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107:積み重なる資料


 昼が近づく頃には、雪はほとんど止んでいた。雲の切れ間から時折淡い光が差し込み、研修施設の庭に積もった雪も、陽の当たるところから少しずつ形を崩し始めている。


 それでも、山側の道路状況が良くなったという知らせはまだ届かなかった。


 広間では、朝から変わらず人の出入りが続いている。主要街道の倒木については撤去が進んでいるものの、小規模な崩れが起きた区間は地面の状態を確認する必要があり、大きな荷車を通せる見込みは立っていない。


 迂回に使える道についても、新しい報告が届いていた。領の職員が生徒たちを壁の地図の前へ集め、一本の経路に沿って指を動かす。


「こちらは通れる可能性がありますが、かなり遠回りになります」


 太い主要街道から大きく外れた線を、職員の指先が辿っていく。


「通常なら半日ほどで着く地域ですが、この経路を使うと一日以上かかる可能性があります。昨夜の雪で一部の路面が悪くなっているという報告もありますので、現時点では大型の荷車をそのまま回す判断はしていません」


「今日出ても、着くのは早くて明日以降ということですか?」


 一人の生徒が尋ねる。


「そうなります。途中で状況が変われば、さらに遅れるでしょう」


 職員は地図から手を離し、周囲の生徒たちを見回した。


「今、別の班が実際の状態を確認しています。見通しが立つまでは、通常便を動かさない予定です」


 説明が終わると、生徒たちはそれぞれの机へ戻っていった。


 フローレンも席につき、先ほど聞いた内容を手元の資料と照らし合わせる。迂回できる道がないわけではないけれど、道が一本残っているからといって、昨日までの荷をそのまま移せるわけでもない。


 必要な時間も、一度に運べる量も変わる。通せる荷車の大きさまで違えば、昨日組まれていた輸送予定をそのまま当てはめることはできなかった。


 新しく増えた条件を、フローレンは資料の余白へ書き足していく。


 少し離れたところでは、レオが旧道について届いた報告を読んでいた。何度か地図と紙を見比べていたが、やがて顔を上げる。


「こっち、返事来てる」


 声を掛けられ、フローレンとルシアンもそちらへ顔を向けた。


 レオの手元には、近隣の集落と山仕事に関わる人たちから聞き取った内容を、職員がまとめた紙が置かれていた。


「昨日の旧道。今朝、馬で通った人がいるって」


 レオが地図を引き寄せ、細い線の上へ指を置く。


「南側から入るところは雪も浅くて、少なくとも途中までは馬で通れたみたい。ただ、その人はその先までは行ってないって」


「荷車は?」


 フローレンが尋ねる。


「難しいだろうって。雪がなくても大きい荷車には向かないし、道幅が狭いところもあるから」


 昨日聞いた説明とも一致していた。


 旧道そのものは残っていて、今も人が使っている。けれど、主要街道の代わりに大型の荷車をそのまま通せる道ではない。


「途中まで、というのはどこまでだ?」


 ルシアンが尋ねると、レオは報告書を見直した。


「ここ。南側の分岐から、この辺りまで」


 指先が、地図上の細い線を半分ほど辿る。


「その先は?」

「今朝通った人には確認できてないみたい。別の人にも聞いてるって書いてある」

「道幅については?」

「昨日聞いたのと同じ。場所によってかなり狭い」

「積雪は?」

「南側は浅いって。北へ回り込むところはまだ分からない」


 ルシアンは一つずつ聞きながら、自分の手元の地図にも印をつけていった。


「現時点では、少なくとも南側の途中までは馬で通れたということか」

「うん。その先はまだ分からないけど」

「分かった」


 レオから差し出された報告書を受け取ると、ルシアンはすぐに冒頭へ視線を戻した。地図上の位置と記述を一つずつ照らし合わせながら、もう一度最後まで読み直していく。


 その間にも、別の職員が新しい書類を机へ置いていった。


「先ほどの診療所から追加です」


 三人が揃って顔を上げる。


「薬品の使用状況について、今朝以降の分も確認が取れました。残り日数の見込みは変わっていません。現在の使用量が続けば、三日程度です」


「ありがとうございます」


 ルシアンが受け取り、すぐに内容へ目を落とした。フローレンも隣から数字を確認する。


 三日。


 朝に見た時と同じ数字だった。短くなったわけではない。それでも、朝から何度も報告を受け取っているうちに、その期限だけが紙の上から少しずつ近づいてくるように感じられた。


