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47:総合順位


 翌朝の中央棟は、普段とは比べものにならないほど混み合っていた。


 まだ始業まで時間があるというのに、吹き抜けへ続く廊下には三年生の姿が途切れない。足音と話し声が高い天井へ幾重にも反響し、その流れは皆、正面に設けられた大きな掲示板へ向かっていた。


「すごい人……」


 階段を下りたところで、フローレンは思わず足を緩めた。


「昨日からみんな気にしてたものね」


 隣のエリナも、いつもより賑やかな中央棟を見渡す。


 掲示板の前にはすでに何重もの人垣ができていた。背の高い生徒の肩越しに見える白い紙には、昨日の通知どおり、三年生九十六人の名前が一位から順に並んでいる。


 フローレンはエリナとともに、人の隙間を縫うように少しずつ前へ進んだ。


 返された答案に並んでいた数字は、去年より明らかに高かった。

 エリナに言われたこともあって、少なくとも以前より上の方に自分の名前があるのではないか――そんな淡い期待が、胸の隅に残っている。


 もちろん、どこまで上がっているのかは分からない。


 だからこそ、知りたかった。


 今の自分は、学年のどこにいるのだろう。


 ようやく掲示板を正面から見られる場所まで辿り着く。白い紙には、順位、氏名、所属クラスが上から下まで整然と並んでいた。


「あった。エリナ」


 先に見つけた名前を指すと、エリナもその場所へ目を向けた。


「あら。本当」


 自分の順位を確かめ、わずかに安堵したように笑う。


「去年より少し上がったわ」

「よかったね」

「ありがとう。それより、あなたは?」

「うん。いま探してる」


 フローレンは掲示へ視線を戻した。


 最初に目を向けたのは、第一クラスと第二クラスの名前が入り混じる辺りだった。


 四十七位。

 四十八位。

 四十九位。


 去年よりは上がっていると思う。それなら、この辺りを探せばありそうな気がした。


 見覚えのある第一クラスの生徒。第二クラスで普段から成績のいい生徒。名前と所属を一つずつ追っていく。


 けれど、まだ自分の名前はない。


 少し下へ視線を動かす。


 五十位。

 五十一位。

 五十二位。


 そこにもなかった。


「……あれ」


 小さく声が零れる。


 学年末試験の手応えは悪くなかった。解けなかったものも、最後まで迷った設問もある。それでも、返された答案には以前よりずっと高い点数が並んでいた。


 もう少し下なのだろうか。


 そう考えて、さらに視線を落としかけたときだった。


「フローレン」


 隣からエリナに呼ばれる。


「なに?」

「そこじゃないわ」


 いつもより少し低い声だった。


 振り向くと、エリナはフローレンではなく、掲示板の上の方を見たまま目を離さない。


「……上」

「上?」


 言われるまま、少し上へ視線を戻す。


 四十六位。

 四十五位。

 四十四位。


 第一クラスの名前が続き、さっきまで混じっていた《第二》の文字は、もうほとんど見えなくなる。


 さらに上へ。


 四十位を過ぎ、三十位台へ入れば並ぶのは《第一》ばかりだった。


 それでも、自分の名前は見つからない。


「……エリナ?」

「もっと上」


 今度こそ、意味が分からなかった。


 けれどエリナは冗談を言っている顔ではない。


 フローレンはもう一度、掲示板へ向き直った。


 三十位。

 二十九位。

 二十八位。


 《第一》が続く。


 そこからさらに上へ辿るにつれて、所属欄の景色が少しずつ変わっていく。


 二十六位――《第一》

 二十五位――《特進》

 二十四位――《特進》

 二十三位――《特進》

 二十二位――《特進》


 フローレンの視線が、そこで遅くなる。


 ここから先は、自分が探す場所ではない。


 けれどエリナは、まだ上を見ていた。


「……エリナ?」

「もう少し」


 胸の奥が、妙に落ち着かない。


 視線を一段ずつ上げていく。


 二十位。

 十九位。

 十八位。


 どれも、《特進》。


 周囲では誰かが友人の順位を呼び、別の場所では笑い声が上がっている。さっきまで耳に入っていたはずのそれらが、少しずつ遠くなっていく。


 十七位。

 十六位。

 十五位。


 十四位も、《特進》。


 ここまで来ても、自分の名前はない。


