6-2 返された答案
共通試験の答案が返され始めたのは、それから数日後のことだった。
授業の終わりを告げる鐘が鳴る少し前、教師が教卓の上で紙の束を揃える。名前を呼ばれるたびに一枚ずつ答案が手元へ戻り、教室には小さな歓声や溜息がぽつぽつと零れ始めていた。
「フローレン・アストリア」
「はい」
呼ばれて立ち上がり、受け取った答案へ目を落とす。
右上に並んだ九十二の数字に、視線が止まった。
「えっ」
席へ戻るなり、隣のエリナが答案を覗き込み、目を丸くした。
「フローレン、九十二点?」
「うん」
「すごいじゃない。今回、応用多かったのに」
その言葉に、フローレンも改めて答案へ目を落とした。
知識をそのまま答える設問には、赤が入っていない。それは以前から大きく変わらなかった。
違っているのは、その先だった。
複数の資料を読み取る問題。
出来事の前後を繋いで理由を説明する問題。
授業では扱っていない形から、知っていることを使って考える問題。
以前なら大きく点を落としていた場所に、いくつも丸が並んでいる。
「……ほんとだ」
「いま気づいたの?」
「点数は見たけど……」
答えながら頁をめくっていた指が、途中で止まった。
王都東部の魔術工房について問われた、あの論述だった。
答案の横には赤い文字で短い指摘が添えられている。術式規制と組合再編について書いた部分には丸がついていたが、得点は満点ではない。
フローレンは問題文を読み返した。
目の前にあるのは数日前に書いた答案なのに、そのとき何を考えていたのかまで鮮やかに思い出せた。
最初に術式規制へ目を留めたこと。
組合の再編をそこへ繋げたこと。
交易路と触媒の資料にも気づいて、一度だけ手を止めたこと。
そして、規制の方が工房へ直接関係しているはずだと考えた。
「……あ」
「どうしたの?」
答案を覗き込んだエリナの前で、フローレンは赤字のついた箇所を指先で辿った。
「ここまでは合ってる。でも、この次で先に答えを決めちゃったんだ」
「先に?」
「術式規制が一番大きな理由だと思ってから、それに合う資料を選んでる」
改めて見れば、試験中に感じた引っかかりの形が分かる。
交易路が変わり、触媒の流通量が落ち、そのあとを追うように工房の数も減っている。術式規制と組合再編も無関係ではない。
けれど最初から一つを主な理由だと決めなければ、ほかの資料との繋がりも同じように確かめるべきだった。
必要のないものを外すことばかり考えて、必要かもしれないものまで早く手放してしまったのだ。
「資料を選ぶ前に、もう少し全部の関係を見た方がよかったんだと思う」
フローレンは赤い指摘を目で追いながら、試験の日に止まった場所から続きを辿っていく。
「使わないって決めるのが早かったのかも。次は、先に答えを決めないようにしないと」
「……ねえ」
「ん?」
顔を上げると、エリナがなんとも言えない顔でこちらを見ていた。
「九十二点取った人って、もうちょっと喜ぶものじゃない?」
「……嬉しいよ?」
「全然そう見えないんだけど」
「ここ、間違ってたから。ちょっとだけ悔しい」
そう言ってもう一度答案へ目を戻すと、隣から小さな笑い声がした。
「前は応用問題を見るだけで、あんなに難しい顔してたのにね」
聞き覚えのある言葉に、フローレンの指が止まった。
最初のころは、応用問題を前にするたび眉間へ力が入っていたらしい。自分では気づいていなかったその癖を、何度も指摘されたことを思い出す。
今も間違えている。
満点でもない。
けれど赤の入った答案を眺めていても、あのころのように途方に暮れることはなかった。
「……うん」
赤い書き込みを目で辿っているうちに、フローレンの口元に小さな笑みが浮かんだ。
以前なら目を背けたくなったはずの書き込みが、今は次へ進むための手がかりに見える。
「今は、どこで間違えたのか考える方が面白いかも」
「やっぱり変わったわね」
呆れたような声とは裏腹に、エリナの口元も楽しそうに緩んでいた。
ほどなくして終業の鐘が鳴る。
