111:確認し直せないもの
診療所へ先に送る薬品の量がまとまると、広間の中で確かめるべきものも少しずつ変わっていった。
フローレンは倉庫の担当者と一緒に、指定された薬品の箱数や大きさ、重さを順に拾っていく。記録にないものはその場で補わず、実物を扱っている者へ確認を回してもらった。
通常便すべてを動かす時とは違い、必要なのは診療所が先に指定した薬品だけだ。いくつかの箱へ分けても、大型の荷車を使うほどの量にはならず、複数の荷馬へ分ければ十分に運べる範囲へ収まりそうだった。
その数字が少しずつ揃い始めた頃、レオの方にも職員が何人かを連れてきた。
「この方が、今朝旧道を通っています」
紹介された男性は、山仕事に使うらしい厚手の上着を着ていた。靴には乾きかけた泥が残り、袖口にも細かな木屑がついている。
「南側から入られたんですよね?」
レオが尋ねると、男性は頷いた。
「ああ。作業小屋の手前までは馬で行った。雪は残ってたが、深くはない」
「荷を載せていても通れそうですか?」
「重すぎなきゃな。ただ、荷車はやめた方がいい。途中で道幅が狭くなるし、雪の下がぬかるんでるところもある」
レオは地図へ顔を寄せ、旧道の線を指で辿った。
「道幅が狭くなるのは、この辺りでしょうか?」
「もう少し先だ」
男性の指が、地図に描かれた細い線を山側へ進む。
「ここ。夏なら荷車で入る奴もいるが、今は馬の方がいい」
「そこから先は、どうでしたか?」
「今日は行ってないな。先の状態なら、北側で山に入ってる連中の方が知ってるかもしれん」
「ありがとうございます」
レオは聞いた内容を書き留めると、通った時刻も続けて尋ねた。
雪の深さだけではなく、いつ見た状態なのかも必要になる。朝には通れた場所でも、気温や日の当たり方が変われば、午後まで同じとは限らないからだ。
話が終わると、今度は普段から荷馬を扱っているという別の男性が地図の前へ呼ばれた。
こちらは今日その旧道を通ったわけではない。けれど、日頃から山側の集落へ小さな荷を運んでおり、馬にどの程度の荷を分けられるのか、道沿いのどこで休ませられるのかをよく知っているという。
「このくらいの箱なら、馬に分けて載せられますか?」
レオが薬品の荷量を書いた紙を見せる。
「数頭使えるなら問題ない。片側に重さが寄らないように分ければいい」
「途中で載せ替えたり、馬を替えたりすることもできますか?」
「人手と場所があればな」
男性は地図を覗き込み、旧道沿いに記された小さな印を指した。
「ここに作業小屋がある。冬でも山仕事の連中が使うから、荷を下ろしたり馬を休ませたりする場所くらいはあるぞ」
「南側から、この作業小屋までは行けそうでしょうか?」
「普段ならな。今日の道がどうなってるかまでは、俺には分からん」
「分かりました。ありがとうございます」
レオは頷き、その答えも他の情報とは分けて書き込んだ。
今日実際に見たことと、普段ならできること。地図の上では同じ一本の道でも、二つを混ぜてしまえば、どこまでが確かなのか分からなくなる。
南側については、少しずつ輪郭が見えてきていた。
馬なら今朝どこまで入れたのか。荷を載せる場合、どこで速度を落とす必要があるのか。途中で荷を扱ったり、馬を休ませたりできる場所はどこなのか。
けれど、その先から診療所側へ抜ける区間だけは、まだ今日の状態が分かっていない。
「ここから先を、反対側から確認している方がいるんですよね」
レオが地図の上で指を止めると、そばにいた職員が頷いた。
「ええ。戻り次第、報告が入ることになっています。この区間まで通れると確認できれば、旧道を使える可能性はかなり上がります」
職員はそこで一度言葉を切り、まだ空白になっている区間を指した。
「ただし、実際に荷を通すかどうかは、その報告を確認してからです」
「はい。そこは報告を待ちます」
レオも迷わず頷いた。
それからも、話を聞ける者が来るたびに質問を重ねていった。
今日の雪で馬が嫌がりやすい場所はあるか。風が強く吹き抜ける場所はどこか。日陰に残った雪が凍りやすい区間はあるか。
返ってくる答えは、必ずしも同じではなかった。
「その辺りなら昼は平気だと思う」と言う者もいれば、「夕方になると急に滑る」と話す者もいる。同じ場所でも、通った時刻や馬の慣れ方によって見え方が変わるらしい。
