112:「お願いしてもいいか?」
午後も遅くなる頃には、広間の机の上も朝とはずいぶん違う姿になっていた。
先に送る薬品の種類と量は決まり、複数の荷馬へ無理なく分けられることも分かっている。南側で動ける人と馬、途中で使える作業小屋、北側から迎えを出せる可能性についても、職員たちが並行して確認を進めていた。
フローレンは、確認済みの内容を一枚の紙へまとめ直した。
食料や暖房用の魔石まで含んでいた朝の一覧とは、もうまるで違う。今そこに並んでいるのは、診療所が先に必要だと判断した薬品と、それを運ぶために必要な条件だけだった。
「これで、こっちは大丈夫そう」
最後の数字を書き込んで紙を置くと、向かいにいたレオも自分の聞き取りを見直した。
「南側も、今できるところまでは確認できたと思う。あとは今日の道が最後まで繋がってるかだね」
「うん」
フローレンも壁の地図へ目を向けた。
南側からは、今朝実際に馬で通った区間がある。診療所側からも、普段なら馬で入れる範囲は分かっていた。
その間に残された細い区間だけが、まだ今日の状態を確かめられていない。
少し離れたところでは、ルシアンが職員と地図を見ていた。
「旧道が通れると確認された場合、中継地点から入口までは小型の荷車、その先を荷馬へ切り替える形になるのでしょうか」
「今のところは、それが一番動かしやすいでしょう」
職員は地図の南側へ指を置く。
「ただし、実際にどこで荷を引き継ぐか、人と馬をどう組むかは現地の状態を見て決めます。作業小屋も候補にはできますが、必ずそこで受け渡すとは限りません」
「分かりました」
ルシアンはそれ以上先を決めようとはせず、地図の脇に置いた紙へ視線を戻した。
使えるかもしれないものと、今日使えることが確認されたもの。その二つは、最後まで分けたまま整理されている。
広間の中では職員たちが別の仕事へ戻り、主要街道の復旧状況や翌日以降の通常便について話し始めていた。フローレンたちも手元の紙を整えながら待っていたが、今追っている旧道だけは、それ以上机の上で進めることができない。
「……待つしかないね」
フローレンが小さく言うと、レオが窓の外へ目を向けた。
「そうだね。もう戻ってきてもおかしくない頃だとは思うけど」
朝には庭を覆っていた雪も、ずいぶん薄くなっている。濡れた石畳の上には長い影が伸び、軒先から落ちる雫の音も昼頃より間遠くなっていた。
「急いで戻る必要はない」
ルシアンも地図から顔を上げた。
「道をきちんと確認してもらう方が大事だ」
「うん。分かってる」
レオはそう答えながらも、もう一度だけ窓の外を見た。
待つ時間は、朝から動き続けていたぶんだけ長く感じられた。けれど、何を待っているのかさえ分からなかった午前中とは違う。
必要な薬品も、それを運べる量へ分けられることも、南側で使える人と馬がいることも分かっている。今足りないのは、地図に残された最後の区間が今日、本当に繋がっているという確認だけだった。
日がさらに傾き始めた頃、広間の外から複数の足音が聞こえた。
泥を含んだ重い足取りが近づいてくる。レオが最初に顔を上げ、続いてルシアンも扉を見る。フローレンの手も、揃えかけていた紙の上で止まった。
扉が開くと、冷たい空気が広間へ流れ込んだ。
外套の裾を濡らした二人の職員が中へ入り、そのうち一人が折り畳んだ地図を手にしている。地図の前にいた職員が、すぐに二人の方へ歩み寄った。
「どうでしたか」
「北側から旧道へ入り、昨日南側から確認されていた作業小屋の手前まで抜けることができました」
戻ってきた職員は外套の雪を払い、持っていた地図を机の上へ広げた。
「診療所側から作業小屋より少し北までは、馬で問題なく通れます。そこで、今朝南側から確認されていた区間と繋がりました」
指先が、これまで空白だった区間をゆっくりと辿っていく。
