114:託したあと
翌朝は、昨日よりも冷えていた。
宿舎を出た瞬間、フローレンは思わず肩をすくめる。空はよく晴れていたが、夜のあいだに冷え込んだらしく、軒下に残った雪の表面には薄い氷が張っていた。
広間へ入ると、すでに何人もの職員が動き始めていた。
昨夜まで壁際に置かれていた薬品の箱は保管室へ移され、地図の前には道路確認の報告を書き込むための紙が広げられている。フローレンたちが席へ着いてからも、通信盤の担当者や荷を扱う職員が忙しなく出入りしていた。
「思ったより冷えたね」
レオが窓の外を見ながら言う。
「うん。昨日より寒い気がする」
フローレンも指先を擦り合わせた。
ルシアンは壁の地図へ目を向けていた。昨夜のうちに整理された旧道には、凍結していた坂や雪の残りやすい場所が小さく書き込まれている。
「道路の確認に出る方々は、もう出発されていますか?」
近くを通った職員にルシアンが尋ねる。
「はい。日の出後すぐに、南北の両側から入りました。昨日凍結していた箇所を中心に、もう一度確認してもらっています」
「戻られるのは、昨日伺ったとおり朝のうちでしょうか」
「問題がなければ、その予定です。北側の者は診療所へ戻り次第、通信盤から報告を入れることになっています」
「分かりました。ありがとうございます」
職員が離れていくと、レオが椅子へ腰を下ろした。
「じゃあ、今は待つしかないか」
「そうだね」
フローレンも席へ座り、昨日まで使っていた資料へ目を落とす。
先に送る薬品も、人と馬も、使う予定の道もすでに整理されている。昨日までなら待つ間にも確かめる紙がいくつもあったけれど、朝の道がどうなっているのかだけは、ここにいても知ることができなかった。
最初の報告が戻ったのは、それからしばらくしてのことだった。
冷えた外気とともに広間へ入ってきた職員が、地図の前にいた担当者へ紙を渡す。短いやり取りのあと、フローレンたちにも声が掛かった。
「南側は、昨日確認した接続地点まで通れます」
昨日も道路確認に出ていた男性が、地図の一点を示した。
「夜の冷え込みで凍った場所は増えていますが、昨日確認した経路を取れば避けられます。荷馬を急がせずに進めば、通行できる状態です」
地図には、南側から接続地点までの区間に沿って新しい印が加えられていく。
その途中で、通信盤を担当していた職員も広間へ戻ってきた。
「北側の確認に出ていた者も、診療所へ戻りました。先ほど通信盤で報告が届いています」
手にした紙を担当者へ渡す。
「診療所側から、昨日南側と繋がった地点まで馬で通行可能とのことです。昨日滑りやすかった場所は一部凍結していますが、こちらも避けて通れる範囲だそうです」
南北からの報告が、地図の上で並べられる。
昨日すでに一度繋がっていた道に、今朝確認された状態が重なっていく。担当の職員は二枚の報告を順に読み、凍結箇所と昨日の経路を確かめてから顔を上げた。
「分かりました。今日も、旧道は荷馬で通行可能と判断します」
広間の空気が、一気に動き出した。
「昨日の予定どおり、薬品を出します。南側の人員と馬へ連絡を。診療所にも、出発予定を送ってください」
職員たちがそれぞれの持ち場へ散っていく。保管室へ向かう者、外の荷車を確認する者、通信盤の方へ急ぐ者と、昨夜まで紙の上にあった予定が次々と実際の動きへ変わっていった。
フローレンたちも声を掛けられ、保管室の方へ向かう。
昨夜まとめた三箱の薬品には、すでに防水の覆いが掛けられていた。診療所名と箱番号を書いた札もそのまま残り、紐の緩みがないか担当者が最後の確認をしている。
「こちら、昨日の一覧と合わせて確認をお願いします」
「はい」
渡された紙に目を通し、箱の札を順に見比べる。
薬品名、数量、箱番号。昨日まとめた内容と同じものが、三つの箱へ間違いなく割り振られていた。
「三箱とも合っています」
「ありがとうございます。では、このまま運び出します」
「お願いします」
フローレンが一歩下がると、職員たちが箱を一つずつ持ち上げた。昨日まで自分の手元にあった数字が、今は覆いを掛けられた荷物になって保管室の外へ運ばれていく。
