110:使えるかもしれない道
フローレンたちが地図の前へ向かうと、職員の一人がすぐに顔を上げた。
「何か気づいたことがありましたか?」
「はい。少し、相談したいことがあって」
手にした在庫表へ目を落とし、フローレンは一度だけ息を整えた。
自分の中では繋がったつもりでも、それが本当に使える考えなのかはまだ分からない。紙に並んでいる数字は確かでも、その先には道路の安全や診療所の事情、実際に荷を運ぶ人たちの判断がある。
だから、まずは分かっているところから話すことにした。
「今日出る予定だった便には、食料と暖房用の魔石、それから薬品が一緒に積まれることになっていますよね」
「ええ」
「でも、今ある量から考えると、食料は十一日、暖房用の魔石は九日くらい持つ見込みです。薬品だけが、今の使い方だと三日ほどで足りなくなるものがあると聞きました」
職員が静かに頷いた。
フローレンは紙の上を指で辿りながら、そのまま続けた。
「だったら、全部を同じ日に届けなくてもいいんじゃないかと思ったんです。食料と魔石は、主要街道が戻るまで少し待てるかもしれません」
一度、言葉を切る。
「薬品だけ先に分けて、今すぐ必要な分だけ届けることができたら……荷物が小さくなって、使える運び方も増えるんじゃないでしょうか」
最後まで言ってから、フローレンはそっと息を吐いた。
職員はすぐには答えず、机の上に置かれた輸送予定表へ視線を落とした。それからフローレンの在庫表を受け取り、三つの数字を順に確かめていく。
「できます。緊急時に、一部の物資だけを先に送ること自体はあります」
返ってきた言葉に、フローレンはわずかに目を見開いた。
「ただ、今朝からは道路状況の確認を優先していましたので、今日の便を物資ごとに分けた場合の荷量までは、まだ出していませんでした。通常は地域ごとに必要なものをまとめて送った方が、人も荷車も効率よく使えますから」
職員はそう言ってから、薬品の欄へ指を移す。
「今回のように、物資ごとに待てる時間が違っていて、使える道まで限られているなら、分けて考える意味はあります」
否定されなかったことに、胸の奥が少しだけ軽くなった。
けれど、それだけですぐに運べるわけではない。職員の指先は薬品の欄に置かれたままだった。
「ただし、どの薬をどれだけ先に送る必要があるのかは、こちらでは決められません。診療所の判断が必要です」
「はい。そこを確認していただけたらと思って」
フローレンもすぐに頷いた。
「分かりました。診療所へ問い合わせましょう」
職員は近くにいた担当者を呼ぶと、広間の一角に据えられた通信盤へ向かうよう頼んだ。
魔石を動力にした通信盤は、領内の主要な施設同士で短い文面を送り合うためのものだ。診療所にも設置されているため、道路が塞がれていても連絡を取ることはできる。
ただ、道の状態を確かめに出ている人と直接やり取りできるわけではない。現地の様子は、戻ってきた者から報告を受ける必要があった。
担当者が確認内容を書き留めていく。
現在の使用量だけではなく、残っている薬品の種類。今後数日の診療で優先して必要になるもの。先に補充すべき数量。
その様子を見ながら、フローレンは手元の在庫表を持ち直した。
自分に分かるのは、物資ごとに待てる時間が違うということまでだった。実際にどの薬が必要なのかは診療所が決め、その答えが返ってきて初めて、運ぶ荷の大きさを考えられる。
「返事が来るまで、少し時間がかかります」
職員がそう告げた。
「その間に、こちらでも通常便の荷量を確認しておきます。薬品だけを切り分けた場合、どの程度まで小さくなるのか見てみましょう」
「お願いします」
フローレンが頭を下げると、隣でレオが小さく息を吐いた。
「本当に、別々にしてもいいんですね」
職員が少し笑った。
「必要なら、ですよ。いつも同じ形で運んでいるからといって、必ずその形でなければならないわけではありません」
その言葉に、フローレンはもう一度手元の表を見た。
十一日、九日、三日。さっきまでただ並んでいただけの数字が、今はそれぞれ違う期限を持っているように見える。
待てるものと、待てないものを分ける。
それだけで、さっきまで一つだった荷が少しずつ別の形を取り始めていた。
診療所から返事が届いたのは、それからしばらくしてのことだった。