椅子を引く音と話し声が一斉に戻り、静かだった教室がたちまち放課後の空気へ塗り替えられていった。
返された答案は、魔法史だけではなかった。
その日から数日にわたって、薬草学や基礎術式学の試験も次々と戻ってきた。どの科目にも間違いはあったが、以前のように応用問題が大きく崩れてはいない。
問いに合わせて必要な知識を選べたもの。
複数の条件を繋げられたもの。
途中で考え違いをして、点を落としたもの。
赤い印のつき方まで、以前とは少し違って見えた。
薬草学の答案が返された日の授業後、フローレンが教科書を鞄へしまっていると、教卓の方から名前を呼ばれた。
「アストリア」
「はい」
振り返ると、白髪の教師が顔を上げていた。
「少しいいか」
教室を出ていく生徒たちの間を抜け、フローレンは返された答案を手に教卓の前まで歩いていった。
「今回の試験だが、ずいぶん答え方が変わったな」
「答え方、ですか?」
「ああ。前は知っていることを、まず全部書こうとしていただろう」
言われて、思い当たる。
一つ問われれば、関係することを端から並べていた。教科書の本文も欄外も、授業で聞いた補足も、覚えているものはすべて答えの候補だった。
「今回は、問われていることに必要なものを選べている。書く量は減ったが、以前よりずっと答えが分かりやすい」
教師はフローレンの持つ答案へ目を落とした。
そこには、ルミナ草の保存方法について理由を説明する設問があった。以前なら周辺の性質まで書き込んでいたはずの欄に、今回は必要な条件だけが残っている。
「魔法史でも似たような変化があったと聞いた。勉強の仕方を変えたのか?」
「勉強の仕方……」
フローレンは少し考えた。
覚える量が増えたわけではない。
教科書を読む回数が増えたわけでもない。
むしろ以前より、参考書を開かずに考えている時間の方が長くなった。
「前は、分からない問題があると、まだ知らないことがあるんだと思ってたんです」
自分の言葉を確かめるように、ゆっくり続ける。
「だから、もっと新しいことを覚えれば分かると思って、参考書を探してました。でも今は、その前に何を聞かれているのかとか、今分かっていることから何が言えるのかを考えるようにしていて……」
話しながら、小さな自習室の机が頭に浮かんだ。
最初に一本の線を引いてくれた人。
そもそも足りないのは知識ではないのかもしれないと、立ち止まって見つけてくれた人。
「ルシアン・ノクティスさんに、考え方を教えてもらったんです」
「ノクティス? 特進のか?」
「はい。最初に声をかけてくれたのが同じ特進のレオ・ルベライトさんです。それで、ノクティスさんに相談してくれて」
二人の名を聞いて、教師の眉がわずかに動いた。
「なるほど」
教師はそれ以上問いを足さず、確かめるようにもう一度答案へ目を落とした。
「覚えている量そのものは、もともと十分すぎるほどだったからな」
思いがけない言葉に、フローレンは瞬きをする。
教師の視線が、以前なら余分な説明で埋まっていたはずの余白へ落ちる。
「それをどう使うかが変わったんだろう。今の答案の方が、何を考えてそこへ辿り着いたのかよく分かる」
窓の外から風が入り、教卓の端に積まれた紙をわずかに揺らした。教師は片手でそれを押さえ、フローレンへ改めて向き直る。
「その考え方は、悪くない。続けてみるといい」
「……はい」
答案用紙には、間違えた場所も残っている。
けれど、その赤い印まで含めて、不思議と嫌には見えなかった。
教室を出るころには、廊下へ伸びる光が少し傾いていた。
腕の中には何枚かの答案が重なっている。
正しかったところも、間違えたところも、そのとき自分がどう考えていたのかまで、今ははっきりと思い出せた。
今日の放課後も、いつもの小さな自習室へ行く。
腕の中の答案を抱え直す。さっき教師に言われたことも、答案で見つけた間違いも、二人に話したいことがたくさんあった。
【 お知らせ 】
次々話あたりから、更新時間と更新頻度を少し変更する予定です。
詳しくは次回の後書きで改めてお知らせいたします。