 そして、その一つ上。


 十三位。


 そこで、フローレンの目が止まった。


 一瞬、そこに並んでいる文字を意味のあるものとして受け取れなかった。


 見慣れているはずだった。


 何百回と書いて、何千回と目にしてきた名前なのに。


 十三位 フローレン・アストリア 《第二》


「……え」


 息だけが零れた。


 周囲のざわめきが、ふっと遠のく。


 一位から十二位まで。

 所属欄には、同じ文字が並んでいた。


 《特進》。


 十四位にも、《特進》。

 十五位にも。

 その下にも。


 整然と続いていた特進生の列が、十三位の一行だけ、ふいに途切れている。


 そこにあるのは、自分の名前だった。


 第二クラスで三年間を過ごしてきた、フローレン・アストリア。


 その名前が、特進クラスの生徒たちの間に、たった一つ挟まっている。


「……十三?」


 ようやく、それだけが声になった。


 数字を読み間違えたのかと思った。


 もう一度見る。


 十三位。

 フローレン・アストリア、そして《第二》の文字。


 どこまで見直しても、間違いなく自分の一行だった。


 胸が、ひとつ大きく鳴った。



「十三位よ」


 隣で、エリナがゆっくりと言った。いつもの落ち着いた声なのに、ほんの少しだけ弾んでいる。


「フローレン。あなた、十三位」

「……私が?」

「あなた以外にフローレン・アストリアはいないでしょ?」


 フローレンはただ掲示板を見つめる。自分の名前の上にも下にも、見覚えのある特進生の名が並んでいた。

 合同授業でよく教師に当てられていた生徒。実習で班長を務めていた者。普段から学年でも成績がいいと知られている者。


 その間に、自分がいる。


「……なあ、あれ」


 後ろから、誰かの声が聞こえた。


「アストリアって、第二だよな?」

「第二のやつが十三位?」

「え、特進じゃなくて?」


 近くで名前を確認する声が重なり、掲示板の前のざわめきが少しずつ形を変えていく。


「すご……」

「え、どの子?」

「ほら、あそこにいる――」


 知らないところから自分の名前が聞こえてきて、フローレンは落ち着かない気持ちのまま少しだけ肩を縮めた。


「……なんか、見られてる」

「これだけ目立つところに名前があれば、仕方ないわ」


 エリナはそう言いながらも、どこか嬉しそうだった。


「すごいわね。本当に」


 フローレンは返事をしようとして、また掲示板へ目を向けた。


 すごい。


 そう言われても、まだ実感が追いつかない。


 試験を解いているときには、順位のことなどほとんど考えていなかった。目の前の問いを読み、どこまで分かるのかを確かめて、一度違う方へ進みかければ戻る。


 ただ、一問ずつ考えた。


 その結果が、今ここにある。


 十三位。


 数字にすれば、それだけだった。


 けれど、その一行の奥には、春から今日までに過ごした時間がいくつも重なっている。


 応用問題を前に、何をすればいいのか分からないまま紙を見つめていた朝。

 知っていることならいくらでもあったのに、それらをどう使えばいいのか分からなかった。


 紙の上に初めて引いてもらった一本の線。

 その翌日、自分の手で続きを繋げられたこと。


 別の教科でも同じ考え方が使えると知った。

 返ってきた答案から、自分の間違え方を辿れるようになった。


 できることが増えるのが嬉しくて、少し頑張りすぎたこともあった。

 一日休んでも、それまでに積み重ねたものは消えないと知った。


 自習室の机。盤上に並ぶ駒。皆で囲んだ何冊もの資料。


 そして最近は、自分が以前止まった場所を思い出しながら、同じクラスの誰かと一緒に問題を見るようにもなった。


 一つずつ思い返そうとしたわけではない。それでも、この一年の景色が途切れ途切れに胸の奥を過ぎていく。


 どれも、この数字を取るためにやったことではなかった。


 ただ、分かるようになることが楽しかった。


 昨日より、もう少し先へ行きたかった。


 そうやって一つずつ進んできた先が、今、十三という数字になって目の前にある。


「……ここまで来たんだ」


 誰に言うでもなく、言葉が零れた。


 胸の奥に、ゆっくりと熱が灯っていく。


 驚きはまだ消えていない。全部を信じきれたわけでもない。


 それでも。


 嬉しい。


 その感情だけは、もうはっきりと分かった。