「ただ、この坂は日陰になっていて一部凍っています。その先にも雪の残っている場所があるので、馬を急がせるのは避けた方がいいでしょう」
レオが地図を覗き込んだ。
「荷を載せた馬でも通れそうでしょうか?」
「大きな荷を載せて進む道ではありません。ただ、荷を小分けにして、道を知っている者が馬を扱うなら通れる状態です」
職員はそう答えてから、フローレンたちのまとめた荷量へ目を落とした。
「実際にどの馬へどの程度載せるかは、荷馬を扱う者に見てもらった方がいいでしょう。この道なら、重さだけでなく馬の慣れもありますから」
「分かりました。ありがとうございます」
レオは頷き、地図の上で南と北を繋いだ線をもう一度目で追った。
朝から残っていた空白が、初めて途切れずに繋がっている。
「明日の朝、もう一度道の状態を確認する必要はありますか」
ルシアンが尋ねる。
「必要です。今夜の冷え方次第では、凍結する場所が増えるかもしれません。ただ、今の状態なら、明朝もう一度確認して問題がなければ荷馬を通せると思います」
「分かりました」
その返事を聞いた職員たちは、すぐに地図を囲んだ。
誰を出せるのか。朝一番でどの区間を確認するのか。薬品を何頭へ分けるのか。
現地の報告を加えながら、大人たちが一つずつ実行の条件へ置き換えていく。話し合いの中では、レオが集めた聞き取りも、フローレンがまとめた荷量も、必要な情報として自然に使われていた。
やがて、担当の職員が地図から顔を上げた。
「では、薬品を先に送る方向で準備を進めます。今夜のうちに荷をまとめ、人と馬を仮に押さえましょう」
続けて、地図の凍結箇所へ指を置く。
「明朝、旧道の状態をもう一度確認します。問題がなければ出発です」
フローレンは思わず背筋を伸ばした。
「はい」
返事をすると、胸の奥に小さく熱が広がる。
最初に思いついた時には、ただ三つの数字を見比べただけだった。
全部を同じ日に届けなくてもいいのではないか。
そこから薬品だけを分け、必要な種類と量を診療所に判断してもらった。レオが道を使う人たちから話を集め、最後は実際に現地を歩いた人たちが、その道を今日使えるものなのか確かめてくれた。
ばらばらだったものが、ようやく一つの案として動き始める。
「フローレン」
ルシアンに呼ばれ、顔を上げた。
「先に送る薬品の一覧を、まとめてもらってもいいか?」
「うん。診療所から来た分を、箱ごとに分ければいい?」
「ああ。実際の積み方は担当の方にお願いするとして、必要なものが揃っているか確認できる形にしておきたい」
「分かった」
フローレンが頷くと、ルシアンは今度はレオへ向いた。
「レオ、人と馬の方をお願いしてもいいか?」
机の上には、レオが一日かけて集めた聞き取りの紙が広がっている。南側で動ける人、荷馬を扱える人、作業小屋の場所、北側から迎えを出す場合に確認が必要なこと。
レオがわずかに目を瞬く。
「もちろん、実際の手配を決めるのは職員の方たちだ。そのために必要な情報を整理するところまで、……頼みたい」
ほんの一瞬だけ間があった。
それからレオは、小さく頷いた。
「うん。分かった」
ルシアンも頷き返し、それ以上レオの紙へ手を伸ばさなかった。
フローレンは二人の間に置かれた地図を見る。
一本の細い旧道が、南から北まで途切れずに続いている。昨日から変わらずそこにあった道なのに、朝とはまるで違って見えた。
運ぶものを分けたことで使える可能性が生まれ、人から聞いた話を重ねたことで道の輪郭が見えた。そして最後に現地を歩いた人たちが、地図の線を今日通れる道へ変えた。
まだ薬品は一箱も動いていない。それでも朝には止まっていたはずのものが、ようやく少しだけ先へ進み始めたように思えた。
窓の外では、山の向こうへ日が沈みかけている。
出発できるかどうかが決まるのは、明日の朝。
それまでに三人にも、まだやることが残っていた。




