのは、出力が落ちる時刻そのものに規則性はありますか?」


 何人かがこちらを見る。


「どうしてそう思った?」

「ずっと不安定なら設備そのものを疑いやすいと思うんです。でも、特定の時間だけなら、その時にしか変わらない条件があるかもしれないと思って」


 言いながら、頭の中でも条件を並べ直す。


「使う人が変わる時間とか、別の設備が動く時間とか。毎回同じ頃に落ちているなら、そっちから絞れるかもしれません」


 教師がほんの少し目を細めた。


「良い。では、出力が落ちた時刻を確認したところ、数回とも近い時間帯に集中していたとしよう」


 途端に、教室の空気が動いた。


「その時間に動く別設備を調べたい」

「使用者の交代時間と重なってる?」

「日照の変化は?」

「外部から魔力を引く施設なら、同じ時間帯の需要量も見るべきじゃない?」

「待って、それなら最初に出てた供給の波が戻ってくる」


 次々と声が上がる。


 フローレンは目を見開いた。


 自分が見つけたひとつの条件から、また何本もの道が伸びていく。さっきまで自分が追いかけていた流れの中に、今度は自分の言葉も混ざっていた。


「そういうことだ」


 教師が黒板を軽く叩く。


「一度、優先順位を下げた可能性でも、新しい条件が加わればまた有力になる。『今は後回しにする』ことと、『原因ではないと分かった』ことは別だ」


 チョークの音が響いた。


「何が分かったか。何がまだ分からないか。その都度整理しろ」


 フローレンは小さく息を吐いた。

 胸の奥が、少し熱かった。


 

 授業終了を告げる鐘が鳴るまで、ほとんど息をつく暇はなかった。


 最後の説明が終わった瞬間、教室の空気が一気に緩む。椅子を引く音や話し声が戻り、フローレンもようやく肩から力を抜いた。


 ノートには、ほとんど何も書いていない。

 

 書く暇がなかった、というのもある。

 けれど頭の中には、先ほどの授業が最初から最後までそのまま残っていた。条件が一つ加わるたびに変わった意見。ルシアンが並べ直した優先順位。レオが拾った、記録には書かれていなかった人の視点。そこからまた広がっていったいくつもの可能性。


「どうだった?」


 後ろから声がして、フローレンは振り返った。


 斜め後ろのルシアンもこちらを向いている。そのさらに後ろから、レオが身を乗り出すようにしてこちらを覗いていた。


 フローレンは一度、口を開いた。


「……とっても、速かった」


 レオが笑う。


「やっぱり?」

「うん。予想以上だった」


 それだけでは足りない気がして、フローレンは少し考える。


「考えがいっぱい出てくるの。しかも、ただ数が多いんじゃなくて、みんなちゃんと理由があって……新しい条件が出たら、さっきの話とすぐ繋げて」


 話しているうちに、さっきの驚きがまた戻ってくる。


「私が一つ考えてる間に、三つとか四つとか出てくるから、途中でびっくりしちゃった」

「最初はそう感じるかもしれないな」


 ルシアンが穏やかに言った。


 フローレンはそこで、二人の顔を順番に見る。


「それもだけど……二人とも、すごいね」

「え?」


 今度はレオが目を瞬いた。ルシアンも僅かに表情を止める。


「ルシアン、みんなが出したものをすぐに整理してたでしょう? 何から見たらいいのか、聞いてるうちに全部分かりやすくなった」

「あれは、出ていた意見を並べただけだ」

「でも、あんなすぐにできるのすごいよ」


 フローレンが迷いなく言うと、ルシアンは一瞬だけ言葉を失った。それから、少しだけ視線を逸らす。


「……ありがとう」


「レオも」

「俺?」

「うん。報告した人のこと、私、全然考えてなかった」


 フローレンは黒板に残る文字を見る。


「レオって、こういう時にも人に目が向くんだね」


 レオは少し意外そうにしたあと、ふっと目元を和らげた。


「そうなのかな」

「そうだと思う。すごかった」

「ありがと」


 気負いなく返された声に、フローレンも自然と頬を緩めた。


「フローレンの質問も良かったと思う」

「本当?」

「ああ。『時折』という言葉を拾っただろう。僕はあの時、そこを見ていなかった」

「俺も」


 レオも頷く。


 思いがけず返ってきた言葉に、フローレンは少しだけ目を丸くした。それから、嬉しくなって笑う。


「そっか」


 自分が一番速かったわけではない。最初からたくさんの可能性を出せたわけでもない。


 けれど、自分に見えたものもあった。


 そして、二人やほかの生徒に見えていたものは、自分にはまだ見えていなかった。


 それが不思議なくらい楽しかった。


「私も、もっと色んな可能性を早く考えられるようになりたいな」


 フローレンが呟く。


 窓の外では、春の光が朝より少し高いところから教室へ差し込んでいた。


 特進の授業は、思っていたよりずっと忙しい。


 そして、思っていた以上に面白かった。

 

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