「フローレン!」


 少し離れたところから、聞き慣れた声が飛んできた。


 人混みの向こうで赤い髪が揺れる。レオだった。そのすぐ後ろには、ルシアンもいる。


 二人は人の間を抜け、掲示板の前までやってきた。


「どこ? 何位だった?」


 尋ねながら、レオが掲示の上から視線を滑らせる。


 フローレンが答えるより早く、その目が止まった。


「――え」


 珍しく、レオの口がそのまま少し開く。


「十三位?」


 その声に、ルシアンも視線を上げる。


 紫の瞳が一つずつ順位を辿り、やがてフローレンの名のところで止まった。


 何も言わない。


 ただ、しばらくその一行を見ている。


「……ルシアン?」


 呼ぶと、ようやく視線がこちらへ戻った。


 驚いている。


 いつも大きく表情を動かす人ではない。それでも、わずかに見開かれた目を見れば、さすがに予想より高かったのだと分かった。


 けれど次の瞬間、その表情がゆっくりとほどけた。


「すごいな、フローレン」


 静かな声だった。


 以前にも、一度同じ言葉をもらったことがある。


 九十二点の答案を前にして、点数そのものではなく、間違えた場所を自分で辿り直したことを、すごいと言ってくれた。


 あのとき胸に広がったものが、少しだけ蘇る。


「……うん」


 フローレンはもう一度、掲示板にある自分の名前を見る。


「私も……ちょっと、すごいと思う」


 口にした途端、隣でレオが吹き出した。


「あはは。そこ、自分で言えるようになったんだ」

「だって、十三位だよ?」

「うん。これは言っていい」


 レオは笑ったまま、もう一度掲示板へ目を向ける。


「いやあ……すごいね。特進のど真ん中にいるじゃん」

「ど真ん中……」


 改めて言われ、フローレンも自分の名前の周囲を見る。


 上にも、下にも《特進》が並んでいる。


「……ほんとだ」


 さっきまであれほど現実味のなかった光景が、少しだけ可笑しく見えてきた。


 フローレンは小さく笑った。


 そのとき、すぐ近くで別の生徒が口にした。


「でも、これ……クラスどうなるんだ?」


 何気ない一言だった。

 フローレンの笑みが、ほんの少し止まる。


「普通なら、この順位って特進だよな」

「でもアストリア、第二だろ?」

「第二から特進って、今まであったっけ」

「聞いたことない」


 別の声が重なる。


「普通、上がっても隣のクラスじゃない?」

「だよな。第二なら第一じゃないの?」

「でも十三位で第一っていうのも……」


 今度はフローレン自身が、掲示板を見上げた。


 そのことまでは考えていなかった。


 第一クラスと第二クラスの境目あたりに、自分の名前があるかもしれない。今朝ここへ来たときに思い描いていたのは、せいぜいそのくらいだった。


 けれど十三位という数字は、その想像からあまりにも遠い。


 順位だけを見れば、第一クラスとの境目どころではなかった。自分の名前の上にも下にも、並んでいるのは特進クラスの生徒ばかりだ。


「……どうなるんだろう」


 今度は、自分の口から零れた。


「さあ」


 レオも珍しく、すぐには答えを出さなかった。


「クラスは、今回の順位だけで決まるわけじゃないだろう」


 ルシアンが静かに言う。


「これまでの成績や授業、実習も見ると言っていた」

「うん」

「だから、今の順位だけではまだ分からない」


 いつもの落ち着いた言葉だった。


 けれどルシアン自身も、もう一度十三位の一行へ目を向けている。


 フローレンも、その視線を追うように掲示板を見た。


 十三位。


 そこに自分の名前があることだけは、もう変わらない。


「……そうだね」


 そう答えたところで、始業を知らせる予鈴が中央棟へ響いた。


 掲示板の前に集まっていた人の輪が、少しずつ崩れ始める。名残惜しそうに順位を確かめる者もいれば、友人と結果を比べながら急いで教室へ戻る者もいた。


「そろそろ行きましょ」


 エリナが言う。


「うん」


 フローレンも掲示板から離れる。


 数歩歩いたところで、もう一度だけ振り返った。


 九十六人分の名前が、白い紙の上へ整然と並んでいる。


 その中の十三番目。


 《特進》の文字が連なる列の中で、フローレン・アストリアの一行だけが《第二》を伴い、静かに並びを乱していた。


 見間違いではない。