通信盤を担当していた職員が一枚の紙を手に広間へ戻ってくる。その姿に気づき、フローレンたちも作業の手を止めて机の周りへ集まった。
「診療所で確認が取れました」
紙には、いくつかの薬品名と数量が並んでいた。
「現在減りが早いもののうち、三日以内に補充が必要と判断されたのはこちらです。それ以外は、数日遅れてもすぐに診療へ支障が出る見込みはないとのことでした」
フローレンは並んだ数字を目で追った。
今日の便に積む予定だった薬品のすべてではない。診療所が先に必要だと判断したのは、その中の一部だけだった。
「この量なら……」
職員は通常便の一覧と照らし合わせた。
薬品の箱数と大きさを一つずつ確認し、別の紙へ簡単な計算を書き込んだ。
「かなり減りますね。少なくとも、大型の荷車を一台使わなければならない量ではありません」
その言葉に、レオが身を乗り出した。
「荷馬だけでも運べる量ですか?」
職員はもう一度、荷量を確かめた。
「荷の大きさと重量だけなら問題ありません。荷馬一頭にすべて載せる必要もありませんし、数頭に分けることもできます」
「じゃあ……」
レオの目が、すぐに壁の地図へ向いた。
旧道は、大型の荷車が通れない。
けれど昨日聞いた話では、馬なら途中まで通れた者がいる。今朝も南側から入った人が、同じような報告をしていた。
「荷車が通れなくても、馬なら使える場所がある」
「可能性はあります」
職員は頷いたものの、すぐに表情を引き締める。
「ただし、通れると確認された場所だけです。荷が軽くなったことと、道が安全になったことは別ですから」
「うん。それは分かってます」
レオも素直に頷いた。
そのまま地図の前まで行き、旧道の細い線を指で辿った。途中には小さな集落や作業場の印がいくつかあり、その先で道はさらに山側へ入り込んでいた。
「この道、普段まったく使われてないわけじゃないですよね?」
「生活道として使う者はいます。山仕事の者や、近くの住民が通ることもあります」
「だったら、実際に使ってる人なら、馬でどこまで行けるか知ってるかもしれない」
レオの声が、わずかに弾んだ。
昨日も同じだった。地図に描かれた線そのものより、その道を使っている人の話を聞いた時の方が、彼はずっと多くのことを拾い上げていた。
「昨日、聞き取りした人たちの中に、この辺りから来た人はいませんでしたか?」
職員は少し考え、別の資料を手に取る。
「山仕事の者なら何人かいます。道路確認に協力している者もいますし、荷馬を扱う者もいるはずです」
「話を聞かせてもらうことはできますか?」
「こちらで確認します。仕事を止めさせない範囲になりますが」
「お願いします」
レオが笑って頷いた。
その横顔を見ながら、フローレンは昨日のことを思い出した。
道を知るなら、その道を使う人に聞く。資料には載らない冬の変化を知りたければ、そこで働く人や暮らす人に聞く。
ほんの一日前、現地を歩きながら教わったばかりのことだった。
机の上に集められた紙だけでは分からないものを、レオは自然と人の方へ探しにいく。
「フローレン」
ルシアンに呼ばれ、そちらを見る。
「今の数量を、先に送る分と、通常便に残す分に分けて整理してもらえるか?」
「うん。先に送る分と、あとへ回せる分?」
「ああ。それと、先に送る分の重さも、分かる範囲で出したい」
「分かった」
フローレンはすぐに席へ戻り、診療所から届いた一覧と輸送予定表を並べた。
必要な薬品名と数量を拾い上げ、それぞれの荷姿を確認していく。記載のないものは勝手に補わず、確認が必要な箇所だけ別に印を付けた。
少し離れたところでは、レオが職員と話している。
誰に聞けば旧道の様子が分かるのか。今日その辺りを通った者はいるのか。馬を使って荷を運ぶ仕事をしている者なら、どこまでの道を知っているのか。
そしてルシアンは、その二つの間に置かれた地図へ目を向けていた。
先に必要な薬品の量が分かったことで、それまで候補から外れていた運び方を、もう一度検討できるようになった。荷馬、旧道、途中にある集落や作業場。まだ使えると決まったものは何一つないが、確かめるべきものは朝よりずっとはっきりしていた。
フローレンは数字を書き写しながら、ふと壁の地図へ目を向けた。
朝から何度も見てきた細い旧道は、何ひとつ姿を変えていない。雪の状態も、まだ確認されていない区間も、そのままだ。
変わったのは、そこへ通そうとしている荷の方だった。