レオはどちらか一方を正しいと決めつけることなく、誰が、いつ、どこまで見たのかを一つずつ尋ね直していった。
「では、朝に通った時は雪が浅かったんですね。でも、夕方は凍りやすい?」
「そうだな。日が落ちると早い」
「この坂はどうでしょう?」
「馬なら行ける。ただ、荷を積んでるなら急がせない方がいい」
「分かりました。ありがとうございます」
紙の余白が、少しずつ文字で埋まっていく。
フローレンは自分の作業を続けながら、時折その様子を眺めていた。
同じ旧道について尋ねているのに、返ってくる答えは人によって少しずつ違う。それでもレオは困った様子を見せず、その違いがどこから生まれたものなのかを確かめながら次の質問を選んでいた。
資料に並んだ数字を辿るのとは、まるで違うやり方だった。
「フローレン」
名前を呼ばれ、顔を上げると、ルシアンが地図の前からこちらを見ていた。
「先に送る分の合計、出せそうか?」
「うん。確認をお願いしてた箱も返事が来たから、もう出せるよ」
「なら、終わったら重さと箱数を教えてくれ。こっちの条件と合わせたい」
「分かった」
フローレンは残っていた数字を確認し、診療所から届いた一覧と照らし合わせていく。
少し離れた地図の前では、ルシアンが朝から使っている輸送予定表に加えて、道路の報告や馬の手配について職員から聞いた内容を並べ始めていた。
先に送る荷がどのくらいになるのか。
旧道のどこまでが今日実際に通れたのか。
必要な人と馬をどこから出せるのか。
途中で荷を受け渡せる場所があるのか。
ばらばらに集まってきた条件を、今度は一つの流れとして繋がなければならない。
「中継地点から旧道の入口までは、小型の荷車で運べると伺っています。こちらは問題ないのでしょうか」
ルシアンが職員へ尋ねる。
「ええ。そこまでは問題ありません」
「そこから荷馬へ分けるとして、南側から今日通れたのはこの辺りまでですね」
地図の上で、今朝の報告が入っている位置を示す。
「作業小屋を使用できる場合、ここで一度荷を扱うことは可能でしょうか」
「場所としては可能です。ただ、実際に使うなら管理している者へ確認が必要です」
「分かりました」
ルシアンはその箇所に小さく印を付けた。
「北側からも馬を出せる場合、途中で荷を引き継ぐ方法も考えられるでしょうか」
「道が繋がっていると確認できれば、選択肢にはなります」
職員の返事に、ルシアンは静かに頷いた。
まだ使えると決まっていないものを、使える前提にはしない。けれど、現地から報告が戻った時にすぐ比較できるよう、必要になる条件だけは先に並べておく。
その慎重な進め方は、フローレンにもよく知っているルシアンのものだった。
「できたよ」
薬品の一覧をまとめ終え、フローレンは合計を書き込んだ紙を持って地図の方へ向かった。
「診療所から指定された分だけで、この箱数。重さはここにまとめてある」
「ありがとう」
ルシアンは必要な箇所へ目を通し、職員から聞いていた荷馬一頭あたりの目安と照らし合わせる。
「これなら、今出ている馬の数でも収まりそうだな」
「うん。余裕を持って分けても大丈夫そう」
それ以上、ルシアンがフローレンの計算を最初から辿り直すことはなかった。必要な数字を受け取ると、すぐに地図の方へ戻していく。
少しして、レオも何枚かの紙を持って戻ってきた。
「聞ける人には、だいたい聞けたよ」
机の上へ広げた紙には、地図だけでは分からなかったことがいくつも書き込まれていた。
「南側は、今朝実際に馬で通った人が二人。作業小屋の手前までは、どっちも問題なかったって」
レオは地図の一点を指す。
「ただ、荷を載せるならこの坂はゆっくり行った方がいいみたい。ここは夕方になると凍りやすいから、使うなら明るいうちの方がいいって」
「北側は?」
ルシアンが尋ねると、レオは別の紙を上へ重ねた。
「今日通った人はまだ戻ってない。ただ、普段使ってる人の話だと、診療所側からこの辺りまでは馬で入れる」
「普段は、だろう?」
「うん。今日の状態じゃない。だから、そこは現地の報告待ち」
レオはすぐに答え、紙の端に書いた時刻と聞き取り相手の名前を指した。