 自分の名前だった。



 その日の第二クラスは、朝からどこか落ち着かなかった。


 授業が始まれば皆きちんと前を向くものの、休み時間になるたび、何人かがフローレンの席へやってくる。


「十三位ってやばくない?」

「俺、最初見間違いかと思った」

「アストリア、いつの間にそんな上行ったの?」


 尋ねられても、フローレンにうまい答えはなかった。


「いつの間にって言われても……」

「何したら一年でそこまで上がるんだよ」

「うーん、普通に勉強してただけだけど」

「それで十三位になるなら苦労しないって」

「私だって十三位になるとは思ってなかったよ」

「本人が一番分かってないじゃん」


 呆れたような声に、机の周りから笑いが広がった。


 中には、何度も掲示を見直したと言う者もいた。それでも、周囲から聞こえてくるのは記憶力のことだけではなかった。最近一緒に問題を解いていた者たちからは、むしろ考え方や説明の仕方についての言葉の方が多い。


「でも、納得かも」


 昨日も問題を持ってきた男子生徒が言った。


「最近のアストリア、俺より俺の間違え方分かってるし」

「そんな……大げさだよ」

「この前だって、俺が途中で答え早とちりしてたのすぐ分かったじゃん」

「それは紙見てたら分かったから……」

「それを見つけるのがすごいんだって」


 また周りが笑う。


 フローレンもつられて笑いながら、胸の奥に不思議な感覚を覚えていた。


 同じ十三位でも、掲示板で見たときとは少し違って感じられる。


 紙の上ではただ一つの数字だったものが、教室へ戻ると、この一年で過ごしてきた日々の中へゆっくりと馴染んでいく。


 ここで授業を受け、分からなくなり、何度も間違えた。そして今は、同じ机を囲んで誰かと一緒に考えている。


 第二クラスで過ごした時間があったから、今の自分がいる。


 そう思うと、さっきまでどこか現実味のなかった十三位という数字も、少しだけ自分のものになった気がした。


 やがて、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴り、フローレンの机を囲んでいた生徒たちはそれぞれの席へ戻り始める。

 入れ替わるように教室へ入ってきた教師は、抱えていた資料を教卓へ置いた。


 フローレンはまだ、隣の席の友人と何か言葉を交わしながら笑っていた。やがて前へ向き直り、机の上へ次の授業の教本を広げる。



 教師は教卓から、その姿を見ていた。


 今朝、中央棟に掲示された順位は、教師たちもすでに確認している。


 十三位。


 けれど、教師が見ていたのはその数字だけではなかった。


 春から目にしてきた答案の変化。授業での答え方。実習での判断。そして最近では、放課後になると彼女の机を囲む生徒たちの姿も目にするようになった。


 覚えていることも、この一年で増えた。

 けれど、それ以上に変わったのは、持っている知識の使い方だった。


 今回の学年末試験もそうだった。知っていることをただ並べるのではなく、問いに必要なものを選び、条件を繋ぎ、一度立てた答えにも自分で疑問を差し挟んでいる。


 一年前とは、答案の組み立て方そのものが違う。


 教師は教卓へ置いた資料に目を落とした。


 その一番上には、今日の放課後に行われる三年生担当教員の学年会議について記されている。


 来年度のクラス編成。


 三年生にもなれば、各クラスの顔触れはほぼ固まっている。例年、改めて検討が必要になるのは、それぞれのクラスの境目にいる数人ほどだった。


 今年も、そのはずだった。


 教師の指が、紙の端を一度だけ整える。


 十三位。


 第二クラス。


 その二つを並べると、どうしても例年と同じところには収まらない。


 教室には、いつもの授業開始を待つ空気が戻っていた。


 けれど、その日の放課後。


 教師たちの机の上では、一人の生徒の名前を巡って、例年にはない話が始まろうとしていた。


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― 新着の感想 ―
フローレンすごい! 何気に覚醒した感がありますね! 昔、数学が好きでややこしい応用問題が解けて気持ち良かったようなことを、今さらながら思い出しつつ読み進めております。 この先どうなっていくのか。 …
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