外へ出ると、屋根のある場所には小型の荷車が待っていた。
薬品はまず中継地点まで運ばれ、そこから旧道の入口まではこの小型の荷車を使う。旧道へ入るところで荷馬へ載せ替えることになっていた。昨日の雪解けで濡れた地面の上では、御者が車輪や手綱を確かめ、同行する職員も荷台の位置を見て回っていた。
少し離れたところで、レオも担当の職員から最後の説明を受けている。
「南側の二人と荷馬は、もう旧道の入口で待っています。北側も、こちらの出発時刻に合わせて診療所側から動く予定です」
「引き継ぐ場所は、昨日話していた作業小屋の辺りでしょうか?」
「第一候補はそこです。ただ、実際の道を見ながら南側の者がもう少し先まで進めるようなら、北側と相談して場所を変えます」
「分かりました。北側の方も、旧道には慣れているんですよね?」
「ええ。普段から診療所側の区間を使っている者です」
「ありがとうございます」
レオは頭を下げ、それ以上細かな場所を決めようとはしなかった。どこで受け渡すかは、今日の道を実際に歩く人たちが決めることになっている。
「レオ」
ルシアンに呼ばれ、レオが振り返った。
「診療所には、こちらの出発予定も伝わっているか?」
「うん。さっき通信盤で連絡してもらったよ。こっちが旧道の入口に着く頃に合わせて、向こうも動くって」
「分かった」
ルシアンは頷き、今度は担当の職員へ向き直った。
「出発前に、ほかに僕たちで確認しておくことはありますか?」
「いいえ。昨日まとめていただいた内容で十分です」
職員は荷車へ積まれていく箱を見ながら答えた。
「ここから先は、こちらで引き受けます」
「分かりました。よろしくお願いします」
ルシアンが頭を下げると、フローレンとレオもそれに続いた。
昨日から何度も資料を開き、人に尋ね、条件を並べてきた。けれど、実際に荷を動かすところから先は、自分たちの仕事ではない。
三人は少し離れた場所へ下がり、出発の準備を見守った。
三箱すべてが荷車へ載ると、職員が最後に札と覆いを確認した。
御者が手綱を取り、中継地点まで同行する者も荷車へ乗り込む。その先の旧道の入口では、薬品を受け取る荷馬と人員がすでに待機しているという。
「では、出します」
担当者の声に、周囲にいた者たちが道を空けた。
御者が手綱を軽く動かすと、馬がゆっくりと歩き出す。車輪が濡れた地面を踏み、三箱の薬品を載せた荷車が門の方へ進んでいった。
フローレンは、その後ろ姿を目で追う。
三年生の頃、合同実習で冬の物資輸送を考えたことがあった。
あの時も、薬品や食料、暖房用の魔石をどう運ぶのかを考えた。資料を読み、条件を比べ、地図の上で道を選んだ。
けれど今、目の前を進んでいる荷車には、本物の薬品が積まれている。その先には、それが届くのを待っている人たちがいる。
門を抜けた荷車は、道を曲がると少しずつ建物の陰へ隠れていった。
「……行ったね」
隣でレオが呟く。
「うん」
フローレンは、もう見えなくなった道の先へ視線を残したまま頷いた。
これから中継地点を経て旧道の入口へ運ばれ、そこで馬へ積み替えられて山の中へ入っていく。途中で別の人の手へ渡りながら、診療所まで運ばれることになる。
そこから先の様子は、もうここから見ることはできない。
「無事に届いてほしいな」
思わず口にすると、レオも門の向こうを見たまま頷いた。
「うん」
ルシアンも二人の隣で、しばらく同じ方を見ていた。
「ああ」
荷車を見送った職員たちが、それぞれの仕事へ戻り始める。フローレンも冷えた指先を袖の中へ入れながら、広間へ続く入口の方へ向き直った。
「私たちも戻ろうか」
「そうだね」
レオが先に歩き出しかけ、ふと思い出したように振り返る。
「到着予定の時刻、もう一回見とこうかな」
「昨日から何度も見てるだろう」
ルシアンが言うと、レオは楽しそうに笑った。
「見たけど、今日見るのはまた違うじゃん」
「……まあ、それは分からなくもないな」
ルシアンの声にもわずかに笑いが混じる。
二人のやり取りを聞きながら、フローレンもその横へ並んだ。三人はまだ朝の冷たさが残る外廊下を抜け、そのまま広間へ戻っていった。