「フローレン、それも一度見せてもらえるか?」


 ルシアンの声に、顔を上げた。


「これ?」

「ああ。今朝の報告と数字が変わっていないか確認したい」

「うん」


 差し出すと、ルシアンは朝の資料を自分の側へ寄せ、二枚を並べて見比べ始めた。


 確認すること自体はおかしくない。


 今朝から、新しい情報が届くたびに内容は少しずつ更新されている。数時間前には正しかった数字が、今も同じとは限らないのだから、確かめる必要はある。


 フローレンも最初は、何の違和感もなくその手元を眺めていた。


 けれど、先ほどレオがまとめた旧道の報告も、まだルシアンのところに置かれたままだった。その横には輸送予定表があり、さらに道路状況の一覧が重なっている。


 新しい紙が届くたび、机の中央を経由して、最後には同じ場所へ集まっていた。


「ルシアン」


 レオが声を掛ける。


「さっきの旧道のやつ、もういい?」


「ああ、少し待ってくれ。ここと照らし合わせたら返す」

「分かった」


 レオは特に気にした様子もなく、自分の手元に残った別の資料へ戻った。フローレンも在庫の一覧へ視線を戻し、作業を続ける。


 数分後、今度は職員から道路状況の追加報告が届いた。


 主要街道の倒木は一部撤去されたものの、崩れた区間は荷車が通れる幅を確保するまで時間がかかる。復旧時刻については、まだ見通しが立っていなかった。


 フローレンが読み終えるより早く、ルシアンが手を伸ばした。


「僕にも見せてもらえるか」

「うん」


 紙がまた一枚、ルシアンの側へ移る。


 彼は素早く目を通し、地図へ新しい印を書き込んだ。朝から何度も同じことを繰り返しているだけあって、どこを見るべきかも、何と照らし合わせるべきかも迷わない。


 だからこそ、頼りになった。


 レオが道路の位置を確かめれば、すぐに該当する地図を開ける。フローレンが昨日の輸送予定を探せば、必要な便が載った資料もすぐに差し出される。


 情報が必要な時、ルシアンの手元を見れば大抵のものが揃っていた。


 けれど、そのたびに資料は一度彼のところへ集まっている。


 道路についてはレオが見ていた。在庫についてはフローレンが見ている。それでも新しい情報が届くと、最後にはルシアンがもう一度確かめていた。


 正午を迎える少し前、同じ机で作業していた生徒が一枚の報告書を手に近づいてきた。


「この地域、さっき新しい道路情報が来たんだけど、どこにまとめればいい?」

「ああ。それなら――」


 レオが答えかける。


 けれど、その横でルシアンも顔を上げた。


「一度見せてもらってもいいか?」


 生徒は素直に紙を渡した。


 ルシアンは内容に目を通し、記載された時刻と地域を地図で確かめた。それから、レオの前にある道路情報の束を示す。


「これはレオが見ている地域だな。道路情報の方へ入れてくれ」

「分かった」


 報告書はそのままレオの手元へ渡された。


 ほんの短いやり取りだった。


 誰も困ってはいないし、間違いも起きていない。ルシアンが確認したことで、むしろ確実になったと言ってもいい。


 それでもフローレンは、今のやり取りをしばらく目で追っていた。


 最初からレオへ渡しても、たぶん同じ場所へ入っていた。


 そう思ったところで、手元のペンが一度止まる。


 三年生の合同実習で見た光景が、ふと頭に重なった。


 あの時、班長だったルシアンは、誰よりもよく状況を把握していた。何がどこにあり、誰が何を担当し、次に何をするべきなのかまで、自分で確かめていた。


 けれど途中で条件が変わった時、ルシアンがいない場所では誰も判断できなかった。


 班長がすべてを知っていることと、班が動けることは同じではない。


 教師に言われた言葉を、フローレンは今でも覚えている。


 ルシアン自身も、そのことには気づいたはずだった。そのあと少しずつ、人へ資料を任せるようになったし、秋季総合競技では人選そのものをレオへ預けた。


 四年生になってからも、以前よりずっと自然に仕事を渡している。


 今だって、最初に役割を分けたのはルシアンだった。


 道路はレオ。

 在庫はフローレン。

 自分は輸送予定。


 それぞれに任せている。

 

 だから、三年生の時とまったく同じではない。


 フローレンは机の上へ視線を戻した。


 レオがまとめた旧道の報告、自分が整理した残り日数、職員から届いた道路情報。担当は分かれているのに、どれも一度ルシアンのところを通っている。


 任せることはできるようになった。


 ただ、任せたままにしておくことは、まだ少し難しいのかもしれない。


「フローレン?」


 呼ばれて、顔を上げる。


 ルシアンがこちらを見ていた。


「どうした?」

「……ううん。何でもない」


 小さく首を振り、手元の資料へ戻った。


 今すぐ何かが困っているわけではない。ルシアンが確認しているおかげで、見落としが減っているのも確かだった。


 けれど。


 広間の扉が開き、また新しい報告が運び込まれる。受け取った職員が内容を確認し、そのまま三人の机へ向かって歩いてきた。


 ルシアンの手元には、まだ返されていない資料が何枚か残っていた。


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