「今朝実際に見た話と、普段の道の話は分けてあるよ」
ルシアンはしばらくそこを見てから、次の紙へ目を移した。
「この作業小屋については?」
「冬でも使ってる。馬を休ませたり、荷を下ろしたりできる場所はあるって」
「それは誰から?」
「普段あの辺りで荷を運んでる人。今日はそこまで行ってないけど、冬にも使うことはあるって」
「なら――」
ルシアンは何か言いかけて、口を閉じた。
フローレンは二人の間に置かれた紙を見る。
レオが集めてきたのは、数字だけではなかった。
誰かが今朝見た雪の深さ。別の人が普段使っている道。夕方になると滑りやすい坂。馬を休ませられる場所。
記録として確かめられるものもあれば、人が長くその道を使ってきた経験から出てきた話もある。フローレンの表のように、同じ資料を読み直せば自分でも同じ答えへ辿り着けるものばかりではなかった。
「……私がまとめた方は、資料を見れば同じ数字まで辿れるけど」
フローレンは自分の一覧から、レオの紙へ視線を移した。
「こっちは、そういうものじゃないね」
ルシアンも、机いっぱいに広げられた聞き取りの紙を見る。
誰が、いつ、どこまで通ったのか。今日実際に見たものなのか、それとも普段の経験から分かることなのか。その一つ一つを、レオが相手の言葉を聞きながら確かめてきたものだった。
しばらくして、ルシアンの指先が紙の端から離れる。
「……そうだな」
短く答えてから、もう一度書き込みへ目を落とした。
「僕がここで読み直しても、増える情報はない」
フローレンは小さく頷いた。それ以上、何かを言う必要はなかった。
ルシアンの視線はそのまま、レオが集めてきた紙の上に留まっている。そこには聞き取り相手と時刻、それが今日の情報なのか普段の経験なのかまで、一つずつ書き分けられていた。
しばらくして、レオが口を開く。
「絶対大丈夫とは言えないよ」
いつもの軽い調子よりも、少しだけゆっくりした声だった。
「同じ道でも、人によって言うことが違うところもあったし、今日そこまで行ってない人の話も入ってる。でも、聞ける人には聞いた」
指先で、地図の南側を軽く叩く。
「今ある情報なら、俺はこっちだと思う」
ルシアンはレオを見た。
「旧道を使う方が?」
「うん。もちろん、最後の区間が通れるって確認できたらだけど」
レオはそこまで答えると、地図の細い線へ目を戻した。
「大きい荷車じゃなくていいなら、こっちの方が早く動けると思う」
ルシアンはすぐには答えなかった。
目の前にあるのは、自分ですべて確かめ直せる情報ばかりではない。けれどレオの紙には、誰から聞いたのか、いつの話なのか、今日実際に見たことなのかまで残されている。
窓の外から雫の落ちる音が一度聞こえ、その間にルシアンの指先が紙の端から離れた。
「……分かった」
短く息を吐いて、地図へ向き直る。
「なら、今は旧道を使う場合に必要なものを整理しておこう。最終的に使えるかどうかは、確認に出ている人の報告が戻ってからだ」
「うん」
レオが頷き、フローレンも自分の一覧を地図のそばへ寄せた。
中継地点から旧道の入口までは小型の荷車で運び、そこから荷馬へ分ける。作業小屋を使えるなら、途中で荷を扱う場所にもできるかもしれない。
さらに北側から迎えの馬を出せるなら、同じ人馬が最後まで往復する以外の運び方も考えられる。
まだ、どれも決まったことではない。
道の安全を確かめるのは、現地へ出ている大人たちだ。誰を出すのか、何頭の馬を使うのか、どこで引き継ぐのか、実際に荷を動かすかどうかを決めるのも領の職員たちになる。
それでも、報告が戻った時に比べるべき条件は、もう朝のように散らばってはいなかった。
薬品の量と、それを運べる馬。今日通れた区間と、まだ分からない区間。途中で荷を扱えるかもしれない場所。
一つずつだった情報が、ようやく同じ道の上へ並び始めている。
フローレンは地図に置かれたレオの紙と、自分の薬品一覧を見比べた。
必要なものを分けたことで、それまで使えないと思っていた道を、違う条件でもう一度考えられるようになった。
あとは、その道が今日、本当に繋がっているのか。
広間の扉は、まだ閉じたままだった。外へ出た者たちが戻るまで、その最後の空白だけは埋めようがなかった。




